試験勉強をすることになった。
ドタバタと階段を駆け上がる音が聞こえた。地面を打つ雨の音よりも大きな音だ。その音が過ぎ去るのを微睡の中で待っていると、その嵐は突然僕の部屋のドアを叩き破る。妹の舞だ。
「ちょっと馬鹿兄貴!いつまで寝てるんだよ!」
まるで暴風と豪雨のように大音量で叫び散らすと、部屋の中にズカズカと入り僕の被っていた布団を剥ぎ取る。悪天候による気温の低さに呻いた僕は、身を縮めるように丸くなった。
「今日は休日、それにまだ九時にもなってないだろう」
土曜日の朝、壁に掛けられた時計を見て僕は言う。そこで目蓋の重さに限界を感じて閉じた。
「馬鹿兄貴、まさか昨日朝までゲームしてたのかよ?」
「当たり前だろ、休みだぞ。それに夜通しゲームしていなくてもわかるだろ?」
耳から入って体の芯に溶ける、雨の音を聞きながら微睡に身を任せる。
「雨の日はこの心地良い気分に任せて、好きな時に眠るって決めてるんだ」
ただ一言、そう告げて僕は二度寝を開始した。
前日に考えた、丸一日ゲームをする企画は既に破棄した。
「寝るなっての、おーきーろー!」
「……なんだよ、パシリに使われる気はないぞ。雨降ってるし」
それでも急がせたい理由があるようで睡眠の妨害をする妹に背を向けると、横になった脇を無造作に掴まれて転がされた。再度、抵抗するように壁の方を向く。
「違うんだって、兄貴に客!それもすっごい美人!」
「おまえ寝言は寝てから言え、な?」
なおも掴んで離さない妹の腕を掴み、ベッドに引き摺り込むと「うなっ!?」と悲鳴が上がった。何処かに出掛ける予定だったのかミニスカートの裾が大変けしからんことになっており、魅惑の生足が顔を出した。
「あーもう変態馬鹿兄貴、そうじゃないんだって」
「画面の向こうから美少女でも飛び出してきたのか?」
「そう、兄貴の好きそうな美少女だよ。それも二人、清楚っぽいのとギャルっぽいやつ。兄貴何処であんな美人引っ掛けてきたんだよ、今ママが下で出迎えてる!」
どうやら妹には画面の向こうから飛び出した美少女達が現実に世界に現れた話をしているらしい。中学二年生にもなって……いや、だからこそ目覚めてしまったのか?そこから先は破滅の道だぞ。
「愚妹よ、画面の向こうから美少女が飛び出すなんて非現実的なこと、否オタク達の夢を先に叶えるとは恐れ入った。取り敢えず、まずは精神科と脳外科あたりに通院することをお勧めしておく。おやすみ」
「あぁもうまったく信じてないな!」
僕の腕から逃れた妹がベッドに飛び乗り、最終手段を講じる。即ち、兄を蹴るというまったくもって敬いの一つもない、一部の人間にとってはご褒美の手段を実行に移したのだ。
「ちょっ、いたっ、痛いって、寝覚め最悪にも程があるだろ!」
「やめて欲しかったら起きろ!」
顔面に振り下ろされようとしていた足の裏を掴む。
そうすると、振り上げていた足の隙間から上が見えるわけで。
「–––白と水のストライプか」
「ちょっ、変態、離せっ、て見るな!」
それに気づいた妹が顔を真っ赤にして暴れ出し、バランスを崩して鳩尾に膝が突撃するまでが通過儀礼だ。
◇
「あー、完全に目が冴えちまった」
下着を見られて不機嫌な妹の舞に小突かれながら階段を降りる。洗面所で顔を洗って、差し出されるタオルで顔を拭き、キッチンが併設されたリビングに行くとパチパチと油の弾ける音が聞こえた。扉を開けるとベーコンの焼ける良い匂いが鼻腔を擽り、珈琲の目の覚めるような匂いが鼻をついた。
「おはよう、圭」
「あぁ、おはよ……ぉ?」
霞んでいた視界が一気に覚醒する。
キッチンには、料理をしている湊月がいた。
青いフレアスカートに、白のカットソー、その上にエプロンを纏い、髪をポニーテールに。
その姿に見惚れること暫し、僕は思考が停止する感覚というのを今初めて本当の意味で知った。
「舞ちゃんお疲れー、ドタバタしてたけど大丈夫?」
「大丈夫じゃない。緋奈さんも気をつけた方がいいよ。パンツ見られるから」
その側では珈琲メーカーを使用して、三人分の珈琲を用意している緋奈がいた。
ホットパンツ、黒のニーハイソックス、白パーカー、チラチラとホットパンツがパーカーの裾から覗いて、一瞬下は履いていないかと思ってしまった。
二人とも似たようなシュシュで髪を纏めている。
緋奈はサイドテールだ。
「うっわ、あんた妹のパンツ見て興奮してんの?」
「妹のでは興奮しないな」
流れるように変態認定され掛けて、僕は嘆息した。
「……なんで二人が此処にいるんだ?」
「ん?兄貴が呼んだんだろ?」
「妹よ、僕が女子を家に招くような性格だと思うか?」
「まぁ兄貴にそんな度胸も勇気もねぇーか〜。知ってた」
じゃあ、何故?と僕は思考する。
答えは緋奈が呆れた様子で口にした。
「どうせあんたのことだから休みの日もだらだらしてると思って来てやったのよ」
こくこくと頷く湊月、その手は胸の前でギュッと握られている。
何故か必死だ。
有難迷惑、とは正面切って言えず。
僕は口を噤む。
「で、舞に家の住所を聞いてやって来たと」
今も昔も湊月達を家に招いたことなどない。
だから、それは当然の結論だ。
妹様は甘やかされる傾向にあるようで、スマホを持っている。
その妹様の連絡先を手に入れた湊月なら、聞いていると推測したのだ。
「え、あたし教えてないぞ?兄貴じゃないの?」
その推測は外れた。湊月を見ると、目を逸らされた。その先には緋奈がいた。
「あたしも知らないわよ。っていうか、湊月にあんたが教えたんじゃないの?」
「聞かれた覚えはないが」
疑問は謎のまま、真相を知る湊月へと向けられる。
彼女は気まずそうに目を逸らしたまま、目を伏せた。
「……その、バイト終わりの圭を尾行したんだ」
罪悪感はあったのか、声が何処となく暗い。
叱られることに怯えるような目で僕を見上げた。
ふるふると睫毛が震える。
泣きそうな顔で、唇を噛み締める。
「……おまえなぁ、女子高生がそんな時間に一人で彷徨くなよ」
「いや、馬鹿兄貴……注意するとこそこじゃない」
お仕置きとばかりに頭に手を置いて、乱暴に撫で回す。掻き乱された髪に顔が隠されて、ちょっと不機嫌そうに湊月が唸った。
「夜に一人で出歩くな。怖ーい奴に襲われても助けられないんだからな」
パチパチ、と瞬きが繰り返される。
「怒らないのか?」
「何を?」
「いや、だって……まるでストーカーみたいなこと…」
どうやら湊月はそんなことを気にしていたみたいだ。
僕にはまるで理解できないが。
逃げるような湊月の頰を両手で捕まえて、瞳を見つめる。
彼女の目が泳いでいるのがよくわかる。
「…っ、圭……?」
彼女の頰が熱を帯びていく。
焦点の定まっていなかった瞳が僕を見た。
「言いたいことはちゃんと言え。おまえ本当に昔から変わらないな」
思えば、昔からの悪癖だ。湊月は言いたいことを言わない。控えめに言って自己主張が苦手だった少女は、社交的にはなったものの根本の部分では変わらないようだ。
「……」
「……わ、わかったから。その、もう離してくれ、限界だ」
「ん、おう悪い。ちょっと見惚れてた」
「……へっ!?」
「……んん〜?ダメだ、睡眠不足で何考えてたか思い出せない」
何かおかしなことを口走った気がしたが、大したことではないだろう。そう結論付けて僕は席についた。
圭「そういや母さんは?」
湊月「…その、今夜はお赤飯だって…」
お赤飯並みに顔を真っ赤にした湊月だった。