再会した女の子が放っておいてくれない話   作:黒樹

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変化する日常・朝

 

 

 

週明けの月曜日は憂鬱だ。学校に行きたくないと身体が拒絶反応を起こす。暖かいベッドから抜け出すことも億劫なまま、微睡に意識を委ねていると朝から珍しく家の呼び鈴が鳴る。ドタバタと忙しない音が聞こえて、その数分後にはガチャリと僕の部屋の扉が開けられた。起こしに来た誰かに抵抗するようにベッドに深く潜ると、やって来た人物はそっとベッドの淵に腰掛けた。

 

「圭、朝だぞ。起きろ」

 

普段、僕を起こす手段は強引なものが多い。それなのに今日は妙に優しい起こし方だ。毛布越しに肩を揺すって覚醒を促す。乱暴な妹でも、喧しい母でもない、別の誰か。

 

「あと五分……」

 

お決まりの台詞を言って、僕は二度寝に興じる。

そんな僕に声の主は仕方ないなぁといった雰囲気で、

 

「起きないなら、悪戯でもしようか?」

 

悪戯っぽく笑う。その声には艶っぽさもあって、中々に刺激的だ。

 

「起きないとキスするぞー」

 

「……」

 

声の主は待ってくれない。僕が無反応で微睡の中に戻ると、声の主は強引な手段に切り替えて頭まで被った毛布を一部剥ぎ取り、頬にそっと口付けを落としてきた。

目が覚めるような行為に脳が活性化した。オキシトシンの大量分泌に引き摺られて、薄く瞼を開く。すると僕の前にいたのは制服姿の湊月だった。頰を朱に染めて、優しげな眼で僕を見つめている。しかし、僕から反応がないことが判るとすぐに不機嫌そうに頰を膨らませた。

 

「彼女が起こしに来たんだから、もう少し嬉しそうにしてもいいじゃないか」

 

日曜の朝ぶりだった。あの日、湊月はシャワーを浴びたあと、緋奈から着替えを受け取ってすぐに着替えると帰って行ったのだ。今の発言がなければ、僕は彼女が恋人だということを夢で片付けていたかもしれない。

 

「……そうか、彼女か」

 

「さては、昨日の今日で忘れたとか言うんじゃないだろうな。私にあんなことをしておいて、いまさら恋人じゃないなんてなしだぞ」

 

「もし言ったらどうなるんだ?」

 

「ショックで死ぬ」

 

随分と重い恋人だ。だが、それくらいでないと僕も簡単には信用できないだろう。正直な話、今でも“恋人”という関係性に半信半疑でいるのだから。

 

「安心しろ、湊月が僕を嫌いにならない限りは一緒にいてやる」

 

「いいのか?私は絶対に圭を手放したりしないよ」

 

それはつまり、絶対に別れることはないということだろうか。二人の言い分を合わせれば、婚約じみたことを言っているのがわかって、湊月が照れたように俯いた。

 

「それでこんな朝早くにどうしたんだ?」

 

プロポーズくさくなってしまったために話題をすり替えると、湊月の顔がさらに赤くなった。

 

「……だって、圭と一緒に登校したかったし。恋人らしいこと、してみたかったし……」

 

そんな理由で僕の眠りを妨げたらしい。怒るに怒れなくて、僕は脱力した。

 

それから朝の支度をして、湊月と一緒に家を出た。学校までの通学路は割と距離がある。普段は自転車だが、今日ばかりは電車を使い通学することにした。三駅ほどの距離を電車で十五分ほど、そこから歩いて学校に向かう。既に周囲は同じ学校の制服のやつらばかりで、人の流れができていた。それに沿って歩いていると湊月がきゅっと手を握った。

 

「どうした?」

 

「……別になんでもない」

 

手を握りたかったのだろう。それくらい僕でも判る。だから、それ以上のことは何も言わずに僕は指を絡めた。湊月は驚いた様子だったがすぐに嬉しそうに応えて指を絡ませる。

そのまま校門を潜り、自転車置き場を抜けると生徒玄関へ。靴を履き替えて、階段を上がると教室を目指した。

 

「あ、鹿島さんおはよー」

 

「おはよう鹿島さん……あれ?」

 

教室に入ると湊月の友達らしきクラスメイトが挨拶をする。男子は友人達との会話を中止して、湊月へと視線を向けた。さっきまで口論をしていた連中も揃って争いをやめている。それだけ湊月には人気があるのだ。異性としても、人としても、この教室……いや同学年どころか先輩達に至るまで、湊月を知っているものは多い。

さて、それでは学内で有名な湊月が男を手を繋いで教室に現れたらどうなるだろうか。まず違和感に気づいた女子生徒が湊月の指先に絡まった手を見ると、その視線を繋いでいた僕の方に向ける。そうしてまた視線を戻して、手を繋いでいるところを再確認し、今度は全体を眺め見てみる。結論は出た。

 

「……え、え、どういうこと?」

 

結論を出すのは早計だと思ったのか、困惑しながらも女子生徒は理解しようとした。隣にいるのが僕だったからか、これがあの二人なら違ったのだろうかと思っていると、湊月は友人達に拉致されていった。

取り残された僕は、一人自分の席へと進む。

普段は浴びせられない注目を浴びながら席に座り、悪足掻きの暗記をしていると不意に近寄って来る気配があった。目の端で捉えていたし、こっちに来るんだろうなとは思っていたが、その人物は隣に立つと声を掛けてきた。

 

「おはよう榊原。朝から随分と大胆ね」

 

「それは湊月に言ってくれ」

 

幼馴染?の片割れは、朝から揶揄いに来たのだろうか。

視界の隅には友人達に取り囲まれている湊月の姿がある。朝とは思えぬくらい異常に盛り上がっており、時折、僕に視線が向くことからさっきの言及をされているのだろう。

その“恋人”の湊月さんはどうやら隠す気どころか、彼氏を見せびらかしたいようで自慢げに話していた。僕が自慢になるかは甚だ疑問だが、あの笑みに嘘はないと思いたい。

 

「……ねぇ、湊月の何処を好きになったの?」

 

そんな風に戯れる湊月達を眺めていると、緋奈がストレートに答えづらい質問をしてくる。何処を好きかと問われても好きかどうかすら曖昧で、答えに窮するのが現状だ。容姿だとか適当なことを言ったら『カラダ目当てなの?』ってキレるんだろうな、と思いつつ答えを探す。質問自体が来ることはなんとなくわかっていたから、それなりに回答は用意していた。

好きかどうかは答えられずとも、確かに判ることが一つだけある。

僕が鹿島湊月という女性を大切に思っていることだ。

 

「わからん」

 

「はぁ?どういうことよ?」

 

呆れたような、怒っているような声だで問い詰めてくる。

もし湊月が誰かと付き合ったとして、その答えを聞いたなら僕だって怒ったかもしれない。

そう考えれば、緋奈の批難がましい視線も当然のことだろう。

だから、誤解しないように訂正しておく。

 

「勘違いするな。別に嫌いってわけじゃない」

 

「それ、捉え方によっては断り文句よ」

 

緋奈はそう感じたのだろうか、益々視線が鋭くなる。

 

「もし湊月を傷つけるつもりなら、あたしが許さないわよ」

 

「だから、そんなつもりはないって。……仮にも恋人だ。大切にするさ。湊月が裏切らない限りは」

 

いつか僕を嫌いになって湊月に他に好きな人ができた時、それが終わりの合図だ。その覚悟が伝わったようで緋奈が驚いたように目を見開くと、僅かに唇を振るわせた。

 

「……あんた湊月が裏切ると思ってんの?」

 

「湊月に他に好きな人ができて、僕と別れたいだなんて言うかもしれないだろ。詩的な表現だが、僕なんかより良いやつは星の数ほどいるだろう」

 

「もし、そうなった時、あんたは……」

 

「潔く退くつもりだが」

 

たとえば僕が本当に湊月を好きに言えるようになったとしても、その相手の幸せを考えるなら僕は潔く退いてしまうだろう。そんな予感にも似た、断言をしてしまうあたり僕も末期だ。

今も湊月を疑い続ける僕を見て、緋奈が詰め寄るように手を伸ばしたが、その手は空を切って下された。

 

「……あたし達のせい?あんたがそんな風になったのは」

 

「あの頃の僕が馬鹿だっただけだ」

 

誰かを疑うことを知らなかった僕が、誰かを信じる心を失う代わりに、誰かを疑う心を手に入れた。そう、ただそれだけの話なのだ。そういう人間は探せばいくらでもいる。僕がその一人なだけだ。

 

「そう。……あんたはやっぱりそう言うわよね」

 

誰も悪くないはずなのに、緋奈の表情は何処か暗い。

どう言えば彼女は納得してくれるか考えたが、簡単に答えが出るなら苦労はしなかった。

僕が納得しているのに、緋奈は納得していないまま自分を責めているようにも感じた。

 

「おまえ本当に面倒なやつだな」

 

「なによ……」

 

「そうやって勝手に責任感じてるところ、鬱陶しい」

 

「なによそれ、あたしは……!」

 

「何もしないのが正解だったんだろ」

 

当時、倉橋緋奈は隣のクラスだった。

湊月がいじめられ始めたのも、ちょうど緋奈と湊月のクラスが別になったところだ。

その時に緋奈は行動を起こしたらしいが、それが原因で虐めが悪化した。

自分のせいで。そんな自責の念が纏わりつき、緋奈は湊月を見守ることを選んだ。

 

–––僕の時もそうだ。

 

湊月の時にそれを学習した彼女が、僕を助けようとしなかった理由はそれだ。

それを今更ながらに言い訳と思ったのか、勝手にまた自分を責めている。

自分が裏切ったと、思い込んでいる。

 

「圭、緋奈、二人で何を話してるんだ?」

 

女子生徒達に拘束され、質問攻めにあっていた湊月が帰って来ると、「なんでもない」と言って緋奈は席に戻っていった。

 


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