「……はぁ。スマホを買ったのは早計だったか」
昼休みにポケットが振動して何かと思えば、最近買ったスマホがメールを受信した通知が来ていた。差出人は妹、画面に表示されている内容を見るにお使いの連絡だ。
『帰りにプリン買って来て』
否応なしの命令文。妹様はお姫様などではなく、立派な女王様。ならば、僕はしもべと言ったところだろうか。此処でノーと言えないのが僕の悪いところ。
「そんで代金は僕持ちなんだろうなぁ」
うちの妹、可愛くない。可愛いけど、可愛くない。
満面の笑みでお礼を言ってくれるならまだしも、利用するだけ利用してぽいだ。性質が悪い。
それに従ってる僕も僕だが。
「……なぁ、圭」
スマホの画面に映る妹様からの指令を遠い目で見つめていると、横でわなわなと震える湊月が視界の端に映った。
昼食はほぼ毎日のように湊月が隣にいる。惣菜パンを片手に妹への返信をする僕の隣で、弁当を黙々と食べている。
「どうした?」
「携帯買ったのか?」
「あぁ、まぁな」
「いつ?」
「二日前くらいか?」
正確には覚えていないが、それくらい前だったと思う。
妙に食いついてくると思ったら、湊月が頰を膨らませた。ご機嫌斜めのポーズだ。
「なんで言ってくれなかったんだ」
「いや、言う必要ないと思って」
携帯電話を買ったからといって報告する義務はないだろう。現時点で僕のスマホは携帯電話としての機能を全うしてはいない。使用率の半分以上がソシャゲで埋まっており、連絡先なんて妹とバイト先のマスター、それと数少ない友人を合わせて両手で数えるほど。ちなみに親の連絡先はまだ登録されていない。電話番号だけなら、記憶しているから、改めて携帯に記録させるのはその時が来たらでいいと思っている。
「……それがわかってたら、毎日夜話せたのに」
そう言われても、態々電話をしてまで会話するメリットについて考え始めれば、あまり魅力的なものではないと判断したまでだ。
「別に次の日に会って話せばいいだろう」
「圭は乙女心がわかってない」
僕の恋愛バイブルでは、恋人同士が夜電話して楽しんでいるシーンがある。そこに心が追いつかないのは僕の冷たさが原因か、頭では理解できても納得はできない。声を聞きたいだとか、話がしたいだとか、結局は偽りの行為だ。
「言っておくが湊月、携帯電話は本来その人の声を聴かせるのではなく、類似した音を発生させて似せているだけで本人の声ではないからな」
「あんたはそういうところ妙に現実的よね」
夢も希望もロマンスもない話をすると、同じく昼食に同席していた緋奈に咎められる。夢見る乙女としては、そういうシチュエーションを否定されるのは嫌なのだろう。僕も根っこから否定しているわけではない。どちらかというとそういうシチュエーションは好きだ。恋愛系の漫画でよく見る。でも、それとこれとは別であまりやりたいとは思わない。
「会話は全般的に苦手だからな」
人と話すという行為において苦手意識を持っている自分としては、電話も会話も最小限にしている。恋人である湊月が相手でも、それは変わらない。ちなみに筆談も無理。言葉を使った伝達方法全て苦手だ。コミュニケーション能力が僕には欠如しているのが原因だろう。
「それとだ。どうせ聞くなら、湊月の綺麗な声がいい。機械越しだとどうもな……」
「っ!?」
電話から聞こえる声は、あくまで偽物だ。
湊月であって、湊月の声ではない。
言葉は湊月のものでも、声は彼女のものではない。
そう伝えただけのはずが、湊月の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「いちゃつくなら帰っていい?」
胸焼けがすると緋奈は文句を言って、僕の缶コーヒーを奪った。しかし、止める間も無く未開封の缶コーヒーは開封され緋奈の胃袋に流し込まれていく。
「べ、別にいちゃついてなんか……そ、それより圭。携帯があるなら連絡先を交換しよう。ほら、緋奈も」
目下の目的は僕の連絡先の入手のようで、湊月もスマホを取り出した。仕方ないといった様子で緋奈もスマホを取り出して、三人で連絡先を交換する。
ただ湊月はじっと僕のスマホの画面を見つめるばかりでもたもたとしていた。何が気になるのか、画面から目を離そうとしない。
「ところで圭、ホーム画面とか壁紙は何に設定してるんだ?」
「ん」
そんなことを気にしていたようだ。
僕は趣味全開なアニメの壁紙の貼り付けられたホーム画面を見せた。
すると、湊月はまた不機嫌そうに顔を歪める。
「言っておくが湊月、趣味についてとやかく言われる筋合いはないからな」
もし、オタク趣味が嫌なら、別れてもらう他ない。
だが、湊月はそうではないようで首を横に振って否定した。
そうではないなら、なんだと言うのか。
「それは別にいいんだ。そういうところも全部好きだし。……そうじゃなくて、やっぱり恋人なんだからその……壁紙を……」
しかし、話題は壁紙から離れない。
歯切れの悪い湊月に代わって、緋奈が割って入った。
「つまり湊月はこう言ってるのよ。私の写真を使って欲しいって」
「嫌だ」
「即答!?」
きっぱりと断ったら、悲しそうな顔をして湊月が見てくる。
緋奈からは批難がましい視線を頂くことになった。
「揶揄われるから面倒くさい」
「誰に?」
「友人A、B」
理由はただ一つ。僕の知り合いがこういった事に関しては口煩いので漬け込まれるような隙を作りたくないのが本音だ。スマホの画面を恋人の写真にしてみろ、絶対に揶揄われる未来が見える。
「あんた友達いたの?」
「おまえ僕をなんだと思ってたんだ?」
普段、一人でいることが多いからか緋奈には友達がいない可哀想なやつだと思われていたらしい。心外と言いたいところだが、友達の数はそれほど多くないのであまり大きく否定はできない。
「男か?女か?」
湊月にとって大切なのはその部分なようで、真剣な眼差しで問いただそうとする。
「男だよ。女友達なんて、緋奈と湊月……と、あとはもう一人いたくらいだ」
転校してからも殆ど友達は出来なかったし、女子とまともな会話をしたのもある時期が最後で、思春期か何かそれが最後でまともに女子には話しかけていない。
振り返ってみれば、小学生の頃の僕はとんだプレイボーイだ。
ある意味、これは前科ありと判断すべきだろうか。
「そんなに疑うなら確認してみるか?」
「どうやって?」
「隣のクラスにいるぞ」
小中と付き合いのある友人の一人や二人いるが、その中でも同じ学校に進学したのは一人だけだ。あとは散り散りで好きな道に進んでいるため、容易には会うことはないが、それでも一人くらいなら都合がつく。
「面白そうねそれ」
そうして、隣のクラスの友人に会いにいくことが決まった。
◇
弁当箱を片付けた僕達は隣のクラスに移動する。入口から見知った顔を探すと、目的の人物は机で眠りこけていた。食後の睡眠に興じているところ悪いが僕は叩き起こした。
「起きろ、新田」
「む……あれ、カッキーじゃんどうしたの」
「カッキー……」「カッキーだって」「カッキー?あぁ、榊原だからか」と背後で変な声が聞こえたが、無視をして寝ぼけ眼で此方を見上げる友人を見下ろす。
起きた友人は上半身を起こして欠伸をしながら、僕の背後にいる二人を見て首を傾げた。
「え、なにこれ、どういう状況?どういう集まり?」
美少女二人を見て目が覚めたのか、それとも幻の中に囚われたままなのか、首を捻っては困惑した様子で僕達を見比べて……なお納得のいかない表情で説明を求めた。
「前に話したろ。“前の”小学校の時の友人だ」
そう説明したのは、彼が転校した後に出来た友人だからだ。
「え、マジ?隣のクラスの倉橋さんと鹿島さんじゃん。よりにもよってその二人?」
奴が驚く理由もわからないわけではない。緋奈と湊月は同学年ならば美人として有名で、知らない者は少ないほど話題の的になっている人物達だ。それに他二人もイケメンだとかなんだとか、話題性のある奴らだ。今更だが僕にあの空気は重い。
「友人……友人……友人……」
ぞんざいな紹介をしたら、ショックを受けたような反応をして湊月は腕に抱きついてきた。何がお気に召さなかったのかある一部分を訂正する。
「圭の彼女です。初めまして」
「えぇっ!?じゃあそっちも!?」
「おまえは馬鹿か?」
湊月の方を仰天した表情で見るや、今度は緋奈に視線を向けた。
「ち、違うわよ、あんた頭おかしいんじゃない!?」
僕と変な噂を立てられるのが嫌らしい緋奈は全力で否定した。
思いの外、ぐさりとくる言葉だった。
「なぁんだ残念。面白い話が聞けると思ったのに」
本気でつまらなさそうなのが何より腹が立つ。
「取り敢えず、湊月達のことを知ってるなら紹介はいらないよな」
溜飲を下げて、話を進めると新田は顔を上げた。二人を見て戯けた感じに自己紹介をする。
「ボクは新田幸助。よろしく、倉橋さん、鹿島さん」
ひらひらと手を振ってアピールする新田に、緋奈と湊月も挨拶を返す。一通りの紹介が終わったところで改めて本題に移る。新田はのんびりしているが、かなり頭が良いというか、勘がいいというか、キレる人間だ。
「それで何しにきたの?」
態々、隣のクラスまで来た僕のことを不審に思ったのだろう。新田が疑問に思うのは早かった。
「大した理由じゃない。僕の交友関係を知りたいってこいつらがな」
此処で“彼女”と言えば、面倒な反応が返ってくる気がした。
「早速、浮気を疑われてるんだ」
訂正、どう言い繕おうが手遅れだった。
からからと新田は笑う。そして、不思議な表情に。
「でも、中学の時の彼女とはまた違ったタイプなんだね」
新田の一言にぴたりと空気が凍る。
そう錯覚したのは、息を呑む音が左右から聞こえたからだ。
「……待て、圭。中学時代に彼女がいたのか?」
「あの子も凄く可愛いかったよね。確か名前は……」
僕は何も言ってないのに会話が進んでいく。
止める間も無く、新田はそいつの名を口にした。
「佐藤さんだっけ?」
……懐かしい名前だ。
「えっ、佐藤って……桃華か!?」
「あんたら同じ中学だったの!?」
驚愕に満ちた甲高い声が鼓膜に響いて、慌てて耳を塞ぐ。と言っても完全に聞こえないわけではなく、ちょうどいい音量になったくらいだが間に合わない奴もいた。新田の耳が御臨終だ。
「あれ、知り合い?」
「言ったろ。小学校が同じだったって」
所々記憶が抜け落ちてるのが新田らしいが、そんな要素は今は要らない。
「な、そんなの一言も聞いてないぞ!?」
湊月が糾弾するように大声をあげるが、いったい何に関して言及しようとしているのだろうか。こんな場面でも新田は暖気に口を挟む。
「佐藤さんからのアタックが激しくて、カッキーが折れる事になったんだよね。最初の告白から一ヶ月後くらいに。最初は面倒臭いとか言ってたのにいつの間にかくっついてるし」
「仕方ないだろう。あぁやって付き纏われるのも面倒だったし」
一度、振ったのにどうしてか佐藤は諦めなかった。そんなところに絆されたことは覚えている。ただ、その関係も佐藤がまた転校をする事になって解消されてしまったが。
「け、圭は桃華のこと好きだったのか?」
「さてな。僕にもよくわからん」
好きか嫌いかはともかく、悪い奴じゃなかったのは確かだ。