圭を囲んだ三人の不良達、その不良のリーダー格である窪田という男は圭の胸ぐらを掴みあげる。
「皺になるだろ。離せよ」
対して、圭は意にも介していない様子で逆に不良の腕を掴んだ。指を一本ずつ剥がすと腕を解かせ、離れるやすぐに自分も腕を離す。不機嫌そうに服装を正す彼を見て、不良達は更に怒りを募らせた。
「この野郎……なめやがって……!」
「おまえ達がどう受け取るかは知らんが、バカにしたつもりはない。相手にする気もないが」
相手にするだけ無駄だとでも言うかのように溜息を吐き、ぼやくと面倒臭そうな顔。代わり映えのしない表情が更に怒りを募らせる要因になっていることをわかっていないのか、それともわかっていて直す気がないのか態度は変わらず一歩も退こうとしない。
「上等だその喧嘩買ってやるよ!オラァ!」
そんな態度を続ける圭に対して不良のリーダーは切れて拳を振り上げる。
ゴン、とも、ガッ、ともいえない鈍い音を立てて圭の頬を打った。
その光景からあたしは思わず目を逸らした。
あいつが傷つくのを見ていられなくて、胸が痛くなって。
だけど、あいつは倒れることもせずよろめいて一歩下がると、打たれた頬を触ってぐにぐにと押す。
「……気は済んだか?」
不良達を睨みつけるように見て、全く意に介していない様子の圭は呆れたように言う。なおも相手にしない。
「……っ、だったらその気にさせてやるよ」
「やれやれ、面倒な」
「くたばれ!」
「圭、危ない!」
リーダーと対峙してる最中、圭の背後にいた不良が彼に殴りかかる。
あたしの声に振り返った圭の頬に拳が突き刺さった。
「っ、……」
ちょっとよろめいて頬を摩る。
不機嫌そうに眉を歪めて、眉間に皺を作っていた。
「一人に対して三人で喧嘩を売るのは構わないが。おまえ達は一人相手に三人じゃないと戦えないほど腰抜けなのか?」
……うわ、凄く不機嫌だ。
穏便に済ませようとしていた圭の口調も荒っぽくなり、挑発するような言葉が不良達の神経を逆撫でする。そして、その馬鹿みたいにあからさまな挑発に引っ掛かる馬鹿が一人。
「人をどれだけバカにしたら気が済むんだ。いいぜ、おまえらは手を出すなよ!」
顔を真っ赤にして、他二人を牽制するや圭に殴りかかってしまった。
「オラァ!どうした!威勢がいいのは口だけかぁ!?」
一方的に窪田が殴りつけ、それに応じて圭は拳を受け止める。
反撃には出ず、ただひたすら耐えて、堪えて……。
防戦一方で上手く躱し切れない拳や蹴りが打つ。
その度に私の心も軋み、傷ついていくようだった。
「もういいよ……やめよ……お願いだから……」
あたしなんかのために彼が傷つく必要はない。
そんな思いで溢れた言葉が雨に溶けて消える。
だから、あたしは祈った。
祈りながら、目の前の光景を目に焼き付けた。
–––それは決着するまで永遠に続くかと思われたが、不意に終わりを告げる。
「はぁ…はぁ…くそっ、なんつータフさだよ」
一方的に攻撃していたはずの不良が肩で息をしていた。疲れたように肩を下げるそいつを警戒したまま、圭は頬を摩ったり首を揉んだりと身体の調子を確かめるように触れていく。まるで能天気な様子だが、圭の方もボロボロで顔には擦り傷ができていた。
「……気は済んだか?」
「……テメェ、なんで反撃してきやがらねぇ」
「妙な逆恨みされても困るんでな」
「……チッ。行くぞ」
「え、いいんですか?」
「いいから行くぞ」
喧嘩にも飽きたのか不良達のリーダーは仲間を連れて去って行く。
残された圭は不良達が視界から消えたのを確認すると、服の泥を払いながら此方に歩いて来た。それも今、喧嘩して来た様子を見せることのない何食わぬ顔で、あたしの前に立つと手を差し出す。
「なに水溜まりの中に座り込んでんだ。ほら、立てよ」
「あ、ありがと……」
あたしが圭の手を握ると、一瞬顔を顰めた。
その僅かな変化をあたしは見逃さない。
「ちょっと怪我大丈夫?」
「これくらい問題ない。うちの爺さんの拳骨に比べたらまだマシだ」
「あんたのおじいちゃんどんな怪力してんのよ」
圭に引っ張られて、あたしも立ち上がろうとして……気づく。
「あれ……ちょっと待って……立ち上がれない」
「……」
「あはは……腰が抜けちゃったみたい」
「座っているわけにもいかないだろう。文句は言うなよ」
一言述べたすぐ後で圭は思い切り手を引くと同時に、あたしの腰を抱いて立ち上がらせた。無理矢理立ち上がらされた状態のあたしはされるがままに圭に抱き着いてしまって、数秒の間フリーズしていた。
熱い。胸が焦がされるように。だけど、それはきっと圭の身体の熱が雨に冷えたあたしの身体に伝播したせいだろう。触れた箇所からあたしの身体は温められて、なんだかそれが嬉しくて。
あたしは彼にしがみついて、一言だけ文句を言った。
「馬鹿。……無茶しないでよ」
「無理無謀はしていない」
それは嘘だ。見るからに頬は傷だらけだし、何度かふらついていることもあった。顔を顰めているのは不機嫌などではなく、痛みを堪えているからなのだろう。
「僕のことはいい。それよりもだ」
圭の怪我の状態を確認していると鞄を要求される。返すとすぐにファスナーを開いてジャージを取り出した。そして、今度はそのジャージをあたしに押し付けてくる。
「羽織るのでもいいから隠せ。透けて見える」
「……え?」
何が飛び出してくるのかと思えば、圭の言葉を反芻して理解するのに数秒の時を要する。次いで自分の視線を下に下ろせばシャツが透けて下着が見えているのがわかった。
「あ、ありがと」
傘や鞄を持ってもらってジャージを着るとほのかに彼の匂いがした。
……嫌いではないけれど、酷く悪いことをした気分になる。
「匂いが気になっても気にしないでくれると助かるんだが」
「か、嗅いでないし。それよりなんであんたがここにいるのよ……湊月は?」
慌てて言い繕った先に、親友の事が思い浮かんだ。
すると彼はまた鞄を漁って、ピンクの可愛らしい折り畳み傘を取り出す。
「湊月は家に送った。だが、湊月の家にはおまえの母親がいてな。傘持って行ってないだろうから見つけたら渡してくれと押し付けられた」
駅から家まであたしと湊月が通る道は当然、圭も知っているわけで可能性ならある。けれど、それはいつも通りの道を歩いていたならの話で今日みたいなのは例外だ。寄り道が多くて、普段の道からは少し逸れている。
「態々探してくれたんだ」
「偶然見つけただけだ」
誤魔化すように圭は「さて」と言って、他二人に目を向ける。
「おまえらも無事みたいだな」
「あー、なんとか……無事っぽい」
「気分は最悪だがな」
「ならいい。さっさと帰れ」
「いや、また倉橋ちゃんが襲われるかもしれないし……此処は誰かが送って行った方がいいと思うんだけど」
「同感だな」
泉の提案に西宮が同意する。
しかし、あたしにも予想外の一言が圭の口から放たれた。
「僕が家まで送るから問題はない」
「なら……」
「いや、榊原。おまえはボロボロなんだし軽傷な俺に任せてくれ」
納得しかけた泉を制して、西宮がそう提案した。だが、そう言われることも想定内だったのか圭は数秒の沈黙を経て、呆れたように二人にダメ出しする。
「一瞬でボコボコにされてた奴が何言ってやがる」
「ぐっ!」
「……いや、オレら頑張ったよな。倉橋ちゃん」
「んー、まぁ……それなりには」
はっきりと「圭の方が安心だ」とは言えなかった。感謝しているのは本当だ。
「というか何時から観てたんだよ榊原君」
「緋奈があの不良どもに絡まれて……すぐだな。おまえ達が割り込むのも見ていた」
どうやらだいぶ最初から見ていたらしい。それなら早く助けて欲しかった。と、贅沢は言わないけれど、不必要な犠牲は出なかったと思う。
「で、いいとこだけ持って行ったと」
「先におまえ達が助けに入って、おまえ達が解決するかと思って見ていたんだよ。まさか一分ももたずにやられるとは思ってもみなかったけど」
「それを言われると痛い」
◇
「ねぇ、本当に大丈夫?」
雨の中を二人並んで歩きあたしの家まで帰って来た。別れる前にどうしても気になってしまったのが彼の怪我だ。榊原はなんともなさそうにしているが、道中でふらついていることがあった。
「大丈夫だ。これくらいなんともない」
「大丈夫」「平気」「問題ない」のような言葉は彼の常套句だ。それにおそらく家に帰っても傷の処置すらしないのだろう。そんな未来が見えてしまい、あたしは圭の腕を掴んだ。
「家に帰ったらちゃんと傷の手当てする?」
「……あぁ」
「絆創膏も消毒液も何処にあるかわかる?」
「……多分」
妙に歯切れの悪い返しにあたしは確信した。
「傷の手当てする気ないでしょ」
「しなくても問題はないだろう」
問い詰めると開き直って圭はそう言った。そんな彼の腕を更に強く握ると顔を顰める。どうやら打撲のある箇所みたいだ。ちょっと反省しながら、代わりに腕を絡めた。
「怪我の手当てするから寄って行きなさい」
「……断る」
「ダメ。逃がさないから」
有無を言わさず無理矢理手を引くとあっさりと釣れた。渋々といった表情で玄関に連れ込まれた圭はリードに繋がれた犬みたいにあたしの後をついて二階へと上がる。あたしの部屋に通すと懐かしそうにキョロキョロと辺りを見回した。
「相変わらず、少女趣味な部屋だな」
本棚には漫画が並び、ベッドにはぬいぐるみが置いてある。勉強机にも小さなぬいぐるみが飾ってあり、多少の変更はあるものの幼い頃に来た時とほぼ同じのはずだ。
「適当に座ってて」
圭にそう勧めながらあたしはクローゼットを開ける。中には服が掛けられているが、用があるのはその下にある救急箱だ。持ち出すとベッドの上に置く。
「ほら、ここ座って」
ベッドに座って隣を指定すると、やや緊張した様子で圭も座った。その仏頂面にあたしは脱脂綿に消毒液を垂らしてピンセットで掴むとゆっくりと当てていく。時折、染みる消毒液に顔を顰めて不機嫌そうに呻く。
「はい、終わったわよ」
あとは絆創膏を貼って終了。数分経たずに終わってしまった。
「そうか。なら、僕は帰るぞ」
「うん。また明日ね」
立ち上がる圭はすぐに部屋を出て行く。
パタン、と閉められた扉を見ながらなんだか寂しい気持ちになる。
なんでだろう。
あいつともう少し一緒にいたかったのだろうか。
それとも、他人行儀なあいつの態度が気になるとか。
考えても分からず、あたしは冷たい身体を震わせた。
「取り敢えず、あたしも着替えよ」
雨に濡れたシャツが張り付いて酷く肌寒い。借りたジャージを脱ぎ、肌に張り付いたシャツを手早く剥がす。悪戦苦闘しながら脱ぐとスカートも下ろして下着のみを残した。
「うぅ、下着も濡れてるし最悪……もういっそ着替える前にお風呂入ろうかな」
そうと決まれば話は早い。
服を用意しようと部屋を見回した時、不意に気付く。
「あれ、あの鞄……」
部屋には見慣れない鞄が一つ増えている。見慣れないというのは自分のものの中でという意味で正しくはない。しかし、最近見た鞄なのもまた事実なのだ。
「あ、これ、榊原の……」
誰の鞄か理解した時、ガチャッとドアノブを回す音がした。
その音に反射的に振り向くと扉から半身を覗かせた榊原圭がいた。
「鞄を忘れて取りに来たんだが……出直した方が良さそうだな」
「今すぐ帰れバカーーッ!!!!」
彼の鞄を掴むと、思いっきりそれを顔面に投げつけた。