再会した女の子が放っておいてくれない話   作:黒樹

27 / 30
夏のバイト

 

 

 

「あ、そうだ一つ忘れてたよ榊原君。明日、新しいバイトが来るから教育よろしく」

 

夏季休暇のバイト初日、帰ろうとした僕にマスターは思い出したように告げた。この時期、珍しいことではないが厄介な案件が回って来たことに嘆息して、『何故僕が……』という言葉を飲み込む。

 

「わかりました」

 

「この時期、少し忙しくなるからね。私としては大助かりだよ」

 

夏季休暇の間、バイトに励む学生というのはそう珍しくはない。そして、休みとなれば客も増えるのは道理であり、店側が人手を求めるのもまた道理、学生もまたバイトを求める。需要と供給が完全に一致した効果と言っても過言ではないだろう。客が増えるのも、バイトが増えるのも、店にとっては嬉しいことだろう。

 

何故か、僕に新人教育という仕事が回って来たことだけが解せないが。

 

「何をやらせるつもりなんですか?」

 

「基本、レジと注文の受付と清掃。榊原君くらい珈琲を淹れるのが上手ければそっちも任せるんだけどね。まだ新人だから技能を見て判断するよ」

 

そうなると僕が教えるのはホールでの仕事か。

 

「わかりました。では、お先に失礼します」

 

明日からのバイトが憂鬱になり、今日は早く帰って寝ることを決意した。

明日は湊月が泊まりに来るのだ。

 

 

 

 

 

 

翌日、出勤して掃除して開店の準備を行う。倉庫にある豆を出したりと暑い中、仕事をいつも通りにこなしていればマスターに呼び止められた。掃除していた手がピタリと止まる。

 

「榊原君、働き者なのはいいけどね。一つ忘れてないかい?」

 

「……タイムカード押し忘れました?」

 

「いや、そういうことではなく」

 

忘れていることは何もないはずだ。掃除してるし、在庫の確認も行ったし、材料が切れているわけでもないし、この店だってマスターの個人経営で趣味の延長線上にあるようなもので……。と、余計な情報まで思い出したが自分に落ち度が見当たらない。疑問顔で呆けている僕を見てマスターは言うのだ。

 

「ほら、新しいバイトが来るって昨日説明しただろう。二人」

 

『二人』というのは初耳だが、確かにそれは覚えている。その新人教育を何故かバイト歴三ヶ月ほどの僕が教えないといけないという異例の事態が発生しているのだ。忘れるわけがない。というか忘れたかった。

ただそんな経験の浅い僕が新人に教えなければいけない理由は、従業員が少ないからなのだが……実際のところ僕とマスターとあと一人の大学生で成り立っているのだ。しかも、大学生の先輩は基本、出勤時間が合わないので今日もいない。必然的に僕が教えなければいけないらしい。

 

「もちろん覚えてますよ。二人なのは初耳ですが」

 

「じゃあ、なおさら一人で掃除するのはダメじゃないか。教えてもらわないといけないんだし」

 

「あ……」

 

覚えていたが、教えるべき仕事を片付けてしまうという痛恨のミス。だがやってしまったものは仕方ない。諦めて次に実践して覚えさせることにする。

 

「まぁ、やってしまったものは仕方がない。そろそろ彼女達も着替えが終わった頃だろう。噂をすれば、ほら」

 

マスターの言う通り、奥の方からは姦しい女性の声が二人分。何やら聞き覚えがありそうな声に首を傾げていると、奥から出て来た女性二人と目が合う。–––そして、その顔を見て驚いた。

 

「へー、あんたでも驚くことあるんだ」

 

なんと一人は緋奈だったのだ。思わず表情が崩れてしまったのは情けないが、いきなり知人がバイトで来るのだから驚くと思う。さらに驚くべきはその緋奈の後ろに隠れている彼女。

 

「ほら、湊月もあたしの背中に隠れてないで前に出る。可愛いんだから」

 

「でも……」

 

「そういうの聞き飽きたから」

 

湊月までここにいるのだ。いったい何の冗談かと思えば、二人は黒と白のクラシカルな落ち着いた感じのメイド姿である。特に制服の類は決められていなかったはずだが、マスターの趣味でもないはず……。

 

「言いたいことはわかる。私の趣味じゃないよ。どんな服を着たいか聞いたら、これがいいって言うもんだからちょっと知り合いに貰って来ただけだよ」

 

疑いの目でマスターを見てみれば、メイド服は彼の趣味ではないらしい。初老の男が女子高生にメイド服を着せたとあれば事件性ありと判断していたがそんなことはなかったようだ。

 

「その……どうだ、圭」

 

気がつけば目と鼻の先に湊月がいる。メイド服をひらひらと翻し華麗にターンを決めて一回転、全身を隈なく見せると照れたように微笑むものだから、つい見惚れてしまった。

 

「……あぁ、二人とも似合ってるぞ」

 

再起動を果たして、誤魔化すように二人とも褒めておく。すると不意打ちを喰らった緋奈がクーラーが効いた店内で暑くもないのに顔を真っ赤にしていた。

 

「ん。いや待て、そうじゃない。何で二人ともここにいるんだ?」

 

「バイトよ文句ある!?」

 

「何でお前はキレてんだよ」

 

緋奈のキレのいい切り返しに店内の温度が僅か一度上昇した気がしたが、あいにくと面倒な返しに構ってやる余裕はない。そんな緋奈を放置して湊月が言う。

 

「偶然だ」

 

とても白々しく、清々しいほどの嘘だ。

 

「マスターどうしてこの二人を採用したんですか」

 

「いやぁ、君と一緒に働きたいというからね。老骨が若い者の熱気に当てられたのさ」

 

このドッキリにはマスターも一枚噛んでいたようだ。

 

「縁故採用っていうやつですか」

 

「若人の背中を押すのも立派な老人の務めだよ」

 

物は言いようである。

 

 

 

それから一週間、僕のシフトに二人がいないことはなかった。しかし、湊月の思惑がどうであれ僕は真面目に仕事を片付けていく。彼女が構って欲しそうに此方を見てくるが全力で無視。鋼の意志を貫いた。すると彼女は構って欲しくて勤務中にもイチャイチャしようとしてくるので、ペシっとデコピンで停止させる。凄く泣きそうな顔だ。

 

「……なんか思ってたのと違う」

 

休憩時間にぐったりとした様子で机に突っ伏する湊月、それを見て同情めいた視線を送る緋奈、そして非難がましい視線が僕に炸裂するのはもはやいつもの光景と言っていいだろう。

休憩室で三十分の昼休憩、ぼやいた湊月はむくれていた。

 

「あんた流石にあれは湊月が可愛そうよ」

 

不貞腐れた幼馴染の姿を見て、擁護する緋奈は非難がましい目を向けてくるが美少女がやると可愛い以外のなにものでもない。

 

「休憩中ならともかく、バイト中に手を握ったりくっつきたがる湊月が悪い」

 

「いや、まぁそれもそうだけど……」

 

客がいないならまだしも客がいる時にもスキンシップを求めてくるのだ。それを咎めるのは恋人の務めであろう。

 

「それに休憩時間なら構ってやってるだろう。それで我慢しろ」

 

今は心が折れかけて項垂れてるだけで、しばらく僕が構わないのを確認すると普通に甘えてきた。思いっ切り抱き着いてはすりすりと頬擦りをする。

 

「うー、少しくらいいいじゃないか」

 

「そうかそうか。なら、勤務中にスカートの中に悪戯してもいいんだな」

 

「限度ってものがあるでしょうに」

 

本気でやるわけではないが、案として出せば緋奈に叱られた。

ツッコミで済んでいるのは、冗談だと判っているからか。

 

「で、そろそろ慣れたか?」

 

「まぁね。私も湊月もなんとかやってるわよ。あんたがフォローしてくれるし、そのおかげであんまり気負う必要もないし」

 

最初は失敗してパニックを起こしていた二人だが、今では慣れたように仕事をこなしている。緊張感は未だ抜けないものの徐々に仕事に慣れており今ではフォローする事が減った。

 

「そろそろ時間だな。行くぞ」

 

「ん〜、もうちょっと補給するぅ」

 

ぎゅ〜っと抱き着いてくる湊月を抱き締め返すこと数秒、ガッチリとホールドされる。

 

「私はもう圭がいないと満足できない身体になってしまった」

 

「馬鹿なこと言ってないで離れなさい」

 

無理矢理引き剥がされた湊月は、名残惜しそうな顔をして引き摺られていった。

 

 

 

「それにしても客多いわね。いつもよりちょっと多くない?」

 

気がつけば店内は満席。客として利用していた緋奈としては珍しい光景に見えたのだろう。いつも来た時には空いているからか物珍しそうな反応である。

 

「いや、長期休暇くらいらしい。あとはゴールデンウィークとか。それにしたって多いがな」

 

多いのは男性客だ。普段は女子高生とか、カップルとか、あとは社会人のOLとか女性客が多かったのだが明らかに多い。そして、その視線はうちのメイド二人に向いている。

 

「うちはメイド喫茶じゃないんだがな」

 

喫茶店『Walker』は普通の店である。いかがわしいサービスもなければ、メイドのご奉仕もない、美味しくなる魔法もない。当然のことながらお触りも禁止だ。

 

「すみませーん。注文良いですかー」

 

「あ、じゃあ、行ってくる」

 

湊月に続いて緋奈も出てしまう。その間にもレジに客が。そっちは僕が対応することになった。

 

「またのご来店を」

 

さて、次の客を捌こうかという時–––

 

「きゃっ!」

 

小さな悲鳴が店内に響く。視線を巡らせると声は湊月が対応していた方から、その湊月はとある客の相手をしていたようだが、腕を男性客に掴まれている模様、それもとてもチャラそうな奴に。

 

「ねぇ、バイト何時に終わるの?一緒に遊ぼうよ」

 

「いえ、私には彼氏がいますので」

 

「遊ぶだけだって」

 

なおも言い募るチャラ男、気がついた時にはレジの番という任務を放棄して僕はそこにいた。

 

「お客様、店員にちょっかいを出すのはおやめいただけますかっ?」

 

注意勧告ついでに湊月にちょっかいを出した客の腕を捻り上げて、ようやく拘束から逃れた湊月は僕の背中に隠れた。

 

「なっ、テメェ何しやがる俺は客だぞッ!」

 

「お客様は神様とは言いますが、客としての最低限のマナーを守れない奴を客とは呼びませんから」

 

一度、忠告はした。手を離すと捻った男は此方を睨む。

 

「おいおいおいおい、ここの店員は客に暴力を振るうのか?」

 

「おや、さっきの話聞いてました?注意を守られないのであれば強制退店も視野に入れているんですが。あと、警察を呼んでもいいんですよ」

 

あくまで丁寧に。心掛けても声から漏れる怒気。

そっと迷惑客の耳元に顔を寄せ、本人以外に聞こえないよう声を張る。

 

「–––次、俺の女に手を出したら殺すぞ」

 

至近距離で睨むと、相手は怯んだように椅子から崩れ落ちた。

 

「こ、こんな店二度と来るか!」

 

「二度と来なくて結構です」

 

慌てて逃げるように立ち去って行く迷惑客の背中を見送る、その前に。

 

「お客様、そのまま退店すると無銭飲食で通報させていただきますが」

 

きっちりと釘を刺した。

迷惑客は財布から千円札を引っ掴むと叩きつけるように出して帰って行ったのだ。

 

「マスター、迷惑客の対応はこれでいいでしょうか」

 

「場合によっては実力行使でも良かったがね。それより、ちょっと鹿島さんを休憩させてあげたらどうだい?」

 

「ありがとうございます。マスター」

 

呆けている湊月の手を引いてバックヤードに引っ込む。

休憩室まで引っ張ってくると椅子に座らせた。

当人は急展開に思考がついていかず、呆けた顔で見上げてくる。

「俺の女……」と呟いては、顔が真っ赤になった。

どうやらあの一言が背後にいた湊月には聞こえていたらしく、壊れた録音機のように何度も反芻しては顔の赤みを増していく。

 

「じゃあ、僕は戻るから少し休憩してろ。それとも一緒にいたほうがいいか?」

 

「……うん」

 

相手がちょっと強面系の男だったからか湊月は微かに震えていた。瞳が濡れていて、今にも泣き出しそうで、僕を引き止めようと伸ばした手が僕の腕を掴んでいる。

そんな恋人の可愛らしい仕草に対する幸福な気持ちと、あの迷惑客に対するドス黒い感情が綯い交ぜになって、少し乱暴に彼女を抱き寄せると驚いた表情。

普段の僕ならしない行為だし、当然かもしれない。

 

「ど、どうしたんだ圭?」

 

「確か、今日はうちに来るんだったな」

 

「え、あ、うん……着替えとか持って来てるしこのまま圭の家に行くつもりだったけど」

 

「ならいい」

 

「……なんか怒ってないか?」

 

それは当然だろう。仮にも自分の恋人に手を出されたんだ。自分で言うのもなんだが僕は物を大切にするタイプだ。他人に触られるのは嫌だし、無許可に借りられるのも腹が立つ。狭量と言われるかもしれないがこの性格はどうにもなりそうにない。

 

「帰ったらすぐに風呂に入るぞ」

 

「圭が珍しく怒ってる。……って、え、風呂に入る?一緒に?」

 

さっきまでとは比べ物にならないほど赤面した湊月を置いて、仕事に戻るのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。