鹿島湊月という少女は客観的に見て美しい女性だ。くびれて引き締まった腰は抱き締めれば折れそうなほど細くて、全体的に細身であるのに対して胸やお尻は大きく、その胴体から伸びた手脚はまるで芸術品のような滑らかな曲線を描く。そのどれか一つでもバランスが崩れれば、きっとそれは違和感になるだろう。それくらい完成された美を持った少女なのだ。
「その……あまり見ないでくれ。恥ずかしいから」
世界の男が羨むような美少女が、今目の前で服を脱いでいるという状況に僕の思考は一旦停止し冷静になる。
–––何故、こんな美少女が僕の彼女なのかと。
バイトから帰った直後、否応なく脱衣所に押し込めた湊月と二人きり。そんな状況であるにも関わらず、頬を恥ずかしげに染めた彼女は意を決すると服を脱ぎ始める。その動作一つ取っても見るだけの価値があり、そこはかとなく男心を擽ってくる言動に、僕の中の理性も決壊寸前だった。
「……」
一枚の服を脱ぎ終えた湊月と目が合う。
ワンピースだったので一枚脱げば黒の下着姿に。
顔を赤らめて硬直した様子。
次に手を伸ばさず、心許なくも腕で身体を隠した。
「み、見るなって言ったのに……」
口では否定してもそれほど嫌がっている様子はない。
「……せめて、無言で見詰めるのはやめてくれないか」
「あぁ、なんていうか……エロいな」
ド直球の感想に頰は更に赤くなる。耳まで真っ赤な湊月はその場で蹲ってしまった。感想をくれ、と言ったように聞こえたが違ったのだろうか。
「圭はなんでそんなに冷静なんだっ」
「いや、今更だし」
「エッチなことするのと一緒にお風呂入るのは違う!」
どうもそういうこととは別種の恥ずかしさがあるらしい。
色々と誘惑してくるくせに。
「それに急に一緒にお風呂に入ろうなんて圭らしくもない」
普段の僕ならばむしろ湊月に構ってやっているようなスタンスだったため、不可思議に思えてしまったのだろう。常に甘えるのは湊月ばかりで殆ど湊月に投げやりだった。訝しむような視線が投げ掛けられている。
「普段は湊月から来るからたまにはと思っただけだ。それに恋人らしいことでしていないことといえば、こんなことくらいしか思いつかなくてな」
尤もらしい理由を並べ立ててみたがどうもしっくりこない。
しかし、当の湊月は納得して嬉しそうに頬を緩ませた。
そんな笑顔を見てしまえば、もうどうでも良くなってくる。
なんでこんなことになっているのか。
思い出せそうにない–––。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、このことだろう。
「さて、時間がない。早く脱げ」
だが、忘れてはいけないのはこの家に二人きりではないということ。妹も母親も在宅中だ。
「急に扱いが雑になった!?」
「文句を言ってないで早くした方がいいぞ」
「せめて、あと少しくらい心の準備を……」
「そうしている間にうちの妹と母の妄想が酷いことになるが」
きっと風呂に一緒に入ったことは筒抜けだろう。問題は長引けば長引くだけ妄想の幅が広がるということ。この密室で長時間男女が二人きりになったのだ、あらぬ誤解を生むことになり……この夏季休暇、ただでさえ暑苦しいのに生暖かい目で見られることになって湊月が耐えられるだろうか。
まぁ、母は多少は気付かないふりをしてくれるだろうが。
妹は質問攻めにする未来が見える。
「……わかった」
意を決して湊月は下着に手を掛ける。ブラのホックに手を伸ばし……止まること数十秒が経過。
「……圭が脱がして」
俯いた恋人の頰は尋常じゃない熱を帯びていた。
服を脱いだ湊月は局部を隠しながら浴場に入った。髪を洗って、次に身体を洗うボディタオルを探し始める。もう何度かうちの風呂場を使っているので勝手知ったるなんとやら……であったのだが、目的のボディタオルが見つからず指先が宙を彷徨う。
「あぁ、なんだ圭が持っていたのか」
僕の手からボディタオルを受け取ろうと手を伸ばしたところ、その指先は空を切った。次いでチャレンジするが相変わらず空振り。
「……」
「……」
「……圭、どうして意地悪するんだ」
それもそのはず僕がボディタオルを渡さなかったのだ。湊月の目が悪いわけでも、片目に眼帯をして距離感を掴めないわけでもない。そして弁明をするならば意地悪でもない。
「大丈夫だ。僕に任せろ」
「!?」
古今東西、あらゆる恋愛要素の入った漫画を読破した僕にはわかる。
これではただ二人で風呂に入っているだけだと。
ラブコメだと多少のハプニングは付き物だがそれはそれ。
僕と湊月は恋人同士、であるならば一部条件は適用されない。
「恋人同士ならお互いの身体を洗い合うものだと相場は決まっている」
僕が読んだ漫画から統計的なデータを得た結果、『恋人が入浴した際に身体を洗い合う』というシーンはとても多かった。偏った知識かもしれないがそんなことは知ったことではない。
「た、確かに……いやでも待って、こういう場合って女の子が男の子の身体を洗うパターンの方が多いんじゃないか?」
物申す湊月は怯えたように後退ったが、僕は左手に持ったシャワーで頭からお湯を被せた。怯んで目を瞑った隙に確保して再度椅子に座らせる。
「おとなしくしろ」
「私は犬猫じゃないんだぞ。扱いが雑過ぎる!」
–––ちょっと水場を嫌がる猫をお風呂に入れている気持ちになった、とは言えない。
「うぅ〜……」
ゴロゴロと唸る湊月だったが……。
「……ん……」
最終的には機嫌がすぐに回復した。首元を洗い、腕に伸ばし、指先を磨き、背中を摩ると満足げな表情。そこでちょっとした悪戯を思いつきお腹を摘んでみた。……が、泡で滑って上手く掴めない。というか掴めるほど脂肪はついていないようだ。
「圭〜、私のお腹がそんなに気になるか。残念でした太ってません」
「夏になると女子は大変だな」
「見せたい相手がいるからそれほど苦労した、とは思わないけど」
「そういえば海だっけ?プールだっけ?行くの」
「あぁ、それならプールになったよ。海は潮の流れが怖いから」
そんな雑談を交えながら、僕はそっと腕を上に動かした。乳房に手の甲が当たり柔らかに形を変える。そのまま手のひらで包むように掴むと僅かに肩を跳ねさせ、湊月はそっと僕の腕を掴んで制止させる。
「……圭のエッチ。そんなところまで洗わなくていい」
「ダメならやめるけど」
泡でぬるぬると滑るおっぱいを弄んでも湊月は何も言わない。
ただ俯いてジッとしていた。頰は赤く染まっている。
それから洗い終えるまで抵抗はなかった。
泡を洗い流して自分の身体を洗おうとした時だ。
「……ふふふっ、まさかここまで好き勝手やって自分で洗うとか言わないよな圭?」
思わぬ反撃にあった。
「はぁ、疲れた……」
それからまた二人して泡だらけになった後、泡を流して一緒に湯船に浸かる。僕の足の間に湊月が腰を下ろして背中をぴたりと僕の胸板にくっつけた。不意に体制を崩さないよう湊月のお腹に腕を回して、抱え込むように彼女を抱き締めた。試行錯誤の末に辿り着いたポジションに湊月も気に入ったようですっかりご満悦の表情だ。
「あれだな。やっぱり風呂は一人で入るべきだな」
「むぅ〜。圭は楽しくなかったのか」
僕の導き出した結論に湊月は納得がいかなかったらしい。確かに得るものはあったように思うが、それ以上に疲れて一日の疲れを取るという目的は達成されていないように思うのだ。夏場の風呂は体力の消耗が激しいため長風呂しないタイプの僕では、夏場に彼女と風呂場でいちゃつくのは難易度が高かった。–––という、答えを得てしまった。
「また一緒に入る気か」
「……たまにはこういうのも悪くないと思うし」
どうやら湊月はそれほど嫌でもなかった様子で、また次回もそう遠くなさそうなことに僕は嘆息した。できれば夏の間はやめて欲しいところだ。自分で誘っておきながらそう思う。しかし、泊まりに来るたびに何か恋人らしいことを要求されても困るため選択肢の一つには入れておいてもいいだろう。
「別れるのが先か、また一緒にお風呂に入るのが先か、だな」
「あぁまたそうやって意地悪を言う。私は圭と別れる気はないからな」
揶揄うと湊月はちょっと怒ったようにそう言って全体重を押し付けてきた。