風呂上がりのアイスを食べながら今後の予定を考える。恋人と二人で休日を過ごす上で必要なのは彼女を楽しませる努力であると誰かが言った。関係を長続きさせる秘訣は飽きさせないこと。その一点に尽きるだろう。
普段から考えているのだが、改めてこんなことを僕が考えている理由は、僕自身がそういった男女関係における付き合いというものに疎いからだ。外でのデート然り、お家デートですら何をしていいかわからなくなる。
僕の恋愛バイブルによれば色々な情報が掲載されているものの、そのどれもが試せるものでもないし、実際にはもう殆ど実践が完了しているものばかりでネタが尽きそうなのが本音。
「圭のは蜜柑味なんだな。一口ちょうだい」
「あぁ、別に構わんが」
頭を悩ませているところで自分のアイスを頬張っていた湊月が僕のアイスを欲しがった。了承を得ると彼女は髪を抑えながらはむとアイスを咥えて一口齧っていった。
「んー、やっぱり夏はこういう爽やかなアイスの方がいいな。私もそっちにすれば良かった」
「まぁ、そういうのは個人的好みによるところが大きいからな。僕は断然、爽やかな感じのアイスが好きだが」
濃厚なバニラやチョコ等のアイスも食べないわけではないが、夏はどうしてか爽やかな感じのアイスが食べたくなる。結局は好みかどうかの問題なのだ。
「……」
アイスをシャクシャクと咀嚼する僕を凝視する湊月。
「言っておくが交換はしないぞ」
「いや、圭がこともなげに間接キスしてるからなんだか悔しくって……」
冷たいアイスを食べているはずなのに、赤面して熱くなっている湊月の様子を横目に見ながら、僕はアイスを堪能した。もう既に舌は冷たくて感覚が鈍く、間接キスの味などわかりそうにもない。
「そう言ってる間に垂れてるぞ」
「えっ、わっ!」
湊月が食べている濃厚なバニラのアイスクリームが溶けて、重力に従いぽたりと落ちた。それもシャツの間から覗いた胸の谷間にダイレクト降下。不快そうに眉を歪めて数秒、思いついたように表情が花開く。
「さっきのお返しだ」
ずいっと胸の谷間を強調して、こぼれないように雫を押し上げる。
言葉の文脈からするに拭いて欲しいではなく、食べて欲しいというところだろうか。
どう受け取るべきか迷ったが、恋人がいちゃいちゃしたがっているのなら従うべきだろう。
彼女の胸の谷間にキスを落とした。
すると、そのまま頭を抱えられて谷間に押しつけられる形に。実際、これは息苦しい。
「……圭、今日はどうする?」
甘く蕩ける声が耳朶を撫でる。囁くような声音は何処か男心を擽ぐるので物凄くタチが悪い。が、嫌ではないのだ。むしろずっと聞いていたいくらいには思える。
「そうだな。勉強するのは面倒だし、ホラー映画でも見ようかと思ったんだが……」
夏の風物詩とも呼べる選択肢を全面に押し出すと、湊月の身体が一瞬強張ったのがわかった。
湊月はホラーが苦手。いい情報を手に入れた。
「映画の一つも家にはないからな。借りておけば良かったと後悔しているところだ」
「え、映画鑑賞なら別にホラーじゃなくてもいいじゃないか」
「夏の特番でも見るか?事故物件の」
確か、今日やっていた筈だ。あんまり興味ないからノーマークだったが。
「べ、別に今日はいいんじゃないか」
震える湊月の声を聞いていると、妙に背徳感が増す。
「じゃあ、ホラーゲームでもやるか」
ゲームならジャンル問わず揃っており、そういうグロ注意なゲームなら多少は所持しているのでプレイを推奨してみたら、彼女の身体がさらに強張った。
「け、圭。わかっていてやっているな。私を怖がらせてどうするつもりだ」
「いや、別に」
もう既に持っているゲームはほぼクリア済。改めてクリアする必要はないが、湊月にコントローラーを持たせて横から眺めてみるのも面白いかなと思っただけだ。新しい楽しみ方を見出しただけである。
「もっと、こう、ほら……彼女とすることがあると思うんだけど」
勉強。映画鑑賞。ゲーム。と、既に思いつく限りの安全策は試みたつもりだ。しかし、思いついたもの全部却下してしまったのでもう案がない。判らず思案していると震えた声がより一層強くなった。
「……私をその気にさせたのに、今日は何もしないのか?」
恐怖からではない、羞恥からくる震え。
首に絡みついてくる湊月に押し倒された。
◇
–––誰かの視線を感じる。
夏特有の蒸し暑さの中、鬱陶しいほどの温もりと視線を感じて目を覚ます。暑さに気怠げな声を上げて重い瞼を開けると目の前に彼女の顔があった。
「……暑い」
寝起きにも関わらず、ぐいぐい抱き着いてくる湊月を押し退けようとしたが力足りず敢えなく敗退。突き放すどころか湊月の胸を揉んでしまうという事態に陥り、抵抗をやめた。
「ふふ、おはよう圭」
「……ぉぅ。おはよ…」
朝から上機嫌な湊月とは対象的に朝からテンション低めな僕。彼女に抱きしめられるまま抵抗はやめて微睡の中に意識を投じる。すると後頭部に感じる流れるような感覚、どうやら湊月に頭を撫でられているらしいと朧げな意識で理解して……眠れなかった。
「……今、何時だ」
「まだ朝の六時だけど」
睡眠時間四時間ほど。しかし、寝不足ながらも眠れる気はしない。夏の暑さの中だと、睡眠は浅いは寝付きは悪いわで最悪な気分だ。これだから夏は嫌いだ。
「ふぁ…。ちょっと早いけど、起きるか」
「ん」
身体を起こすと、起こしてーと湊月が腕を伸ばす。
自分で起きろ、と言いたかったがその前に首に絡みつかれて無理矢理キスをされる。
毎朝、恋人になればやっている習慣のようなものだ。
これがない日は湊月が物凄く拗ねる。
別に拗ねさせたところで実害はないが機嫌を損ねるのはよろしくない。
「ねぇ、もっとぎゅっとして」
彼女の要望に応えて細い腰を抱く。
そのまま数秒向かい合っているとまたキスをされた。
唇が触れ合う感覚。
そして、小鳥が啄むようなそれを終わらせると頰を緩ませ微笑う。
「……好き」
「馬鹿言ってないで離せ。シャワー浴びてくる」
「私も一緒に入る」
どうやら彼女はお姫様抱っこを御所望らしい。
昼前になると買い物に出掛ける。昼食の材料を買うためだ。こうして二人で休日を過ごすと一緒に料理をすることが多くその買い出しに出るのだが、夏はとにかく暑い。朝風呂で僅かに涼しくなっていたがその恩恵も往復して尽きた。
「ねぇー、湊月さん今日のお昼ご飯はー?」
「ボロネーゼ風夏野菜のパスタだよ」
キッチンで料理をする光景をリビングのソファーから眺める舞の気怠げな質問に答えながら、湊月は野菜を切っている。その横で僕はフライパンにパンチェッタとオリーブオイルを投入して焼いていた。
湊月の手際が良すぎて数分もするとナス、ピーマン、トマト、タマネギは下処理が終わってしまう。そのままトマト以外をフライパンに投入して彼女は別の調理に移った。
別のフライパンに下味付けをした挽肉を投入して焼いていく。表面がこんがり焼けたらその肉を此方のフライパンに移して、今度は挽肉から染み出た脂に赤ワインを投入して煮立たせると、すぐに一纏めにしたフライパンに投入。待機していたトマトも投入した。
ボロネーゼ風ソースを作っている湊月にそのフライパンを任せて、僕はパスタを茹でる準備に移る。鍋を用意して水を入れ沸騰すると塩とオリーブオイルを投入、普通のスパゲッティ用の麺を入れてベンコッティに茹で上げる。
茹で上がったら麺にチーズを少量混ぜ、湊月の仕上げたソースを絡め、皿に盛り付けた。
「おぉー、やっぱり凄いなぁ。本格的じゃん」
食卓の上に三人分の皿を置くと、自分の皿の前に着席して舞は目を輝かせた。言うまでもなく湊月に胃袋を握られた哀れな妹の姿は此処にあった。
「んー、美味しいー!」
一口食べた瞬間、頬っぺたを抑えて幸せそうに身悶えして感想を言う。少し大袈裟な舞の反応に満更でもない表情で湊月は喜ぶ。
「そうか。良かった」
「絶対湊月さんいいお嫁さんになるよ!」
「えっ、あ、うん……」
舞に大絶賛されて照れ臭そうに此方を見る湊月。
妹の方もチラチラと此方を見る。
何故だか、凄く居心地が悪い気がした。
二人で作ったパスタを口に運び、その美味しさにもう既に陥落した胃袋は告げる。
–––もう負けを認めて嫁にしたら?
外堀から埋められている感覚。
悪くはないのだが、首を縦に振るのは容易ではない。
気がつけば自分よりも彼女の方が家族として浸透している状況。
もはや、逃げ場がない。
「……まぁ、確かに湊月は料理が上手だよな」
素直に“美味しい”と言えず、捻った言葉で伝えると湊月は嬉しそうに微笑む。そのまま自分もフォークを手にパスタを食べ始めた。
「それにしても湊月さんと兄貴ってさ、お似合いだよね」
食事の途中、変なことを言い出した舞に首を傾げる湊月はフォークにパスタを絡める。その頰は赤い。
「そうかな?」
「だって、二人で料理するでしょ。いちゃいちゃしてる時なんて凄い自然体でもはや風景だし。息ぴったりだし。お互いに邪魔にならない距離感ていうの?そういうのちゃんとわかり合ってるし」
「邪魔にならない距離感?」
「だって、兄貴さぁ。家族相手でもあんまり喋んないんだよ。冷たいっていうか。距離計りかねているっていうか。そういうの湊月さん相手にはないし」
「煩い。話すことがないだけだ」
余計な事を口走らないよう舞を牽制したが、そのお喋りな口は閉じない。
「兄貴がここまで心許したのって湊月さんくらいなんじゃ……」
「黙って食え。な?」
お喋りな妹の口にフォークを突っ込んでやろうかと構えると、慌てて舞は口を閉じた。ブロックするように自分のフォークを咥える。
「……そんなことはないさ。そうだったら嬉しいけど……」
こういう時に限り湊月は謙虚に微笑む。
悲しそうな貼り付けた笑顔。
「というか湊月さん、こんな兄貴のどこ好きになったの?」
未だに湊月が僕の恋人であることを信じられないようで、舞はそんな辛辣な言葉を吐きつつ理由を問おうとした。
「そうだな。全部好きだって言いたいところだけど……まずは、優しいところかな」
「え、優しいかなぁ?」
「優しいよ。それから他人をよく見ているところ。口ではなんだかんだと言いながら大切にしてくれるところとか、他にも色々とあるんだけど、いざ言葉にしようとすると思い浮かばないな。言葉にできない」
ポツポツと告白していく湊月に舞は両手を挙げた。
「もういい。惚気なくていいから。湊月さんの気持ちは十分わかったから」
自分から聞いておいて、もうお腹いっぱいですと言わんばかりに下を向いて聞いていた舞まで身悶えてしまった。聞いているだけで恥ずかしくなってくるのは僕なのにだ。
それから食器の片付け等を終えると部屋に戻る。恋人とすることといえばデートや勉強、映画鑑賞、料理と思いつくがもう既にそういう気分ではなかった。もしそういう気分であったのなら、昼食を作らずに外で食べている。
「……」
特にやることもないので適当にベッドに座ると、そのまま覆い被さるように湊月が押し倒してきた。僕の左胸付近に頭を寄せて心音を聞くような体勢。
「……圭は迷惑に思っていたりしないか?」
不安そうな彼女の声が心臓に直接響く。そのまま頭を抱え込んでやって、長く綺麗な濡羽色の黒髪をそっと撫でた。
「迷惑ならとっくに突き放してる」
帰り際が近づくと湊月はこうして甘えてくる。
離れることにより生じる寂しさからくるものが不安へと繋がっているのだろう。
それが何処か愛おしくて、頭がおかしくなりそうで。
伝わってくる湊月の感情が、僕を壊す。
「帰る時間までぎゅっとして」
「帰るまでな」
「終電まで」
「それは僕が殺されるんだが」
–––鹿島父に。
「……抱き締めるだけでいいのか?」
湊月は潤んだ瞳を向けてきた。
艶かしく震える唇を突き出して、おねだりする。
–––圭からして、と。
キスしたい時はいつも湊月から。
それが独りよがりのようで寂しかったのだろう。
悪いことをしたとは思う。
だから、僕は何度も湊月の唇に唇を重ねた。
何度も。何度も。何度も。
数えるのもバカらしくなるくらいに。