二日間続けての部活見学、運動部もあと僅か。野球、サッカー、バスケと馴染みのあるものから始まり、湊月と緋奈が所属していたというテニス部も回った後のこと。湊月がジャージ姿のまま手を引きながら振り返った。
「そういえば圭は中学時代は何か部活をやってた?」
泉健吾は野球、西宮直人はサッカー、湊月と緋奈はテニス。と、明かしたところで不意に疑問に思った湊月が純粋に顔を覗き込む。運動した後の汗も光って、少し眩しい彼女から視線を逸らす。
「榊原君ってさぁ、最初は運動できない隠キャだと思ってたけど、割とできるよね?」
「運動部に所属していたのか?」
すると幾度か対抗心を燃やしていた二人が探るように質問して、僕は言い辛くも答えを口にした。
「……あぁ、やってたよ。途中で辞めたけど」
あまり掘り返したくないことだったので言葉に嫌悪感を持たしたのだが、妙に食いつく女が一人。
「圭は昔から運動が得意だったからな。それで何をしていたんだ?」
湊月が誇らしげに胸を張って、それでと問い詰めてくる。
僕は小さく返した。
「……ハンドボール」
「……はんどぼうる?」
専門用語がわからないおばあちゃんみたいな感じで湊月は反芻する。もちろん、そんなことを言えば不機嫌になりそうだったので口には出さない。自分も中学生になるまで知らない競技だったので、無理もないが。
「どんな競技なんだ?」
「バスケに似てる球技だよ」
「そういえばこの学校にもあるらしいわね」
「どこでやってるんだろ?」
一つ答えれば勝手に話が進んでいく。
僕は無抵抗なまま引き摺られて行った。
湊月に口を破らされて渋々出した情報を元に体育館へと移動する。日替わりで練習する部活が変わる体育館には運が悪いことに、見慣れた球を手に暴れ回る選手達の姿があった。バスケとも、バレーとも違う、黄色い球が飛び交う光景に僕は嘆息する。今日に限ってハンドボール部は体育館を占有していた。
二階の立ち見できるスペースへと邪魔にならないように上がり、しばらくその光景を見つめていた。
「圭、どういうスポーツなんだ?」
「GKが一人、他フィールド六人でワンチーム。二つのチームで点の取り合いをするんだよ。他は見ればわかる」
「圭は何処のポジションだったんだ?」
「……キーパー」
一番地味で目立たず、動かなくてもいい。そのうえチームプレイをあまり必要とせず、守るだけというのは自分の性格的にも合っていた。
「ふふっ、ゴールを守る圭か。実に君らしいな」
素直に褒めているのか湊月はクスッと笑う。僕がゴール前に立っている姿を想像したのか、その瞳には僕がコートに立つ姿がまるで写っているかのようで、なんとなく気分が悪くなる。あまり良い思い出じゃなかったせいか、さっさとこの場を立ち去ってしまいたい気分だった。
「もう運動部の方はいいな、行くぞ」
「えー、圭がコートに立つ姿を見たかったな」
駄々を捏ねる湊月に僕は無反応を決め込む。階段を降りて、すぐ近くにあった扉から帰ろうとした時だった。
「あれ?……おまえもしかして榊原か?」
不意にそんな声が聞こえたかと思うと駆けて来る足音がした。シューズの擦れるキュッという音が響き、次第に足音が近づく。ゆっくりと振り向いた時、そこにいたのは見知った顔。つい二年前までは顔を合わせていた同じ中学の先輩だった。
「人違いです、さようなら」
まさかこの高校にその人物がいるとは知らず、一瞬驚いた顔をしたものの平静を装って脇を抜けようとする。そんな僕の腕を誰かが掴んだ。
「もう、そんな急ぐことないじゃないか」
追い着いた湊月が捕まえたと言わんばかりに手を握る。恋人繋ぎと呼ばれる、逃がさない意思を全力で感じられる握り方をしてまで、僕の横に立って歩きたいらしい。
「やっぱり榊原圭じゃないか。……もしかして、そっちは彼女か?」
手櫛で髪を整えている隣の彼女、湊月を指して言っているのだろう。ボールを腰と腕で挟み、反対側の指は僕と湊月の間を右往左往していることから、確定だと思われる。
「ふ、ふふっ、私と圭が恋人……」
「違います」
広められると厄介なのでそこだけは否定しておく。そうこうしている間にも後続が追い着き、緋奈が怒鳴った。
「いきなり走り出さないでよ榊原!」
「女が一人増えた。……マジかよ」
何やら驚愕した様子の先輩に向かって、僕は更なる訂正をすることになる。
「誤解を生むような発言をしないでください。古村先輩」
「なるほど、おまえがいきなり部活を辞めたのは女絡みか」
「人の話聞いてました?」
もっともこの人の場合は揶揄っているだけなので、まともに相手をするだけ無駄だ。それを理解できる時点でもう既に手遅れなほどこの先輩とは関わりが深いことにはなるのだろう。
「圭、知り合いか?」
「中学の時の同じ部活の先輩だ」
もう会うこともないと思っていた人物の登場に動揺を捨て去り、努めて冷静に振る舞う。どうもこの人は苦手なタイプでならない。熱血というか真面目というか、部活に熱心に取り組む姿勢が僕は嫌いなのだ。相容れない存在だからだろう、僕はこの人が嫌いだ。
「いやー、懐かしいなぁ。おまえが部活を辞めてからだから二年くらいか?」
「そうですね」
「また勝負しようぜ、今回は負けねぇ!」
「嫌です」
こうやって勝手に盛り上がってぐいぐいくるこの性格が苦手だ。はっきりと断ったのに、古村先輩は諦めが悪いようで更に捲し立てる。
「おいおい、勝ち逃げは許さねぇぞ」
「僕の負けでいいですよ」
「それは俺が断じて認めねぇ」
とても厚かましい。
だから、僕は逃げの策を切る。
「そもそもジャージ持って来てないですし、無理ですよ」
部活に入る気は微塵もないのだ。部活見学で体験をする場合は制服ではなくジャージの着用を原則としており、そのルールに則ったならば僕はどう足掻いても勝負することはない。
「なら私が貸そうか?」
そう思っていたのだが、横合いから妙な提案がなされる。湊月が貸し出すと言ったのだ。これには泉と西宮が猛反発、なんなら自分達のを貸すとまで言っている。そして、それは僕ではなく、湊月がお断りした。
「まぁ、今私が着ているものだけど。サイズ的には大きめのを買ったからぴったりだと思うし」
女子的にそれはどうなのだろうか。
「要らない」
「むぅ、私のじゃ不満か?」
「勝負を受ける気はないって言ってるだろう」
面倒も厄介も御免とばかりに切り捨てる。何を思ったのか知らないが、クンクンと袖を嗅いで臭くないよな?と緋奈に確認していた。緋奈は呆れ顔で首肯する。
「いいじゃないか少しくらい私のために頑張ってくれても」
一度でいい。
そんな甘言に惑わされて、僕は嘆息した。
◇
汗と、匂い、女の子の良い匂いというやつが僕の脳内を駆け巡る。仕方なく袖を通した湊月のジャージは直前にあったテニス部での体験入部もあってか、少し湿っぽい。制服に着替えた彼女も一応の羞恥心はあったのか「絶対に匂いは嗅がないでくれ」と念を押して、僕にジャージを赤い顔で差し出した。
……なんでこんなことになったんだろう。
ただ普通に部活見学をしていたはずなのに、女子が使った後のジャージに袖を通すという意味の判らない状況に、冷静になって考えればかなりおかしいことに気づく。まるで好きな人のリコーダーを舐めるような、妙な背徳感が沸き上がった。まぁもっともそんなことをしたことは一度たりともないが。
「へへ、随分と久しぶりだなおまえと勝負するのも」
そんな自分の心情を知らず、今から始まる戦いに古村先輩は楽しげだった。
練習の合間、休憩時間だけの使用となっている。できて勝負は一回、やり直しの効かない十本勝負だ。水分補給も半分に観戦する腹積りの先輩が多く、コート外に人が集まっている。随分と其方も楽しげだ。
完全にアウェイな状況だが、それを物ともせず緋奈と湊月は声援を送った。
「頑張んなさいよ榊原。湊月のジャージ借りて負けたらしばくから」
「圭、頑張れー!」
他の二人は睨むような視線を送っている。羨ましいのか、恨めしいのか、とにかく湊月からジャージを借りたのが気に食わないようだ。
最初に検討したのはジャージの使用をなしにすることだったが、勝負をする条件としてジャージの着用を義務付けられては仕方がない。あの二人から借りるという手もあったが、あの二人が着た後は生理的に無理だ。結果、湊月の使用済みというわけのわからない選択肢になった。
「女の前でボコボコにしてやれー!」
「あの生意気な後輩に目に物見せてやれ!」
「破局しろぉぉぉ!!!!」
湊月と緋奈の声援に負けじと野次が飛んでくるが、僕はまったくもって気にする素振りを見せない。脳はクラクラするほど湊月の匂いに侵されていて、少し気分が高揚しているようで……言ってしまえば興奮状態に近い。身体は好調のようでかなりいい具合だ。
「じゃあまぁ……おまえの調子が上がる前に決めさせてもらうぜ!」
野次も声援も最高潮に達した時、古村先輩が動いた。一度、ボールを床につくとラインギリギリまで走る。
ハンドボールはGKが一人だけ入れるゴールエリアラインが六メートル。そのサイドの一定の位置に置いたコーンが今回の勝負で決められた古村先輩が侵入できるラインだ。
ゴール前はGKのみが入ることができて、敵はその外からボールを投げなければいけない。それもサイドは射角が狭くゴールが小さくなることで一番難しい場所だ。
つまり、僕に有利な勝負だ。
古村先輩はギリギリから跳ぶとエリア内に入ってくる。そうしてボールを思い切り投げた。それは空いた奥側の角上を狙い、放たれた物で真っ直ぐ飛び込んでいく。
それを僕は軽く跳んで叩き落とした。
「そうこなくっちゃなぁ!」
ボールを返すと楽しそうに笑う。いっそ適当にやって終わらせたいが、なんとなく湊月の前で負けることは許されない気がした。彼女の期待に背くことになるし、借りた意味もない。彼女が望むのは本気の僕、だがやる気というのは一向に上がらない。
「やれやれ……どうするかな」
本気と言っても僕の調子は山の天気くらい崩れ易い。自分の意思に反して身体の調子は変わる。逆に身体の調子は良くても気分が乗らない時もある。今回はどっちだろうか。
思考する間にも古村先輩が跳び、ボールを投げる。すると放たれた瞬間ぶれて見えなくなり、気がつけばもうすぐそこまで迫り……脇を通り抜けようとしたところを肘鉄で打ち落とした。
「まったく厄介な球を……」
どんな球技にも用いられる放った瞬間に急に消えて見える球。どういう原理かは判らないが急激に伸びたように見えるその球は、誰でも使えるような代物でもある。そして、この球の長所はタイミングを図りづらいことにある。
次いで、三球、四球、五球と止める。六球目は何を焦ったかゴールの枠外に飛んでいった。野次が古村先輩にも飛んでいたが、此処までくると静かになった。
七球、八球、九球。また二球ほど逸れた。
「最後の一球ですね」
「くっそぉ……!」
負けが確定しているからか悔しげに呻く。それでも諦めが悪いのが古村先輩だ。
「このままで終われるか!」
一矢報いてやると踏み込んで、跳んで、放つ。そのボールはゴールから逸れているようだが、妙なことに急速も半分以下だし、妙な手の振り方をした。回転が掛かっている。
「そういうことか」
慌てずに後ろに下がると、ボールは床につくと跳ねてゴールに向かって曲がった。それも軽く叩き落とした。
「はぁ、くそ……二個目と最後のはいけると思ったんだけどなぁ」
体育館の床に倒れるように大の字になった古村先輩は悔しそうに呻き、ひとしきり暴れて満足したかと思うと上体を起こした。
「ハンド部にまた入る気はねぇのか?」
「僕はチームプレイも暑苦しいのも苦手なんですよ。先輩後輩の上下関係も」
勧誘されても僕の心は動かない。
「そっか。そりゃ仕方ないな」
ひらひらと手を振る古村先輩から離れて僕は湊月達の元へ向かう。すると湊月は興奮した様子で駆け寄り、勢いのままにぶつかると肩に手を掛けてくる。
「ふふっ、本当に圭は凄いな」
「……別に。運が良かっただけだ」
いきなり急接近してきた湊月から顔を逸らす。彼女の瞳が自分を写すとどうも自分が滑稽に見える。綺麗で、可愛くて、そんな美少女に笑顔を向けられれば……。
「そ、それで……その……変な匂いとかしなかったか?」
「変な匂い?」
顔を赤らめて不安そうに確かめる湊月は目を伏せるように顔を逸らす。あぁ、ジャージのことだろうか。
「別に……いい匂いだと思うが」
「なっ、嗅ぐな!今すぐ脱いでくれ!」
湊月は耳まで真っ赤になって、僕からジャージを引っ剥がそうとした。
湊月は圭の匂い付きジャージをゲットした。