–––『第三資料室』
資料室とは名ばかりのその部屋には本棚の類はなく、床には畳が敷き詰められていた。奥には色々なものが雑多に積み上げられ、整頓された棚があり、申し訳程度に設置された一組の机と椅子があり、その上にはパソコンが一つ。並べられた可愛いぬいぐるみの類は所々に鎮座しており、そのボスとも呼ぶべき存在がドンと隅にいた。
「–––っ!」
大の男サイズの巨大なクマのぬいぐるみ、その後ろに少女が隠れ此方の様子を窺っている。悲鳴こそ上げられなかったものの、警戒した様子の少女先輩に僕は一定の距離を置いていた。
「先程は失礼しました。許してくれとは言いません。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」
ノックをしても返事を待たなかった僕の失態だ。甘んじて罰は受ける覚悟である。
「そう警戒しなくても、何もしませんから……」
「……」
じーっと無言で見つめてくる少女先輩。
まだ名前も知らないが、裸を知ってるとはこれいかに。
「どうやら先輩は話すのが苦手なタイプらしいので用件だけ伝えます。これを返しに来ました」
話すのが苦手なんだろうなー、と勝手に結論づけて僕は鞄から紙束を取り出して置く。今朝、先輩が持っていたあの怪しい勧誘が綴られた紙だ。さっさと置いて退出した方が彼女のためだろう。
「では、これで……」
特に深い意味はなく正座していた膝を立て、足をつき、立ち上がる。
「ま、待って……!」
そんな僕の腰に向かってタックルをかます少女先輩、小柄なのと体重が軽いのもあるが、不運にも体勢が妙なことになっている僕では受け止めきれず、彼女もろとも畳の上に巻き込み倒れる。
「……初めて喋ってくれましたね」
「…あ、あぅ…ごめんなさい…」
また謝った。まともに言葉を交わした回数より、謝罪された回数の方が多いのではないだろうか。そんなくだらないことを考えながら、腰が引けている彼女を一瞥すると、何やら必死な様子で僕を見下ろして、
「な、何か悩みがあるなら、お姉ちゃんが相談にのる、よ……?」
–––そう来たか。
お姉さん。あくまでお姉ちゃんのつもりらしい。先輩としての威厳か、歳上としての矜恃か、精一杯頑張ろうとしている姿勢はよく伝わるものである。
「取り敢えず、この体勢はいかがなものかと……」
「わっ、ごめんなさっ……ふにゃっ!」
謝罪しながら慌てて立ち上がった彼女は盛大にすっ転び、捲れ上がったスカートの下のちょっと背伸びしたパンツを白日の下に晒した。
僕は無言で目を逸らした。
また痴態を見られたことに少女が取り乱したが、時間を掛けてろくに構築されていない関係を修復すると、もう一度資料室の中心で向き合うと少女はゆっくりと用意した紅茶を飲んだ。この部屋には電気ケトルが常備してあるらしく、持参した茶菓子と合わせて提供した少女はずっと食べるまで此方を見てきて、さぁ食べろと言わんばかりに心配そうに見つめるものだから、一枚のクッキーを手に咀嚼して、待ち侘びた感想を一言『美味しい』と口にすれば彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。
–––此処までがあれからの一幕だ。
なんか無性に疲れた。
「取り敢えず、自己紹介をしましょう。短い付き合いでしょうが」
「えっ……?」
少女先輩が悲しげに顔を歪ませた。
なんというか、彼女の反応を見ていると心が抉られる。
幼い少女に酷いことをしているみたいで。
その理由に思い当たるあたり、余計に。
「僕は一年の榊原圭です」
「わ、わたしは二年の……藤宮小鳥……です」
少女先輩の名前は藤宮先輩らしい。そのうち幼女先輩と呼んでやろうかと思っていたが残念だ。
「じゃあ、藤宮先輩–––」
「ことりちゃん」
「藤宮先輩–––」
「ことりちゃん。仲の良い人はそう呼ぶの」
榊原圭はことりちゃん呼びを強要された。
これが上下関係というやつか。先輩後輩とは面倒な。
「では、小鳥先輩で」
「うん!よろしくねけーちゃん」
何が嬉しいのか花の咲いたような満開の笑みを浮かべる小鳥先輩は、ほっとしたように紅茶に手を伸ばした。子供のようにマグカップを両手で挟んで飲む様は、堂に入っていて違和感がない。
「……」
「……」
それから互いに言葉を交わすでもなく、ただ静かに紅茶の温かさと小鳥先輩手作りクッキーを楽しんだところで、僕は本来の目的を思い出したように問う。
「そういえば寄る部ってなんなんですか?」
滞在を長引かせられた理由を問おうかとも思ったが、資料室というにはあまりにもお粗末なこの部屋に対して物申す。すると小鳥先輩は急に話題を振られてあたふたと慌てた。喉にクッキーを詰まらせて、紅茶で慌てて流し込み、小さく咳き込む。そうしてようやく落ち着いて話ができるまで数十秒掛けて、マグカップを口に持っていったまま恥ずかしそうに視線を斜め下に泳がす。
「……此処はね、居場所のない人達が集まる桃源郷、なの……」
「桃源郷……」
「うん。友達のいない人とか、家に居場所がない人、学校に居場所がない人。そんなみんなが集まって楽しく過ごす場所、なの」
縁がなさそうだな、とは思ったものの口には出さなかった。代わりに紅茶を飲み干すことで口を塞ぐ。その割には楽しそうじゃない小鳥先輩の姿を見るに、彼女もその一人なのだろう。
「今日は小鳥先輩だけですか?」
「……ううん。もう、わたし一人……去年は先輩がいたけど卒業しちゃった、から」
去年までは先輩三人と後輩の小鳥先輩一人。それで仲良くやっていたらしい。彼女は次々と溢れ出すように思い出を語っていく。あの頃は楽しかった、でも今は不安だと言わんばかりで、
「–––先輩友達いないんですか?」
つい、そんな辛辣な言葉が漏れた。
小鳥先輩は悲しそうに視線を下げる。
「……友達いないもん」
ぐすっ、と涙声で小鳥先輩は肯定した。
「わたしは変な子だから友達がいない。でもね、助け合わなきゃ生きていけない弱い自分だけど、だからこそこの場所が必要な子達のためにわたしも先輩みたいにこの場所を守っていきたいから。だから、此処はみんなの『寄る辺』なの」
目尻に涙を溜めながらも小さな手を握りしめて力説する小鳥先輩の必死さは、胸に浸透していくように広がっていく。女の涙そのものが染み渡っていくようで、その感情に感化されている自分がいて、情けなくも笑えてきた。意地悪な自分も顔を出す。
「でも、これから誰も此処を必要としなかったら?」
「ふぇぇ……!」
ど、どうしよう、と小鳥先輩は一人狼狽る。
そうすれば彼女は必然一人だ。
「だ、大丈夫だもん……!けーちゃんがいるし……」
「僕、入るなんて一言も言ってないですよ」
「ふぇぇ!?」
小鳥先輩の目尻に溜まった涙がポロリと溢れる。
プリントを返しに来ただけなのに、どうして勘違いしてしまったのか。
「あ、あぅぅ……ぐすん」
「……わかりました。入りますよ。バイトあるんで毎日は来れないですけど」
「ほ、ほんとう……?」
「はい、本当です」
「と、友達になってくれる……?」
「それは小鳥先輩次第です」
小首を傾げて顔を覗き込んで懇願してくる幼女、こんな場面を他の誰かに見られたら誤解を招きかねない。僕は仕方なしに頷くと小鳥先輩は萎れた花のようだった顔を、涙の滴を浮かべながらも満開の笑みに変えた。
圭「あっ、もう一つ聞きたいことがあったの忘れてた……」