両手で顔を庇い、目をギュッと閉じていた和人は、ざわざわと騒ぐ無数の気配を感じてゆっくりと目を開いた。
まず目に飛び込んできたのは巨大な壁画だった。
縦横十メートルはありそうなその壁画には、後光を背負い長い金髪を靡かせうっすらと微笑む中性的な顔立ちの人物が描かれていた。
背景には草原や湖、山々が描かれ、それらを包み込むかのように、その人物は両手を広げている。
美しい壁画だ。素晴らしい壁画だ。
よくよく周囲を見てみると、どうやら自分達は巨大な広間にいるらしいということが分かった。
周りには呆然と周囲を見渡すクラスメイト達がいた。
どうやら、あの時、教室にいた生徒は全員この状況に巻き込まれてしまったようである。
そして、周囲を静かにと見渡しながらひとつの可能性に気づいていた。
それはこの世界が前世で読んでいた小説の世界だという可能性だ。
登場人物は俺を除いて全員同じ名前。
小説と同じタイミングでの異世界召喚。
ここで俺はほぼこの世界が【ありふれた職業で世界最強】の世界であると確信した。
ちらりと後ろを振り向くとハジメと香織。
よかった、2人がちゃんと無事で。
そして、この状況を説明するであろう台座の周囲を取り囲む者達への観察に移った。
そう、この広間にいるのはクラスメイトだけではない。
少なくとも三十人近い人々が、俺達の乗っている台座の前にいたのだ。
まるで祈りを捧げるように跪き、両手を胸の前で組んだ格好で。
彼等は一様に白地に金の刺繍ししゅうがなされた法衣のようなものを纏まとい、傍らに錫杖しゃくじょうのような物を置いている。
その錫杖は先端が扇状に広がっており、円環の代わりに円盤が数枚吊り下げられていた。
その内の一人、法衣集団の中でも特に豪奢ごうしゃで煌きらびやかな衣装を纏い、高さ三十センチ位ありそうなこれまた細かい意匠の凝らされた烏帽子のような物を被っている七十代くらいの老人が進み出てきた。
もっとも、老人と表現するには纏う覇気が強すぎる。
顔に刻まれた皺しわや老熟した目がなければ五十代と言っても通るかもしれない。
そんな彼は手に持った錫杖をシャラシャラと鳴らしながら、外見によく合う深みのある落ち着いた声音で俺達に話しかけた。
「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致しますぞ。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いておりますイシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞ」
そう言って、イシュタルと名乗った老人は、好々爺こうこうや然とした微笑を見せた。
やっぱり、この世界はトータスか。
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現在、俺達は場所を移り、十メートル以上ありそうなテーブルが幾つも並んだ大広間に通されていた。
この部屋も例に漏れず煌びやかな作りだ。
素人目にも調度品や飾られた絵、壁紙が職人芸の粋を集めたものなのだろうとわかる。
おそらく、晩餐会などをする場所だったはず。
上座に近い方に畑山愛子先生と光輝達四人組が座り、後はその取り巻き順に適当に座っている。
俺はハジメと一緒に後ろの方に座る。
原作読んでる時も思ったが無駄に豪華だなぁ。
それにしてもみんな静かについてくるな。
まぁ、イシュタルが事情を説明すると告げたことや、カリスマレベルMAXの光輝が落ち着かせたことも理由だろうが。
先生より先生っぽいことされて愛子先生は涙目だったけど。
全員が着席すると、絶妙なタイミングでカートを押しながらメイドさん達が入ってきて飲み物を配り始めた。
生メイドはテンション上がるわ。
このメイドを見ただけでも異世界に来た意味あったわ。
っておいおい、ハジメくん。いくら生メイドだからって凝視するのはどうかと思うぞ。
どうやら他の男子もみんなメイドに釘付けで女子からは冷たい目で見られていた。
それから全員に飲み物が行き渡るのを確認するとイシュタルが話し始めた。
「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」
話は大方原作通りだった。
唯一の違いは俺がいることくらい。
俺がいることで何か不都合がなければいいが。
一応話を要約しておくとこんな感じ。
まず、この世界はトータスと呼ばれている。そして、トータスには大きく分けて三つの種族がある。人間族、魔人族、亜人族である。
人間族は北一帯、魔人族は南一帯を支配しており、亜人族は東の巨大な樹海の中でひっそりと生きているらしい。
この内、人間族と魔人族が何百年も戦争を続けている。
魔人族は、数は人間に及ばないものの個人の持つ力が大きいらしく、その力の差に人間族は数で対抗していたそうだ。
戦力は拮抗し大規模な戦争はここ数十年起きていないらしいが、最近、異常事態が多発しているという。
れが、魔人族による魔物の使役だ。
魔物とは、通常の野生動物が魔力を取り入れ変質した異形のことだ、と言われている。
この世界の人々も正確な魔物の生体は分かっていないらしい。
それぞれ強力な種族固有の魔法が使えるらしく強力で凶悪な害獣とのことだ。
今まで本能のままに活動する彼等を使役できる者はほとんど居なかった。
使役できても、せいぜい一、二匹程度だというその常識が覆されたのである。
これの意味するところは、人間族側の〝数〟というアドバンテージが崩れたということ。つまり、人間族は滅びの危機を迎えているのだ。
「あなた方を召喚したのは〝エヒト様〟です。我々人間族が崇める守護神、聖教教会の唯一神にして、この世界を創られた至上の神。おそらく、エヒト様は悟られたのでしょう。このままでは人間族は滅ぶと。それを回避するためにあなた方を喚ばれた。あなた方の世界はこの世界より上位にあり、例外なく強力な力を持っています。召喚が実行される少し前に、エヒト様から神託があったのですよ。あなた方という〝救い〟を送ると。あなた方には是非その力を発揮し、〝エヒト様〟の御意志の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」
イシュタルはどこか恍惚こうこつとした表情を浮かべている。おそらく神託を聞いた時のことでも思い出しているのだろう。
イシュタルによれば人間族の九割以上が創世神エヒトを崇める聖教教会の信徒らしく、度々降りる神託を聞いた者は例外なく聖教教会の高位の地位につくらしい。
和人がどうやって原作に絡んでいこうか考えていると、抗議の声が聞こえてきた。
それは愛子先生だった。
「ふざけないで下さい!結局、この子達に戦争させようってことでしょ!そんなの許しません!ええ、先生は絶対に許しませんよ!私達を早く帰して下さい!きっと、ご家族も心配しているはずです!あなた達のしていることはただの誘拐ですよ!」
ぷりぷりと怒る愛子先生。
彼女は今年二十五歳になる社会科の教師で非常に人気がある。
百五十センチ程の低身長に童顔、ボブカットの髪を跳ねさせながら、生徒のためにとあくせく走り回る姿はなんとも微笑ましく、そのいつでも一生懸命な姿と大抵空回ってしまう残念さのギャップに庇護欲を掻き立てられる生徒は少なくない。
〝愛ちゃん〟と愛称で呼ばれ親しまれているのだが、本人はそう呼ばれると直ぐに怒る。
まぁ、俺は愛子先生は本当にいい先生で尊敬している。
周りの生徒は「ああ、また愛ちゃんが頑張ってる……」と、ほんわかした気持ちでイシュタルに食ってかかる愛子先生を眺めていた生徒達だったが、次のイシュタルの言葉に凍りついた。
「お気持ちはお察しします。しかし……あなた方の帰還は現状では不可能です」
うん、知ってたよ。
「ふ、不可能って……ど、どういうことですか!?喚べたのなら帰せるでしょう!?」
愛子先生が叫ぶ。
「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々人間に異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」
「そ、そんな……」
「うそだろ? 帰れないってなんだよ!」
「いやよ! なんでもいいから帰してよ!」
「戦争なんて冗談じゃねぇ! ふざけんなよ!」
「なんで、なんで、なんで……」
「元の世界に返せよーはげ教皇ー」
みんながパニックになって口々に騒いでる時についでにちょっとバカにしたら少しスッキリした。
「なぁ、和人。ちょっといいか?」
さっきまで黙って話を聞いていたハジメが話しかけてきた。
「どうした?」
「お前はこの状況どう思う?」
どうやらハジメは現状に対していくつかの予測を立てているようだった。
「少なくとも最悪の展開にはならないと思うよ」
そう、最悪の展開には。
「そうか。それならいいけど…」
未だパニックが収まらない中、光輝が立ち上がりテーブルをバンッと叩いた。
その音にビクッとなり注目する生徒達。
光輝は全員の注目が集まったのを確認するとおもむろに話し始めた。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん? どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」
「俺達には大きな力があるんですよね?ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」
「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」
「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」
ギュッと握り拳を作りそう宣言する光輝。
無駄に歯がキラリと光る。
さすがはカリスマの塊だ。
このやりとりだけで他の生徒達の落ち着かせることに成功していた。
絶対にカリスマってスキル持ってんだろ。
女子生徒からは熱い視線で見られてるし。
「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」
「龍太郎……」
「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど……私もやるわ」
「雫……」
「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」
「香織……」
いつものメンバーが光輝に賛同する。
後は当然の流れというようにクラスメイト達が賛同していく。
愛子先生はオロオロと「ダメですよ~」と涙目で訴えているが光輝の作った流れの前では無力だった。
やっぱやるしかないのね。
結局、全員で戦争に参加することになってしまった。
おそらく、クラスメイト達は本当の意味で戦争をするということがどういうことか理解してはいないだろう。
崩れそうな精神を守るための一種の現実逃避とも言えるかもしれない。
そんな中俺とハジメは気づいていた。
イシュタルが事情説明をする間、それとなく光輝を観察し、どの言葉に、どんな話に反応するのか確かめていたことを。
正義感の強い光輝が人間族の悲劇を語られた時の反応は実に分かりやすかった。
その後は、ことさら魔人族の冷酷非情さ、残酷さを強調するように話していた。
おそらく、イシュタルは見抜いていたのだろう。
この集団の中で誰が一番影響力を持っているのか。
はぁ、本当にカリスマってのは厄介だな。
俺はこの後の展開に備えて一つ作業を始めた。