ゴールデンウィークも終わり、目前に迫ったマリア祭の準備のため、山百合会総出で薔薇の館に集まっていた。
もちろん、新しく
「福沢先生もこの後来られるそうですが、準備を進めておきましょう」
紅薔薇さまである絢子さまが指揮を執る。
「では、紅薔薇姉妹と叶絵さんは会場の準備、白薔薇姉妹はおメダイ、私と涼花さんはいつも通り花の準備をしていきます。咲来ちゃんは今回お客様なので、薔薇の館でお留守番。新年度だから各部活動から陳情書がたくさん来てるから、内容ごとにまとめておいて欲しいの」
黄薔薇さまの史乃さまが役割分担を告げる。咲来に指示していたが、姉である私に気を遣って、事前に了解を得るあたり、優しい方だ。
「お姉さま。もう一年経ったのですが、いまだに私のことを呼び捨てにはならないのですね。つい先日姉妹になったばかりの叶絵さんはもう呼び捨てしているというのに」
涼花さんはご立腹だ。姉に対しての「お姉さま」と違い、妹に対する呼称は言及されていない。下級生に対しては、「さん」または「ちゃん」を付けて呼ぶとされている以上、史乃さまは間違ってはいない。
間違ってはいないのだが、涼花さんの気持ちも分からなくはない。リリアンにおいて呼び捨てとは、特別な関係性にあることのアピールでもある。
「でも、涼花さん……」
「呼び捨てになさらないのであれば、私も咲来ちゃんと一緒に薔薇の館に残ります。花の準備といっても数は少ないですし、お姉さまであれば大丈夫でしょう? それよりも部活動関連は黄薔薇中心の仕事です。それを紫薔薇のつぼみにだけ任せるのは気が引けます」
まあ、一理ある。
「……それでは、涼花さんは咲来ちゃんと一緒に陳情書の分類をやってもらうわ」
その言葉を聞いて、涼花さんは立ち上がった。
「そこまでして呼び捨てにしたくないのね!」
声を荒げると、もの凄い勢いで部屋を出ていってしまった。
「りょ、涼花さまっ……」
追いかけようとした咲来を、私は止めた。
「……姉妹のことは姉妹で解決する。そう教えてくれたのは咲来だったでしょう?」
「……はい」
とは言ったものの、心配ではある。
「史乃さま、花の準備は私が進めておきます。史乃さまは涼花さんを」
言いながら絢子さまと蛍さんを見ると、二人ともウインクで返してくれた。
「忙しいのにごめんなさい」
そう言って史乃さまも部屋を後にした。
‡
島津由乃は数年振りにリリアンを訪れていた。理由は締切から逃れるためである。
リリアンとは別の大学へ進学した後、試しに書いてみた小説を出版社に持ち込んだところ、トントン拍子でデビューが決定。瞬く間に美少女時代小説家として人気となった。
特に代表作でもある剣客姉妹シリーズは時代小説としては異例の発行部数を記録している。
締切が理由で単位が足らず、大学生活は五年目に突入している。
単位の足りない理由に締切を持ち出したり、反対に次回作の構想が浮かばない時には単位を理由にするなど、なかなか戦略的であるところは変わっていない。
「懐かしいわね。さてと、祐巳さんはどこかな~」
由乃がリリアンで教師をしているという親友を探していると、薔薇の館から一人の生徒が飛び出してくる。
「おっと。もう、危ないわね」
「あ、ごめんなさい!」
その生徒は目には涙を浮かべている。
「あなた……お姉さまはいるの?」
「ええ……」
「喧嘩したのね。気分転換に私に付き合ってくれない?」
‡
薔薇の館を飛び出したところで、一人の女性と出会った。見たところ大学生のようだから、リリアンの卒業生なのかもしれない。
女性は私の手を引いて、ズンズンと学園の敷地内を進んでいく。
「あのっ、あなたは?」
「人に名前を尋ねるときは、先に名乗るのが礼儀ではなくて?」
やや高圧的に返されて少しムッとしたが、確かに女性の言う通りなのでおとなしく名乗ることにした。
「二年の上杉涼花です。現在の黄薔薇のつぼみです」
「なるほど。黄薔薇の遺伝子は健在なのね」
一人で勝手に納得している女性に対して、私は問い詰めた。
「名乗ったのですから、お名前を教えてください」
「そうね。私は島津由乃。元黄薔薇さまよ。今日リリアンに来たのはここにいるはずの親友に会いに来たの。ああ、そうだ。福沢祐巳って狸みたいな顔した人知らない?」
「福沢先生なら、多分職員室だと思います」
「じゃあ、そうと決まれば職員室に向かって出発」
島津由乃と名乗るその女性は、私の手を引いて職員室に向かっていく。
「あの、引っ張らなくてもついていきますから」
「そうね。じゃあ離すわ」
そう言って島津さんは私の手を離してくれた。
「あと、お節介な卒業生からの忠告。妹ができたら甘えられる時間も限られているから、今のうちにしっかりと甘えておくこと。かと言っていつまでも妹ができないとお姉さまを心配させてしまうわ。選挙前には妹を作っておくことね」
島津さんは凛々しい表情で言う。
元薔薇さまというのは本当のことのようだ。ということはつまり、伝説の薔薇さまの一人だ。
「由乃さんがそれを言う?」
「あら、祐巳さん。ごきげんよう」
「ごきげんよう。じゃなくて、由乃さんまた締切近いの?」
「そうなのよ。この前大学の前で待ち構えられたから、今日は大学に行くフリしてこっちに来たの」
「そんなに嫌なら、書くの辞めればいいじゃない」
「書くのは好きよ。楽しみにしてくれる読者もいるし。ただ、締切近いから頑張れって言われたって書けない時は書けないわよ。それに、一度だって締切を破ったことはないわよ」
島津さんは福沢先生と楽しそうに会話をしている。
「それでね、祐巳さん。この子、お姉さまと喧嘩したみたいなのよ」
「上杉さんと吉川さんが? どうして?」
私は福沢先生と島津さんに事情を説明した。本家筋である私に気を遣うよう、親戚一同そうしているのだと。
「なんだか複雑ね」
「由乃さんと令さまも、私からしたら同じようなもんだよ。そう言えば、姉妹喧嘩は犬どころかバクテリアだって食わないだっけ?」
「まあ、そうなんだけど。でも、本家の跡取りですもの。親戚が言っていることも一理あるわよ」
「私よりも、お姉さまの、いえ、史乃さんの方が華道家として優れています。それなのに大人達は本家の娘である私に、というよりも、先代であるおばあ様や現当主である母に気を遣って。それに史乃さんも巻き込まれています。せめて大人の目の届かないリリアンの中だけは、史乃さんと普通の関係になりたかったのに」
気付いたら私は泣いていた。今まで誰にも吐露したことのない思い。
「涼花さん……いえ、涼花。そうだったんだね」
史乃さんの、私のお姉さまの声がした。
「……気付けなくてごめんなさい。小さい頃みたいに、普通に従姉妹として接してくれようとしてたんだね」
抱きしめられていた。背はほとんど変わらない。どちらかというと私の方が少し高いのに、大きい温もりに包まれていた。
本当は呼び捨てのことなんてどうでもよかった。ただ、気を遣っているのが見てられなかっただけだ。
「あとね、華道家としては私の方が優れているかもしれない。でもね、私は跡取りになることはないわ。私は私が良いと思ったものを流派関係なく取り入れているの。それは一人の華道家としては正解かもしれないけれど、代々受け継がれてきたものを受け継ぐ立場ではないのよ。ちょうど新しい薔薇さまと同じなの」
「私は私で新しく違う流派を名乗るつもりよ。だから涼花は胸を張って立派な跡取りになること」
「……はい」
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「いやあ、雨降って地固まるとはこのことだね」
「ところで由乃さん。そんなにのんびりしててもいいの?」
祐巳は由乃を見ると、左側を指差した。
「祐巳さま、お姉さま、お久しぶりです」
有馬菜々の姿がそこにあった。
「菜々!? あんた、なんでここに」
「有馬の道場も最近は人が減りまして、大学生になったのでお小遣いくらいはアルバイトをしようと思いまして。たまたまお姉さまの本の出版社が募集してたのでそこに応募したんです」
「ということはつまり?」
「聞けば締切間際なのに、原稿が全然進んでいないそうで。今日は大学だと聞いていたので行ってみれば姿がありませんでしたので、お姉さまの行動パターンとしてここだろうと」
菜々は感情があまり顔に現れないが、お姉さまである由乃には分かる。
菜々はかなり怒っているのだと。
「何かと理由を付けてサボる癖は昔から変わっていないようですね」
「菜々。菜々はお姉さまの味方よね?」
「姉が道を誤った時に正しい方向に修正するのもまた妹の役目ですので」
菜々は由乃の手を取ると、由乃を引き摺っていった。
未だに剣道を続けている菜々には腕力で勝てないと分かっているのか、おとなしく引きずられていった。