リリアン女学園高等部における生徒会役員選挙は、薔薇さまという仕組みがしっかりと構築されてからは、基本的につぼみの信任投票と姿を変えていた。大正の時代や戦後の学生運動がさかんに行われていた時代においては、つぼみ以外の候補者が現れることもあったが、元号が平成に変わってからはつぼみ以外の候補者は三人しか存在しない。
一人目は、イタリアへ渡った歌姫、ロサ・カニーナこと蟹名静。二人目は、紆余曲折を経て最終的には紅薔薇さまになった松平瞳子。
そして三人目は、二年藤組の教室で今まさに頭を抱えている
その原因は、目の前にいる新任教員である福沢祐巳に他ならなかった。
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始業式から二日後。いつも通り登校してきたところに、その問題の人物は屈託のない笑顔でいた。話を聞けば私のことを待っていたらしい。
だとするのであれば、私の席に座っているのはやめていただきたいところであるが、立場を弁えて指摘するのは控えておいた。
私のような人間に、新任の先生が何の用かとも思った。福沢先生の周りには既に多くのクラスメイトが集まっていた。新しい若い先生だからなのか、それとも元紅薔薇さまという経歴なのか、はたまた生まれながらに持った素質なのか。それが何であったとしても、三ヵ月ほど前のちょっとした事件で浮いた存在となっていた私とは相容れない存在であると、強く感じた。
「立花叶絵さん……だよね?」
「ええ、そうですけど」
「初めまして。福沢祐巳です」
始業式の日に新任の挨拶をしたから名前は知っている。律儀なのか天然なのか分からないが、どうも会話のペースを掴みにくい。
「立花さんは高等部から外部入学したんだよね? 一年間通ってみてリリアンはどう思った?」
「伝統のある学校だけに、いろんな施設が整備されていて素晴らしい学校だと改めて感じています。まあ、初めはその伝統に驚くこともありましたが」
「はは、そうだよね」
何か用があったのではないのか。雑談をするためだけに朝早くから私の席を占拠しているのだとしたらかなりの変わり者であることに違いない。
そんな気持ちが表情に出ていたのか、先生は本題を切り出した。
「ねえ、立花さん。あなた、薔薇さまになるつもりはない?」
「……………」
思いもしていなかった方向から傷口を抉られて、不覚にも言葉に詰まった。
「みんなの顔を早く覚えようと思って、内申書を見させてもらってるんだけどね。そうしたら、小学校の時も中学校の時も生徒会長をやってたから、山百合会の仕事に興味はないかなと思って」
生徒会活動を熱心に行っていたのは、部活動に興味が持てなかったからだ。これといった趣味も持ち合わせていない。時間を無駄にすることも、ただただ勉強するのも何か違うと感じた私は、生徒会活動に携わる中で、組織運営の面白さを知っていった。
「先生はご存知ないのかもしれませんが、その『薔薇さま』になるための選挙に私は少し前に落選したばかりですよ?」
組織運営の面白さを知った私は、将来は会社を興して社長になるつもりでいた。リリアンを受験したのも学校の知名度とリリアン女子大への優先入学制度のためだ。多くの受験生が必死に勉強するであろう時期に、起業の準備が進められる。大学在学中に起業し、卒業と同時に本腰を入れて事業に取り組んでいくつもりでいる。
生徒会役員選挙に立候補したのも、組織運営の感覚を磨いておきたいからだ。
ただ、この学校の生徒会は薔薇さまというアイドル的な人気者が運営していることを知らなかった。
――学校案内パンフレットには書いてなかったもの。
立候補するやいなや、外から来た生意気な一年生が、薔薇さまのつぼみたちに危害を加えようとしているといった目で見られるようになり、落選してからは完全に孤立した。
「選挙は民主主義だからね。今の薔薇さまと比べて、あなたは票を得られなかった。それだけのこと。それでもあなたがただ平凡で、能力のない人だとは思わないよ」
「詳しい話をしたいから今日の放課後、薔薇の館まで来てくれないかな?」
矢継ぎ早に言葉を浴びせられ、何の気なしに「はい」と返事をしてしまった。
「じゃあ放課後、薔薇の館で」
福沢先生は、周りにいたクラスメイトに「今日も勉強頑張ってね」などと声を掛けると教室から去っていった。
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まだ授業が本格的に始まっていないから良かったものの、放課後の話が気になって集中できなかった。
とりあえず、返事をしてしまった以上、薔薇の館へ行かないわけにはいかず、心を乱している原因もそれであるのはハッキリしている以上、さっさと済ましてしまうに越したことはない。
そう思って、多くの不安と一縷の希望を抱いて、聖域である薔薇の館へと足を踏み入れた。
軋むの音を鳴らす階段を上り、扉の前に立つ。
「二年藤組、立花叶絵です」
「どうぞ」
無事、返事があったので中に入る。
「失礼します」
部屋の中には、薔薇さまとつぼみ、そして元凶である福沢先生がいた。
「立花さん、いらっしゃい。そこに座って」
促されるままに椅子に座る。すぐさま「どうぞ」と紅茶が出される。
二年桃組の北条琴音さん。私と同じ外部生。同性で同級生であるが、笑顔はドキリとさせる程に綺麗だ。
「早速、今朝の話の続きをさせてもらうね。実は、山百合会の抜本的改革をしないといけないの」
福沢先生が言うには、顧問の先生がいなかったこと、活動量に対して人員が少ないことが問題視されているとのこと。
福沢先生が顧問になったのも、その抜本的改革の一つなのだという。
「それでね、やっぱり薔薇さまとつぼみだけじゃ人数って足りていないのよ。三年生は志望先によっては受験もあるし、部活動との両立も難しい部分がどうしてもあったことは間違いないの」
なんとなく話が見えてきた。
「だったら薔薇の数を増やせば良いんじゃないかって思ったの。そこで、新しい薔薇さまを立花さんにお願いしたいと思って」
やっぱり。
ただ、私にだってプライドもあれば譲れないものだってある。
「事情は分かりました」
「それじゃあ……」
「ただし、臨時で選挙を行ってください。私だけでなく、広く立候補者を募るべきと思います。その結果、当選すればその役目を務めさせていただきます」
同情とかラッキーで選ばれたのだと思われたくない。それに、将来会社を率いるなら、人望だって必要だ。
「他に立候補者がいなかったらどうするおつもり?」
紅薔薇さまである絢子さま。三ヶ月前は選挙でぶつかった相手だ。
「その場合は、信任投票で構いません」
「わかったわ」
やるからには、認められた上でしっかりと活動したいというわがままが、なんとか実現しそうである。
「誤解のないように言っておくけれど」
そんな前置きをする黄薔薇さま。
「私を含めたここにいるみんなは、あなたのことを心から歓迎しているわ」
「ええ。この前の選挙のことで恨んだりなんかしていないから安心してね」
白薔薇さままでそんなことを言う。
「じゃあ、新しい薔薇さまの選挙をやるように準備するね。もともとそのつもりで進めていたんだけど、立候補者が誰もいなかったらお間抜けでしょう? 立花さんが快諾してくれてよかった」
つまりは薔薇さまをもう一人という話はもともとあって、選挙もするつもりだったけどなりたい人が誰もいませんでしたという状況を避けるために、私に先に話をしたと。
さすが元紅薔薇さまだけあって、こういった手回しは得意なのかもしれない。
「各クラスには担任の先生を通じて、早急に選挙管理委員を決めるようにお願いしておくから。それとね五月にはマリア祭があるでしょう? それまでには結果が出るように進めるつもりなの。だから、大変だとは思うんだけど、選挙活動と並行してマリア祭の準備は手伝ってほしいの。もちろん他の立候補者がいれば同じように手伝ってもらうつもりだからそこは安心して」
確かに今から選挙の準備を進めても、四月中になんとか決まるのが精一杯だろう。ゴールデンウィークを挟んですぐにマリア祭。当選が分かってからすぐに参加というのは不安な部分も多いので準備をしてほしいということだろう。新入生の中からお手伝いを探すのも難しい関係上、私という労働力を一応は確保できたわけだ。
この先生は人たらしの才能があるのかもしれない。
「わかりました。お話は以上ですか?」
「うん、話さないといけないことはこれだけ。でも特別用事がないのであればゆっくりしていってほしいんだ。マリア祭の準備は手伝ってもらうことになるし、お互いに自己紹介くらいは済ませてほしいんだ」
そう言って福沢先生は立ち上がって、扉へと向かっていった。
「私はいろいろやらなきゃいけないから、これで職員室に戻るね。あとは若い人たちだけでごゆっくり」
犬とも猫とも狸とも形容しがたいアニマルチックな笑顔を浮かべて、福沢先生はこの場から姿を消した。