放課後。
福沢先生に言われた通り、選挙管理委員の事務所に向かう。突然のことだから、立候補するような変わり者は私くらいしかいないだろうと思っていたら、結構な人だかりができている。
新年度早々、生徒会活動をしようという人間がこんなにも多いのかとも思ったが、よくよく思い返せば、次期薔薇さまの姿を一目見ようと集まるのだ。
さらに言えば、長いリリアンの歴史において四人目の薔薇さまというのは初めてのことである。新しく薔薇さまになる人間がどんな人間なのかと気になっているギャラリーだろうと察しがついた。
「あら、叶絵さん。あなたも立候補なさるの?」
クラスメイトの美佳さんが声を掛けてくる。彼女にはあまり良い印象を持っていない。美佳さんは熱心な白薔薇さまファンであり、前回の生徒会役員選挙で立候補した私のことを目の敵にしている生徒の一人である。
ここで、美佳さんの言葉が気になった。
「あなたも……ということは、私の他にも立候補者がいるのね」
さっさと部屋に入ろうとしたが、美佳さんが道を塞ぐ。
「三ヶ月前に落ちたばかりなのに、また立候補なさるなんて恥ずかしいという感覚をどこかに落としてしまっているのではなくて?」
ああ、そうか。こういうことを見越して、福沢先生はあの『印籠』を持たせたのか。うん、ちょっと過保護すぎる。
こんなもの、とまでは言わないし、先生の気持ちは有難く頂戴しておくとして、まずはこの状況をなんとかしなければいけない。
「たとえ恥だとしても、私はこのリリアン女学園高等部を良くしていきたい。そのためにも薔薇さまになろうと真剣に考えているの。だからね、美佳さん」
選挙に響こうがなんだろうが、こんな小物にいちいち構ってなどいられない。
「今すぐそこを退きなさい」
当選すれば、あの薔薇さま達の隣に並ぶことになるのだから。
‡
部屋に入ると、選挙管理委員の面々と、一人の立候補者がいた。選挙管理委員の顔ぶれはこの前とあまり変わっていない。
「立花叶絵さん。来ると思っていたわ」
「今回もよろしくお願いします」
前回と同じ委員長(名前は覚える暇なんてなかったから覚えていない)に挨拶して、もう一人の立候補者の顔を見る。
見慣れない顔である。三年生は今回立候補出来ない決まり(受験等を考慮すると、活動期間が短いためといった理由らしい)なので、一年生なのだろう。
まだ入学式を終えたばかりだというのに、立候補するこの人に敬意を抱いた。
「ごきげんよう。二年藤組の立花叶絵です」
「ごきげんよう、叶絵さま。一年菊組、
ツインテールの良く似合う、可愛らしい子。
「咲来さんね。正々堂々、戦いましょうね」
右手をゆっくりと差し出せば、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そっと握り返されたのだった。
‡
「以上で説明会を終わります。なお、今回は緊急の選挙で、立候補締め切りまで日にちがありませんのでお気をつけください」
前回と同じ内容の説明を受け終えて、委員から渡されたプリントの束を整えていると、左側から視線を感じた。
顔を向けると咲来さんがこちらをじっと見ている。
「何か私にご用?」
人の顔をじろじろ見るのはあまり感心しないが、相手は一年生。上級生らしく振舞うべきであろうと判断して声をかけてみる。
「あ、すみません。なんでもないです」
「あら、そうなの」
ここで昨日、福沢先生との会話を思い出す。立候補者にはマリア祭の準備を手伝ってもらうとのことであったが、咲来さんは歓迎される側の一年生である。少し迷ったが、とりあえず薔薇の館に連れていくことにした。
「ところで咲来さん。この後のご予定は?」
「特にありませんけど……」
「もし良ければ、一緒に薔薇の館に行かない? 今、山百合会の仕事の手伝いをお願いされていて私はこの後向かうのだけれど、咲来さんもご一緒にと思うのだけれど。咲来さんが当選すれば、薔薇さま達と一緒に活動するのだし、私が当選したとしても、あそこはいつも人手不足だから一年生のお手伝いさんは年中募集中なの。あくまで都合が悪いのでなければ、だけれど」
なんか勢いで言わなくてもいいことまで言った気がするが、脳が疲れているので深く考えないことにした。
「あの、ご一緒してもいいですか?」
「もちろんよ」
‡
薔薇の館のビスケット扉の前。
「失礼します」
「どうぞ」
中からは紅薔薇さまの声。
扉を開けると、黄薔薇ファミリーの姿がなかった。
「ごきげんよう、皆さま。説明会で私の他に立候補者がいたので、こちらに連れてきました」
私は少し右にずれると、隠れるように後ろにいた咲来さんに一歩前に出るように促した。
「ごきげんよう。薔薇さま方。一年菊組の高橋咲来です」
咲来さんはやや緊張気味に頭を下げた。
「今、お茶を用意しますのでお掛けください」
紅薔薇さまのつぼみである蛍さんが、すっと立ち上がった。
「私もお手伝いします」
その様子を見て動こうとした咲来さんの肩を掴んで動きを静止させると、強引に座らせた。
「今日の咲来さんはお客さま。私が手伝うから気にしないで」
私は蛍さんの方へ向かう。
「蛍さん、教えてくださいますか?」
「ええ、助かるわ」
蛍さんの了解を得ると、私は振り向いてテーブルを見た。そこで空になっているカップを確認して一つずつ回収していった。
「……案外、気が利くのねって、案外は失礼だったかしら?」
「気にしないわ。この見た目だから」
私の目は他の人と比べてみても、結構つり上がっているいる部類に入る。普段の言動や性格もあわせてキツイ性格だと思われているだろうという自覚は持っている。
「母方の祖母が昔、喫茶店を営んでいて小さい頃はよく手伝っていたの。だから癖みたいなものなの」
「そうだったの。何か不思議だわ」
そう言って蛍さんが笑いかける。
「どうして?」
「叶絵さんから自分のことを話すなんて信じられなくて」
「そう?」
「ええ。叶絵さん、いつもは周りがすべて敵だみたいな雰囲気を出してるから」
なるほど。いつもは気を張っているからそう見えるのだろう。薔薇の館には私に敵意を向ける人はいないから、自然と気が緩んでいるのだと思う。
「なら、ここでは上手くやっていけるかもしれないわ」
その言葉を最後に、紅茶の準備を進めた。
「それにしても、もう一人の立候補者が一年生なんて、びっくりしたよ」
福沢先生が呑気な声で言う。
「まだ、入学したばかりなのにどうして立候補したの?」
この先生は表情がコロコロ変わって忙しい人だと思う。さっきまで無邪気な顔をしていたにも関わらずに、今は真剣かつ威圧感のない表情をしている。
「……言わないとダメですか?」
「ダメということはないけれど、立候補の動機は気になるものでしょう? よかったら教えてくれないかな?」
確かに一年生である咲来さんが立候補するのは不可解な点が多い。定例の生徒会役員選挙は一月に行われるので、一年生の立候補者があるのも頷けるが、今回の場合は、入学からまだ一週間も経っていない。
ずっとリリアンだったとしても、本格的な高等部の生活を経験していないのである。リリアンは中等部までは規則が厳しいらしいが、高等部からは生徒の中で規則正しい生活を送るようにということで出来たのが姉妹制度だそうだ。この話から想像するに、中等部以下と高等部では一貫校であるものの、生活スタイルは大きく異なるのだろう。
咲来さんの様子を見ると、観念した様子で口を開こうとしている。
「実は、私、立花叶絵さまに憧れているんです!」
金槌で殴られたかのような衝撃が、頭に走った。