選挙立候補者の立会演説会が明日へと迫った日の夕方。リリアン女学園の新任教員、福沢祐巳は学園近くの花屋を訪れていた。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
「ええ。ちょっと薔薇を見に」
新しい薔薇さまが誕生するのが目前に迫っているというのに、肝心のその新しい薔薇が決まっていないのだ。
「どんな薔薇をお探しですか?」
「ええっと、赤でも白でも黄色でもない薔薇を……」
なんてオーダーの仕方だろうと、祐巳は思った。せめて薔薇の種類くらい調べてくるんだった。
「それでしたら、オレンジやピンク、数は少ないですけど紫なんかもありますよ」
オレンジとピンクはなし。赤と白と黄色を混ぜて出来る色は除外。サーモンピンクも、もちろんロサ・カニーナも。
そんなことを祐巳は考えていたから、百面相をしていた。
「もしかして、リリアンの方?」
「ええ、はい」
「最近、リリアンの生徒さんが、お店の前を通るときに話してるんです。新しい薔薇さまは何色の薔薇なのかって」
「実は……」
祐巳は新しい薔薇を何にすべきなのか悩んでいることを話した。今の三つの薔薇は、数多く生み出された薔薇の品種に影響を与えた代表的な原種である。新しい薔薇も同等の伝統を持つべき薔薇でなければならないと祐巳は考えていた。
「薔薇の品種がいくつあるかご存知ですか?」
「いえ……」
「薔薇の品種は四万種類以上あると言われています。そして、今この時も、新しい品種を作り出そうと努力している方が世界中にいるのです。原種の薔薇はその四万の祖先ですので、特別な薔薇であることに違いありませんが、より優れた薔薇を生み出したいという人間の努力も同じように素晴らしいと思いますよ」
「人間の努力……」
「ええ。色、花の形、香り、植物の強さ、咲き方。それらを一つずつ改良していって、思い描いている理想の薔薇に近付けていくんです。人工的に受粉させ、種を取り、それをまた育てて、花を咲かせて。それらを繰り返していくんです。当然、何年もかかりますが、それだけに、原種にはない魅力があります」
祐巳は店員の話に夢中になっていた。今まで薔薇のことなど、あまり気にしたことはなかったのだ。もちろんロサ・キネンシスは特別な薔薇であるけれども、自身が紅薔薇さまになっていなければ、そこまで思い入れの強いものではなかったのではないかとも思っていた。
「まだお悩みのようだから、この薔薇なんていかがかしら?」
店員が祐巳に見せたのは、薄っすら紫がかった薔薇であった。
「綺麗……」
「この薔薇の名前は――」