#10's Episode   作:しゃくなげ

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『ビギニング』

 果てのない星々の大海原に、ジュピトリスが沈む。

 類稀な才覚によってティターンズを掌握した男の最期は、燦爛たる閃光となって宇宙を照らし、あっけないほどに容易く消えた。

 ひとつの都市にも匹敵する、巨大な艦の残骸。それらに一瞥をくれたのち、ハマーン・カーンはまるで興味を失ったように長い睫毛を伏せる。

 視覚を遮断すると、鉄の女は緩やかに肺の中身を吐き出した。鋭い眼差しが、独り言と共に現れる。

 

「うたかたの夢とは、言ったものだ」

 

 ざらりとした不愉快な感覚が、胸の内に広がっている。それを厭うように、ハマーンはキュベレイのパイロットシートへと体重を預けた。

 

「シャア……私と来てくれれば」

 

 ぽつと漏れた呟きは、誰に宛てたものでもなかった。

 ハマーンを包み込むような全天周囲モニタには、無限の彼方へ広がっている宇宙と、星々が物言わずに浮いているばかり。

 そこに、彼の人の反応はない。エゥーゴの機体が発するシグナルは、どこにも残っていなかった。

 わずかな沈黙の後、ハマーンは意識を切り替える。

 感傷など、あろうものか。そう言い聞かせるような、鋭い声がコックピットに響いた。

 

「全機、撤収せよ。アクシズは速やかに、この宙域を離脱する!」

 

 ティターンズとエゥーゴの戦争は、終わった。

 戦力を温存したアクシズからしてみれば、これ以上にない上々の結末だ。もはや、この場に留まる理由など存在しない。

 

「──ティターンズ、だと?」

 

 だからこそ、突如として鳴り響いたアラートに、ハマーンはその娥眉を持ち上げた。

 戦争は、終わった。だのに、この感覚は何だ。

 いまだに戦いが続いているかのような、濃密な殺意が迫っている。

 うなじの辺りを撫ぜられているようなぢりぢりとした感覚に表情を歪め、ハマーンの双眸はモニタへと向けられる。

 そこには、バーニアの煌めきが宇宙に尾を引く様が映し出されていた。

 逆三角形を描く隊列を組んだ敵影は、全部で三機。識別信号は、ティターンズのそれだ。

 

「ふん……見苦しいとはこの事だな。残党の一兵卒風情が、何をしに来た!」

 

 前衛のガブスレイ二機が、キュベレイを挟み込むように左右へと展開する。それを目で追う事もせず、ハマーンは真正面から突っ込んでくる残りの一機を見据えていた。

 古いガンダムタイプを思わせる、ペイル・ブルーのモビルスーツだった。

 少なくとも、ハマーンが見たティターンズの量産機には、同型の記憶はない。

 カメラアイの残光が、尾を引くように赤い軌跡を描く。

 ひどく不愉快な、禍々しさを感じさせる真紅の光。直感めいた何かに従い、ハマーンの右手がコントロールロッドを引く。

 眼前の機体を撃滅せんと迎え撃つハマーンの瞳には、先ほどまでの物憂げな色は微塵も見られなかった。

 

「このキュベレイをなめてもらっては困る!」

 

 キュベレイのマニピュレータに握られたビーム・サーベルが、鮮やかな光刃を形成する。

 赤目の敵もまた同様にビーム・サーベルを抜き放ち、残党狩りの初手は斬り合いから始まった。

 バーニアの噴射炎が瞬間的に膨れ上がると同時、未知の機体が爆ぜるようにキュベレイへと襲いかかる。

 それを易々といなすハマーンの技量は、地獄の如きグリプス戦役を無傷で戦い抜いた実力を、雑兵たちにまざまざと見せつけた。

 鍔迫り合いのように拮抗する光刃は、斥力を発して機体に衝撃を走らせる。振り下ろされる一撃を受け止めるも、返す刃を受け止められる。

 そこから、一合、二合、三合。

 斬り結ぶたびに閃光と紫電が迸り、コックピットが震撼する。

 この敵は、できる。

 瞬きひとつも挟めぬ攻防を繰り広げながら、ハマーンは敵の力量を肌で直接に感じ取っていた。

 既に七度の斬撃を防がれ、同様に七度の剣閃を払い退けた。

 それも、足を止めての斬り合いではない。散開した二機からの狙撃をさせまいと、縦横無尽に宇宙空間を駆け巡りながらの攻防だ。

 尋常なパイロットならば、急激な加速や旋回に疲労が生じて読み違えを起こしてもおかしくない。

 ともすれば、強いGに耐えきれず失神していてもおかしくない。

 そんな状況でこの敵は、ひとつも判断を間違えず、今もキュベレイの喉元へと食らいついている。

 

「それなりの実力というわけか、よく鍛えられているらしい。だが、これは避けられまい!」

 

 放たれるはずだった八度目の斬撃が、赤目の機体ごと急停止する。

 即座に後退したその座標を追いかけるように、流星の如き光芒が通り抜けた。

 赤目と睨み合うキュベレイの後方で、予想外の一撃に撃ち抜かれたガブスレイの右腕が爆ぜた。

 狙撃直前のビーム・ライフルが誘爆を起こし、その衝撃で機体のフレームシャフトが歪む。

 間髪を入れずに二条、三条と上下から放たれるそれを、赤目は退き、あるいは機体を左右に振ってやり過ごす。

 狙撃を中断したもう一機のガブスレイが、牽制のように四方八方へとバルカン砲の弾幕をばら撒いた。

 初手が始まるよりも先、三機の敵を見出した段階で、ハマーンは既に展開していた。

 キュベレイに搭載されたファンネルを、さながら蜘蛛の巣のように己が周囲へと張り巡らせていたのだ。

 視認する事すら難しい小型ビットによる、視野外からのオールレンジ攻撃。攻撃の姿勢にある最中にそれを避けた眼前のモビルスーツを、ハマーンは注意深く観察する。

 避けられる道理がない。

 牙を突き立てやすいように、ハマーンはあえて赤目の前に隙を晒してみせた。

 必勝に繋がるわずかな隙へと斬り込んだ兵士が、絶好の機会を捨ててまで回避を選ぶなどありえない。

 

「──ニュータイプでもなければ、な」

 

 つまりは、そういう事だ。

 殺意か、敵意か、害意か、何か。そういった形にならないものを感じ取って、赤目のパイロットは即座に攻撃を中断したのだ。

 硬質で刺々しい、砂粒のような不快感がハマーンの内に広がっていく。

 先刻の、あの少年──カミーユ・ビダンとの邂逅を思い出して、腹の奥から怒りがこみ上げてくる。

 こいつも心に土足で踏み入るような輩ならば、今ここで粛清しておかねばならない。

 ハマーンのどす黒い感情に応じたように、不意にノイズ混じりの通信が送られた。

 

「──聞こえるか、ハマーン・カーン。僕の力量は示したつもりだ、今から僕は彼らを撃つ。ああ……つまり、次は僕が貴女の味方だと示す」

 

 若い男の声は、淡々とそれだけを告げて途切れる。

 噴き出しそうになった怒りが、不意の呼びかけで勢いを失ったのをハマーン自身も感じていた。

 直後、赤目が急旋回して宇宙を舞う。バーニアの噴射炎とカメラアイの残光が、禍々しい尾を引いて軌跡を描く。

 混戦する通信、叫ぶ男の声、振るわれるビーム・サーベル。

 先の誘爆で死に体だったガブスレイを斬り捨てると、赤目は一気にその場から足下に向けて上昇する。

 爆発する機体を撃ち抜くように、ビーム・ライフルの一撃が赤目のいた空間を虚しく通り過ぎていく。

 

「何をする、味方だぞ! 気でも狂ったのか!」

 

「知った事かよ、アンタは前から目障りだったからね!」

 

 もう一機のガブスレイが、赤目を罵りながらビーム・ライフルを乱射した。

 放たれる熱線を掻い潜り、赤目もまた右肩後部にマウントされた巨大なガトリングガンの銃口を突きつける。ノイズ混じりの雄叫びは、そのまま断末魔となった。

 弾着が始まる頃には、赤目はガブスレイの側面へと回り込むように位置取りを変えている。

 爆発的な赤目の加速力にまるで追従できず、ライフルから射出された光条が彼方の闇へと呑まれて消えた。

 瞬間的に各所のバーニアを稼働させて細かな姿勢制御を繰り返し、常に標的を正面に捉えたままでの高速の円運動。

 曲芸めいたマニューバをこなしてみせる赤目のそれは、操縦者が生半でない事を示すデモンストレーションにも感じられた。

 数百発を超える弾丸を叩き込まれたガブスレイの装甲は、蜂の巣の如く穴だらけになっていた。

 千切れ飛んだマニピュレータが、粉々になった装甲板が、慣性によって宇宙の果てへと流されていく。

 

「小賢しい真似を……仲間を殺して、取り入る算段か。何故、そうまでして私の下へ来た」

 

 銃身が赤熱化したガトリングガンは、全弾を撃ち尽くした事を伝えるように虚しくスピンアップを続けていた。

 たっぷりと二秒をかけた上で、赤目のカメラアイがグリーンへとその色を変えていく。まるで、戦闘の終わりを告げるかのように。

 赤目のモビルスーツに、戦う意思はもう見えなかった。

 だからこそ、ハマーンもまたビーム・サーベルを収めて問う。

 グリプス戦役は尋常の戦争なのだから、虐待を恐れて捕虜になる事を厭う理由はないはずだ。

 ましてやあのエゥーゴであれば、人道とやらに反した真似はしまい。

 そんなハマーンの考えを他所に、赤目のパイロットは気の抜けたような声を出した。

 

「なぜって……ティターンズは敗けたじゃないか、あそこに残っていたらもう戦えない。エゥーゴよりは、貴女の方が良い気がした」

 

 これには、さすがのハマーンも面食らった。それからやや置いて、不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「なるほど。思想や信念ではない、ただ人を殺すだけの戦いを求める狂犬か」

 

「そうだね、そうだ。僕は、次の戦争が欲しいだけの狂犬だ。アクシズの兵士になれば、戦えるだろう? そう思って、僕は自分を売りに来たんだ」

 

 ティターンズでの戦いは、もう終わってしまった。そうやってつけ加える声は、少年のものだ。

 あまりに若すぎる、幼さすら感じ取れる危うい思想。

 そういうものを拾っても良いか、ハマーンは自問自答する。

 戦いを与えてやれば、駒としては扱いやすい。

 しかし、狂犬は所詮、狂犬だ。気に食わぬ事があれば、今のように仲間を殺して次の宿主を探すだろう。

 思案を巡らせる時間は、短い。

 いつまでもこの宙域に留まる理由はない、それどころか、今は早急な撤退こそが肝要な状況だった。

 武装を解除してキュベレイへと向き直るモビルスーツを、ハマーンは値踏みするように一瞥する。

 

「売り込みにしては、悪手だったな。情勢次第で裏切るという可能性を見せた時点で、貴様の商品価値は地に落ちたと思うが」

 

「ああ──そうか、本当だ、上手くないやり方だった」

 

「忠義や大義によって、それこそ敵に降ってまでも己が信ずるもののために戦う者だと示さなければ、お前のような狂犬を引き取るには危険が伴う。だが──私の質問にどう答えるかで、貴様を拾ってやらなくもない」

 

「なるほど……亡命するのも、難しいんだね。わかった、貴女が気にいるように答えてみるよ。それで、どんな質問をするのかな?」

 

 もったいぶった言葉に反して、ハマーンは先ほどの短いやり取りの中でもう既に、この狂犬をアクシズへと受け入れる気になっていた。

 物事を考えず白痴も同然に立ち回る一方で、取り入ろうとしている相手の言葉は素直に聞き入れる。

 どこか歪な幼さを孕んだその様子に、そして何より先ほどの戦闘技術の中に、ハマーンはひとつの答えを見出していた。

 

「──お前は、強化人間だな?」

 

 問いによって若干の沈黙が訪れたが、不愉快なそれではないとハマーンは踏んだ。

 すぐに入る通信が、彼女の直感を正しいものだと示していた。

 

「よくわかったね、ニュータイプってやつかな。その通り、僕はムラサメ研究所で造られた強化人間だ。ティターンズでは、第一四一任務部隊に配属されていた」

 

 身の上話が始まるよりも早く、キュベレイが踵を返すように赤目へと背中を向ける。

 ついて来いと短く伝えるハマーンの中に、背後からの騙し討ちを懸念する臆病さは微塵も見られなかった。

 

「我々アクシズにも、強化人間の技術はある。だが、未だ踏み込めていない部分があるのも事実だ。──単刀直入に言おう、貴様のそれを解析させろ。それが、私が貴様を拾う条件だ」

 

 利害を見比べた上で、鉄の女はこの狂犬を受け入れる利が多いと判断した。

 主人を噛むようならば、始末できるという自信の上で、だ。

 

「ふうん、そうかい──いいさ、モルモットなのは前からだ。ああ、いいよ、その条件で手を打とう」

 

 その自信をどう感じ取ったのか、赤目のパイロットはわずかな間を置いてから、ハマーンの提案を呑んだ。

 どうせ行く宛もないと嘯く声は、獲物を撃つ際にみせた荒々しさとまるで別人の、投げやりめいた無気力な響きがある。

 少年が発する極端な感情の起伏を、ハマーンは冷たい瞳で見つめていた。

 ハマーンがシートに身体を預け直すと、キュベレイは赤目を導くようにバーニアの蒼白い炎を巻き上げた。

 追従できなければ捨てて行くと言うように、その前進には迷いも佇立もない。

 白い蝶が、果てしなく広がる闇を裂きながら流れ星のように宇宙を駆ける。

 赤目もその背中を追いかけて、彼方に見えるアクシズの艦隊を目指して翔んだ。

 冷たく閉ざされた無限の空間は、嵐の前の静けさという言葉の通り、凪いだ水面を思わせる様相だった。

 

「──私だ、これより帰投する。ティターンズの旧式を連れて行く、受け入れの用意をしておけ!」

 

 ハマーンの鋭い声は、赤目のパイロットに、あるいはアクシズの艦隊に、彼女の持つ強大な力を感じさせるに足るものだった。

 ほどなくして旗艦からガイドビームが展開され、赤目とキュベレイを受け入れるように格納庫が開放される。

 指導者の着艦と同時に核パルスエンジンへと火が入り、ハマーンの指揮する艦隊は屍山血河であるグリプス2宙域を後にした。

 時は宇宙世紀0088年、二月二十二日。

 アクシズがネオ・ジオンへとその名を変え、各コロニーへ進軍、制圧を開始する七日前の事であった。

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