戦闘宙域の一角を、眩い光が染め上げた。
謎の光に誘われて、ジンロウはほんのひと時、戦争の只中にある事すら忘れて足を止める。
見た事も聞いた事もない、強烈な重圧を発している不愉快な何か。それが霧散していく時に、また誰かが死んだのだと直感する。
「生命の光だっていうのかい、あれが。──馬鹿馬鹿しい」
嘲るように鼻を鳴らして、索敵を開始する。大規模な戦闘があったようで、周囲に残された情報は少ない。
ふと、ジンロウはコックピットから上が消失したドーベン・ウルフの残骸が、光の元から流れていくのを見つけた。
誘われるような心地に従って、トーリスリッターがその跡を追う。
「ラカン・ダカランじゃあ、ないな。となると、あいつの部下か」
少し前に聞こえた男の声は、撤退を促すそれだった。
どんな男だったかは覚えていないが、少なくとも、これは違うと感じ取れる。
そこまで考えたところで、ジンロウの思考はまた立ち止まった。
こんな風に、根拠もなく感覚で認識するようになったのは、いつからだったろう。深く考えると、頭の奥がひどく痛んだ。
「ちっ……戻ったら、再調整かな」
何を調整するのかわからないが、そうすれば楽になる。
そう、グレミーは言っていた。いつ聞かされたかわからないが、そう言っていた気がしている。
「──待て、再調整ってどういう事だ。なんだ、これ。おかしいぞ、どうなってる?」
思考がぐちゃぐちゃに混ざっていくその中で、ジンロウは自然と独り言を漏らしていた。
今まで、再調整をするなど考えた事もないはずだ。
けれど、再調整をしろと頭が自分に命令している。
自分の中の何かがおかしい。その考えが、どうやっても拭い去れない。
上下さえもわからなくなる混乱の中で、確かにジンロウはロックオンを知らせるアラートを聞いた。
遮二無二、バーニアを噴かして機体を飛ばす。コンマ数秒の遅れで、先ほどの座標をビーム・ライフルの一撃が撃ち抜いていた。
「クソっ、気分が悪い、なんだこれは!」
吐き捨てながらコントロールロッドを引くと、ジンロウは宙返りの要領で機体の上下を反転させる。
機体の上方、およそ三十度。赤いモビルスーツが、ジンロウの視界に入った。
トリガを絞ろうとしたものの、鋭い頭痛が邪魔をする。その隙を突くように、リゲルグのバーニア炎が膨れ上がった。
「ちぃっ!」
光条が、宇宙を裂いて迸る。
ジンロウは機体に搭載されているアポジモーターのうち、右側面側の全てを即座に噴射する。
横飛びに加速した機体の傍らを、撃ち出されたメガ粒子が掠めていった。
初手を躱せたのは、機体の反応速度があったからだ。
それを理解しているからこそ、全身の産毛が逆立つような興奮に囚われる。
「死ねよ、お前ッ!」
ビーム・ライフルの掃射は、二発で止まった。
初手を回避したトーリスリッターの機動力を前に、このパイロットは最小限の攻撃で後退を選択した。間違いなく、一流の判断力を有している。
シールドにマウントしたメガ粒子砲を牽制に、トーリスリッターは抜き放った光刃を構えて突撃する。
こうした局面においてジンロウが好むのは、互いの操縦技術をぶつけ合うようなビーム・サーベルでの近接戦闘だ。
リゲルグは懐へ飛び込まれると見るや、ライフルを捨ててサーベルを展開する。それどころか、自ら機体を突撃させてジンロウの土俵へと飛び込んだ。
「貴様、グレミー配下の強化人間か! ハマーン様に拾われた恩を、仇で返すとは!」
二本の光刃が交差すると紫電が迸り、衝撃がコックピットを揺らす。
斥力によって弾き飛ばされそうになるマニピュレータを戻しながら、ジンロウはバーニアを噴かして加速を乗せた一撃を叩き込んだ。
聞き覚えのない女の声が、通信機から攻防に割り込んでくる。自分を責める言い振りに、ジンロウは苛立たしげにビーム・サーベルを薙ぎ払った。
「お前、何を言ってる。僕を拾ったのは、グレミーだ!」
乱暴で、巧くない。そんな攻撃は、防がれて当然だ。
モビルスーツの操縦に余分な思考が入り込んでいる事は、自分自身が理解している。だというのに、ざらついた感覚が不愉快で戦いに集中できない。
「記憶をいじられているのだ、貴様はッ! 一兵卒だったグレミーが、終戦直後のお前を拾えるはずがなかろう!」
ジンロウは、このパイロットが何を言っているのか、まるで理解ができなかった。
翔ぶのが、まるで楽しくない。好きなように身体が動いてくれない。
グリプス宙域で、ティターンズの兵士をデモンストレーションに使ってやった。交戦すると見せかけて、派手に仲間殺しをやった。グレミーはそれを評価して、共に行こうと誘ってくれた。
間違いなどないはずだと、ジンロウの記憶は告げている。ただ、何処かで何かが引っかかっているのもまた事実だ。
この心のざわつきは、言いようのない苛立ちは、この女の声によって引き起こされている。
今すぐにその原因を始末しようと思う一方で、ジンロウは何故か、記憶を探してしまう。グリプス戦役の終結後、自分が誰と出会ったのかを。
「うるさい、うるさいうるさい! 知らない奴が、口を挟むんじゃないよ!」
ジンロウの操るトーリスリッターは、ビーム・サーベルによる斬り合いではなくインコムを展開しながらの後退を選択していた。
リゲルグの背面に回り込むように、中継ワイヤーが伸びていく。ビーム砲に連結されたトライ・ブレードのカッターが高速回転を開始する。
また、巧くない。逃げながら弾をばら撒くなんて、無能な奴のやる事だ。
ジンロウの考えは的中し、単調な攻撃はリゲルグのサーベルにいとも容易く切り払われる。
敵はインコムからの射撃を躱しながら、先ほど捨てたライフルの代わりに、空手の右腕をトーリスリッターへと突き付ける。直後、推進剤の煙を巻き上げながらグレネードが射出された。
「強化が過ぎたか……いいや、貴様は元々操り人形にしかなれない男!」
「ほざくな、女ァ!」
着弾、爆裂する弾頭にシールドが破壊された。長らく受けていなかったダメージが、却ってジンロウの思考をクリアにする。
目の前の敵に集中しなくては、やられる。
そういう状況に追い込まれて、頭の中に詰め込まれた余分な事から、ようやくジンロウは意識を切り離せた。
当たらないインコムをパージ、機体の被害レポートを表示させながらバーニアを全開で噴射する。
仕切り直しの判断はリゲルグもまた同様で、投げ捨てたビーム・ライフルを拾い上げていた。
「騙されているのだよ、奴に! 貴様の敵はハマーン様ではなくグレミー・トトだ! それすらわからぬ狂犬ならば、今ここで引導を渡す!」
放たれる熱線は、ジンロウの背後に浮かぶ隕石を蒸発させる。
アポジモーターとバーニアを小刻みに稼働させ、リゲルグの攻撃を回避する。
向けられる殺意のひとつひとつを見定めながら、ジンロウは骨の軋む音がするほどに奥歯を噛み締めていた。
「グレミーが、どうして僕の敵になる! グレミーは、僕の友だ! 今だって、アクシズで帰りを待っているんだ!」
頭の中の違和感が、どうしても拭えない。そも歯車が違っている、この歯車は他の歯車と噛み合わない。
そうやって悲鳴を上げている自分の精神から、段々と目を逸らす事ができなくなっている。
「自分の目で確かめろ、奴が貴様に何をしたのかを!」
女の目論見は、わかっている。
こうやって自分を焚き付けて、グレミーの戦力を削ぐ事だ。口車に乗せられてアクシズに戻れば、してやられた事になる。
ジンロウは、荒れ狂いそうになる意識を、その言葉で無理やりにねじ伏せる。
屈辱だと、ヘルメットの中に吐き捨てる。
精神の乱れさえなければ、自分が負けるはずはない相手だ。今のわずかな戦いから、ジンロウはリゲルグのパイロットを評価する。
強くはあるが、強過ぎはない。プルツーよりも格下だろうと、そう判ずるに間違いはない。
「この、蚊蜻蛉がッ……!」
だからこそ、屈辱だった。
格下の相手に惑わされ、攻撃に迷いが生じている。その気になれば今すぐにでも殺せるはずの相手から、一方的に撃ち込まれている。
リゲルグのビーム・ライフルが、鮮やかな閃光を伴って炎の矢を放つ。二度、三度と宇宙の闇に、人工の流星が駆け抜ける。
動きも殺気も見えているのに、機体ではなく肉体の反応が遅れてしまう。耳障りなロックオンアラートが脳漿を掻き混ぜるようで、頭痛はまるで治らない。
「消えてしまえ、消えてしまえよ! お前なんか、消えてしまえばいいんだ!」
ロックオンと同時に、トーリスリッターのマニピュレータが引金を絞る。
しかし、存分に加速したメガ粒子の奔流は、リゲルグの左腕を吹き飛ばすだけに留まった。巻き起こる小規模な爆発は、ビーム・ライフルの誘爆が故のものだ。
コックピットを撃ち漏らした事に、ジンロウの苛立ちがまた膨れ上がる。
あの女は、死んでいない。それがわかるからこそ、獰猛な殺意に頭が焼き切れそうになる。
今度こそとどめを刺そうと、コントロールロッドを握る。敵を仕留めるに絶好の機会でジンロウの攻撃を制したのは、アクシズからの緊急連絡だった。
ラカン・ダカランの戦死に、プルツーの撤退。エゥーゴの加勢によってハマーンの部隊が状況を巻き返し、立て直しが必要だと告げられる。
「クソっ! お前、次は必ず殺してやる!」
名も知らないパイロットに吐き捨てて、ジンロウはアクシズへと向き直った。
背後からの銃撃など、気にする素振りも見せない。今の今まで苦戦をしながら、当てられるはずがないという傲慢にも似た自信の現れだ。
事実、リゲルグが片腕でビーム・ライフルを構え直す頃には、暗い宇宙にトーリスリッターのバーニア炎は長く細い尾を引いて、消えゆく残光を留めるだけだった。
モビルスーツの残骸が其処彼処に漂う光景は、墓所を思わせる悲痛さがある。
リゲルグの反応が消失したところでバーニアを緩めると、ジンロウは不愉快そうにヘルメットのバイザーを開放した。
ザクⅢやドーベン・ウルフといったネオ・ジオンの機体片は見つけられても、ガンダムの、エゥーゴのそれは見つからない。
未だ、誰も墜とせていないのか。そう考えると、不甲斐なさよりも楽しみの方が勝る。
クィン・マンサの性能がどれほどのものかは聞かされていないが、プルツーの専用機ならば相応のものに違いない。
それを投入しても叩けなかった敵を叩けたなら、グレミーはどれだけ喜ぶだろう。
「ああそうさ、全部、僕が墜とすとも。あの娘は──グレミーは、君は、僕の友達だ」
思考に入り込むノイズに、ジンロウの言葉が乱れる。
今、何か、言い間違えた。
その理由がわからずに、思考に引きずられるようにして、呼吸が少しずつ乱れていく。
ひどい頭痛を伴って、鼻から溢れた赤い滴が顔を汚す。指の先でそれを拭いつつ、ジンロウはバイザーを下ろした。
ヘルメットに閉じ籠り、周りの声を遮断する。見えない誰かが呼びかけているようで、気分は悪くなる一方だった。
「だめだ、再調整しよう……アクシズに戻れば、治るんだ……」
それは、誰の言葉だったのか。再調整すれば治るだなんて、一度だって考えた事はない。
そもそも、前回調整したのが初めてだったはずだ。
騙されていると、あの女は言った。
そんな事があるはずかと、ジンロウは乾いた笑いを漏らす。
あの娘が、自分を騙すはずがない。あの娘には、そんな事はできるはずがない。
「ああ、まただ、クソ! 誰なんだ、お前、誰なんだ!」
思考が乱れる。
夢か、そうでなければ幻か。見覚えのない、よく知っているはずの少女の姿がおぼろげに見えている。
コックピットには、誰も入れた事がないというのに。手を伸ばせば触れられそうな目の前に、少女が何かを訴えている。
口が動いても、声は聞こえない。ただ、その表情は、ひどく悲しげなものだった。
「知るか、お前なんか知るものか。そこから消えろ、僕の邪魔をするな!」
知らず知らずのうちに叫び声を上げて、ジンロウはトーリスリッターのバーニア出力を再び全開にした。
星も残骸も、目に映る何もかもが線のように後方へと流れていく。
少女の幻もまた、揺らいで流れ消えていく。瞬きひとつを挟む間に、不愉快なものが遥か彼方に消えていく。
それはとても、安心した。それなのに、ひどく空虚な気持ちになる。
誰もいなくなったコックピットで、ジンロウは理由もわからずに笑った。
笑いがこみ上げてくるでもなく、ただ、声を上げて笑う真似がしたかったからだ。
モニタに映し出されるアクシズは、互いの距離が狭まると次第に大きさを増していく。
「──なんだ、この感じ。普通のプレッシャーじゃない……」
岩盤の隆起が見て取れるほどに接近する頃には、ジンロウの乾いた笑い声は止まっていた。
空虚な気持ちも今は薄れて、その代わりに、全身に叩き付けるような激しい重圧がある。
「ガンダム──そうか、これが、ガンダムか!」
その正体に、ジンロウは思い至った。
かつての戦争で、彼が一度として戦わなかった相手、エゥーゴにおける戦力の中枢。
そんな相手でもなければ、手指が痺れるほどの重圧など感じるはずもない。
呼吸ひとつ、瞬きひとつ。全ての所作に伴って、身体が、精神が、少しずつ綻び壊れていく。そんな実感が、説明のできない何処かに存在している。
全てが壊れてしまうその前に、せめて、ガンダムを討とう。
襲撃によって壊滅した格納庫に降り立ちながらも、思う。
敵を墜とせば、またすぐに翔べるようになる。祈りにも似た願いを頼りに、思い出せない友の顔を抱きながら。
肌を焦がすような何かに向けて、ジンロウは無言のままにトーリスリッターを駆った。