#10's Episode   作:しゃくなげ

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『サイレント・ヴォイス』

 機械的にコンソールを流れていくダメージレポートは、機体の深刻な損傷を訴え続けている。

 それに目をやる意味を見出せず、ジンロウは余分なエラー出力を中断させる。

 展開されていくキュベレイのファンネルは、恐らく三十機。全ての兵装を導入するつもりなのだと、張り詰めていく空気で感じ取れる。

 小さなため息をひとつ漏らすと、ジンロウは戦いの寸前に訪れた、静かな時間に浸っていた。

 虫食いになっていた記憶が、少しずつ埋まっている。

 それでもまだ、ジンロウにはプルテンの顔が思い出せない。

 コンソールに貼り付けた写真をどんなに見ても、記憶の中から彼女の顔がすっぽりと抜け落ちてしまっている。

 ようやく思い出した名前すらも失ってしまわないように、ジンロウは繰り返し写真の少女を確かめて、焦がれるような渇望をその身で感じていた。

 

「近付かせない、絶対に。全方位から、隙間なく撃ち抜いてやる。──グレミー様のために、生命に代えても落としてみせる!」

 

 吼えるプルテンの声は、殺意と敵意に満ち満ちている。

 それを感じるたびに、肌を刺す痛みにも似た感覚が、頸椎の奥に溜まっていく。

 最初はその理由を見抜けなかったジンロウも、少し考えると単純な答えに行き着いた。

 キュベレイのバーニアが青白い炎を吐き、宇宙に舞う蝶のように、濃灰色の機体がトーリスリッターへと襲い掛かる。

 

「ああ、プルテン──」

 

 一糸乱れぬ動きで繰り出されるファンネルは、群れを成して狩りをする群生生物のようにも見える。

 それを統率するのだから、蝶というより女王蜂か。

 戯言めいた思考を切り捨て、ジンロウはバーニアを噴かして背を見せ、逃げる。追われる側になるのは、久しぶりだと嘯きながら。

 ぴったりと背後に位置取ったプルテンの殺気は、濃密なもの。撃ち漏らしなど、万にひとつもないと感じられる。

 

「お前、本当に上手くなったんだな!」

 

 獲物を殺すために追うのが、あんなにも下手だったのに。

 いつかの少女を思い出して、胸の痛みに表情が歪む。

 彼女が向ける自分への殺意が、鋭い痛みを呼び起こす。そういう目で見られたくない、そういう目を向けられたくない。

 そんな自分の気持ちを理解して、ジンロウは困ったように笑った。

 

「グレミー様の敵が、何を言うのさ! あたしは、お前を落としてマスターに褒めてもらうんだ!」

 

 鋭い刃のように、冷たさを帯びた声が叫ぶ。

 敵対者を討つ戦士のそれが、容赦なくジンロウに浴びせられる。だが、ジンロウには心の痛みに囚われている時間はない。

 キュベレイに追従するファンネルの半数が散開し、トーリスリッターの周囲を包囲し始める。

 残った半数が狙撃を継続し、更にはキュベレイ自身もジンロウの背中に狙いを定めている。

 単に動きを追っているのではない、どう動くかの未来予測までされている。

 

「そうだね、僕はグレミーの敵になった。お前を、そんな風にさせたくなかったからさ。──その結果が、この、これだよ」

 

 通信回線は入れないまま、ジンロウは心の内を吐き出していた。

 仮に声を聞かれていたのなら、きっと言わなかっただろう。抜き差しならない今の状況だからこそ、言える事がある。

 討たれるつもりなどないが、無傷で無力化するには難し過ぎる。

 狙撃位置に誘い込まれるように見せかけて、下方のファンネルへ向けてナックルバスターのトリガを絞った。

 闇を裂く閃光に遅れて爆発が起こるも、その倍以上の射線がトーリスリッターを捉えていた。

 プルツーのそれを思わせる攻撃の精度に、トーリスリッターは装甲を少しずつ削り取られていく。

 

「ああ、まるで弾が足りない! 補給しておくべきだったか!」

 

 悪態を吐きながら、右へ左へと機体を振り、後退しながら上下に座標を変えて攻撃のタイミングを図らせない。

 稲妻めいた軌跡で跳ね回るウサギのように、時折、牽制めいたバルカンの掃射を与えてやる。

 それを無に帰するように、キュベレイが駆けた。

 

「ふん、そんなの、やらせないよ! こうしてやれば、どうだっ!」

 

 抜き放ったビーム・サーベルを、大上段から叩き付けるようなプルテンの一撃が走る。

 ジンロウもまた辛うじて受け止めるものの、肩周りのサーボから異音が響いていた。

 

「そんな状態の機体で、あたしのキュベレイと戦えるつもりかっ!」

 

「昔の君はヘタクソだったから、油断してたのさ!」

 

 振るわれる光刃を受け流すと同時に、背筋を冷水のような悪寒が走った。

 斬り結んだサーベルが反発する瞬間に合わせて、前面のバーニアを噴射し位置をずらす。

 刹那、モニタに映し出された眼前の空間を、真上から一直線にファンネルのビーム砲が通り過ぎていく。

 斬り合いに意識を惹き寄せて、ファンネルで撃つ。自滅の可能性も厭わない捨身の技か、そうでなければ、余程の自信があったのだろう。

 

「勘が良いだけで、逃げ切れると思うなっ!」

 

 即座に斬り掛かるキュベレイと、真正面から戦える状態とはとても言えない。

 如何にジンロウが得意とする距離での戦闘であっても、機体そのものに限界が出始めているのだ。

 

「手はあるはずだ、ああ、HADESを使う前にまだ何か──!」

 

 ナックルバスターの残弾は、三発かそこら。インコムは既にパージして、バルカンの弾数も心許ない。

 まだ二十は残っているファンネルを前に、次の一手が導き出せない。

 そんな逆境でこそ、楽しいと笑う性分だったはずだのに。今のジンロウには、何もかもが欠けている。

 それは何も、装備や機体性能の話ではない。

 彼女を助けたいと願うから、攻める力が欠けてしまう。

 彼女と会いたいと願うから、殺す意欲が欠けてしまう。

 そういった精神的な貪欲さが、どうしたって欠けてしまう。その感情の正体を知らぬまま、翻弄されるようにジンロウはトーリスリッターの限界へと向かって翔び続ける。

 

「そこ、もらった!」

 

 キュベレイのアクティブ・カノンが、周囲を取り囲んだファンネルが、ハンド・ランチャーが、一斉に濃密な殺意を叩き付ける。

 

「ちぃッ! まだだ、まだ終わらせない!」

 

 それを、掻い潜る。

 否、掻い潜らなくてはならない。

 ジンロウには、彼女の猛攻を掻い潜るしか許されない。

 そうしなければ、プルテンを救う事など叶わない。

 

「終わってるんだよ、もう、とっくにさ!」

 

 プルテンの叫び声は、死刑宣告をするかのようだ。

 膨れ上がる殺意を受けて、心臓が鼓動を止めたがっている。聞きたくない声を聞かされて、脳が思考を止めたがっている。

 それでも尚、トーリスリッターは宇宙を駆ける流れ星のように翔ぶ。

 バックパックの一部が吹き飛び、残っていた右脚も撃ち抜かれた。

 プルテンの攻撃は、きっと止まらない。突き付けられる銃口に、その正確無比な攻撃にジンロウは総毛立つ。

 だが、現実はジンロウが見た死の予測を裏切った。

 吹き抜ける風のように、アクシズから流れた何かが身体を通り抜けていく。プルテンの動きが、それと共に鈍った。

 

「──っ、マスター!」

 

 グレミーが、死んだ。

 プルテンの声で、それを理解する。今の感覚は、彼の死だ。アクシズで、グレミーが討たれたのだ。

 ガンダムの生み出した、ジュドーがくれた、たった一度の機会。

 少女の悲痛な叫びは、絶対的な隙だ。討ち取るなら、今しかない。

 

「──行くぞ、プルテン!」

 

 トーリスリッターのコックピットが、カメラアイの輝きが、真紅に染まる。

 HADESの起動は、これがきっと最後になる。もう、機体が耐えられる状態ではない。

 ここで彼女を救えなければ、それで、全てが終わってしまう。

 隠し腕として搭載したサブ・アームを展開し、三本のビーム・サーベルが光刃を放つ。トーリスリッターは異形の姿になりながらも、キュベレイへと躍りかかった。

 バーニアを全開に噴射して一撃を放ち、その斬撃を肩部のサブ・アームが時間差でトレースする。

 

「こ、のぉ──!」

 

 ビーム・サーベルの斥力に態勢を崩したところへ、もう一撃を叩き込む。キュベレイの肘から先を斬り飛ばし、対のサブ・アームは左腕へと喰らいつく。

 ハンド・ランチャーが誘爆し、眩い閃光がモニタに走る。衝撃で何処かに亀裂が走るも、それを気にする余裕などない。

 残り、四十八秒。

 

「そこだ、プルテン!」

 

 バルカン砲の弾丸が底を突き、スピンアップの虚しい回転音が何処かで響いている。

 キュベレイのカメラアイに損傷は見られず、ジンロウの目論見はひとつ外れる。それでも、最早、止められない。

 必要以上の出力で機体を叩き付けると、機体のフレームが大きく軋んで歪んだ。装甲板に亀裂が走り、内部機構が露出する。

 残り、三十二秒。

 

「ああっ、この、こいつ! ファンネル、落として、こいつを落として!」

 

 左右のバーニアを互い違いに噴かして、機体を独楽のように回転させる。

 サブ・アームの振り回したサーベルが、キュベレイのリアスカートを寸分違わず斬り裂いた。

 十八、十七、十六。

 

「クソ、もう一手か!」

 

 どうしたって、このファンネルを突破するには足りない。

 ビーム・サーベルを警戒してか、キュベレイが後退する。そんな事をしなくても、斬るつもりなどないというのに。

 赤に染まる視界の中で、時間だけが過ぎていく。脳内物質の過剰分泌が見せる幻か、ジンロウにはゆっくりと流れていく時間そのものが見えていた。

 このまま撃ち抜かれて、犬のように死ぬのだろう。その確信がありながら、どうしても諦めたくなかった。

 ファンネルの動きは、見えている。そこに撃ち込むだけの弾丸が、残っていない。

 

 まだ、手はあるさ。僕が君なら、こうする。

 

「馬鹿を言うなよ。そんな芸当、できるわけがない!」

 

 脳裏に浮かんだ光景は、何だったのか。

 語りかけたその声の主は、誰だったのか。

 ジンロウには、白昼夢のように宇宙を駆けるガンダムの姿が見えた。

 曰く、エゥーゴの切り札。

 曰く、アムロ・レイの再来。

 曰く、天才的なニュータイプ。

 彼がやって見せたそれを、無茶だと口にして、そんな自分に怒りが込み上げるのを感じる。

 対等な機体さえあれば、彼にも負けない。それが、自負だったはずだ。

 夢から醒めたように、意識は肉体を動かし始める。

 ジンロウがコントロールロッドを握り直すまで、二秒とかかっていなかった。

 

「ああ、わかったよ、やってみるさ!」

 

 眼前の空間へ向けて、トーリスリッターが手にしたビーム・サーベルを投擲する。

 高速で回転しながら、ファンネルの群れに向かうサーベルの、その光刃を狙う。

 こんな事を思い付くだなんて、馬鹿なのか、天才なのか。

 そんな思いを抱きながら、ジンロウはナックルバスターのトリガを引き絞った。

 

「ビーム・コンフューズ!」

 

 力強いジンロウの叫びと共に、解き放たれた閃光がサーベルに直撃する。

 光刃で引き裂かれたビームは霧のように拡散し、キュベレイの装甲をわずかに傷付けながら、無数のファンネルを撃墜した。

 それも、一度ではない。

 二射、次いで三射。残っていた全ての弾丸を、ジンロウは精密機械のように飛翔するサーベルの刀身へ撃ち込み、全てを持ってしてキュベレイのファンネルを破壊し尽くした。

 カウントは零に至り、システムが強制的に再起動される。

 コックピットに色が戻っても尚、トーリスリッターは、ジンロウは無事だった。

 全てのファンネルを撃ち落とし、そこで力尽きたように両腕の接続部が崩壊する。最早、この機体に戦う力は残っていない。

 

「プルテン、聞こえるか、プルテン!」

 

 コンソールを叩き、通信回線を開きながら、ジンロウは呼びかける。

 互いに全ての武装を破壊し尽くして、残っているのは肉体だけだ。戦う理由もなくなったのだと、コックピットのハッチを解放する。

 バイザー越しに見た宇宙は、何処までも続く暗闇のよう。

 星々の煌めく大海原に漂っているキュベレイを目指して、ジンロウはトーリスリッターのハッチを蹴った。

 

 

 

 ハッチを叩く音に怯えて、プルテンはひとり、シートの上で身体を抱えて蹲っていた。

 あれだけやったのに、敵を落とすのに失敗した。グレミーが聞いたら、なんと言って怒るだろう。

 そう思う心も、確かにある。

 ただ、今はそれよりも、もっと恐ろしい事があった。

 

「どうして、ねえ、どうしてなの。なんで、あたし、忘れてたの」

 

 身体を抱く腕が震えているのか、腕が抱いている身体が震えているのか、わからない。

 忘れるはずがないものを、忘れていた。

 どうして、今の今まで気付かなかったのだろう。考えても考えても、答えは見つかるはずもない。

 

「ダメだよ、ねえ、どんな顔して会ったらいいの。あたし、会えないよ。──無理だよ、こんなの」

 

 全力で、彼を殺そうとしていた。

 憎い敵を討つために、マスターの敵を排除するために、彼を消し去ろうとした。

 それが何よりも恐ろしく、プルテンの心を締め付けている。

 今すぐにでもハッチを開けて、その顔を見たいのに。彼に何を言ったらいいのか、どう接したらいいのか、わからない。

 扉を叩くような音が、聞こえる。

 キュベレイの装甲を隔てて、確かに、そこに彼がいる。それがわかるから、身体を動かす事すらできなかった。

 

「プルテン、行こう。そこにいたら、ダメだ。こんなものに縛られたらいけない」

 

「ダメだよ、行けない、あたし行けない。ジンロウを殺しそうだったのに、そっちになんて行けない!」

 

 知らず泣き声になりながら、プルテンはようやく、思い出したようにその名を呼んだ。

 書き換えられていた記憶の違和が、その原因が、今ならしっかりと理解できる。

 だから、余計に動けない。少女の心に伸し掛っているものは、ひどく重たい罪悪感だ。

 彼を忘れて、憎んで、殺そうとした。その事実が残っているから、胸の奥が痛んで苦しくて仕方ない。

 嗚咽をあげるプルテンを前に、ジンロウは何も言わない。ただ、黙ってそこにいる。

 いつかのように、最初に泣かされた日のように。

 暫しの無言は、ジンロウの声で破られる。普段の彼のそれに似た、少し眠そうな時の声で。

 

「良いさ、そんな事はどうだって良いんだ。僕はさ、プルテン。君が生きていてくれて──君とこうしてまた会えて、それだけで、十分に幸せだよ」

 

 ゆっくりと語りかけるその言葉が、嘘でない事がわかる。

 彼の動きが手に取るようにわかったのと同じで、彼の心が、本心が、自然と理解できていた。

 自分に向けられている感情が、とても不器用だけれど、温かいものである事がわかる。その感覚が、強張った心に触れてくる。

 

「どうだって、良くない。そういう事を言うのだってズルいし、あたし、またジンロウがわかんなくなったら、怖い」

 

 口ではそう言うものの、プルテンの身体は言葉とはまるで裏腹にコンソールを叩いていた。

 電子音と、エアの抜ける音が小さく響く。

 ハッチが開くと、そこには確かに、彼がいた。

 ティターンズ時代のノーマルスーツにバーニアひとつだけの、戦場を飛び回るにはあまりに無謀な姿でそこにいた。

 

「その時はまた、今みたいに助けるさ。──約束する」

 

 そう言って、ジンロウは手を差し伸べる。

 バイザー越しでは見えなかったけれど、その顔は、きっと笑っている。

 怒りもせずに迎えに来てくれた彼の手を振り払えるほど、強い心は持っていない。プルテンはシートのロックを解除するなり、ジンロウの胸元へと飛び込んだ。

 泣きじゃくる少女を抱き締めて、彼もまた、ゆっくりと息を吐く。

 久しぶりに触れた身体は、その温かさこそわからないものの、とても安心するものだった。

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