#10's Episode   作:しゃくなげ

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『BACK TO PARADISE』

「背後につかれた、援護を──ああ、駄目だ、振り切れない!」

 

 救助を求めていた僚機のパイロットが、どこか諦めたような言葉を漏らす。

 その直後にノイズが走り、あとは、それきりの静寂だ。

 必死に呼びかけても、返事はない。

 宇宙空間に特有の、無音の世界がそこにあるだけでしかない。

 ごく普通の哨戒でしかなかった出撃からほんの数分で、猛獣の檻に放り込まれたような地獄に出会してしまった。

 

「ちくしょう、なんだってんだ!」

 

 甲高いロックオンアラートを繰り返し聞かされても、男は悪態を吐くのが精々だ。

 何を呪えばいいのかも思い付かず、神を呪う言葉を口にする。

 モニタの左後方、果てのない暗闇の中にバーニア炎が煌めいたのは、その時だ。

 

「クソッ、クソッ、クソッ! なんだってんだよ、こいつは!」

 

 青く輝く尾を引いて、宇宙を駆ける見知らぬ何か。

 爆発的に膨れ上がった炎に後押しされて急加速するその様は、高性能なエース機の性能を感じさせる。

 背後へ回り込まれないように、旋回をしながら後退するしかない。男が敵機を正面に捉えようとするたびに、蒼白い炎は上下左右に不規則に伸びた。

 あまりにでたらめで、無計画な高速起動。あんな操縦をしていれば、パイロットの方が先におかしくなる。

 その機を待つしかないと、牽制のためにビームライフルのトリガを絞りながら、男は必死に乗機の挙動を制御し続ける。

 あれを見失った時が最後だと、彼自身がその場のひりついた空気から感じ取っていた。

 敵機をロックオン、トリガ。瞬きひとつも挟まない訓練通りの動作は、コンマ二秒もなかった。

 ライフルの銃口から鮮やかな光条が奔り、ぶわりと浮き上がるバーニアの軌跡が機体の動きを伝えてくる。

 それは、波の合間を自由自在に泳ぎ遊ぶ、イルカのような動きだった。

 

「ちくしょう、ふざけやがって、クソッ!」

 

 優雅で、速く、しなやかで。

 

「楽しそうにしやがってよぉ、一年戦争の亡霊がっ!」

 

 何より、この戦いを楽しんでいるのが伝わってくる。

 そんな、不思議な感覚があった。

 自然と口をついた自分の言葉を男が理解するよりも先に、コックピットを強烈な衝撃が駆け抜けた。

 フレームの軋む音が、パイロットシートを通して男の全身に伝わってくる。

 身体が固定されていなければ、シートから投げ出されていただろう。

 がくがくと頭が振られて、視界が上下に暴れ踊る。

 ノーマルスーツが食い込む、鈍い痛みがあちこちに走った。

 荒い呼吸を繰り返しながら、男はどうにか頭を持ち上げる。

 ヘルメット越しの狭い視界に入るのは、モニタいっぱいに映し出される、ペイルブルーの装甲。

 体当たりをされたのだと理解すると同時に、逆手に握られたビーム・サーベルが光刃を解き放った。

 

 

 

「あはは、すごいすごい! 良いなあこれ、反応速度が段違いだ!」

 

 通信越しに聞こえてくる弾んだジンロウの声に、グレミーはバウのコックピットでため息にも似た吐息を漏らした。

 コックピットに風穴を穿たれたジムへと、シールドに搭載されたメガ粒子砲を撃ち込む。

 動力炉が誘爆し、猛烈な閃光が周囲を照らすのも一瞬だった。

 

「新型が嬉しいのはわかるが、武装もできていないんだぞ。君は優秀な人材なんだ、万一の事があったら困る」

 

「この程度の相手なら、ビーム・サーベル一本で十分だよ。でもまあ、君は約束を守ってくれたからね、グレミー。次はやらないよ、大人しくしておく」

 

 試験飛行でもするかのような、唐突な襲撃だった。

 連邦軍の哨戒部隊を見つけるなり飛び出したジンロウが、瞬く間にジムを三機ほど撃破したのがつい先ほどの事だ。

 よほどモビルスーツ戦に飢えていたのか、ジンロウの戦い方は猫が鼠をいたぶるように執拗なものだった。

 ビーム・サーベル一本で、相手に何をさせる事もなく次々と手足を切断していく彼の姿は、いっそホラー映画の殺人鬼のそれにも等しい様相だったろう。

 

「そうしてくれると助かるよ、君とは互いに良い関係でいたいからね。君が死んでも楽しめないし、私が死んだらそれの改修は中止になる。乗り心地がわかったのに取り上げられるのは、困るだろう?」

 

「わかってる、わかってるって。──左側のスラスタが、全体的に少し遊び過ぎかな。ここはもっとタイトに調整して欲しい、その方が翔ぶ時の感じが良いんだ」

 

 与えられた玩具に満足しているのか、いつも以上に子供のように、ジンロウは新型機の性能をあれこれと確かめている。

 君を追うだけでひと苦労だったと、グレミーが冗談めかしてぼやく。

 ジンロウはそれすら聞いていないように、マニピュレータの指先を繊細に動かしてみせた。

 

「いいね、歪みは一本もなし。ジムの頭を殴ってやったけれど、問題なさそうだ。格闘戦が前よりもっとやりやすくなるな、これなら」

 

 はしゃぎ過ぎだとジンロウに釘を刺すものの、グレミーの表情は明るい。

 原型機も強化人間を前提とした調整がされていたが、改修機は約束通りにネオ・ジオンの最新技術を惜しみなく注ぎ込んだ。

 結果として一般兵が扱えるような代物ではなくなったが、ジンロウにはむしろ具合が良いらしい。

 先行投資は成功だと、上々の戦果にグレミーはほくそ笑む。

 グレミーが何より重きを置いたのは、狂犬同然のジンロウに、自分を使える相手だと認識させた事だ。

 現に、ジンロウがグレミーに向ける感情は、少なくとも友好的なそれである。

 人間社会というシステムのはみ出しものには、それ相応の接し方というものがあるとグレミーは知っている。

 適度に玩具を与えてやれば、手綱を握るのは簡単な事だった。

 

「追加武装に関しては、ガザの新型に搭載予定のハイパー・ナックル・バスターと、バウのシールドを調達している。あとは、ドライセンからトライ・ブレードを流用しようと思っているよ」

 

「せっかくだから高出力のビーム・サーベルも欲しいな、確かこれ、肩周りにサブ・アームがあるだろ? HADESが以前のように僕の動きを補完するなら、アレで使えるはずだよ」

 

「わかったわかった、それもリストに入れておこう。このグレミー・トト、信頼に足る兵には存分にその力を奮って欲しいと常に考えている。──どうだいジンロウ、私の下で戦うのは、楽しいと思えるかい?」

 

 グレミーが、静かに問う。

 それは、誘いにも似た柔らかで甘い声。共に戦う同志になれと、手を差し伸べる言葉だ。

 

「ああ、とても楽しい。そうだグレミー、今から少し、一緒に翔ばそう。ついてこられるかい?」

 

 ジンロウは、グレミーの手を取るように笑う。

 己の立場も、グレミーの真意も、深く考えてはいない。

 玩具で遊ぶ子供の、無邪気に近い笑い声だ。

 彼はただ、獣も同然に今の瞬間だけを生きている。

 良くも悪くも純粋な性分は、持って生まれたものなのか、強化手術の産物なのか。

 時折考えはするものの、グレミーにとってはどちらでも良い事だった。

 バーニアの煌めきが、モニタに残像を描きながら遠ざかる。

 一秒遅れでコントロールロッドを握ると、グレミーはその背中を追いかける。

 

「速い、速くて、軽い! あはは、良いね、これは最高だよグレミー!」

 

「よし、HADESの起動テストだ、ジンロウ。フルパワーで翔ばしてみろ、私が追いつけないように!」

 

 グレミーの言葉を待っていたように、ジンロウの乗機、そのカメラアイが赤く染まる。

 システム起動を意味する赤い色は、何処までも広がる宇宙へ、禍々しい残光を描いた。

 刹那、グレミーにはジンロウの機体に搭載された全てのスラスタが、一斉に火を噴いたように見えた。

 

「諒解!」

 

 爆炎と共に、蒼白い閃光が宇宙を駆ける。

 瞬間的に加速を得たモビルスーツは、さながら射出された砲弾のように、一直線に闇の彼方へと突き進んでいく。

 進行方向を直角に捻じ曲げる急旋回、そこから二百メートルほどの急上昇。機体前面のスラスタを一斉に稼働させ、急制動からの下降。

 グレミーが目で追えたのは、そこまでだった。

 常人離れした目まぐるしいまでの挙動を披露しながら、ジンロウは息ひとつを切らす事もない。

 彼の楽しげな笑い声を聞きながら、グレミーは持ち込んだ端末に幾つかの情報を記録する。

 

「機体の状態は、良さそうだな。パイロットは──強化人間でなければ、即座にブラックアウトしかねない、か」

 

 漏らした呟きは、静かなものだ。

 通信も切っているのだから、ジンロウにその声が届く事はない。

 性能こそ目を見張るものがあるが、量産品としては使えない。

 それが、グレミーの下した最終的な評価である。

 

「どうせなら、試作中のインコムも調達してやるか。やはり、君のようなタイプの人間は私が扱うべきだな。いや……人間でなく、強化人間だったか」

 

 この様子であれば、あれを任せるのも良さそうだ。

 グレミーの独り言は、狭いコックピットの中で消えていく。

 野心も思想も大義もない、目先の損得だけで動くもの。

 グレミーはそれを、愚かとも哀れとも思わなかった。

 そういうものは、いつの時代も存在する。

 今に始まった事でもないし、何かを悲観する事もない。ただ、上手くコントロールして、導いてやるだけでいい。

 この戦争の末には、より多くの無知な民を動かさねばならない。

 グレミーにとって、ジンロウはその最初の足がかりだ。

 野心を胸に隠したまま、グレミーはジンロウとの通信回線を開いた。呼びかけに応じるように、バーニアの残光が闇に溶けて消え失せた。

 

「トーリスリッターは君のものだ、ジンロウ。私のために、その力を奮ってくれよ。──それからひとつ、折り入って君に頼みたい事がある。帰艦したら、私の部屋に来てくれ」

 

「ああ、良いよ。それじゃあ、サンドラまで競争しようか、グレミー」

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