#10's Episode   作:しゃくなげ

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『宇宙の彼方で』

 サンドラへ帰艦すると、グレミーは秘書官に何事かを伝えた上で、ジンロウを艦長室へと招き入れた。

 乗員に与えられる居室とは異なって、グレミーの私室はソファや執務机といった家具が並び、まだ新しい木材の匂いが漂う空間だ。

 集められた調度品の類は、どれも質の良い高価なものであるのだが、研究所とコックピットの中しか知らないジンロウの興味がそれらの品に惹かれる事はない。

 それどころか、壁にかけられた肖像画がギレン・ザビのそれだと思い至るまで、彼は自分の記憶を引っ掻き回す羽目になった。

 

「まあ、かけてくれ。緊張する性質でもないだろうけれど、楽にしてくれて構わない。ジンロウ、君、酒は呑めるのかい?」

 

「いや、呑んだ事はないよ。極論すれば毒物だし、アルコールの分解機能は強化してあると思うから呑めるんじゃないかな」

 

 どこか論点のずれた返答を聞いて、グレミーが笑う。

 何を笑われたのか理解ができず、ジンロウは不思議そうな面持ちでグラスに注がれる琥珀色の液体を見つめていた。

 

「男児たるもの、というやつさ。それに、こうして酒を酌み交わすのは、親愛や信頼の証でもある。君に対しては、後者が強いかな」

 

 向かい合うふたりの間に置かれた大理石のテーブルは、ひやりとした冷たい光沢を帯びている。

 ソファに身体を預けながら、グレミーは掌でグラスを回して強い蒸留酒を口に含む。

 カッと舌が痺れるような熱さと、苦味。やや遅れて、バニラの甘い香りが鼻に抜けていく。

 真似るようにひと口を啜るジンロウへ、グレミーはどうだと問う。

 何度か味を確かめながら、わからないとジンロウは首を振った。

 

「なんだか、慣れない。その様子だと、君はこれを美味いと感じているんだろうね」

 

「最初は、私も味わうには至らなかったさ。君もそのうち、わかるかもしれない。それより──君と出会って、もう、四ヶ月か。ハマーン様から、何かお声がけはあったか?」

 

「いいや、何も」

 

 グレミーの双眸が、細まる。

 言葉の真偽を探るように、グレミーはジンロウの黒い瞳を覗き込む。それから一拍の間を置いて、舌の上で酒の味と香りを転がした。

 あまりに淡白なジンロウの反応を、グレミーは嘘ではないと踏む。

 単に、今の彼にはハマーン・カーンへの興味がない、それだけの事だと判断する。

 ハマーンもまた、似たようなものだ。

 連邦側の強化人間を確保した事で、アクシズの研究は次の段階へ到達した。

 ハマーンにとってのジンロウは、それで十分な存在なのだろう。

 だから、この男に、彼女が密命を与える事はない。

 

「まあ、あの御方は忙しい立場にあるからね。ミネバ様の養育とネオ・ジオンの指導者としての責務、それに連邦との交渉も控えている。どうしても、我々のような末端に意識を割くわけにはいかないのだろう」

 

「そうはいうけど、グレミー。君は、ハマーンのお気に入りじゃないか」

 

「所詮は形だけだよ、私にはまだ、戦果が足りない。側近なんて、他より少しばかり、陳情しやすくなる程度さ」

 

 ふうんと気のない返事をしながら、ジンロウがグラスの中身を呑み干す。

 グレミーが二杯目を勧めると、拒む素振りはない。注がれていく酒を眺める瞳は、何も考えていないように空虚なものだ。

 

「これは、我々だけの、ここだけの話にして欲しい。私はね、ちょっとした部隊を編成している最中なんだ。──ニュータイプだけの、特殊部隊というやつさ」

 

「へえ──アクシズには、使い物になるニュータイプが、そんなに余っているのかい?」

 

 ジンロウの問いに、グレミーはゆっくりと首を揺らす。ここから先は内密の話だと、潜めた声でつけ加えてグラスを傾けた。

 その動きを真似るように、ジンロウもまたアルコールを舌の上で弄ぶ。鈍化した味覚は、ちりちりとした刺激だけを認識している。

 

「試作中のクローン兵さ、オリジナルの名前はエルピー・プル。その娘のクローンが、十一人、このサンドラで眠っている」

 

 プルツーから、プルトゥエルブまで。

 そう語るグレミーの言葉に、ジンロウは小さな笑いをひとつ漏らす。

 自分と似たような命名規則が、理由はわからなくとも、面白く聞こえた。

 

「そんなものを作っていたのかい。その様子だと、僕の強化技術も取り込んでるやつだね。強化人間の最新型ってわけだ」

 

「まあ、まだ試作段階さ。元々、一年戦争の頃から人工ニュータイプ計画は存在していた。そこに、君のように肉体そのものを強化する手法を加えたものだ」

 

 三杯目を勧められるも、ジンロウは首を振って誘いを拒んだ。

 グレミーは気にした様子もなく、手酌で自分のグラスに酒を注いでいく。

 

「この計画は、内密に進めたい。クローンたちの戦闘訓練というのかな、教育係が欲しいんだ。実力十分で、口が堅い優秀な兵士がね。その点において、私は君が適任だと思っている」

 

 ハマーンの息がかからず、楽しみを与えておく限りは、他に興味を持つ事がない存在。善悪や道理ではなく、損得だけで動くもの。

 そういうものを、グレミーは求め、そして密やかに己の手中へと引き込んでいる。

 

「なるほど、アレをくれた見返りかい。断ったり、他言するようなら──」

 

「──ああ、もちろん没収だ。私は君と、良い関係であり続けたい。だからこそ、こうして秘密の計画さえも打ち明けている」

 

 言葉の上では特別感を与えているが、そうしたやり口がこの男にとってさほど意味をなさない事は、誰よりもグレミー自身が理解している。

 ジンロウは、そういうものを求めていない。

 もっとシンプルで、子供でもわかりやすい損得が効果的な人間だ。

 故に、グレミーの提案する取引は、ジンロウの理解しやすい単純さがある。

 深く考えない性分の彼にとって、玩具が貰えるか、それとも取り上げられるかといった単純な二択は実に明快で心地が良いものだった。

 

「それなら、断る理由がないね。その、プルって娘と会わせてくれるかい」

 

 何を教えればいいのか、わからないけどさ。

 気力に満ちているとは言い難かったものの、ジンロウは返答と共に片手を挙げてみせる。

 その言葉だけで十分だと、グレミーは口角を軽く上げて笑った。

 

「オリジナルのプルは、訳ありで調整中だ。君には、プルツー以降のクローンたちを担当して欲しい。なに、戦い方を見せるだけでもすぐに学習するさ──プルシリーズは、そういう風に造ってある」

 

 空になったグラスをテーブルへ預けると、グレミーは腰を浮かした。

 

「わかった、やってみるよ」

 

 ジンロウもまたそれに倣い、扉へと向かう。

 その足取りや所作に、アルコールの影響が出ている様子はない。

 部屋を出る寸前に、グレミーが呼びかける。

 肩越しに振り返ったジンロウの顔は、やはり何も変わらないものだった。

 

「本当に、酔わないのだな。気分も変わらないのかい?」

 

 冗談めかして、グレミーが問う。端正な顔は崩れてはいないが、目元はほんのりと上気している。

 

「そうさ、飲んでも食べても、何も変わらないよ。退屈な身体だろう?」

 

 そう答えると、ジンロウはグレミーの私室を後にした。

 

 

 

 無限に続いているような、静まり返った宇宙の中に浮いている。

 ジンロウがコックピットの中で感じる、何より強い印象がそれだ。

 モビルスーツを操る時にだけ感じる、浮遊感と高揚感。

 身体の隅々まで血が巡る感覚さえも、全て感じ取れる気がするほどだった。

 ジンロウは狭苦しいヘルメットの中で目を閉じると、濃度の調整された酸素を肺一杯に吸い込む。

 ひと呼吸を終えるよりも早く、ロックオンアラートがけたたましく鳴り響いた。

 

「もう追いついたのか──上手いじゃないか、プルツー。君のファンネルの動きだけ、他のとは比べ物にならないな」

 

 彼方の星々よりもずっと小さなそれを、ジンロウは見落とさずに掻い潜る。

 ジンロウのファンネル対策は、彼の性分同様に単純なものだ。

 ハマーンのそれを見た時に、やり方を直感で理解して実践している。

 つまりは、狙撃が始まるよりもほんのわずかに早く、機体の座標をずらしてやればいい。

 

「ふん、小賢しいね。当たらなければどうという事はないってやつかい!」

 

 トーリスリッターの背部から、幾度目かもわからないバーニアの閃光が迸った。

 それを追うように十機のファンネルが、そしてその後方から朱に染まったキュベレイが疾駆する。

 

「そうさ、モビルスーツでの戦いは、いつだってそんなものさ。逃げる相手を追いかけるなら、周りもしっかり見ておけよ!」

 

 細かな隕石群へ躊躇なく突入する、ペイルブルーの流れ星。

 プルツーのキュベレイは一度足を止めて、ファンネルのみを追尾させる。機体の構造上、不利な地形での戦闘を避ける冷静な判断だ。

 結果として、ジンロウはファンネルと隕石の双方をやり過ごす必要に迫られる。

 心臓の鼓動がひとつ高鳴り、歯車が噛み合うように思考と視界が澄んでいく。

 この感覚が、ジンロウは何よりも好きだった。

 

「ファンネルだけに意識を割くと後ろから撃たれる。警戒は怠らないようにしろよ、プルツー」

 

 トーリスリッターのバックパックに搭載されたインコムが、細いワイヤーの尾を残しながらキュベレイへと向かっていく。

 正面から、大きく回り込むように。その軌跡を見落とさずに、プルツーのファンネルが四機、それぞれインコムの軌道上へと立ちはだかる。

 

「こうすれば良いんだろ、わかってる!」

 

「じゃあ、これならどうする!」

 

 隕石のひとつを足場に、トーリスリッターが反転する。

 インコムを回収しながら、トライブレードを投擲。上下方向へ稲妻のように位置取りを変えながら、遮蔽物に紛れてキュベレイの元へと翔んだ。

 遮蔽物になりそうな隕石の残り、四つ。

 上方に配置されていたファンネルからビームが射出され、ジンロウは横飛びにバーニアを噴かしてそれを回避する。

 隕石の残り、三つ。

 ワイヤーを巻き取り終えたインコムを収容し、更にトライブレードを投擲。

 初手のものと時間差で、計四機のカッターが高速回転をしながらキュベレイへ襲いかかる。

 

「あはは! やるじゃないか、お前!」

 

 接敵まで、あと、ふたつ。

 狙撃位置にあったファンネルが、トライブレードに巻き込まれて爆散する。

 通信機に紛れ込んだプルツーの舌打ちに、ジンロウの口元が楽しげに歪む。

 

「なんだ、この感じ……ザラザラして、癪に障る男だ……そこかっ!」

 

 あと、ひとつ。

 

「貰った、死ねえっ!」

 

 互いにビーム・サーベルを抜き放ち、コックピットを斬り裂く軌道で、ジンロウとプルツーが牙を突き立て合う。

 目も眩むような閃光と紫電が迸り、次いでIフィールド同士の反発で両者の機体に強い衝撃が走った。

 斥力によって弾かれた刃を、再び構え直して斬り結ぶ。

 二度、三度、四度。

 目の前の敵を仕留めんとする時の、血液が沸騰するような錯覚にジンロウは酔っている。

 慌てた様子のグレミーが通信に割り込んだのは、その時だった。

 

「ジンロウ、プルツー! もういい、やり過ぎだ! これは訓練だぞ、お前たちが殺し合ってどうする!」

 

 ふたりのモビルスーツは、そのひと言で強制終了した機械のように静止した。

 五度目の斬撃は宙空で留まり、やがて形成されていた刀身が解けると静寂が訪れる。

 

「やり過ぎ、だったかな。もう少しで殺せると思ったら、つい」

 

「……マスター、すまない。こいつが私のファンネルを避けるから、頭に来た」

 

 ふたりの言い訳を聞きながら、グレミーは冷たい声で即急の帰還を命じる。

 取りつく島もない気配に、ジンロウはプルツーのキュベレイへ直接回線を開いた。

 

「これは、グレミーから怒られそうだ」

 

 プルツーからの返事はない。

 会話をしたかったわけでもないから、ジンロウもまたそれ以上は何も言わなかった。

 無言のままにサンドラへ向かうキュベレイを、ジンロウのトーリスリッターが追いかける。

 ガイドビームと共にサンドラの格納庫が展開し、キュベレイがそこへ飛び込んでいく。内部では、数人の技術班が誘導を開始していた。

 ジンロウもまた、プルツーのコースをなぞるようにして、すっかり慣れた格納庫へと機体を預ける。

 着艦の直前、小さな呟き声が、お前のせいだとジンロウを責め立てた。

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