ジンロウとプルシリーズとの模擬戦は、プルツーとの一件を除いて、何事もなく完了した。
一日に課せられた全ての試験工程を終えたのち、グレミーの私室へ呼び出され、ジンロウはその日の報告を淡々とこなす。
そんな日が、幾日も続いていた。
最終日とあっては、流石のジンロウも疲れたと口にする程度には消耗をしている。
いつの間にか、それを労うのがグレミーの役割になっていた。
最初のふたりの暴走を叱責こそすれど、グレミーはプルツーの戦闘能力を高く評価し、自分の計画が順調である事を確信して満足気な様子だった。
ジンロウはそんなグレミーの様子を眺めながら、クローン兵との模擬戦で感じたものを包み隠さず話し続ける。
それをどう判断するのかは、ジンロウには関係のない事だ。
「やはり、プルツーが群を抜いて高性能だな。正直なところ、及第点に達していない個体もある。量産化には、まだ時間がかかるだろう」
「そうだね、今すぐ使えるのは半分くらいだ。本気で兵士として使うのなら、あのキュベレイにもう少し、ファンネル以外の火力を搭載させたらどうかな」
ジンロウは、少しずつ訪れる日常の変化に未だ馴染めていない。
模擬戦のためにモビルスーツを操縦するほどに、艦での生活からは覇気や気力が失われている。
味わう事も忘れているのか、注がれる蒸留酒を水も同然に二杯ほど呑み下して、グレミーに指摘されるほどだった。
「集中力だとか、感応力に個体差があるのは困ったものだな。プルツーの他に優秀だと見たのは、どの個体だ?」
三杯目になった琥珀色を舌の上で弄び、ひりつく感触を喉の奥に押し込むと、ジンロウは思い出すように記憶の中に意識を落とし込む。
コントロールロッドを操作しているように、右手の指が何もない空間を小刻みに打った。
「三番、四番、八番、九番。それから、十二番が優秀だと思うよ。この五人なら、ファンネルの扱いに問題はない」
言いつつ、ジンロウは立ち上がって背筋を伸ばした。
少し歩かないかと、身体を持て余しているようにグレミーを誘う。
ジンロウからの珍しい申し出に、グレミーもまた、革張りのソファから腰を浮かせた。
艦長室を出るた先には、静まり返ったサンドラの通路が三方向へ伸びている。
宛てがあるわけでもない、気ままな散歩といった体で、ジンロウはそのうちのひとつを選んで歩き出した。
「けど、あくまで二番を除いての話だ。あの娘だけ桁が違う、それ以外にはそんなに期待しない方がいい。皆が戦いを楽しんでいるのは、良い事だけどね」
道行きの最中で、ジンロウは先ほどのやり取りを再開した。
秘匿すべき話題ではあるが、深く切り込んだ内容までは話さない。
それで構わないと認められているのは、グレミーが話題を変えない事で把握できる。
ふむと小さな呟きのあと、グレミーは何かを考え込むように形の良い顎先を指で撫ぜた。
「では、逆に使い物にならないのは?」
長い廊下を何度か曲がって、ふたりは冷凍睡眠装置の並ぶ研究ブロックへと到着する。
装置の幾つかは空になっていて、強化ガラスの向こう側に数人のプルたちが見て取れた。
「十番だね、アレは酷い。出来損ないかと思うよ」
冷たい表面部に掲げられたプルツーの表記を見下ろしながら、ジンロウが答える。
グレミーはそうかと呟くのみで、言葉を続ける様子はなかった。
「なんていうか、プルテンは集中力が欠けているよ。運用するなら、再調整した方が良いんじゃないか。今のままだと、アレは落ちこぼれさ」
歯に衣着せぬジンロウの物言いに、グレミーが困ったように笑う。
がしゃんと大きな音が背後で響いたのは、その時だった。
振り返ったジンロウを見上げているのは、同じ顔の少女たち。その中のひとりが、大きな目を潤ませている。
彼女の足元に転がっているのは、古めかしいヘッドホンステレオだった。
力任せに叩きつけたのか、アームの部分が壊れてしまっている。
「──ああ、お前か、十番。機嫌が悪そうだけど、どうしたのさ?」
ジンロウの問いに、十番と呼ばれた少女──プルテンは何も答えない。
ただ、唇を何度か動かして、結局言葉にできないままその場を逃げ出すように廊下の向こうへと駆けていってしまった。
取り残された他のプルたちも、突然の事に困惑するばかりで何かをするわけでもない。
重たくなる一方の空気の中で、それを察知できないジンロウがグレミーを振り返った。
「そういう顔をするって事はさ、もしかしなくても、今の対応がまずかったかな?」
寄せられた眉と、自分の問いに対する重たいため息。
グレミーの反応を見れば、ジンロウにも失敗だった事は理解できる。
若干の間を置いてから、ジンロウはプルテンが走っていった廊下へと足を向ける。
念のためだがと、グレミーがその背中に声をかけた。
「最初は、謝るんだぞ」
「そのくらいは、まあ、察せるつもりだよ」
ジンロウの返答に、グレミーが不安げな表情を浮かべる。
その理由を何ひとつ理解できぬまま、ジンロウはプルテンを追って薄暗い廊下へと歩き出した。
研究ブロックの最深部、サイコミュと脳波を連動させるための調律部屋の前で、プルテンは蹲っていた。
嫌な場所から逃げ出したものの、行き先など最初から数えるほどもない。
そして、ここもまた、プルテンにとって落ち着く場所とは言えなかった。
鼻をすする音が、無人の廊下に小さく響く。抱えた膝に顔を埋めて、胸の中でぐるぐると暴れる感情を抑える。
それだけで精一杯だったから、プルテンは近づいてくる足音にまでは意識が回らなかった。
「十番、悪かった」
不意にかけられる声に驚いたプルテンが、俯いていた顔を上げる。所在ない様子のジンロウを見ると、大きな目が潤んでいく。
「泣くほどの事だったのか、参ったな」
今にも大声で泣き出しそうなプルテンの様子に、ジンロウは驚いたような、それでいて困ったような表情で呟く。
事実を述べただけだろうと思いながらも、それを言葉にしなかったのはジンロウの直感が珍しく冴え渡っていたのかもしれない。
結果として大惨事は回避されたが、少女の気持ちなどてんで理解できず、ジンロウは初めてプルテン個人の様子を観察し始める。
「飴でも食べるかい」
「そうやって、子ども扱いしないで!」
ジンロウの拙い思いつきは、泣き声で即座に否定される。
子供だろうにと不思議そうにしながら、ジンロウは眉を寄せて難しそうな顔をみせた。
そんなジンロウを下から睨めつけつつ、プルテンが頬を伝った滴を手の甲で拭う。
座ったままで器用に後退り、プルテンは眼前の嫌なものから距離を取った。
「お前、嫌い」
「まあ、それくらいは察せる」
それきり、会話はなくなる。
ジンロウは、それでもプルテンの様子を眺め、思考を巡らせる。
拒絶されているのだから、捨て置けば良いものを。
そんな感情があるのも事実だが、理由もわからないままに、ジンロウは眼前の不可思議なものを観察する。
「悪かったよ」
「思ってもないくせに」
時折かけられる言葉のひとつひとつに、プルテンは胸の奥がざわつくような不快感を覚えた。
最初の怒りは、落ちこぼれと断じたその言葉だった。そして、それそのものは彼女の中で生まれた次の怒りで、既に何処かへ押し流されてしまっている。
小さな傷を刻まれた心を見ようともしない、その無神経さこそが、プルテンの怒りの根源だ。
虚ろな黒い瞳が向けられるたびに、ささくれだった精神がじくじくと痛む。そんな錯覚を持て余して、プルテンは床をだんだんと踏み鳴らした。
「十番」
「あたしは、そんな名前じゃない」
「……プルテン、ひとつ、聞いても良いかい?」
さっきよりも近づいたジンロウの声に、プルテンが顔を上げる。
床の上に座り込み、目線の高さを合わせたジンロウを見ると、渋々といった風にプルテンは促すように視線を向ける。
暫しの無言が、ふたりの間に流れた。
ジンロウは言葉を探して黙り込み、何かを言いかけては口を噤むを繰り返していた。
上手くまとまらないと、そんな呟きがひとつ漏れる。
「先に言うけれど、僕は、悪意はないつもりだ。──プルテン。君、もしかして、悲しいのかい?」
ジンロウの問いは当然の事を今更になって確認するようなそれだったものの、プルテンは怒りがわずかに治ったのを感じていた。
「なんで、そんな事もわからないのさ」
刺々しい返答に、ジンロウが考え込む。
今度は、プルテンがその様子を観察し始めていた。
「……わからないから、だと駄目なのかい」
「駄目」
ジンロウは、考える。
プルテンは、それを見つめる。
床に座り込んでの問答は、ジンロウにとって、とても奇妙な体験だった。
コックピットの外で、ジンロウがこんなにも考えを巡らせた事はない。それが、他人の事となれば尚更だ。
何故かと問えば、突き詰めてみれば、単純な事でしかない。
「君に、興味がなかったから」
そして、それは同時に、少女の怒りの根源でもあった。
「……あたしが悲しい時、マスターなら、優しくしてくれる」
プルテンの言葉は、ジンロウにも理解できる。ただ、その先がわからない。
優しくするとは、何なのか。飴玉を与えるのは、優しくないのか。グレミーは、どんな事をしているのか。
考え込んでみるものの、ジンロウが答えを見つける事はなかった。
誰にも興味を抱く事なく、ただ戦場を渇望するしか知らなかったからだと、おぼろげながら彼自身にも理解はできる。
だから、その先が見えてこない。
頭だけで考えているからだと、誰かに囁かれたような気がしてジンロウは頭上を見上げる。
無機質な天井を眺めてから、言葉にならない声をひとつ漏らした。
「まだ、僕は君をどうしたら良いのかわからない。けれど、悪かった、プルテン。君が悲しいのは、わかった気がするよ」
拙いと理解しつつも、ジンロウは言葉を紡ぐ。
自分の思考を正しく伝える事がこれほど大変なのかと、今更になってジンロウは思った。
それと同時に、何故、プルテンの悲しみが理解できたのかがジンロウの中で引っかかる。
「……じゃあ、優しくするようにして。あたしを、ちゃんと見るようにして。これから、ちゃんと」
それができるなら、今日は許しても良い。
プルテンの言葉は、ジンロウにとっては無色透明な不定形で、どうしたら良いのかまるでわからない。
それでも、彼女の言葉に従ってジンロウは頷いた。目に見えない何かが、自分の中で起こっている。
その感覚に導かれるまま、ジンロウはプルテンから与えられた未知の要求を受け入れる。
「わかった、やってみる」
「約束?」
念押しをするように、プルテンはジンロウの瞳を見つめる。
「約束」
差し出された小指に自分のそれを絡めると、ジンロウはぎこちない仕草で指切りをしてみせた。
その一件から、ジンロウはプルテンと行動を共にする機会が増えた。
何かを語り合うわけでもなく、ただ同じ場所にいる程度の事ではあったが、少なくとも何らかの変化がジンロウの内面にあったのは事実だ。
目に見えない自分自身の些細な変化を、ジンロウがグレミーに報告する事はなかった。
そんなものを報告しても無駄だろうと、その程度の些事でしかないと、ジンロウ自身が思っていたからだ。
グレミーもまた、プルテンとの関係をジンロウに聞く事もなかった。
プルシリーズ全体の状況を聞く程度で、日々の会話に彼女の名が挙がる事は一度としてない。
その日、招かれるままに艦長室を訪れたジンロウが聞かされた話題もまたやはりプルテンとは関係のない、グレミー自身が地球へ降下するというものだった。
「へえ、地球に。エゥーゴのガンダムって、そんなに強いのかい。良いなあ、僕も連れて行ってくれるんだろ?」
楽しそうだと期待をあらわにするジンロウに、グレミーはかぶりを振る。
「連れて行きたいところだが、駄目だ。君には、プルシリーズの教育を続けて欲しい。──私は、ハマーンに監視されているからな。いい加減、サンドラだけにアレを集めているわけにもいかなくなってきた」
グレミーが、ネオ・ジオンの指導者たるハマーン・カーンへの敬称を使わなくなったのは、ジンロウの記憶ではこの頃からだ。
公の場ではそうでもないが、こうしてふたりになると、グレミーの身体からぎらついた何かが滲み出ているのをジンロウは感じ取るようになっていた。
ざらりとしたそれは、正体こそ見えないが、ジンロウにとって心地良いものではない。
それならまだ、アルコールで舌や喉の粘膜をひりつかせる方が心地良かった。
「あの、オウギュストってやつかい? 大変なんだね、グレミーはさ。事故死に見せかけるなら、言ってくれれば手伝うよ」
グラスになみなみと注いだそれをひと息で呑み干してから、ジンロウはグレミーへと視線を戻す。
無茶な呑み方をするなよと、グレミーは答えをはぐらかして笑った。
「なに、あの程度の男なら、どうにでもできるさ。それより、プルシリーズは半数を私が、半数を君が担当する形にして欲しい。プルツーの他に、君の見立てた優秀なものを地球での戦力として投入するつもりだ」
「それなら、実力不足の六人はこっちで引き続き訓練するよ」
「ああ、頼んだ。君にしか任せられない事さ、これは」
空になったジンロウのグラスに、酒が注がれていく。
普通はこのくらいの量で良いのだと、グレミーは指二本分ほどの高さまで至ったところで酒瓶を立てた。
「君と、宇宙に残すプルたちを次のコロニーで降ろしていく。あいにくシミュレータしか用意できないが、せめて使い物になるまでは鍛えてやってくれ」
話を聞きながら、ジンロウは手酌をするグレミーを観察する。
注ぐ時の勢いや量は、すぐに覚えられそうだと思った。
「連邦が来た場合は?」
「トーリスリッターを偽装した上で搬入するが、なるべく静観して欲しい。ハマーンには、本格的な部隊を作れるほどの成果が出ていないと思わせたいからな」
そうかいと答え、ジンロウはまたグラスの中身を一気に呑み下した。
グレミーから滲み出るぎらぎらとした感覚は、いつまで経っても消える気配がない。
胸焼けしそうなそれを見続ける事を厭って、ジンロウは酒瓶を持ち上げる。
手酌をする姿を眺めながら、グレミーは上手くなったじゃないかと楽しげに笑っていた。