自分たちが降ろされたコロニーが何処に位置していて、何をする場所なのか。
ジンロウは、そうした全てに興味がない。
彼にとって最も重要な事は、このコロニーに自分のモビルスーツがあり、暇つぶしになるシミュレータが運び込まれているか否かだ。
グレミーはそのどちらをも叶え、その見返りとして退屈な待機時間を残していった。
結果として、ジンロウは及第点に満たないプルシリーズと毎日のようにシミュレータで遊び続けた。
いかに速度を出そうとGのかからないそれはジンロウにとって退屈なものであったが、様々なプルたちと次の一手を予想し合うのは多少なりとも楽しめる。
そんな、退屈の中に理由の見えない楽しみを認識できたジンロウを笑うプルもいれば、不思議そうな顔をする娘もいる。
そして、そのどちらでもないたったひとりが、毎日のようにジンロウの元を訪れた。
「このシミュレータのファンネルがさ、遅いんだ。本物のキュベレイなら、ジンロウは絶対逃げきれないよ」
「負け惜しみを言うなよ、プルテン。君じゃまだ、僕に追いつけない」
訓練が終わってシミュレータのハッチが開くと、ふたりはそのたびに変わらないやり取りを交わす。
ジンロウの言葉にプルテンがむくれるのも、やはり毎回の光景だ。
いつもと変わらずに、ひどいだの冷酷だのとプルテンがなじり、ジンロウは気にせずに諸々の装置の電源を落とす。
機械で埋め尽くされた部屋から、少しずつマシンノイズが消えていった。
「ジンロウは、優しくない。あたしはもっと誉められたいの、誉めて!」
反比例して大きくなるのは、プルテンの文句と足音だ。
ジンロウの背後を、右へ左へ回りこんでは衣服の裾を袖を引いていく。
構って欲しいのだと訴える少女の心中を察せるほどの、機微の聡さはジンロウにない。
まとわりつくプルテンを跳ね除けこそせずとも、持て余しているのは明白だった。
「……前よりは、上手くなったよ。初歩的なマニューバから覚えて──」
「そういう事じゃないの、もー! マスター、ジンロウがあたしにだけ冷たいー! マスター!」
地団駄を踏むという言葉は知っていても、ジンロウが実際にそのものを見るのは初めてだ。
当然ながらジンロウはプルテンの様子に困惑し、どう反応すれば良いのかを考えるために反応が遅れる。
そして同時に、それをプルテンは決して見逃さない。
「ジンロウは優しくするって約束したのに、全然、優しくしてくれないじゃないのさ。もっとあたしを、ちゃんと見てよ」
ぶすくれたプルテンにそう言われると、ジンロウは黙るしかない。
言葉だけでも約束を交わしたのは事実であるし、ジンロウがそれを履行できていないのも事実である。そして言葉に詰まると、そこを更に狙い撃たれる。
「ねー、あたしはちゃんとやってるよ、言われた通りに。今日だって、ファンネルは最後まで追っかけさせたよ。そりゃ、当たりはしてないけどさ、ジンロウだって『前よりも上手くなった』って言ったよね?」
ただでさえ思考が鈍っている中で判断に困る問いを投げられて、ジンロウは活路を求めるように眼前のプルテンを観察する。
一方のプルテンは、あえて口を噤んでジンロウを真直ぐに見つめていた。
無言の時間は、そう長くは続かなかった。
「──言い返せそうにない、君の勝ちだ。そうだな……じゃあ、これならどうだろう。今日はこれで訓練も終わるから、少し一緒に出歩いてみないか」
それにどういう意味があるかはわからずとも、ジンロウは何かしらの、それも普段の自分が選ばないであろう行動を選択した。
プルテンの表情は何かを考え込むようではあったが、若干の間を置いてから、ほんのわずかに口角の上がったそれへと変わっていく。
「仕方ないから、それで良いよ。けれどさ、それならちゃんとしてよね、エスコート」
ぐいと強くプルテンに手を引かれ、ジンロウはわずかにつんのめる。
突然の事に崩れかけた重心を戻しながら、わかったと返答するのが精一杯だった。
プルテンと共に街へと繰り出して、繁華街を練り歩く。
そうして五分もする頃には、あれが見たいこれが見たいと手を引く彼女を御すには、それなりの技術と知識が必要なのだとジンロウは痛感した。
「君たち、兄妹かな。子供が夜遅くまで出歩くものじゃないよ」
そんな、無責任な言葉がジンロウの背中に投げつけられる。
時折、すれ違っていく名も知らない大人たちから向けられる視線が煩わしいと思う。
だから自然と、視線は遠くへと向けられていった。
コロニーの中に空はなく、頭上を仰げば向こう側の街並みが広がっている。
ジンロウは、自分がこうした平和な夜景を見ていなかった事を認識させられていた。
大通りを行き交う人々の雑踏や建物の灯り、通り抜ける車のマシンノイズに至るまで、何もかもが未知の存在だった。
視線の先では、街並みの合間を縫って車のそれらしきヘッドライトが流れていく。
それはまるで、宇宙の彼方まで伸びる彗星のようで、ジンロウは無数の光の帯を目で追いかける。
自分から視線が外れたのを察したプルテンは、不満げにその手を引っ張ってジンロウを呼んだ。
「もー、さっきから上ばっかり見てる。なにか探してるの?」
「いや、光が流れていくのを見ていたんだ」
ジンロウの視線は頭上から、足元へ。
眉を寄せて自分を見上げるプルテンを前に、首を小さく揺らす。
ジンロウの返答を聞いて、少女は退屈そうに、ふうんと気のない返事を返した。
「ジンロウは、身体を強化してあるんだよね。やっぱりさ、遠くのものも見えやすい?」
「そうだね、見ようと思えば向こうの人の顔も見える。プルテンは、僕とは違うのかな」
「ううん、見えるよ。でも、あたしは小さいものとか遠くのものとか、あんまり目で見ようと思わないの。疲れちゃうんだ」
繁華街の片隅で、良く知らない単語が並んでいる店のディスプレイを、ジンロウが不思議そうに眺める。
プルテンがその傍で、ガラスのショーウィンドウに指先を触れさせた。
「ジンロウ、見て見て、すごくきれい! あの、ピンクのやつ、飲んでみたい!」
その言葉で、ジンロウはプルテンが指差している物体が飲料なのだと理解する。
ポケットの中を探ると、ねだられるままに紙幣をプルテンへと差し出した。
「買ってくれるの? やったあ!」
満面の笑みで、プルテンは欲しがっていたドリンクを店員から受け取りストローを口に含んだ。
そのまま頬を軽く窄めて、一拍。
おいしいと呟く声は、上機嫌そうに弾んでいる。
「ジンロウは、飲まないの? 半分こしようよ、おいしいから!」
言いながらプルテンは飲みかけのカップを手渡し、ジンロウは素直にそれを口に運ぶ。
舌の上に広がった味は、どこかぼやけた、それでも甘味とわかるものだった。
「ああ、おいしいね」
話を合わせるように答えながら、ジンロウはカップをプルテンへと返してやった。
じっと見つめてくる視線をジンロウは理解できずに、どうしたのさと問いかける。
拗ねたような表情で、プルテンがふいとそっぽを向いた。
「ウソついてる」
呟きは、小さな声だった。
ジンロウは何を言うでもなく、眼前の少女を観察するように見つめる。
プルテンは暫く考えこみながら、もしかして、と前置きをして掌中のカップを落ち着かない様子でいじくり回す。
「味とか、あんまりわからないの?」
横目で様子を伺いながら、プルテンは問いかける。
核心をつく質問に、ジンロウの目がゆっくりと瞬いた。
訪れた沈黙は、重い。
居心地悪そうに、プルテンが左右のつま先を蹴り合わせる。
彼女がなぜそんな風にしているのか、ジンロウはやはり理解できない。
ただ、自分が原因なのだろうと察しはついたから、その手を取って引いてやる。
「プルテン、少し歩こう。ここはうるさいから、静かな場所に行きたい」
そう告げて、ジンロウは歩き始める。
人の流れをかきわけて、プルテンの手を引きながら。
待ってよと訴える小さな声は、街の喧騒に流されてしまった。
入り組んだ路地の奥へ進むと、人気は少しずつ減っていく。
周囲の景色も徐々に暗くなっていくものの、ふたりにとっては何の支障にもならなかった。
どことも知らないビルのひとつを勝手に選び、ジンロウは屋上を目掛けて駆け上がるように階段を登った。
それに半歩遅れながらも追従したプルテンは、息ひとつ切らす事もない。
重力に縛られる事がないかのように、ふたりの足取りは羽毛が舞うように軽く、猫の着地にも似て無音だ。
重たい鉄扉を押し開けて、ジンロウが開けた屋上へと踏み出す。
街の喧騒から切り離されて、それでもがやがやと人混みの気配は確かに感じる。
孤独のようで孤独でない、もしかすると実際にはその逆で、孤独でないようで孤独な場所。
そんな気配を、プルテンはその場から感じ取っていた。
「ここ、どこなのさ?」
フェンスに寄りかかるジンロウの傍らへ、プルテンが歩み寄っていく。
「さあ、知らない。人がいないところにいきたくてさ」
ジンロウは、そう言ってぼんやりと笑った。
フェンスに身体を預けると、プルテンは街を行き交う人々の頭を見下ろしながらストローを口に含む。
濃密なラズベリーの甘酸っぱさとバニラの香りにストロベリーチョコを砕いて混ぜた、酸味と甘味が舌の上を喉へ向かって流れていく。
プルテンはそれを美味だと感じたし、なめらかで冷たい舌触りは幸せな気持ちになるものだと思う。
だから、この味がわからないのだとしたら、傍らの彼がかわいそうだと素直に感じていた。
「ねー、さっきの話、まだ聞いてない。ジンロウ、わからないの?」
足下の人々は、頭上を見上げる事もせず流されるように進んでいく。
自分が取り残されているように思えて、プルテンは再び視線をジンロウへと向ける。
「んー、そうだね、うん。味とか匂いとかを感じるのは、あまり得意じゃない」
それを見返しながら、ジンロウが頷く。
指の先を黒髪の、頭蓋の奥を示すよう、こめかみへと添えながら。
「脳をいじっててさ、モビルスーツの操縦に不要な機能は鈍くなってるんだ」
事もなげに言うものの、プルテンの眉が寄せられるのを見て、ジンロウは少し考え込んだ。
不機嫌なのだろうと察せるくらいには、彼女の様子は明白だった。
その一方で不機嫌を隠そうともしないプルテンは、重要そうな話を他人事のように告げられたのが面白くなくて、苛立ちをやり過ごそうとストローの吸口を噛み潰す。
前歯が擦れるたびに、薄いプラスチックに不規則な起伏が刻まれていく。
「せっかく半分こにしたのに、味がわからないってなにさ。他にも話してない事、あるでしょ? そーゆーの、教えてよ。あたし、ジンロウの事、なんにも知らない」
ストローの中で空気が震えて、ぞぞぞ、とカップから音が溢れる。
不作法なプルテンの行動をジンロウが咎める事はなく、それよりも彼は問われた事への返答を考えていた。
「何を話したら良いのか、わからない場合は?」
「じゃあ、全部話してよ。例えばさ、ジンロウはなんでジンロウなの?」
空になったカップをフェンスに預けて、プルテンはジンロウに向き直る。
そのまま両手を広げてくるくると、踊るように回ってみせる。
「全部って──プルテン、君、時々無茶を言うよね。ムラサメ研究所で手術を受けてから、オーガスタ研究所ってところに移されたって話はしたっけ?」
「ティターンズに配属されたんでしょ、聞いてる」
何故、こんなにもこの少女は、自分の事を知りたがるのだろう。
少し前から気になっていた疑問は、今日もやはり、変わらない。
プルシリーズの中でも、プルテンは特にジンロウを気にしている。
そのせいで、犬や猫が飼い主に懐いているようにもみえた。
「元々ジュウロウだったけど、その時に英語圏の奴らが呼び易いようジンロウにしたのさ。ジュウロウだと、発音が変で気持ち悪くてね。──最初はテン・ムラサメで、こっちは僕が言い辛いからジュウロウにしたよ」
「なんか、たくさんあるね。どれが、本当の名前なの?」
「さあ、どれでもいいんじゃないかな。登録されてるのは、テンだよ。十番目だからね」
「なら、あたしと同じだ! 十番目なのも、同じ!」
プルテンの喜び方は、ジンロウにとって慮外の事だった。
何が嬉しいのかと聞きかけて、止める。それをやったら、またプルテンが不機嫌になりそうだ。
理由はわからずとも、その直感は正しいとジンロウは思っていた。
だから余計な言葉は選ばずに、自分の経歴を振り返る。
ジンロウがティターンズに配属されたのは、グリプス戦役の終戦から三年ほど前だ。
その前はムラサメ研究所で、それより前は。
「じゃあ、そこより前は? ムラサメ研究所の前は、どこにいたの?」
「さあ、よく覚えてない。その辺りは、記憶があやふやだからさ」
今度の嘘を、プルテンは咎めない。
何かを察しているのかいないのか、彼女は黙ったまま、ジンロウを見つめるだけだった。
風が頬を撫でる感触に、ジンロウが目を細める。
そろそろ行こうと口にして、小さな手を取るように右手を差し出してやる。
「それより、そろそろ君の話も聞かせてよ。プルテン、いつも音楽を聞いてるだろ。そういうのが好きなのかい?」
多少強引に話題を変えるような問いかけを、プルテンは笑って受け入れた。
話題を変えるためだったとしても、ジンロウが自分に興味を抱いている。
そう実感できるのが、はぐらかされた事よりも嬉しかったからだ。
「好きだよ、なんか、わーってなるのが良いんだ。あたしはさ、他の姉妹よりもそういうのが好きみたい。マスターは、俗っぽいって言ってたな」
へえと呟きながら、はぐれないように手を繋ぐとジンロウは夜の街を目指して歩き出す。
途中途中で振り返り、自分の事を嬉しそうに話す少女へ相槌を打ちながら。
「今度さ、あたしがジンロウに教えてあげる。このコロニーにもお店があるから、一緒に行こうよ」
「わかった。──約束?」
「そ、約束」
そんなささやかな約束を交わしながら、ふたりは緩やかに歩調を合わせて、雑踏の人混みへと溶けていった。