――ついに自由な外出が許可された。それと同時に監視の目も今まで以上に緩くなり、プライベートで瀬流彦先生や高畑先生、エヴァが訪れること以外では、食事を運んでくれる職員くらいしか私の部屋を訪れる者はいなくなった。
確か、それが十月頃の話で、今は十二月。
埼玉にある麻帆良は四季がはっきりとしている。陽が高く昇っているにも関わらず、吐く息は白い。暑いのも寒いのも得意ではない私からすると、どんなに自由な外出を許可されたとしても、あまり積極的に外に出ることはない。
それでも、時折こうして地上を散歩する。
理由としては二つほど。
一つは、運動不足の解消。これほど現実的で健康的な理由も他にはないだろう。事実、少し歩くだけで膝が笑い始めるという貧弱な体質も今は改善され、人並みに麻帆良を練り歩くことが出来るようになった。
もう一つは、落ち着かないから。
身体が魔法について思い出し始めているのか、近くを魔法関係者が通るだけで敏感にそれを察知してしまう。元々魔力感知能力は人一倍長けていたと聞くし、その影響だろう。
時折教会付近に複数の魔法関係者が彷徨くことがある。そうなると、なんだか落ち着けないのだ。視界に入れたくなくても入ってくるような感覚と言えば分かりやすいだろうか。就寝時に周囲を蚊が飛び回っているとそれだけで眠れなくなる、あの現象に近い。歩き回っていても必ずどこかに魔法関係者はいるけれど、じっとしているのと歩き回るのとでは感じ方が違う。
勿論、そうやって歩き回っていると、なんだかんだ言っても疲れてくる。膝が笑うことはなくても、疲労感は蓄積されるのだ。故に、こうして、てきとうな公園を見つけて、その隅っこでしゃがんで、虫を潰す作業に及んでいたりする。
近くに巣穴があるのか、大量の蟻は潰せども潰せども湧いてくる。木の枝の切っ先で潰すとなると一匹一匹に焦点を合わせなくてはいけないので、かなりめんどくさい。しかし、その分、蟻と一緒に時間も潰せるのでそれも悪いことばかりではなかった。
少なくとも、靴で踏みつけて纏めて殺すよりは、こうしてちくちくと針に糸を通すように殺したほうが、無心になれる。
哀れ、ありんこ。恨むなら、何故か冬眠できなかった不幸な己の巣を恨め。
一匹、潰して。
一匹、潰して。
一匹、潰して。
一匹、潰して。
「なにしてんだ、蒼井」
一匹、潰して。
それから、顔を上げた。
私のことを名字で呼ぶ人物は、とても少ない。エヴァに関しては「鈴葉」だし、先生方はだいたい「鈴葉ちゃん」。茶々丸さんですら「鈴葉さん」である。
つまり、私を名字で呼ぶだけで、既に人物の特定は容易である。
サングラスをかけて、髪をオールバックに固めて、高畑先生とは真逆の真っ黒なスーツを着こなす長身の男性。今日もお髭がとってもキュートね。
「神多羅木先生」
「おう」
神多羅木先生――私の監視役だった魔法先生の中で一番素性の知れない人だ。感情的になることも少ないし、表情も硬い。ユーモアからは大分かけ離れた男性。
しかし、こちらのコンディションについては何故か敏感で、調子が悪い時には無理やり休ませたりしてくる、地味に世話焼きな御方だ。
正直、得意ではない――が、苦手でもない。
高畑先生以上にヘビースモーカーで、ここは禁煙地域だというのに平気な顔をして煙草を吸っている。間違いなく教育者として間違った姿だ。生徒がグレるぞ。
「煙草、貸して?」
「……煙草ってのはな、蟻を潰すための道具じゃねえんだ。俺の貴重な活力源なんだよ」
むぅ。まぁ、正論。
特に、煙草は彼の活力源と言うよりも、生命源に近いだろう。顔には出さないし、本人もわざわざ口に出したりはしないが、滲み出る苦労人な雰囲気は、なにかと鈍い私でも気取れてしまう。
監視役の先生達が私になにかとプレゼントを送る姿を見てなにを思ったのか、葛葉先生に相談を持ちかけてみれば、なにを勘違いしたのか「パンツよ、パンツ! 女へのプレゼントには一つ一つに意味があるのよ! とにかく、そのパンツを脱がしたいとでも伝えればいいのよ! そしてそのまま疎遠になればいいのよ! どいつもこいつも異性とイチャイチャして! 私だけ仲間はずれってわけ!? 今からパンツ買いに行くわよ、いいわね!」と、まぁ強引にランジェリーショップを転々として挙げ句の果てに黒の紐パンを買わされたらしく――いつも以上に痩けた顔をしながら「これ、葛葉からのプレゼントだ」なんて言って本当に黒の紐パンをプレゼントしやがったというエピソードを持つこの人を、苦労人と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。
どこかデリカシーに欠ける人だから、どうせ相談というのもぶっきらぼうな物言いをしたのだろうけれど、それにしたってこんなヤクザな風貌をした人をランジェリーショップに連れ回す葛葉先生は只者ではない。未だに会ったことはないけれど。
「こんなところで蟻なんか潰してたっていいことねえだろ」
「あぅ……」
脇に両手を差し込まれ、軽々と持ち上げられてしまう。これが女生徒に対する扱い方ですか。だからデリカシーが無いって思われるのだぞ、と伝えたい。いや、絶対言わないけれど。
そのまま地面に降ろされて、仕方無しに手に持っていた枝を捨てる。またしゃがんで蟻を潰す作業を再開しようものなら、そのまま抱えてどこか虫のいない場所に連れて行かれかねない。勿論、私のそんな姿は誰にも見られたくないし、神多羅木先生もそんな姿を誰かに見られるのは不本意だろう。ただでさえ見た目がカタギじゃないのに。茶々丸さんじゃなくても通報するに決まってる。今この状況だって、見ようによっては案件発生現場でしかない。
髪の毛や服に砂が付いていたのか、神多羅木先生がそれを乱暴に叩いて払った。
「さ、お嬢さん。今日のご予定は?」
今更取り繕っても遅いぞ、グラヒゲめ。
しかし、予定と言われても、特には思い浮かばない。暫く考え込んでいると、「まさかこの季節に蟻を潰す目的で出歩いていたのか?」と訊かれ、流石にそれはない、と顔を横に振った。
「…………………………………………………………………………………………………………………………本屋さん」
神多羅木先生が三本目の煙草に火をつけようとしたところで、私は無理矢理に目的地を絞り出した。正直、本なんて腐るほど読んでいたし、瀬流彦先生か高畑先生にお願いすれば買ってきてくれるから、わざわざ私が足を運ぶ必要はないのだけれども、正直、それくらいしか思い浮かばなかった。
目的もなくただふらふらと歩いていたい、と言っても良かったのだが、流石に三本の煙草を犠牲にした挙げ句の果てにそんな回答を出すのは気が引けた。
「はいよ」
と、神多羅木先生はそれだけ言って、歩き始めた。
少し離れてしまった背を追いかけて、とてとてと小走りに近寄って、なんとなく空いている神多羅木先生の右手を握った。
神多羅木先生は少しだけ驚いたようだったけれど、小さな声で「迷子になられるよりはいいか」と呟いて、そのまま私の手を引いた。わざと足を踏んであげた。
やがて、チャイムが鳴って授業の終わりを告げてから数十分後。辿り着いた先は、書店――というよりは、島だった。
ツッコミ待ちだろうか。思わずジトリと神多羅木先生を睨んでしまう。
「……なんだ。図書館島を知らないのか? そこらの書店に行くくらいならここに来た方がいろんな本を読めるぞ」
そう言いながら神多羅木先生は島と陸を繋げる橋を渡り始めた。流石に図書館では煙草を吸わないという良心が残っていたのか、ポケット灰皿に中途半端な吸い殻をねじ込む。
「明治からある世界有数の巨大図書館だ。世界中の本が集められている。地下には魔法関連の本もあるぞ。もっとも、地下に入れるのは一部の魔法関係者だけだがな」
……この学園には魔法に関するものは地下に隠しておけという諺があるのだろうか。いや、私と境遇を重ねるわけではないけれど。
しかしなるほど、世界中から本が集められているというのは興味深い話だった。別に目的の本があった訳ではないけれど、それだけの蔵書数を誇るのであれば、本に興味がない人間だって興味を持たざるを得ないだろう。
――んっ……?
「どうした?」
「……なんでも、ない」
今のは、魔法関係者がどうとかいうものではない。よく分からない、塊のような――存在感? ともかくとして、なにかを知覚した。しかし、神多羅木先生は特にいつもと変わらない様子で歩き続けている。きっと、それは日常的な、そこに当たり前に存在しているものなのだろう。
そう結論づけて、私の歩幅に合わせてくれる神多羅木先生に甘えて、酷く緩慢とした足取りで歩き続けた。
やがて、島全体を覆うような、図書館というよりはお城のような建物の、開けっ放しになっている大きな扉を潜り抜けて、その中へと足を踏み入れた。
――まず、感嘆の声が漏れた。
世界有数の蔵書数というのは、比喩でも何でもないのだろう。高い天井の、広い空間。本棚の一つ一つはその天井にも届くほどに屹立しており、人が二人通れるかも怪しい距離感でびっしりと並んでいた。
天井の照明だけでは足りないのだろう。その通路毎に控えめな照明器具が幾つか用意されており、柔らかな光と寂れた雰囲気は現実のものとは思えない。
これだけの蔵書数を誇ると、一冊の目当ての本を探すのも一苦労――どころか、百苦労。そのために本の管理はしっかりと担当の係がいるらしく、その人に聞けば目当ての本を探すことは造作もないとのこと。
しかし、私にはこれと言った目的もない。
故に、手前の本棚から順繰りに歩いて興味の湧いた本を手に取ることにした。
ぼんやりと、何語なのかも分からないタイトルの本を眺めていると、どこかに消えていた神多羅木先生が帰ってきて、一冊の本を差し出してきた。
絵本だった。
足を蹴ってあげた。
「なんだよ、絵本だってなかなか捨てたもんじゃないぞ。弐集院はよくこういうのを娘に与えてる」
それは娘の年齢が絵本に適しているだけだろう。弐集院という人を私は知らないからなんとも言えないけれど。
別に絵本を低く見ているわけではない。この場合、神多羅木先生が私を低く見ている。足を蹴った私は悪くない。
「じゃあ、俺は出口でてきとうに寛いでるから、用事が終わったら言え」
「仕事、ないの?」
「無職みたいな言い方をするな。今日は非番なんだよ」
……非番というのは、つまり、有事の際には緊急的に招集されるということだと思うのだが。この際、そういうことを私が言及するのも変な話だ。私は黙って納得して、本を眺める作業を再開させた。
それから、どれくらい歩いただろうか。
やっと興味の湧く本を見つけて、後はゆっくり休みながら読める場所を探すだけである。本を胸に抱き抱えながら、迷路のような通路を右に左に曲がりながら歩き続ける。
歩いて、曲がって、歩いて、曲がって、歩いて、曲がって――誰かにぶつかった。
「ひゃっ……」――と、女生徒。
「んぶっ……」――と、その女生徒の鳩尾に顔をぶつけて声をくぐもらせる私。
幸いにも、お互い倒れるほどの衝撃ではなかったものの、びっくりして身体を仰け反らせた瞬間に本を落としてしまった。
「わ、わ……。ごめんなさいっ……! 大丈夫ですか……?」
見れば、その女生徒は学校帰りのエヴァと同じ制服姿をしていた。つまり、女子中等部に所属しているということだ。変な話、私の学友だったかもしれない人だった。
運命なんて信じるほどロマンチストではないが、しかし、どことなく嫌な予感を覚えさせるくらいには、それは運命的だったと言える。
「のどかー? 大丈夫かえ?」
その少女の奥から、数人の人影が見えた。
「わ、私は大丈夫ー……。えっと、これ、落とした本、です」
そう言って、しゃがんで――私に視線を合わせてくれる少女は、しかし、目が合っているようで合っていなかった。前髪がやたらめったらと長い。それで前が見えているのだろうか、と思わずにはいられなかった。
青、というよりは濃い紺色の髪の毛。全体的にはショートヘアーなのに、前髪だけを伸ばしている。それは、顔を見られたくないのか、或いは顔を見たくないのか。分からないけれど、ひと目見て引っ込み思案なのだなと思わせてくれるくらいには、分かりやすい人だった。
拾ってくれた本を受け取り、小さく頭を下げる。
「あり、がと」
「いえー……」
鈴虫の鳴き声よりも小さい声だった。
「あれー? 君、夏休みにエヴァンジェリンと一緒にいた子だよね?」
斯くして、嫌な予感の的中である。
それは、聞いた覚えのある声だった。図書館だと言うのに声を抑えることのない無遠慮な声。
あの時、カメラを所持していた女生徒と共に私とエヴァの関係を《恋人》として解釈していた、話を聞いてくれない人。
「……インディー、ジョーンズ?」
「誰がおっさんよ、失礼な」
「間違ってはないですね」
たった一度の、たった刹那の出会いだったけれど、覚えていた。
確か、早乙女さんと、綾瀬さん。
特に早乙女さんは凄い勢いでスケッチブックに私とエヴァの姿を写生していたから、よく覚えている。良い意味でも、悪い意味でも。
「もう、夕映までそんなこと言って……」
「あーんっ、かわええ子やわぁっ。ハルナ達知り合いなん?」
んぶっ。
綺麗な黒髪を臀部まで伸ばした、早乙女さん達と同じ制服を着ている人が、唐突に私を抱きしめた。
なにこの人、すごい母性。
なにこの人、すごい魔力。
「ん? エヴァンジェリンの話だと学園長の親戚の子らしいけど……。木乃香、知らないの?」
「んーん。ウチはなんにも聞いとらんで?」
まぁ、親戚なんて、知ってる人もいれば知らない人もいるものだ。ここであの嘘がバレることもないだろう。知らないけど。――というか、嘘と言えば嘘なのだけれど、嘘と言わなければ嘘でもない、というなんとも言えない話なのだ。少なくとも、私の保護者は、現実的には近衛近右衛門の名義が使われているはずである。
「こんなかわええ子が親戚におるんやったら、教えてくれてもええのに。いけずやわぁ」
ついに私の身体を抱き抱え始める。いや、確かに私は小柄な方だけれども、体重的にはニ五キロくらいだけれども。そんな軽やかに扱えるものなのだろうか。そりゃ、高畑先生や神多羅木先生は軽々と私を持ち上げることができるけれども、成人男性と比較してもなにも意味はないだろう。
両腕で支えられながら、僅かに宙に浮いた足をぷらぷらと揺らす。身長差が無いわけではないが、私だって身長一ニ五センチ程度の立派な少女である。
――そんな立派な少女としての矜持も、私の後頭部に頬擦りする彼女の母性の前では、無いに等しいらしい。
矜持を失った私の頬を人差し指でつつく早乙女さんが、私と私を抱く女生徒を交互に見ながら言った。
「んー、でもこうして比べてみるとちょっと似てるわね。親戚ってのも納得だわ」
それ、髪型だけで判断してない?
どうでもいいことだが、最近髪の毛を切る時期を遅らせているので、そろそろ毛先が地面に触れそうだったりする。流石にもう切った方がいいかもしれない。個人的にはエヴァと同じくらいまで伸びた髪を切るのはちょっと切ないけれど。ちなみに前切った時は前髪をぱっつんにしてもらった。別に意識はしていない。してないったらしてない。
ほら、今はちょっと不揃いだから。
そして、この時点で、やっと気付いた。木乃香さん――近衛木乃香さん。
学園長――おじいちゃんこと近衛近右衛門の孫だ。
時折、本当に時折、それこそ半年に一回くらい、私の部屋に訪れては「孫の木乃香の結婚相手なんじゃが……」と言ってお見合い写真を見せてくる。数々の若いイケメンを見せつけられて、その度に「どうしろと?」と困惑させられていた。それと同時に、おじいちゃんの孫は“結婚できる年齢なんだなぁ”と印象を植え付けられていたが――。まさか、まだ中学生だったとは。
「あ、あのー。それ、吸血鬼の本ですか……?」
おじいちゃんの孫の正体にちょっとだけ驚いていると、のどかと呼ばれていた少女が、少し控えめな様子でそう訊いてきた。
今私が手に持っているのは《吸血鬼伝説の系譜》という本である。折角だから、エヴァ――ひいては、吸血鬼について調べてみようと思ったのだ。本人を前にしてこういうのを読むのも気が引けるし、良い機会だった。
頷いて、肯定する。
「も、もしも興味があるなら、これとかもいいですよー」
そう言って、のどかさんはどこから取り出したのか、数冊の本を掲げた。
「こっちは《吸血鬼ドラキュラ》、それと《吸血鬼カーミラ》、《図解・吸血鬼》、これは《吸血鬼大全》ですー」
お、おう。
有り難いけれども、困る。
それら全てを一気に読むのはちょっと。
私は、読むスピードが早いわけではないから。
「こらこら、のどか。急にそんな言われても分からんでしょ」
苦笑しながら早乙女さんが諭した。正直、助けてくれるとは思わなかった。
勢いで言えば、早乙女さんの方が強いというイメージはどうしても拭えない。
強引というよりは、引力――というか、重力だ。巻き込めるものは巻き込むし、周りが巻き込まれるなら、それすらも自分の渦中に巻き込むような、そんな人だと、思っていた。
「あ、えっと、ごめんなさい……」
「本のことになると周りが見えなくなるのはいつものことです。ところでこっちには西洋のモンスターにまつわる本があってですね」
「こらこらこら、夕映も。ちょっとは落ち着きなさいな」
もしかして、早乙女さん、割と大人しい人?
あの時はただ夏の暑さにやられておかしくなっていたのかもしれない。少なくとも、今のように場を沈める人には見えなかった。
決して、綾瀬さんとのどかさんが暴れている、という訳でもないのだけれど。
「ごめんなぁ? 二人とも、本好き仲間ができたと思ってはしゃいでんねん。堪忍な」
それは別に構わない。ジャンル問わず本を読んできたのは事実だし、いろいろ飽和状態だった今の私にとって、それは新しい刺激にもなるだろう。人から具体的なジャンルをオススメされることはなかったので、そういった手の伸ばし方は新鮮な風である。
ところで、早乙女さん。あなたはいつまで私のほっぺをつついてるんですか。そろそろ抉れて貫通しそうなのですが。
「ところで、こないなところでなにしとったん?」
「……本、座って、読める、場所。探し、てた」
それは多分、何故図書館島にいるのかという質問だったのかもしれない。しかし、ここに来た理由と言えば、《特に理由はなかったけど捻り出した結果な上、図書館島という存在も知らない状態で神多羅木先生に連れてきてもらった》という過程を説明しなくてはならない。口下手な私にとって、その説明責任はあまりに重たかった。
「ほなら、案内したるわぁ。こっちやで〜」
どこかぼんやりとした雰囲気の木乃香さんは、そのまま私を丁寧に抱き抱えたまま移動を開始させた。流石に恥ずかしいのだが、妙に居心地が良いのだから悪い気がしないというのは、少しズルいように感じた。
この図書館には慣れ親しんでいるのか、迷うこともなく、然程時間もかからずに、開けた場所に辿り着いた。長テーブルがいくつか設置されている、私が思い描いたとおりの休憩所だった。
結局最後まで私を抱き抱えていた木乃香さんは、少し背の高い椅子に私を下ろすと、私の隣の椅子に座った。他の三人も各々自由な椅子に座り、好き勝手に持ってきた本を読み始める。
図書館にいる時点でなんとなく分かってはいたけれど、この四人は、総じて《本の虫》なのだろう。同一の趣味、目的を持ち、その関係を結んだ友人達。それは少し、羨ましいとすら、思えてしまう。
やはり趣味と呼べるものを持つべきなのだろうか。……あとでエヴァにもう一度、裁縫を教えてほしいと頼んでみるのも良いかもしれない。
早乙女さんと木乃香さんは時折言葉を交わしていたが、綾瀬さんとのどかさんは真剣そのもの。今まで、読書なんて暇つぶし程度にしか思っていなかったこともあり、本当に本が好きな人と同席するのは、なんだか居心地が悪かった。
それでも、無言な空間というのはとても都合が良い。
喋るのは得意ではないし、根掘り葉掘り質問されると答え辛いものも出てくる。だからこそ夏休みの時、エヴァは誤解の訂正をするだけして教室をあとにしたのだ。そのエヴァの気遣いを、ただの偶然の出会いで無下にするのは、流石に酷い話である。
それから、《吸血鬼伝説の系譜》を読み終える頃には瞼が重たくなっており、それを気取られないためにも早々にその場を立ち去った。木乃香さん達は「どうせなら出口まで道案内したろか?」と手を差し伸べてくれたが、私はそれを丁重に断った。
木乃香さんが私の眠気に気付けば、先程のように私を抱き抱えて移動することは目に見えていた。抱き抱えられた状態で人の出入りが激しい場所に行くのは相当恥ずかしいし、なによりこれ以上、迷惑をかけるわけにもいかない。あまり人と深く関わることの少ない私にとって、貸し借りを作るのは気が引けた。
のどかさんが紹介してくれた四冊のうち二冊を借りることにして、残った本に関しては「片付けておくよ」という彼女達の良心に甘えた。
さて、いくら広い図書館と言えども、出口を目指そうと思えばそれは容易いだろう――と、そう思っていた。
天井から吊り下げられた看板には通路の本棚の情報が書かれているし、それを頼りに今まで歩いてきた道を逆に歩き続ければいい。それだけの話だ。それだけの話だったはずなのだ。
端的に言えば、やはりと言うべきか、道に迷った。
うーん、困った。
周囲を見渡せば、残念ながら、見たことがない本の群れ、群れ、群れ。
あれは見たような気がするけど、それは見なかったと思うし、じゃあこれは見ていたのかもしれないけれど記憶にはないなぁ、なんて。
まるで記憶が頼りにならない。
そういう混乱は、必至だったのだろう。
夏休みに、彼女達の会話の中にあった探検部というワードを思い出した。
探検かぁ……。
これは納得するしかない。
いよいよ見たこともない様式の収納スペースに出て、帰れないことを覚悟して、もういっそのことここに移住してしまおうかな。
なんて。
冗談でも、思うべきではなかったのかもしれない。
「困りますね。あなたがここに住むとなると、少しばかり、都合が悪い」
そんな声が、どこからともなく聞こえてきた。音は反響していて、位置の特定ができない。敢えて言うなら、それは頭の中にいた。脳内で反響する。頭の中に大きな空洞が出来てしまったような、ぽっかりと空いたそこを、誰かが土足で踏み荒らしているような。
少し不愉快だった。
「おやおや、あまりレディが顔を顰めるものではありませんよ」
うるさい。
「おっと、お口が悪いですね。なるほど、
それはとても、パスを出しているとは、言えない。所謂マシンガン的な、一方的な、会話でもなく、独り言だった。
「…………」
無言。
まさか、本当にパスを出しているつもりなのだろうか。私とは違うベクトルで会話が下手すぎるだろ。
「……あなた、は、誰?」
無難なところから質問を投げてみる。
「ふむ、それは確かに、間違いなく、今のあなたが抱くべき疑問ですね。しかし、それについてはまだ答えられません。私がこうしてあなたに話しかけているということそれ自体がイレギュラーなのです」
いざボールを投げ返してみれば、それはあまりにひょろひょろとした弱々しいボールとなって返ってきた。名前すら言えないって、どういうことなのか。
この現象について、どう説明を付ければいいのかは、分かる。頭に直接話しかけてくるような芸当は、とてもシンプルな言葉で説明できる。
魔法というやつだろう。
ここまで明確に対象を私とした魔法をぶつけられるのは初めての経験だった。
それを理解できたところで、私からなにかをアプローチすることはできない。この、いわゆる念話というものを遮断する術はない。
当然、無視すればいいだけかもしれないが、ここまで自己主張の強い念話を無視するのは、そうとう気疲れするだろう。
しかし、かと言って、これ以上、なにを質問しろと言うのか。いや、質問ばかりが会話だとは思わないが、世間一般的な雑談をするには、そういう世間話というやつをするには、情報が少なすぎる。知らない人間といきなり世間話をしてみましょうなんて言われても、困惑するだけだ。
というか、イレギュラーだと言うならば話しかけないでほしい。別に、本心から住もうと思っていた訳ではない。
「そんなことよりも――私の名前なんかよりも、あなたは今、現在進行系で、己の力ではどうすることもできない無力感に苛まれているはずです。そちらについては質問しなくてもよろしいのですか? 私の手を借りなくても、いいのですか?」
……いい性格してるなぁ、なんて。
決してポジティブな意味ではないけれども、そう思わずにはいられない。
しかし、確かに彼の言っていることも、間違ってはいない。彼が何者なのかは分からないけれど、ここまで
「帰り道、教え、て」
「すみません。私にも分かりません」
…………ほんっとうに、いい性格してるなぁ。
「冗談ですよ。教えてあげます。ですが、見返りも必要でしょう?」
「……なに、が、欲しい?」
「そうですねぇ。その本、借りるのでしょう? それはつまり、図書館島に再び訪れなくてはいけないということを意味している。その時に、またここへ来てください」
話し相手になれ、ということだろうか。
「――裸コート、は少し直接的過ぎますねぇ。ふむ、コートにビキニなんていいかもしれません。いえ、折角ですからロングパーカー水着にしましょう! それと猫耳と尻尾を着けて、ここに来てください」
「…………………………? ……!?」
理解するのに五分くらいかかった。
なにがどう折角なのか教えてほしい。
と、いうか。
「そんな、服、持って、ない……!|
「ご安心ください、こちらで用意してあります。足元に袋があるでしょ?」
言われて見てみれば、そこには確かに、紙袋が置かれていた。ちょうど、服一式分が入りそうな袋だった。
なんだこいつ。
…………。
ほんと、なんだこいつ。
「ちなみにその服を着てこなかったら――もっと非道い服を着させます。それはもう、無理矢理にでも。あなたが来なかった場合は、返却期限が切れた直後にその非道い服を着せます。ちなみに脱ぐためには私の許可が必要になるように細工もします」
「……拒否、権」
「別に拒否しても構いませんが、その場合はあなたはこの迷路のような図書館からの脱出を自力で遂行しなくてはいけません。いやはや――日付が変わっても帰れないかもしれませんね?」
――死ね、と、言いたかったけれど、言ったら言ったでなにをされるのか分からなかったので、その言葉は飲み込むことにした。
そして、大変不本意ながら、私は彼との契約を承認することにした。なんなら道中も意地の悪いことを言われ続けるのかと思ったがそんなことはなく、素直で簡潔な道案内はたったの数分で私をエントランスまで導いた。
最後に「今日のことは他言無用でお願いしますね。それでは、次会える日を楽しみに待っています」と言い残して、彼は念話を切った。
そこでは神多羅木先生が壁に寄りかかりながら本を読んでいた。
「遅かったな」
「ずっと、待ってた、の?」
「そりゃな」
「…………ごめん」
「別に構わねえよ。それより、それ借りるのか?」
「んっ」
「時間的にギリギリだから、さっさと受付済ませてこい」
言われたとおりに受付を済ませて、返却期限を確認してから、その二冊の本を名も無き変態からの贈り物である紙袋にしまってから、私は神多羅木先生の手を握ってさっさと歩き始めた。
「……なんかあったのか?」
「別に……」
「……蒼井、お前、そんな荷物持ってたか?」
「……持ってた」
「……そうか」
まさか、全知気取りの変態ストーカーから貰った、とは言えなかった。
図書館島の詳しい内装とかって、原作で出てきましたっけ?
二巻は立入禁止の深層だったので、参考になるようなならないような、という感じ。とりあえず想像で描写しましたのでなんとも言えない感じになりましたね。
こういうところで杜撰なことしてるから良い作品が書けないんだよ、と。
追記
いろいろと修正しましたが、ストーリーに影響はありません。ただ少し気になった部分を訂正した感じです。