せめて幸せであれるなら   作:酢酸のいも太郎

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 年明けてます。


Ep.13

 雪が舞っている。

 天上から緩慢に漂う一欠片を眺めたところで、それは幾つもの白雪と交錯し行方を眩ませる。存在すらもあやふやな、だけれど確かに存在する幻が如く一つの雪結晶は、最早埃程の価値すらも失くした。こうして視界を揺らしている間にも、足元を見ずとも目に入る深雪の一部となり果てていることだろう。それを指差して見つけたと言えば、埃雪は驚いてくれるかもしれない。しかしひと粒の結晶が身動いだところで――当然、身動ぐことなど無いのだけれども、仮に跳ねるなり震えるなりしてくれたところで、私はそれを捕まえることもできないだろう。

 傘が重い。

 誰かも分からぬ女生徒が、雪の中で立ち尽くす私を見て何を思ったのか、手渡してくれたものだった。

 私は笠地蔵か。残念ながら、道祖神になるつもりは甚だ無いし、恩義に報いることもできない。

 なにより、地蔵になる為に立ち尽くしている訳ではない。

 呼び出し――とは少し違う。約束とも少し違う。ただ、エヴァが言うには、「会わせたい奴がいる」とのこと。

 地下の部屋は未だに立ち入りの規制があるため、私から出向く他なく、こうして放課後の時間を狙って中等部前に足を運んだという、それだけの話である。

 現在、時間にして十八時五分。ここについたのが十七時のちょっと前だったから、既に一時間ほど待ちぼうけを食らっている。折角なら時間の指定までしてくれれば良いのに、と思わなくもないが、どうせやることもないので恨みもない。足を棒のようにして待っていればいいだけなのだから、難しい要求でもなかった。

 校舎から出ていく生徒の数は疎らながらも少なくもない。

 放課後であることに間違いはないと思うのだが――会わせたい人とやらと話が混み合っているのかもしれない。エヴァが会話に熱中している姿は少し想像が難しいが、それ以外に考えられる可能性も少ない。忘れられている、というのが最も辛いが、それは有り得ないだろう。そこまで疎かな人ではないし、人間関係にルーズと言うわけでもない。

 まぁ、なにをどう考えたって、私はここで待つしかない。

「――ありゃ、こないな場所でどないしたん?」

 ふと、そんな声をはっきりと鼓膜が捉えた。

 少し視界を校舎の昇降口の方に向けて見れば、女子中等部の制服を着た女生徒が私のすぐ隣に立っていた。傘に邪魔されて顔までは見えないが、その太腿にも届きそうな黒髪には見覚えがあった。

「ゲ……なに、子供?」

「ハルナの知り合いや。ウチの親戚の子らしいで?」

「ふぅん? 別になんでもいいけど、雪に埋りそうになってるわよ……」

 木乃香さん――だろう。

 その背後で、なにやらオレンジ色の髪の毛が二束、揺れている。

 傘をずらして、顔を覗き見る。相変わらず、どこか母性を感じる柔らかい表情の持ち主は、やはり木乃香さんだった。

 傘をずらした拍子に、降り積もった雪が私の足元に落ちる。なるほど、雪に埋りそう、とは比喩でも何でもなかったようだ。地蔵から雪だるまへジョブチェンジするところだった。

「木乃香、さん」

「名前覚えてくれとったん? なんや、嬉しいわ〜」

 例に漏れず、自己紹介などした覚えはない。

 これはこれで一方的なのだろうか――なんて、あの図書館島の亡霊を思い出す。

 私の名前を知っているのは、エヴァと茶々丸さんと先生方くらいなものである。

「木乃香〜、寒いから早く帰りたいんだけど〜!」

「んー、でも放っとけんわ」

 ツインテールの女性は、私こと地蔵には興味もないらしく、体を震わせながら帰宅を提言する。しかし木乃香さんは構うことなく、私と目線を合わせるようにしゃがんだ。

 人を安心させるような柔和な笑みだった。

「中等部に用があるん?」

「…………」

 そう言われると困る。エヴァと会うためにはここで待つのが一番効率的というだけの話なので、中等部に直接用事がある訳ではない。

 なにより、白い息を吐きながら両手を擦り合わせて少しでも暖を取ろうと必死になっている女生徒が気になった。

 木乃香さんは「気にするな」と言ったところで「ほな、さいなら〜」と帰ってくれるような人ではないだろう。そういう人格ならば、こんな寒い道端で足を止めてまで私に話しかけることはしない。

「……人、待ってる」

 用はない、と言えば、無理矢理にでも帰宅を促されそうだったので、素直に答えることにした。

 どう返したところで、木乃香さんに「ほな帰るわ〜」と言わせることは難しい。ツインテールの人には犠牲になってもらおう。いや、痺れを切らせば勝手に一人で帰るなり木乃香さんを無理矢理ひきずって帰るなりするだろう。

「ほな、呼んできたろか? 誰を待っとるん?」

 おっと。

 そう来たか。

 うーん、困った。

 エヴァを待ってると言ってもいいものなのか。そもそも早乙女さん達と同じクラスなのかも分からない。仲良さそうだったけれど、クラスメイトじゃなきゃ仲良くなれない、という訳でもないだろう。

「…………エヴァ」

 逡巡したものの、私はこれまた正直に答えることにした。

 勝手な判断であることは承知しているが、木乃香さんは変な勘違いもしないだろうし、ツインテールの人は私に興味なさそうだし――取り立てて問題になることもないだろう。

「えゔぁ……? もしかして、エヴァンジェリンのこと?」

 意外にも、答えたのはツインテールの人だった。

「んー、エヴァちゃんかぁ。まだ教室におるかな?」

 …………んん?

「どうかしら。珍しく(チャオ)さんと話してたような?」

 木乃香さんは、今、エヴァのことをなんて呼んだ?

 エヴァちゃん?

 もしかして、普通に友達なのだろうか。

 エヴァは進んで人間関係の話をすることはないし、私も深追いはしない。なので、知る機会がない。

 深く考えたところで詮無きことであるとは思うのだが……エヴァの友好関係の謎は深まるばかりである。

 ……あんな性格だからなぁ。しかし、木乃香さんみたいなのんびりとしたマイペースな人とは、存外に相性がいいのかもしれない。

「ほんなら呼んできたるわ〜」

「……仕方ないわね。私も付き合うわよ。君、名前は?」

 ツインテールの人が、初めて私と目を合わせた。

 人見知り――とは違う。ただ、なんだか、私のことが苦手なようだ。第一印象が“雪に埋まりかけてた人”だから、少しインパクトが強すぎたのかもしれない。だからってそれだけで苦手意識を持たれるというのはなんとも言えない。雪だるまにトラウマでもあるのだろうか。

「……蒼井、鈴葉」

 ――その刹那。なにか、鋭い気配が、首元を掠めた気がした。なんとなく後ろを振り返ってみるものの、人の気配は無い。

 それは、敢えて言うならば、視線というものなのだろう。だが、視線にしろ視界にしろ、それはあくまでも感覚受容器であり、受動的な情報獲得媒体でしかない。

 他者の視線を身体で敏感に察知するなんて芸当は、私には出来ない。

 ならば、それは視線ではなく、なにかしらの――。

「鈴葉ちゃんね。それじゃ、呼んでくるから。木乃香もここで待ってて」

「あ、待って〜なぁ、アスナ。ウチも行くえ?」

「いいわよ、私一人で。鈴葉ちゃんのことが気になるんでしょ?」

「それはそーやけど……」

「放っておいたらまたお地蔵様みたいに立ちっぱなしになるわよ、その子」

「ん〜……。せやなぁ、ほんなら任せるわ。鈴葉ちゃん、とりあえず学校ん中入ろ? こないなとこにおったら風邪ひいてまうで?」

 何故誰も彼もが私を地蔵扱いするのだろうか。立ち尽くしているという自覚はあるけれど、少なくとも私は石ではない。

 不服と言う程ではないしても、どこか複雑な心境の私の手を引く木乃香さんに身を任せる。

 ツインテールの人が先行して校舎に入ると、その下駄箱の奥の廊下に、見慣れた金色が流れた気がした。

 いや――気がしたというのは、今回ばかりは気のせいではなく、それは私が普段の日常から目にする見慣れた地面にも届きそうな長い金髪だった。

「あ、エヴァンジェリンと……超さん」

「む……? ……神楽坂明日菜か」

「ちょうど良かった。アンタにお客さんよ?」

「あちゃー、これは待たせてしまたカナ? すまないネ、エヴァンジェリン」

「だからあの女のことなど構うなと言ったのだ、全く……」

「タハハ、しかしあの人の予定が狂ったのも事実ヨ。……ふむ、しかしなるほど、なるほどなるほど、この娘が、ネ」

 エヴァの隣に、知らない少女が立っていた。

 両側頭部で髪をシニヨンに纏めて、そこから三つ編みにされた束がちょこんと伸びている。それに加えて、なんだか変わった訛り口調だった。

 その少女はエヴァのことを追い越し、ツインテールの人のことも無視するようにして、真っ直ぐに私の眼前へと躍り出た。それから観察するように矯めつ眇めつ私を眺める。とても居心地が悪かった。

 思わず木乃香さんの背後へと隠れようとするものの、彼女はお構いなしである。

 それから何かを納得したように、何度か頷きながらエヴァを見る。

「いやー、エヴァンジェリンの愛人なんて言うから、どんな人物かと思えば、これはなかなか、可愛らしい子ネ!」

 爆弾を投下しやがった。

 さて、愛人とはどういうことだろうか。いや、読んで字の如くなのだが。しかし読んで字の如くだとしてそれを事実であると称するのは無理があるだろう。

「ややわ〜、超りん。鈴葉はウチの子やで?」

 意外にも、エヴァが口を開くよりも早く木乃香さんがなにかを宣う。いや、親戚という扱いなので間違いではないのだが。しかし身内かと言われるととても判定が難しいところに位置している。

 それでも、いつの間にか私のことを呼び捨てにしているあたり、なにか確信的なものを感じた。

「アイヤ! 木乃香サンも鈴葉サン狙いネ? これは思わぬ刺客ヨ、エヴァンジェリン。知ってるカ? 三角関係の物語はどれも報われない結末を迎えるヨ」

「ひゃー、そないな言い方されるとなんや恥ずかしいわぁ」

「流石に木乃香はそういう趣味じゃないでしょ……? 委員長(いいんちょ)じゃあるまいし」

 そもそも三角関係に巻き込まないでいただきたい。一番刺されやすいポジションではないか。

 恋愛小説は苦手なのだ。起承転結は大事だと思うが、如何せん転ずるところでこちらの感情を揺さぶってくる。胸が苦しくなる。そこから先を読む気力さえも奪われる。端的に言えば、その感覚が嫌いだ。

 さて、奇しくも早乙女さん達と似たような弄られ方をされているような気がするのだが、エヴァのご機嫌は如何でしょうか。こちら、怖くて確認できません、オーバー。

「はん。貴様の戯言に付き合っている時間はないのだがな――喧嘩なら買うぞ、超鈴音」

 買わないで。

「剣呑剣呑――喧嘩など売ったつもりはないのだがネ。事実を並べたまでヨ」

「推測を事実と称するか。少なくとも“鈴葉が私の愛人だ”などと言った覚えはないが」

「推測とは事実を明るみにするための手段に他ならんヨ。推測を事実と呼ぶつもりはさらさらないガ、事実に迫った推測は、最早事実と呼んで差し支えないネ」

「事実は事実、推測は推測だ」

「それは短絡的ヨ。私は私の推測に自信がある。そしてそれはいつだって事実として昇華されるネ」

「妄想を具現化する能力でも手にしたつもりか。思い上がりも甚だしい」

「そんな魔法のようなことはできんヨ。だが敢えて言うならば――事実を妄想することはできるネ」

「妄言だな。透視や未来予知を騙る下賤で陳腐な詐欺師にでも転身するか?」

「一定の法則に沿って物事を並べれば透視も未来予知も可能だろう。魔法など無くともネ。それは科学の領分を出ない――ただのパズルと相違ないヨ」

 気付けば喧嘩のような――或いは口撃のような応酬がそこにはあった。シニヨンの少女は“売ったつもりはない”とは言ったものの、その架空の商品はどうやら正式に取引が成立したらしい。

 一触即発――とは言うまい。その導火線には既に火が着いている。あとはその小さな熱源が火薬へと到達するまで身を竦ませながら待つばかりである。

「直接目にした訳でも、ストーリーを聞いた訳でもない人間関係ですらパズルか? 足りないピースを樹脂で埋めただけの出来損ないだな、不愉快だ」

「何を言うカ? 私は今、この目で、エヴァンジェリンと鈴葉さんと木乃香さんを直接見ているヨ。人の表情や目線だけでも人間関係など明白ネ」

「実験心理学ごっこか、くだらん。表情も目線も、傾向にあるというだけの話だ」

「だが蓄積されたデータはやはり事実に基づいているヨ?」

「基づいたからと言って全ての事実現象に当てはまるものではない」

「――だが、エヴァンジェリンが鈴葉サンのことを大切に想ってるのも、鈴葉サンがエヴァンジェリンのことを大切に想ってるのも事実ネ。木乃香サンが鈴葉サンに向ける庇護欲も、逆にあまり関わりたくないと距離を置くアスナサンも、ネ」

 そこで、エヴァは言葉を詰まらせた。いつの日かのように、「うぐっ」と奇妙な鳴き声を上げる。心なしか頬も赤く染まっているようだった。校舎内とは言えども、雪も降る冬のこの時間は健康に障る。外ももう暗くなっている訳だし、そろそろ導火線の火を踏み消してもいいのではないだろうか。

 そんなことを思っていると、ふと背中からぎゅっと抱きしめられた。少し引っ張られたせいで、重心を完全に預けてしまう。思わず漏れた「あぅ」なんていう情けない声を気にもせず、私の背後の木乃香さんがほんの少しだけ柔らかさを消した声色で、

「二人とも、なんや口喧嘩しとるみたいやし、とりあえず鈴葉はウチが預かるで? こないなところで長話してたら体調崩してまう」

 そんな、極めて常識的な言葉を二人に投げかけた。

 まぁ私としては、例に漏れず陰湿な図書館の亡霊から贈られたパーカー(加護付き)を着ているので、寒くはないのだが。これで体調を崩すとすれば、それは別の要因があると言っていいだろう。

「ちょっと、木乃香! まさか私達の部屋に連れて行くつもり!?」

「なんや、アスナ。こんな寒空の下に鈴葉を置いていく気なん?」

「そうは言わないけれど……」

「ほな、ええやんな?」

 時折思うのだが、木乃香さんは時折とても強引だと思う。それは棘というよりも、誘導するような、とても頑固な意思というかなんというか。形容し難いけれど、とにかく折れてくれない一面がある。

 いや、直接言葉を交した回数など高が知れているのだが――それでもその一本通った太い芯は、傍から見ても明白であろう。

「待て待て待て、近衛木乃香」

「そうヨ、木乃香サン! ちょっと待つヨロシ!」

 と、先程まで犬猿の仲が如くいがみ合っていた二人が、ここに来て、呼吸を合わせて木乃香さんに目線を向けた。犬の背中に乗る猿もいる、ということだろうか。決して犬と猿が仲が悪いばかりではないといういい例だろう。

 ……犬とか猿とか、そんな例え方をしているといつか怒られそうな気がした。

「なんや?」

「鈴葉はこれから……ちょっと病院に用があるんだ。定期検診のようなものでな」

「そ、その通りヨ! 私もその付き添いを頼まれていてだネ!」

「ほんなら、喧嘩しとる場合とちゃうな?」

「む、むぅ……」

「……そうネ」

 流石に正論を並べられてしまっては押し黙るしかないらしく、二人は大人しく身を引いた。

 というか病院とは?

 そんな話は聞いていない。

「もう喧嘩せえへん?」

「……こんな奴との軽口の叩き合いはもううんざりだ。売られたって買わん。だからそろそろ鈴葉を返せ、近衛木乃香」

「ええけど、あんまいじめんといてな?」

 木乃香さんの目には、エヴァが人をいじめる人に見えるらしい。否定しきれないからなんとも言えない。

 だが、逆に考えてみれば、人を人として見ていないような時すらあるエヴァが売り言葉に買い言葉とは言えどもまともに対話をしているのだから、シニヨンの少女はきっとエヴァにとっては“どうでもいい人間”と言う訳ではないのだろう。少なくとも、話を聞く価値はあると判断していると言えば、多少その態度も可愛げがある――と、言えなくもない。

 それから、木乃香さんは私を抱き寄せていた腕を離した。それと同時に、シニヨンの少女から逃げるようにエヴァの背後へと回る。会話から察するに、この少女は私を――或いはこの場にいる人間全てを見透かしていると考えていいだろう。そういう目線は、あまり好きではなかった。

「はぁ――とりあえず目的も達成したわけだし、もういいでしょ。帰ろ、木乃香」

 威嚇をするような私の行動にシニヨンの少女が目を丸くしている中、ツインテールの人がそう言って昇降口を出ていった。

「せやなぁ……。鈴葉、気ぃ付けてな?」

「……んっ。ばいばい」

 エヴァの背中越しに手を振ると、木乃香さんも小さく手を振ってくれた。なんだか深く惜しんでいるような表情だったが、なにか思うところでもあるのだろうか。まさか私を抱きしめることに喜びを覚えている訳でもあるまいし――いや、ない話でもないのか。なにせ、母性の塊だ。

 それから、もう真っ暗になった外に消えていったツインテールの人の背中を追いかけて――やがてその姿は見えなくなった。

「…………行くか」

「そうだネ。あまり待たせすぎると、あの人は凄く怖いヨ」

 エヴァは私の手を取ると、木乃香さん達の後を追うように歩き出した。エヴァを挟んでシニヨンの少女も横に並んで歩いている。

 いつの間にか雪は止んでいた。

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