せめて幸せであれるなら   作:酢酸のいも太郎

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Ep.14

「私は(チャオ)鈴音(リンシェン)。エヴァンジェリンの数少ない友人の一人だヨ」

 シニヨンの少女――超鈴音は、そう言って私へと手を差し出した。なにやら皮肉も混じっていたような気もするが、先程の木乃香さんの言葉もあってか、多少睨みつけるような目線はあったものの、エヴァはその言葉を受け流した。

 それが、数十分前の話。

 今、私は病院――ではなく、大学に付属する施設へと足を踏み入れていた。生物工学科の研究施設エリアらしい。

 大学エリア自体、訪問するのは初めてだったこともあり、珍しげな視線をあちこちに飛ばさざるを得ない。研究施設と言うだけあって、恐ろしいほどに無駄なものがない。潔癖症の集団なのかもしれない。

 時折すれ違う、大学生なのか研究員なのかも分からない人達は皆一様に白衣を身に纏い、チャオに対して「お疲れ様です」と声をかけて頭を下げる。チャオは中等部の制服を身に纏っているし、その幼さの残った顔からしても中学生であるはずなのだが――何故か、人々は彼女を会社の上司であるかのように敬意を払って接しているようだった。

「チャオ、すごい人?」

 多少は警戒心も解けて、チャオの屈託のない笑みに惹かれつつある私は、そう問いかけてみた。

 特に意味はなかったし、それを知ったところで私にはなんの得も無いのだが、時には会話も挟まなければ不安になる。エヴァと違って、無言の時間でさえも居心地が良いと思える人と言うわけでもないし。

 まぁ、どんなに無益なものでも、気になってしまった疑問というものは無条件に気持ちをもやもやとさせる。それを解消することまで無益とは言うまい。

「ん〜? 私、火星人ヨ。地球人は皆私を尊び敬うネ。そういう意味では凄い人と言っても過言ではないカナ?」

「…………」

 なんとなくチャオの手を握った。

 熱は無さそう。平熱が低いのか、むしろ少しだけひんやりとする。

「そう、だね。月は、宇宙船。太陽、は、実は熱くない。うん、信じてる、よ」

「そう言う割には可哀想な人を見る目をしてるネ」

 そんなつもりはない。思想は自由だ。妄想するだけならタダだから。しかし、事実を妄想すると宣っていたこの少女にとって、自身が火星人であるという妄想すら事実なのだろうか。

 いや、妄想であると決めつけるのは良くないとは思う。しかし、どうしたって火星人というものを認めるのは、少しだけ難しかった。

 チャオから手を離して、エヴァの隣へと戻る。そして、チャオよりひとまわりほど小さな手を取る――そんな所作も、もはや特別感すらない、日常の一つとなっていた。

 いつからそうなったのかは覚えていない。初めてエヴァと二人で外に出たときから、自然とそうなっていたような気がする。さもありなん。

 そのまま他愛も無い話を時折しながら歩き続けていると、やがてチャオはとある部屋の前で足を止めた。エヴァと私もそれに倣って立ち止まる。ドアには“第四特殊研究室”と表記されているが、どのような目的を持った部屋なのかは想像しにくい。研究をすることに違いはないのだろうけれど、なにを研究するのかが明確ではない。なんとなく不安になって、エヴァの横顔を覗き見た。いつもと変わらない、どこか思案するような表情だった。

 チャオが胸元に提げていた証明証を認証パネルに掲げると、それは無機質な音を立ててロックを解除させた。ドアをスライドさせると、コーヒーとタバコの臭いが全身を打ち据えた。高畑先生や神多羅木先生のおかげで慣れてはいるものの――かなりキツイ。

「待たせたナ、教授」

「私が人を待ったことなんて一度もないわよ。待つほど暇じゃないの」

「形式のようなものネ。気にするナ」

「皮肉よ。暇じゃないのは事実だけれど」

 部屋に入って、まず、驚いた。

 床は比較的綺麗だが――問題なのはテーブルの上だ。私の部屋が二部屋も四部屋も収まりそうな広い空間には、四脚程のテーブルがあり、ドアから向かって右側には幾つものモニターやらパソコンやら名称もわからない機材やらが散在する壁と一体になったテーブル(というより、出っ張りとでも言うべきだろうか、名称が分からない)もある。それらの上に積み重なり、いくつかの山は既に崩れ去っている、そんな書類の数々。一息吹けば大惨事は免れないだろう。整理整頓が苦手とか、そういうレベルではない。

 よく見渡せば、向かって左側にはなにやら薬品などが収納されているらしい棚もあるのだが、そこでさえも薬品よりも書類の方が優勢な群れとなって乱雑に詰め込まれていた。

「エヴァンジェリンと鈴音(リンシェン)は適当なところに座って待っててください。鈴葉ちゃんはこっちね」

 言われて、一際大きなモニターの前に座っている女性を見た。

 あっちこっちに跳ねている真っ黒な髪の毛は妙に脂ぎっていて、数日間シャワーすら浴びていないのだろうと憶測できた。目の下にはくまができているし、頬も痩せこけている。目やら頭皮やらを執拗に掻いている。痒いのだろう。

 不健康というよりは、不衛生である。どのような生活を送ればこのような状態へと成り果てるのだろう。

 廊下ですれ違った人々とは違って清潔感の欠片もないくたびれた白衣が全てを物語っているような気がした。

 兎も角として、私は女性に言われたとおり、女性と向き合う形で置かれた椅子に腰掛けた。傘は椅子に立てかけて、マフラーも外して折り畳み、テーブルの上の僅かな隙間に置かせてもらう。そんな一連の動作を見守っていた女性は、一泊だけ呼吸を置いてから口を開いた。

「さて――こうして意識的に顔を合わせるのは始めてかしら。私としてはちょっと前までは毎日あなたの顔を見ていたせいでそんな気はしないのだけれど」

「毎日……?」

「毎日よ。美少女の寝顔というのは目の保養にはなるけれど、実際目にしているのはモニターだったから、私の眼精疲労はマッハよ」

 現在進行形でね、と。彼女は続けた。それもまた皮肉だったのかもしれない。

 彼女は胸の内ポケットからタバコを取り出して火をつける。吐き出した紫煙が吹きかけられたが、わざとではないのだろう。恐らく、距離感すら掴めていない。

「教授、あまり時間もないはずヨ。さっさと本題に入ってはどうカナ?」

 いつの間にか椅子に座って優雅にコーヒーを飲んでいたチャオは、促すようにそう言った。コーヒーカップなんて、この部屋のどこにあったのだろうか……。

 エヴァはエヴァで、なにやら資料を手にしてにらめっこ。難しそうな顔をして一枚ずつ目を通していた。珍しがっているのかもしれない。

「それもそうね。まずは――あなたがあなたの異常性に気付いたということだけれど、どれくらい自覚があるのかしら」

 それは、言うまでもなく、エヴァの肉を捕食するという特性のことだろう。捕食というと、なにかと物騒な響だが、この言い方がしっくりくる。“食事”などと美化してオブラートに包んだところで、つまるところは食人行為――カニバリズムである。

 これについては、私は良く理解していない。実のところを言えば、何故“エヴァの肉なのか”すら分かっていないのが現状だ。肉であれば何でもいいという訳ではないのだろうけれど、肉以外の食べ物も私は正常に摂取できる。吸血鬼の肉でなければいけない理由など、想像もつかない。

「まぁ、自覚レベルなんて正直どうでもいいのだけれど、確認だけはさせてちょうだい」

「エヴァを、食べる――食べて、きた。それだけ」

「ん〜、甘美な響きネ! やっぱり愛人なのではないカ? それもエヴァンジェリンがネコとは、恐れ入るヨ」

「アホか、貴様ッ」

「鈴音、茶々を入れないで。――でも、そう、なるほど。それだけなのね。まぁ、そうよね。むしろノーヒントでそこまで辿り着いたのなら重畳よ。それについて、あなたはどう考えるかしら」

 どう考える――と、言われましても。

 もしもそれがエヴァと一緒にいられる口実になり得るのであれば、私はきっとそれを“嬉しい”という言葉で形容するのだろう。何故か――私はエヴァに酷く執着している。流石に、それくらいの自覚はある。それをどうにかしようとは思わない。おおよその事には理由がある。意識的だろうが無意識だろうが、基本的には原因論が適用されるだろうと言うのが私の見解だ。それは私の失われた記憶の底にある帰巣本能のようなものかもしれないし、雛鳥のインプリンティングのようなものかもしれない。

 ただ、多分、私は、エヴァさえいてくれれば、それでいいとすら、思っている。

 ――これを、どのように言葉にすればいいのだろうか。

「少し難しかったかしら。無理に回答を出す必要はないわ。決して、あなたを責めている訳ではないの。それだけは理解してちょうだい。それじゃあ――これも他意のある質問ではないのだけれども、あなた、これからどうしたい?」

「…………?」

 質問の意図が読み取れず、私は首を傾げた。

 いや、意図は分かる。分かるけれど、意味が読み取れない。否、意味だって、理解できないわけではない。ただ……なんて言えばいいのだろうか。

 端的に言えば、なにかをしたいという欲求がない。これからの生活水準を高めたいという野望もないし、今の生活よりも水準が下がると言われても――程度にはよるが、私はそれを受け入れるだろう。

「なんでもいいのよ。これは学園長を含めた学園の意思であり、慈悲よ。――慈悲は言いすぎかしら。まぁ、ようするに、今までの全てに対する罪滅ぼし――保障ということよ。流石にこの学園を長期に離れるようなことは実現が難しいけれど、学園内でできる事ならば此方としては力の及ぶ限りサポートするわ」

 これもエゴだけれどね、と彼女は続けた。

 サポートすると言われても、いきなりそんなことを言われても、思い浮かぶものがない。たとえいきなりじゃなかったとしても、答えることはできなかったと思う。

 既に生活水準は十分な域に達している。なにより、今まで私は相応にわがままを言ってきたし、それは叶えられてきた。学園側になにか恨み言がある訳ではないし、それを利用してなにかを企むような度胸もない。

「……いきなりこんなことを言われても困るわよね。別に無理強いする訳じゃないし、あなたにはその権利があるのだと認識して貰えればそれでいいわ」

「……例えば?」

 私は決して無欲ではない。だがしかし、事実、今この瞬間に私自身になにか自由意志があるのかと言われると、怪しいものだった。自分で自分を縛っていると言っていいかもしれない。

 だから、例を欲しがった。

 せっかく貰えた権利を自ら無価値とするのは愚行だろう。

「例えば……ね。今から魔法を習得したければ、誰かに教鞭を執らせるわ。気分を変えたいのなら引っ越しもしましょう。学校に通うこともできるわよ。お金を稼ぎたいというなら、あなたの望む形で融通しましょう。――あなたが自分のことを知りたいと望むのなら、それも叶えましょう。失った記憶にしても、今のあなたの状態にしても、ね」

 提示されたものは――魅力的かと言われると、そうも言えないものが多かった。魔法に関しては今や興味もない。気分で引っ越すほどフットワークは軽くない。学校は――未練がないと言えば嘘になるかもしれないけれど、今から集団行動に混じれるかと言われると不安要素でしかない。

 その一方で――記憶は兎も角、自分が何者なのかについては、知っておいたほうがいいのだろうと思う。

 お金も、正直に言えば欲しい。別に大金が欲しいわけではないけれど、あって困るものではないだろうし。資本主義社会で無一文と言うのは、流石にダメだろう。

「そんな深く考える必要があるカナ?」

 とりあえず、提示されたものを整理しようと考え込んでいると、チャオがその思考を遮った。

 見れば、チャオはいつの間にか私のすぐ隣に立っていた。しゃがんで目線を合わせて、私をじぃっと見ている。その表情は――知っている。たまにエヴァが見せるような、悪戯を思いついた少年のような顔だ。

「自分の欲求に従えば、自ずと出てくるものネ」

「欲求……?」

 反芻する。

「そう、欲求ネ。他者から与えられるのではなく、自ら欲するものヨ。ほら、すぐそこにいるダロ?」

 言いながら、チャオは横目にエヴァを見た。未だに資料を漁っているその姿は、真面目な学者然としている。チャオと私の視線くらい気づいていそうなものだが、どうなのだろう。

 そんなことを考えていると、エヴァは数枚の用紙を手に、視線をこちらへ寄越した。

「おい、これ以降の研究資料はどこにある」

「……すぐ近くにありません?」

「この山の中から見つけろと?」

 不満そうな顔のエヴァに、女性は“仕方ない”と言いたげな表情で腰を持ち上げた。その歩く姿は、なんと言うか、人間味がない。これは、どちらかと言うとゾンビだ。

「何故片付けをしないのだ、貴様は」

「資料なんて、本当は残すだけ無駄なんですよ。私は全部記憶してますし、これは第三者に伝えるためのカロリーカットな手段に他ならないのです」

「尚更整理整頓すべきだろ、それは……。茶々丸を貸そうか?」

「そうですね、それは助かるかもしれません」

 そんなことを言いながら、女性は一つの高層ビルが如く積み重なった用紙の中から目的の資料と思しき冊子を迷うことなく引き抜いた。おかげさまで、ビルの上層は崩れ、周りの資料を巻き込んで一つの山となった。

 ……こうして山が出来上がるんだなぁ。

 女性はその山を数秒間だけ眺めて、「まぁいいか」と独りごちた。杜撰が過ぎるだろ。

「それと、コピーも寄越せ。持ち帰る」

「構いませんが、まだあの無茶な構想を企てているのですか? 成功率は極めて低いと、それは私とあなたの共通認識だったはずですが」

「黙れ。……いや、すまん。あとで相談させてもらいたいことがある。時間は?」

「来週の木曜まで待って貰えれば確保できるかと。しかし、最近は娘のこともありますから、予定がどうなるかは不確定です」

「構わん。ある程度予定が決まったら連絡を寄越してくれ」

「仰せのままに」

 意外だなぁ、なんて、思ってしまう。

 エヴァは、どこかで他人と線を引く。それは恐らく、深く関わらないことで面倒事を避けるためとか、一定の人間たちから嫌われていることを理解しているから無駄に刺激しないためとか、そういう理由がいろいろあるのだろう。

 だからこそ、エヴァが人に相談を持ちかけるような姿は今までイメージできなかったし、人に謝るような姿だって、想像できなかった。

 エヴァは他人には冷たい印象があるけれど――それは、決してコミュニケーションが苦手だからということではない。それは知っていたけれど、分かっていたけれど、いざ目の当たりにすると、私が見たことのないエヴァの一面に少しだけ面を食らう。

「――鈴葉サン、エヴァンジェリンと一緒に暮らしてみたいとは思わないカ?」

 唐突に、チャオはそう問いかけてきた。

 それは、少し、答えにくい。だけれど、魅力的な言葉であることも確かだった。エヴァと一緒に、ひとつ屋根の下……ふむ。

 いや、だが、しかし。

 あのログハウスにはエヴァが一人で住んでいると言っても過言ではない。茶々丸さんはロボットだし……他の同居人と言えば大量の人形くらい。要するに、あそこにはエヴァが一人暮らせるだけのものが揃っていればいいということだ。つまり、私があのログハウスへ移り住むとなると、話は簡単ではない。今の私の部屋にあるものを持っていくとして、置き場がないだろう。

 エヴァの私室というものすらないあのログハウスで、私はどこで寝るというのだ。

 まさか、エヴァと一緒に、あのベッドで?

 毎日?

 ……ふむふむ。

「考え、とく」

「そう――即決即断とはいかないカ。だが、もう少し素直になるといいヨ」

 私は十分に素直だと思っているのだが。

 ただ、これに関しては、私一人の問題ではない。それこそ記憶を失う前に住んでいた借り家に引っ越すのとは訳が違う。既にそこに住んでいる主人がいて、その家に泊まるどころか暮らすともなれば、いろいろな了解が必要になってくる。だから、まずは考えて――それから相談も重ねた上で成り立つ話だ。

 自分の我儘に責任を持たぬほど、私は人間を捨てていない。

 ――エヴァのことをじぃっと見つめていると、その視線に気付いたのか、彼女は小首を傾げた。それから隣のチャオへと視線を移し、睨みつけるように目を細める。

「おい貴様、超鈴音。鈴葉になにを吹聴している」

「ヤヤ!? なにも言ってないヨ! ただのアドバイスネ! そうやって人をすぐに疑うのはよろしくないじゃないカ?」

「さて、普段の行いが軽薄かつ悪徳な人間の言うことではないな」

「鈴葉サン! エヴァンジェリンがいじめるヨ! 助けてほしいネ!」

 そうは言われましても。悪徳とは思わないが、出会った最初の発言が既に軽薄だったのだから、エヴァの言っていることは決して間違いではない。しかし、ここで私も加わってチャオを虐めるのはなにか違う気がするので、ひとまず、その頭を撫でてあげることで場を収めることにした。私は寛大なのだ。よきにはからえ。

「さて――」

 女性は自分の椅子に戻って腰を掛けると、灰皿に煙草を押し付けてその火を消した。そして、そんな様子を伺っていた私の目を真っ直ぐに見つめて、口を開く。

「あら、ある程度、話は決まったのかしら?」

「……まだ、考えてること、もある。でも、教えて。記憶は、別に、いい。私の、身体に、ついて」

 エヴァと住むことよりも、お金よりも、それは大事なことだった。誰だって我が身が一番かわいい。だからこそ、知らなくてはいけない。

 なによりも、今までエヴァを食べさせられてきた理由くらいは、知っておくべきだろう。

「教えると啖呵を切った手前申し訳ないのだけれど、こちらも全てを把握しているわけではないの。判明していることは、ほんの一部。それでもいいのなら、話しましょう」

 頷く。

 既に片足を突っ込んでいるのだ。

 今更逃げることはできないだろう。

「瀬流彦さんからは“事故にあった”と聞いているらしいわね? その事故のせいで、あなたの身体は少しだけ特殊なものになっているの。人間と呼んでいいのかも怪しいのだけれど――私含めたチームの見解では、肉体そのものはまだギリギリ人間ね。問題は、あなたの魂。或いは精神体。魔力どころか、その根幹にある生命エネルギーそのものにも影響を及ぼす変質よ。現状、不自然なくらいに落ち着いているのは、なんというか僥倖なのかしらね。なにせ前例がないから、把握が難しいのよ。さて、前置きはこんなところでいいかしら。あなたの身体の性質は三つ。まず一つ、あなたの全身を巡る血液は、平均的な人間のそれではないの。あなたが意識を失っていた期間中、血中の魔力濃度が五倍――酷いときには十倍にも膨れ上がっていた。魔力と言えども、この数値は十分に有害よ。本来ならば致死量であり、まともな生命活動もままならない。でも、先述した通り、今はそこそこ落ち着いているわね。残念ながら、理由は不明よ。次に、“成長の停止”――少なくとも、この三年間、あなたの身長は一ミリも伸びていない。これは恐らく、あなたの変質した精神体が成長を阻害していると考えられるのだけれど……詳細は不明ね。元来、生物として細胞分裂をする以上は老いは避けられない。このまま少しずつ老化していくのか、或いは完全に不老なのか。残念ながら、私としては皆目検討もつかないわ。十年単位で観察が必要よ。そしてそれに関連しているのかいないのか、あなたの身体は傷を再生する能力を保持している。あなたの無意識下においてもそれが働くことは確認済みで――こちらも原理は不明。吸血鬼の再生能力や強力な治癒魔法は、その代謝を促すことで、まるで時間を逆行させているような錯覚を見せるわ。しかし、あなたの再生能力は、代謝の促進というよりは正しく時間の逆行と呼ぶ他ないわね。最後に、吸血鬼ことエヴァンジェリンの肉を捕食するということについて――こちらに関しては、エヴァンジェリンの肉でなくても構わないと考えているわ。厳密には“一定以上の魔力を保持する人間の肉”が必要なの。要するに魔法使いとしてある程度修行を積んでいるか、或いは先天的に魔力の許容量が多い人間の肉ならなんでもいいのよ。或いは、人間でなくてもいいのかも。それこそ、ドラゴンのような幻想種ならば――残念ながら本国からの輸入は不可能だし、実験はできないわね。では何故そういった肉を食べなくてはならないのか――こちらについては、ある程度は理解できるのよ。あなたの精神体と肉体はギャップがありすぎる。不均衡なのよ。精神体が精霊化や神格化に近い現象を起こしているにも関わらず、肉体は人間のまま。その精神体を維持するには、魔力を生成する能力、つまり自然エネルギーを変換できる限界値が釣り合っていない。呼吸をするだけで――生きているだけで魔力を消費し続ける。そのために、魔力を余所から補充しなくてはいけない。しかし、あなたの精神体は最早人間のものではないから、契約による魔力供給をしようにもそもそも契約が成立しない。なので、吸血鬼という別格の質を持つ彼女の肉を捕食することが最も効率的なの。なにより、エヴァンジェリン本人がそれを認め、受け入れ、自ら餌になることを申し出た、と。……理解できたかしら?」

 その話はあまりにも矢継ぎ早で、咀嚼する暇もなかった。だけれど、掻い摘んで要約すれば、即席ながら理解できなくもない。

 私の血液は魔力濃度がおかしかった時期があり、そのくせ魔力を作る能力は魂の格と比べてあまりに乏しいということ。そのためにエヴァの肉――もとい魔力を捕食という形で得る必要がある、と。しかし人間と同等のスペックでしかない肉体は何故か高い再生能力を持っており、そのせいで成長がストップしている。

 まぁ、理解できたところで実感できるかと言われると、話は別なのだが。

 それよりも――思ったよりも冷静に話を聞けている自分がいることに驚く。

 人間だった頃の記憶がないからなのか、或いはもっと別に要因があるのか。

 エヴァに私が食べている肉について聞いた時も、訊くまでは葛藤のようなものがあったものの、結果を聞いてしまえばどこか腑に落ちる。胸の突っかかりが、すっと消える。

 チャオの言葉を借りるならば、パズルのピースがあるべきところにきっちりと嵌まったようなものなのだろうか。或いは、シンプルに現実味がない話に拍子抜けしているのかもしれない。

 なんとなく、エヴァを見た。

 相変わらず、資料を只管に読み進めている。

「鈴葉サン? 大丈夫カ?」

 チャオは、本気で心配しているかのような表情でそう問い掛けてきた。

「教授、もう少しペースを考えてあげるべきヨ。飲み込むのにも時間がかかるネ」

「私、そういうの苦手なのよ。知ってるでしょ?」

「あなたはもう少し人の心を知るべきネ……」

 私の考え込む姿を見て、思うところがあったのだろう。軽薄な火星人にも人を気遣う心があったらしい。

 その一方で、エヴァはつまらなそうな顔をして未だに資料を眺めている。どうせ心配されるならエヴァから――なんて。

「……私は、大丈夫」

 ある程度の覚悟はしていた。

 むしろ、判明していることの少なさに驚く。それこそ吸血鬼のように、個別の名称とその性質がはっきりとしていない。

 “前例がない”と言っていたか。

 私は一体、何者なのだろうか。

「――さて、今日のお話はここまでかしら。鈴音が言った通り、少し詰め込みすぎたようだし、これからのことについてはまた後日、考えましょう。それから、今日は改めて検査をさせてもらうわ。採血とかMRI検査とかCTスキャンとか、いろいろね」

 断る理由もないので、私はそれを承諾した。

 この不潔の代名詞とも言える部屋から一歩出れば、そのギャップに驚く。先程まで歩いていたはずの廊下なのに、見違えるほどに綺麗であると思えてしまった。

 そして別の部屋に移動して、血を採られる。注射の痕跡は確かに綺麗に消えてしまい、自分の身体の不思議について、ちょっとだけ実感する。それからまた部屋を移動して、また移動して、移動して――慣れない環境だったこともあってか、なんだか異常に疲れてしまった。

 検査結果に異常があれば知らせるとだけ言われ、特に会話を交わすこと無く大学を後にした。




 行き当たりばっかりだから、自分の中で主人公のことを整理したかったのだけれど、逆にとっ散らかった。
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