季節の変わり目――春を背に、夏へと向かう時期。降ったり止んだりを繰り返す雨にも飽き飽きしていた頃、久しぶりの真っ青な晴天に心を踊らせて、修練の前の空いた時間に、私は妹と二人で外に出て遊んでいた。
川は増水していたせいで近づけなかったから、色付き始めた木々の間を縫ってかくれんぼ。もっとも、■■は私の位置を、私は■■の位置をいとも容易く把握できてしまうし、私は対して体を動かすことを不得手としていることもあって、こんなものはただの茶番に過ぎないのだけれど。そんなことはどうでもよく、私達は私達だけで過ごす揺り籠のような時間に只管に陶酔した。
やがて、かくれんぼに疲れた私達は、見晴らしのいい崖の縁に腰掛けてその景色に浸ることにした。■■は私の横で猫のように身を包ませて、風に耳を立てている。もしも、それこそ、自由の許された猫であったならば、私達は二人揃ってゴロゴロと喉を鳴らしたことだろう。
そんな折、崖の下の開けた獣道で女の子が一人、棒立ちしているのを見つけた。
最初にそれに気付いたのは、私ではなく、人の気配に敏感な■■だった。
私達にとって、背の高い樹が項垂れ凭れ掛かり合うように立ち並ぶこの場所は、もはや庭に等しいが、他人からすれば話が違うことは明確だった。ましてや、それが同い年の女の子であるならば、なおさら。景観の代わり映えがしないこの一帯は、土地勘それ以前に、脱出不可能の不可侵領域である。
どう考えたって、あの子は普通じゃない。それだけは明瞭だった。
この山は父様が結界を張っているのだから、ただの一般人が侵入することは叶わない。ましてや、一人で山を出ることも叶わない。
まさか幽霊か――なんて考えたが、さて、父様の結界をただの霊体がすり抜けてくるなんてことがあるだろうか。どれだけ考えたところで、あの女の子の正体も目的も分かりかねる。
「ねぇ、■■。どうしよっか」
首を傾げながら、■■は言う。
「……どうしようね」
首を傾げながら、私は言った。
触らぬ神に祟りなし――なんて言葉を知っているが、あれは神様なんていう大仰なものには見えない。
……考えたところで仕方ない、様子を見てみよう。そう思って立ち上がったのと同時に、横にいた■■は崖を軽快に、静かに降り始めた。同じ思考に落ち着いたのだろう。情けない話だが、私は■■のように身軽ではない。なんとか■■の居場所を把握しながら、いつもの道程をなぞって降りた。
合流してから、二人で木陰に隠れて女の子を観察してみる。
別に、あの女の子が不審者だろうが侵入者だろうがどうでもいいのだけれど、童心ながらに気になってしまう。しかし、それも仕方のないことだろう。私達は、私達以外に、同世代の人間なんて見たことがなかったのだから。
やがて、きょろきょろと辺りを見渡していたその女の子は、針葉樹の隙間から見え隠れする太陽の位置を頼りにするように天を仰ぐと、恐る恐るといった様子で小さな足を動かし始めた。
その足取りは覚束ないが、山に慣れていないという訳でもないのか、転ぶこともなく緩やかな傾斜を登る。その様子を、私達はお互い、木陰を使って気配を消しながら追いかけた。
――この山を庭として見ている私達だから分かる。
あの子の正面、その方向には、何もない。
ただ山を超えるだけならばそれでも問題はないように見えるかもしれないけれど、この領域に入ってしまったのは不運だった。父様が認識しない限り、山越えは達成し得ない。
やがて、女の子は一本の樹に手をついて、足を止めた。一息つくつもりだったのだろう。
あと数分ほど歩けば、彼女は
その瞬間、女の子が重心をかけていたその足を、湿気った土が掬い取った。
「あっ――!」
短い悲鳴。
咄嗟に樹に捕まりでもしない限り、あれは豪快に転ぶだろう。緩やかな傾斜とは言え、足を滑らせてしまえば多少は転がり落ちることを私達は知っている。
反射的に体が動いた。どうせ私が助けようとしたところで、私のような貧弱な子供では二人で絡み合うように転がり落ちるのがオチだと分かっていても、冷静にそれを見過ごせるほど冷徹ではない。
しかし、その動きを、体中に走る激痛が制した。
「――おふださん、おふださん」
そんな情けない私を置いて、■■は袖の振りから呪符を一枚取り出した。
「あの子をたすけてあげて」
彼女は口元に持ってきたそれに息を吹くようにそう念じて、投げつける。それは、紙屑のような見た目に反して鋭く空気を裂き、女の子の足元へと突き刺さる。
それから、ふわりと、女の子の体が僅かに浮く。彼女の胴体と四肢には、地中から急激に発芽し成長した植物が纏わりついていて、それらが意思を持つようにして女の子のことを掬い取っていた。
ほっと胸をなでおろして――体中の鈍痛を引きずりながらも、呪符を投げた張本人である■■のそばまで寄ると、私はその頭を優しく梳くように撫でた。身長が全く同じなせいで、少しだけ不格好だけれど。
――はて、苦痛は、隠せているだろうか。
「■■はすごいね、えらいえらい」
私の自慢の妹。
私の自慢の半身。
残念ながら私には呪術を扱う適性が家系から引き継がれなかったが、それに対して彼女はそれを色濃く継いだ天才児である。しかし、だからこそ、護らなくてはいけない。私にできることなんて高が知れている。だからこそ、この身を犠牲にしてでも――。
にへら、と。
■■は破顔した。
普段から表情を動かすことを良しとしない彼女だが、感情が喪失している訳ではない。嬉しければ喜ぶし、悲しければ泣くのだ。
私のかわいい■■。
私だけの、かわいい妹。
「うわわ、わー!?」
――と、そうやって我が妹を愛でていると、なにやら素っ頓狂な声が鼓膜を揺らした。
見てみれば、植物の力で宙に浮いた女の子はまさしく地に脚つかず、わたわたと四肢を暴れさせている。目からは僅かに涙を浮かべ、開いた口は塞がらない。完全に混乱している。
私と■■は顔を見合わせて、それから、撫でるのを止めた。■■はどこか物足りなさそうに私の手を眺めていたものの、不承不承といった様子で女の子へ目線を送ると、彼女を地面へと降ろした。
腰が抜けているのか、女の子はその場にへたり込み、立ち上がる様子はない。
私達はどちらからともなくその子に歩み寄り、正面に立つと、しゃがんでそのかんばせを覗き込むようにした。
「大丈夫?」「大丈夫?」
どちらからともなく、そう訊ねる。
良く見てみれば、女の子の腰には質素な鞘に収まったドスのような小太刀が提げられていた。
あからさまな凶器。
自然と、目が細くなる。
「あ、あなたたちは……?」
それは、この敷地一帯を所有する父様の娘である私達の方こそ聞きたい質問だった。少なくとも、侵入者に訊ねられる筋合いはない。
しかし、まぁ、どうせ後か先かの違いしかないことも確かだった。
淀み無く、そしてどちらからともなく、私達は答えた。
「私は■■」「私は■■」
やまびこのようの聞こえたであろうその回答に、女の子は首を傾げる。
「……ふざけているのですか?」
暫し、理解が出来ないというように眉を顰めていた彼女は、不満を零すように口を窄ませ、そう問いかけた。私はともかく、■■に対してそのような言い草はあまりにも不敬ではないだろうか。なにせ、彼女が怪我もせずにそこにへたり込めているのは、■■が呪符を使ってまで助けてあげたからなのだから。
少しだけむっとする私を余所目に、しかし、■■は彼女の真似をするように小首を傾げた。
「ふざけてないよ?」
「私達はちゃんと名乗った」
「じゃあ、次はあなたの番」
「ね、早く教えて?」
そうやって囃し立ててやれば、彼女は「うぅ」と唸るような声を上げながら、私達に怯えるように体を竦ませた。
そんな様子に対して、私達は無慈悲に畳み掛ける。
「答えないの?」
「私達は答えたのに」
「教えてあげたのに」
「言えないの?」
「自分の名前なのに」
「私達は教えたのに」
「寂しいね、■■」
「悲しいね、■■」
私達は顔を見合わせて、肩を落とした。
「――わ、わかった! 教える! 教えるさかい、堪忍して!」
交互に聞こえてくる私達の声に嫌気が差したのか、女の子は降参と言わんばかりに佇まいを正し、叫ぶように言った。
「ウ、ウチは刹那や。桜咲刹那。これでええやろ?」
刹那と名乗った女の子は、母を求める仔犬のような、潰れたか細い声を挙げながら私達を見つめる。その姿が、あまりにも可愛らしくて、どうにも、私と■■の小さな加虐心に火を付けてしまったらしい。
「うーん……でも、寂しかった」
「そうだね。とても悲しかった」
「だから」「だから」
「おすわり、して?」
「わんって鳴いて?」
「そしたら、許してあげる」
「そしたら、撫でてあげる」
じりじりと詰め寄ると、刹那は度を失った様子であわあわと口を開いた。
「か、堪忍してや〜!」
声を震わせる刹那が少しだけ面白くて、私達はくすくすと抑え気味に笑う。揶揄われていると理解しているのか、刹那は頬をぷっくりと膨らませていた。軽く謝罪しながらその頬を指で突いてやると、風船のように口の中の空気が抜けて、同時に刹那の気も抜けたようだった。
「――ごめんね。これ以上は思い出しちゃうから、だめ」
どこからともなく刺さる視線を無視して、私は静止した世界でそう言い放った。
涙目のまま恨みがましく私達を見る刹那と、それを見てくすくすと笑う■■。こうして客観的に見ると、意地悪で悪趣味な出会い方だったと思う。でも、刹那は聡明で、なにより寛容的な子だ。■■に助けられたことも、故に、私達に害意がないことも、すぐに理解して、すぐに打ち解けた。それからの日々は、今でも鮮明に覚えている。
――そんな思い出を、目の前から掻き消す。
風に切られた蝋燭の火のように容易く。
陽光に焦がされた薄氷のように切なく。
きっと、見たかったものは見れたはずだ。これ以上は、私にとって、網膜を侵す毒のようで、耐えきれない。堪えられない。
―― 。
、 ――。
「二人は特別だけど、でも、だめだから」
◆ ◆ ◆
嗅ぎ慣れた匂い。
脳の中枢に突き刺さる、本能的に能動的に、時には理性的に受動的に、丸呑みにしたくなる衝動を刺激する――私の大好きな匂い。
それに釣られて目が覚めてしまう自身の煩悩に、少しだけ呆れた。
その大好きな匂い――つまるところのエヴァは、ソファで横になっている私の一つ隣に座っているらしく、頭上から微かな体温と気配が伝わってくる。少し身じろいで、芋虫のなりそこないのように体を伸ばせば、エヴァの太もも辺りに私の頭頂部が刺さる。そのままぐりぐりと押し付けてみれば、そのうち頭を撫でてくれたりしないだろうかと淡い希望を抱いてみたものの、どうにも反応がない。頭を撫でてくれなかったのならば、むしろ鬱陶しそうに押し返すか逃げるかくらいはしそうなものだが――小さくあくびをしたせいで涙が溢れる寝ぼけ眼を手の甲で拭いながら、上体を持ち上げてエヴァの方を見遣れば、脚と腕を組んで俯いたまま寝入ってしまっているようだった。
朝や昼にエヴァと会うことは稀だ。私の部屋に訪れるときは決まって夕方――学校活動を終業させた後のこと。こうして眩しい太陽に照らされるエヴァを見るのは、なかなかに希少だ。
それも、こうして寝穢く眠り呆けている姿は、なかなか見れるものではない。
やはり吸血鬼。
夜行性なのだろう。
そう思うと、やはり蛇か猫か、兎も角獰猛な肉食獣のような、或いは愛らしい小動物のようでははいか。思わず、くすりと笑ってしまう。人の寝ている姿をまじまじと観察するのはどこか不躾かもしれないけれど、これもいい機会だ。いや、いい機会というのは少し違うかもしれないが、まぁそれも些事の内。興味に駆られて、その寝顔に視線が釘付けになる。
病的に白い肌。流れるような金色の髪は絹糸が如く。その奥に碧眼を隠す瞼を飾る長い睫毛の一本一本ですら完成された芸術品そのもの。筋がはっきりとしている鼻は童顔に相応しくちょこんと小ぶり。厚すぎない唇はほんのり桜色。
美形の顔というものは、裏を返せば極端に特徴がないことと同義だとか――なにかの本で読んだことがある。それは、確かに、そのとおりなのかもしれない。ただ、あまりにも理想的すぎて、それこそが特徴であるとも言えるのだろう。
微動打にしない姿はまるで西洋人形のようで、思わず、その頬に手が伸びた。起こさないように、慎重に、人差し指で小突いてみる。柔らかな皮膚に指先がふわりと沈んだかと思えば、あまりのハリの良さに跳ね返された。
「おぉ……」
感嘆の声が漏れる。
起きてしまわないかと怯えながら、普段ならば叶わないと確信できる能動的な零距離の接触に、僅かな背徳感が芽生えた。鼓動が早くなる。
しかし、考えてみれば、その薄い首元を度々甘噛みしているような私が、今更こんなことに怯える必要性などあるのだろうか。わざわざ鼓動を高鳴らせる程に高揚する理由は、もっと別のところにあるのではないだろうか。それは、多分、エヴァという、私のために己の血肉を文字通り捧げてくれた恩人――乃至、神様とも呼ぶべき存在に対する、情欲にも似た満足感に等しいのではないか。
……斯くも卑しい自分に呆れる。
これが私の感情なのだということを、全面的に否定したくなる。
思い返して、思い返して、繰り返し思い返して、その末端へと辿り着けば、エヴァと会ったその日から、今のこれと似たような気持ちがどこかにあった様な気がする。
ならば、これは、やはり私の感情というよりは、もっと別の、帰巣本能のような性質が起因しているのではないだろうか。
エヴァと会うより先に、エヴァの血肉と挨拶を交わしていた、その異常性故の、不具合のようなものだ。
どこか過敏な魔力感知能力さえ無ければ、きっとこうはならなかったに違いない。
こんなもの、言い訳に過ぎないが。
「……起きたのか」
勝手に満足して、勝手に落ち込んでいた私に、その言葉はふわりと降りてきた。
「ん……」
と、短く返事をして、声の出処であるエヴァを見る。どこかぼうっとしている様子で、眠気眼を擦っていた。手の甲をくしくしと動かす様は、猫のよう。
やはり吸血鬼にとって、この時間は深夜に等しいのだろう。
そういえば、茶々丸さんの姿が見当たらない。彼女のことだから、授業よりは主に付き従うことを優先しそうなものだが。
私の記憶が正しければ、エヴァと茶々丸さんはクラスメイトとして同じ教室に在籍しており、しかもその担任は高畑先生だったと記憶している。昨日の刹那のように、多少の融通は利きそうなものだ。
刹那のように――と言うのであれば、どれほど誠実な従者であったとしても、四六時中一緒にいることが難しいというのも、また事実。それこそ、放課後、エヴァ宅の家事に勤しんでいるように、なにかしら別件の仕事があるのかもしれない。
そういえば。
私が寝る前の記憶を引っ張ってみれば――どこか混濁としていて、まるで頼りにならない記憶を手繰ってみれば、私はこの部屋で、学園長室で、この部屋の主である
そんな寝惚けた頭でも、ひとつの回答を導き出すことは容易かった。
エヴァの太腿に頭をごしごしと擦り付けていた様も、エヴァの頬をつんと突いた事も、おじいちゃんに見られている可能性だ。
如何せん、起きてから今の今まで、私は周囲を見渡すという行動に至っていない。
大きなあくびをしているエヴァから視線を外し、テーブルを挟んで対面にあるソファへと目を向ける。
――意外性も何もなく、おじいちゃんは紅茶の入ったカップを手にしながら、私とエヴァを視界に映していた。
別に、エヴァとのやりとりを見られて困るようなことなどない。
ないのだが、途端に羞恥心がふつふつと湧き出て来る。
誰もいないと思って歌を歌っていたら、存外近くに人がいて、がっつりとその歌を聞かれてしまったような――そういう類の、声にならない本気の羞恥心である。
当然、私の視線に気付いているおじいちゃんは、突き立てた人差し指を口元へと持っていった。この場合、そのジェスチャーは“静かにしろ”という意味ではなく、“黙っててあげる”という心遣いのそれに違いなかった。
どうにも、こういうものを書いていると、行き着く先というものがあります。
「この作品でこれを書く意味があるのか?」と。
オリジナルキャラというものを出すのはまだ分かりますが、それを主人公に据え置くことの意義はあるのか、と。簡潔に答えを出すのならば、そんなものはありません。性癖に従いたいのならば、それこそオリジナルを書けばいいのですから。オリジナルが書けない言い訳として既存の作品を利用しているだけなのではないかと問われると、それを否定するだけの材料が見当たらないのです。
いえ、ただの独白です。二次創作とは、というような話がしたいわけではありません。自問自答のようなものです。難儀なものです。ただの自己満足だというのに、自己満足どころか自己否定に繋がってしまっては本末転倒ですね。
自分を見限らず、オリジナルでも書いてみようかしら。
二次すら完結できない自分には、そもそも物書きの真似事は荷が重いのでしょうけれど。