せめて幸せであれるなら   作:酢酸のいも太郎

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Ep.3

 昔の私はとても饒舌で、毒舌だったと言うのは、言うまでもなく瀬流彦先生の言だ。

 別に違和感はない。むしろ、喉の違和感さえなければ、今でも饒舌に毒を吐くくらいのことはできるだろう。それくらいに元気な思考をしていると自負していた。

 しかし、あくまでそれは人に対して働く能力であり、自然界にまで適用されるのかと言われると、そういう訳ではない。

 

 外だね。

 

 感想、終わり。

 久しぶりの――と言うよりは、初めての外と言っても過言ではない。しかし、だからどうした。イメージして、そのイメージのままの光景が飛び込んできて、どう感動すればいいというのか。

 勿論、感動することを強制されているわけではない。ただ、あまりにも無感動で無表情な私に、なにか言いたげな目線を寄越す人が隣にいるのだから、毒を吐きたくもなるのだ。

 なるほど、毒舌というのは言い得て妙なもので、いやむしろ、毒舌というよりは、私は多分とても素直な性格の持ち主なのだろう。そういうことにしておいてほしい。

 

 だがしかし、地下の空気と比べれば、やはり外の空気は別格であると言えた。

 加えて、今まであの部屋を窮屈に感じたことはなかったが、改めて外というものを経験すると、やはりあの部屋は少し窮屈だったのだと認知する他にない。

 今は授業中ということもあり、人は疎らである。心地の良い日光を独占しているような気分だった。

 

 元々私が通っていたという校舎。

 私が良く利用していたという路面電車。

 私が住んでいたという借家。

 私が足繁く通っていたという甘味処。

 

 それらを目の前にして“なにか思い出せたかい”と聞かれる度に、私は素直に首を横に振った。

 なんとなく道に既視感は覚えたが、残念ながら失った記憶は失われたままである。

 

 甘味処で瀬流彦先生に買ってもらったアイスクリーム――キャラメルとバニラのハーフアンドハーフ――を片手に、今は公園の隅っこにあるベンチで休憩中。

 流石にあれだけの長い期間を密室で過ごせば体力も酷く低下するようで、私の足は既に生まれたての子鹿のようだった。それになかなか気づかない瀬流彦先生に“かいしょうなし”と心の中で毒づいたが、この冷たいアイスクリームに免じて許してあげることにした。

 唐突に、遠くからサイレン(・・・・)のような音が聞こえてきて、思わず耳を塞いだ。

 アイスを持っているせいで片手しか使えないということは、片耳しか塞げないということで――防御力は皆無である。

「――チャイムが鳴っちゃったね。これ食べ終わったら帰ろうか」

 ああ、そうか。これは――この耳障りな音は、授業の開始と終了を告げる合図(チャイム)というやつか。

 なんだかぬるりと納得してしまい、驚く。“記憶が戻る感覚”がこれなのだとすれば、あまりに呆気ない。これはどちらかと言うと、“忘れたものを思い出しただけ”の感覚だ。決して、“失ったものを取り戻した”感覚ではない。

「ん……」

 頷きながら、甘すぎるアイスクリームをちびちびと食べ進める。

 それにしても、本当に甘い。甘すぎる。昔の私は本当にこれを好き好んでいたのだろうか。別に苦手な甘さではないが、足繁く通う程かと言われると微妙だ。

 記憶を失くした程度で味覚まで変わってしまうのか、或いは甘味処がメニューを変えたのか。分からないけれど、恐らくは後者だろう。月日というものは残酷だ。

 コーンまで食べ終わり、溶けて手についたアイスを舐め取る。“汚いから拭きなさい”なんて言って、ハンカチで手と口を拭ってくる瀬流彦先生に“うざい”なんて感想を抱いていると、どこからか誰かが走っているような音が聞こえてきた。

 それは段々とこちらに接近しているようで――ある程度の距離まで近付くと、それはその足を止めた。

 肩で息をする女子生徒と思しき女の子が、ゆっくりと此方に近寄ってくる。

 綺麗な人だった。

 身長は私とそこまで大差ないが、地面にまで届きそうなブロンドヘアは、まるで星を編んだようで――。

 

「…………鈴葉」

 

 その綺麗な碧眼で、私をしっかりと見つめながら、私の名前を呼んだ。

 

 私の隣に座る瀬流彦先生を一瞥する。いつもよりも緊張しているようで、その表情は硬い。ただの一般生徒に、そのような反応を見せるというのは違和感でしかない。

 つまりは、そういうことなのだろう、と。

 話には聞いていた。

 私が良く懐いていたという、“吸血鬼”の存在。

 魔法界隈におけるその評判は最悪で、それでいて最強の一角である、と。

 私がなぜそのような人物と関係を持っていたのかは分からない。だが、極めて仲良さげに接していたと聞いている。むしろ、私の友人関係について、その吸血鬼以外の話は聞いたことすらない。

 ならば、私の名前を呼ぶ彼女こそが例の吸血鬼であるということは、堅実な事実なのだろう。

「…………」

「エヴァンジェリンさん。鈴葉ちゃんは――」

「――知っている。黙っていろ、若造」

 瀬流彦先生を見ることもなく、吐き捨てるようにそう言った。なんなら、“見るな話しかけるなぶち殺すぞファッキンビッチオーラ”が全開である。これは流石に可哀想だった。私を素直と評するなら、彼女のそれは正しく毒そのものである。

 一蹴された瀬流彦先生に心の中で哀悼の意を示していると、その吸血鬼は私の眼前まで歩みを進めた。

 ここまで近くで見ても、思い出せない。彼女との会話、生活、関係。その全てが不透明で、やはり私にとって、彼女とは初対面であるという認識は拭えなかった。

 なにより、私を良く知る人物であるならば、きっと、今の私は、多分、彼女の知る私ではないはずだから――。

「――はじめ、まして」

 だから、酷く掠れた声でそんな言葉を口にすることは当然だった。

 一瞬だけその碧眼が揺れたような気がしたのは、私の都合のいい錯覚なのだろうか。

「若造」

 そんな私を無視して、それでも、私から視線を外すことなく、吸血鬼は瀬流彦先生に向かって言葉を投げる。

「こいつはもう外に出ても良いのか」

「……限定的にですが」

「……そうか」

 なにかを躊躇っているようだった。

 或いは、言葉に困っているのか。

 もしも私が彼女の立場なら、きっと、投げかける言葉を見つけることは叶わないだろう。記憶を失ったかつての知人や友人に、なんて言葉を掛ければいいのかなんて、分かりやしない。

 

「はじめまして、蒼井鈴葉」

 

 彼女のそれは笑顔などではなかった。

 苦笑でもないし失笑でもない。

 悲しそうでもないし、寂しそうでもない。

 苦悶のような、なにかを堪えるような、なにかを我慢しているような、そんな顔。

「ん。あなたの、おなまえは?」

 知っているのに、訊いた。

 事実の確認なんてものではない。私は知っている。それこそ六百年以上前から知っていたはずだ。彼女が誰なのか、なんて。宇宙の創世から知っている常識のようなものなのだ。

 それでも、彼女とこれからも会話をしたいと思えたから、これからの関係を続けるには、“はじめまして”を伝える他になかった。そうでなければ、彼女はきっと私の前にはもう現れない――これは確信に近かった。

 だから、名前を訊く。それは当然の過程であり、必然の道程だった。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

 知っている。一語一句違わず知っている。それは多分、記憶を失ってもなお身体に刻まれた名前。初めてその名前を聞かされたときの衝撃は忘れられない。それこそ、失った記憶が蘇ったような、強い衝撃だった。

 それでも、私は知らない(・・・・)

 知らないけれど、きっと、私にとっては、彼女が支え(・・)だったのかもしれない。

 瀬流彦先生でもなく、学園長(おじいちゃん)でもなく、なによりも心を許していたのは、多分――。

「元気そうでなによりだよ、鈴葉」

 彼女は――エヴァンジェリンさんは、それだけ言うと踵を返した。

 さよならも言わず。

 またねとも言わず。

 エヴァンジェリンさんはその流れるような金髪を靡かせながら、素っ気なく帰路に着いた。

「はぁぁぁぁ……」

 その深いため息は、私の横から聞こえてきた。

 見遣れば、頭を抱えて恐怖に打ちひしがれている瀬流彦先生の姿がある。あれだけ強い“拒絶反応”を受けたのだ。頭を抱えるのも理解できる。瀬流彦先生に非はない。

 いや、それ以前に――。

 悪の代名詞とまで謳われる吸血鬼を前にして、無事でいられる精神力など、並大抵の人間が持ち得るわけもないのかもしれない。

 瀬流彦先生からすれば、正しく事故にあった気分だろう。

 今の私が彼女に対してなにも思わない(・・・・・・・)のは、私が純粋に無知であることと、昔の私が懐いていたという事前知識があってこそである。

 なんとなく、ドンマイの意味を込めて、瀬流彦先生の丸まった背中を撫でてあげた。

 

 それから、私達は予定通りに教会の地下へと帰った。

 黒いワンピース――監視役のうちの誰かが私にプレゼントしてくれたもの――を脱いで、汗をかいた体を本日二度目のシャワーで軽く流して、寝間着に着替える。

 瀬流彦先生はその様子を見た後に、“仕事があるから”と言って去っていった。

 いつもの一人の時間である。

 首から外したチョーカーを弄くり回しながら、ベッドにうつ伏せた。

 

 ――例えば、私が記憶を失う程の《事故》の被害者にならずに、安寧なる日々を謳歌していたとしたら、私はどのような人格が形成されていたのだろうか。

 言わば、今の私は、過去の私からすれば“あったかもしれない自分”に他ならない。平行世界の私だ。根本は共通していても、辿り着く先はまるで形の違う世界であることは確実である。

 一卵性双生児は、生まれ落ちたその直後から離れ離れにされても、似たりよったりの成長を見せると言う。

 しかし、私と私は、決して似ることはないと断言できる。

 選択する過程が既に分岐点なのだ。

 否。

 こんなものは戯言でしかない。それこそ、“もしも”の話だ。双子の話は、逆に言えば“成長に伴う環境の差異よりも、遺伝子がその人を形成する”という話である。

 たとえ記憶を失ったとしても、私は私であり、その遺伝子はなによりも強固だ。ただ、生まれてから今までの空白期間(ブランク)があるだけで、私は私以外の何者でもない。

 

 ――ただ。

 私よりも私を知っている人たちと顔を合わせると、考えてしまう。

 私は私だけど、でもやっぱりそれは別人と呼んでも遜色なくて、そんな私を本当に理解してくれる人は、いるのだろうか、なんて。

 いや、理解してもらわなくても構わない。

 そんな必要性はない。

 現実はいつだって必然性だ。私が記憶を失ったのも、必然と必然が邂逅した結果でしかない。“何故だ”、“どうしてだ”等という追求も、“知る”必要もない。当然、“知ってもらう”必要もないのだ。

 きっと、世界とはそういうものだろう。かくあれかしと言葉を並べても、それは希望でしかなく、妄執でしかない。過ぎ去ってしまえばそれはただの結果だ。そんな必然性の前では、やはり、私が私ではなかったとしても、それは些細な問題と言える。

 

 ただ一つ言えることがあるとするならば、私からすれば、過去の私こそが“もしも”の私なのだ。

 

 だから、知ったことか。

 

 私は、私でしかないのだから。

 

 考えても詮無きこと。

 

 だから、はい、おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Archive.

 チャイムが鳴ってから、随分と時間が経った。数時間にも感じられた先生の話が終わる。

 宿題が出された教科の教材を鞄にしまい、鈴葉はさっさと教室を出る。廊下を足早に通り、下駄箱に上履きをしまって革靴に履き替えた。昇降口を抜けたと同時に、駆け足になって路面電車の駅へと向かう。

 

 電車を降りて桜通りに出る。春になれば読んで字のごとく桜が道の脇を彩る観光スポットだ。残念ながら、今は夏。虫も多くなるこの時期の桜通りは人通りも疎らだ。

 その通りを無視して、女子中等部エリアの近くの公園に辿り着く。ふと感じ慣れた小さな小さな魔力を感知して、ちらりと公園の様子を見ると、ベンチに一人の少女が座っている姿が見て取れた。

 “何故こんなところに”と内心で驚くも、鈴葉の表情に変化はない。

 

 程良く延びきった木々が木陰を作っている。

 夏の日差しから逃げるように、その吸血鬼は矮躯をベンチに預けていた。

 公園の出入り口近くにある甘味処で、鈴葉はアイスクリームを二つ購入した。ベーシックなバニラと、新商品として堂々と宣伝しているキャラメルとバニラのハーフアンドハーフ。

 幸いにも、購入している時間のうちに逃げられるということもなく、相変わらず吸血鬼はベンチで垂れていた。

「こんにちは」

 無難に挨拶をしてみるも、吸血鬼は鈴葉を一瞥するだけ。特に反応はない。それをいい事に、鈴葉は吸血鬼の隣に腰を掛けた。

 暫時、蝉の声だけが公園に木霊する。

「――これ、知ってます? 甘味処の最新メニューなんですよ」

 左手に持った、バニラとキャラメルのハーフアンドハーフを微かに掲げながら、鈴葉はそう問いかけた。

 吸血鬼は夏の暑さにしてやられたのか、首と視線を僅かに動かすだけというエコな動作でそれに応える。

「……知らん」

 どうせそう言われることは分かっていた。この吸血鬼は、知っていようとも知っていなかろうとも、どうせ事も無げに会話を打ち切るだろう、と。

「食べたくないんですか?」

 だから、無理矢理に会話を続けた。見せつけるように、右手に持ったバニラのアイスを小さな口で頬張る。

 吸血鬼はその姿を横目で眺める。

 鈴葉の口の端についたアイスを、ぼうっとした目で。

「……要らん」

 これも分かっていた。どうせそう言われるだろう、と。予測していた。

 これでも、出会った当初と比べると、会話の内容は改善されていた。殆ど鈴葉一人が吸血鬼の背中を追いかけながら喋るだけという光景を、何度繰り返したか。

「ふぅん、夏だと言うのに冷たいアイスも食べないなんて。変わり者だって言われません?」

 だから、素直な意見(こんなこと)を言っても、怒りはしないことを鈴葉は知っていた。

 “貴様に言われたくない”と、吸血鬼は内心で毒吐く。

「縊るぞ」

 言葉とは裏腹に、その声に迫力はない。

 この少女――艶のある黒髪を腰まで伸ばした、雰囲気だけで言えば中等部のクラスメイトよりも大人びているおとなしい少女は、どんなに突き放しても諦めることなく執拗に追いかけてくる。

 正義がどうとか、なぜ悪いことをするのかとか、そういうことを童心ながらに追求してくるのかと思えば、そんなこともない。

 正直、この蒼井鈴葉という少女の目的が見えず、しかしそれでもコミュニケーションを取ろうとしてくるその様子に、吸血鬼は少しだけ辟易としていた。

「貴様、放課後は友達と遊ぼうとか、そういう発想には至らんのか」

 貴様くらいの歳のガキは、そういうものだろ。何故私の元に来る。

 そんな含みを持たせた言葉に、鈴葉は少しだけ躊躇っているようだった。だが、そんな様子は一瞬で、アイスを一口だけ食べると、鈴葉は特に動揺することもなく極めて冷静に返答する。

「学校に友達はいません。――……姉のような人ならいますけど」

「そうか」

「はい」

 それから、二人は暫く口を開かなかった。

 吸血鬼も、少女も、ただ、公園の中央にある噴水を眺めながら、それが自然であるかのように、無言を貫く。

 時には遠くに微かに見える陽炎を。

 時には木から木へと飛び移る蝉を。

 時には制服のまま駆け回る生徒を。

 そんな光景を、見ているようで見ていないような視界をそのままに放ったらかして。

 吸血鬼は溶けてしまったかのように力のない瞳で。

 鈴葉はアイスを食べながら。

 無言。

「旨いのか?」

 その無言を破ったのは、吸血鬼だった。

 バニラのアイスを完食した鈴葉は、「おいしいですよ」と一言だけ呟きながら、溶けて手についたアイスを舐め取る。

「バニラは隠し味にハーブソルトが混ざってるんです。こっちはキャラメルが濃厚で若い女子からの注目の一品。とにかく拘ってアイスを作ってくれる、隠れた名店なんですよ、あそこ。……食べます?」

「…………ああ」

 既に溶けてその背丈を縮めているアイスを受け取る。それから、ポケットからハンカチを取り出して、鈴葉の口元を強引に拭った。

「……ありがとうございます」

「手は洗ってこい」

「はい」

 とてとてと、拙い足取りで公園に備え付けられた水道に向かう鈴葉の小さな後ろ姿を見遣りながら、吸血鬼はアイスを一口だけ含んで顔を顰める。

「……甘すぎるな」

 愚痴のような独り言は、蝉の声に紛れて消えていった。




 前の話でも言った通り、書きたいものを書いてるだけなので、Archiveは書いたり書かなかったりすると思います。
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