せめて幸せであれるなら   作:酢酸のいも太郎

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Ep.8

 小川を抜けて、林を抜けて、その先の開かれた場所に、そのログハウスはぽつりと建っていた。

 せせらぎと小鳥の囀りが鼓膜を優しく撫でる。蝉の声さえ無ければ完璧だ。つまるところ、夏よりも冬の方がこの立地には合っている。或いは秋や春先だろうか。紅葉に染まったログハウスというのは、風流なものだろう。

「帰ったぞ」

 エヴァはそう言いながら、その扉を開けた。中からエヴァの匂いの塊が私を襲うが、ここは自制。「お邪魔します……」と小さな声で呟きながら、エヴァの後に続いた。

 まず、感嘆。

 ログハウスの内装というのはなかなか想像することが難しい。安易なイメージとは全く違った、意匠の凝らし方に驚いた。

 そして、木の内装に――というよりは、その人形の数に、まず目が行く。ソファの上に、椅子の上に、テーブルの上に、所狭しと人形が佇んでいる。見れば、窓の近くには人形のために拵えたのだろう、背の低い長椅子にもずらりと並んでいた。

 西洋人形やテディベア、ウサギもいれば、ファンシーな二等身ほどの女の子の人形や、糸繰り人形、腹話術人形もいる。これら全て、エヴァの手作りなのだろうか。

 教室の中での「時間は有り余っている」という言葉を思い出した。

 あれは私にばかり向けられた言葉だと思っていたが、どうやらエヴァ自身についても向けられたものだったようだ。そして、そんな有り余っている時間を、上手いこと趣味の時間として昇華させている、なによりの証拠だった。私なんかとは違う――有意義な時間の使い方。

 そして、ふと思う。

 あの時、私に裁縫道具を差し出して「やってみるか」と言った、あの言葉。あれは、私に向けて、「どうせ趣味と呼べるものがないのなら、手始めに私の趣味に付き合ってみろ」という意味で投げかけた言葉だったのではないか、と。

 深読みしすぎだろうか。

「おい、茶々丸。いないのか?」

 不躾にも内装を見渡している私には目もくれず、エヴァは誰かを呼んでいた。

 間を置かずに、その声は上階の方から聞こえてきた。

「はい、いいえ。マスター」

 そうして、階段を下りてきた者は――人間と呼ぶには少しだけ違和感のある姿形をしていた。

 いや、胴体があって手足がきちんと揃っていて頭もある。丈の短いエプロンドレスとホワイトブリム――つまるところのメイド服を纏う姿はあまりにも似合い過ぎている。形は人間そのものだが、人間ではない。無機質な瞳は私を見透かすように僅かに光っているし、頭部側面――つまり、本来ならば耳が付いているはずの箇所には、なにかしらの端子がエルフの耳のように伸びている。

「おかえりなさいませ、マスター」

 階段を下りて床を両足できちんと踏んでから、その人型のロボットは、腰を曲げて頭を下げた。模範的で、完璧で、それでいて優美な御辞儀である。

 怖い――とは思わないが、なんだろう。よく分からない感情に押し負けて、私はエヴァの背中に隠れるように張り付いた。

「ああ。急で悪いが、風呂を沸かしてくれ。……その、なんだ」歯切れ悪く、ぽりぽりと頬を掻きながら、エヴァが言う。「友人が、不幸にも雨に降られてしまってな」

 友人。

 改めてそう言われると、なんだかむず痒かった。

 そして、そのロボット――茶々丸は、真っ直ぐに私を見つめた。緩慢とした動作が、人間臭さを消し去っている。

「はい、いいえ。マスター。刑法二二四条により、未成年の誘拐は三ヶ月以上七年以下の懲役となります。マスター、どうか考え直してください」

 あ、この人も人の話聞かない人だ。

「何故そうなる! 友人と言っているだろうが!」

 スパーンッ、と。エヴァは床に鞄を叩きつけながら叫ぶように言った。豪快なフルスイングである。

 いきなり犯人扱いされるのは不本意だろう。

 出会い頭にいきなりオバケ扱いされたことならあるが、感覚で言えばそれに近いはずだ。端的に言えば、“そんな馬鹿な”。

 不愉快とまでは言わずとも、愉快ではないことは確かだった。

「はい、いいえ。誘拐された者を安全な場所へ解放することで減刑も有り得ます。刑法二二八条には刑法ニニ五条のニを犯した者に対する減刑が表記されていますから、まだ希望を捨てる時ではありません。どうか、どうか考え直してください、マスター」

「人の話を聞かんか! そう言えば貴様、外部電力からゼンマイ式に換装したとか言っていたな! ゼンマイはどこだ! 巻いてやる! 限界を突破するような過剰な魔力で巻いてやる!」

「ああ、いけません、マスター。人前でそのようなことは。どうかお許しください。面会には必ず行きますから」

「捕まる前提で話を進めるな!」

「ですが、今日は雨など降っていません。マスター、誘拐の言い訳にしては、いささか理由がぞんざいすぎませんか?」

「話すと面倒くさくなるからてきとうを言っただけだ! 公園にいたら、そこで水鉄砲で遊んでいたガキにかけられたんだよ。これで満足か! このロボ子め!」

「……マスターが公園に?」

 意外が過ぎる、と言いたげな顔で、茶々丸さんはそう問いかけた。ロボットだからだろうか。完璧な表情だ。エヴァが公園にいたことに対する疑問が尽きないと言わんばかりである。

 いや、無表情は崩れていない。雰囲気の話だ。最低限の変化でそれを伝えてくる。

 それから――

「……水鉄砲で遊ぶのは、楽しかったですか?」

 にっこり、と。それは、そう、言うなれば、慈愛に満ちた微笑だった。無表情だけど。

「――んな訳があるか! 何故私が水鉄砲で遊んでいたことになる!」

 だから面倒くさくなると言ったんだ、と愚痴るように呟く。

 なるほど。エヴァをここまで疲弊させる存在がいるとは。あの教室で遭遇した三人はただの中学生。疲弊させるよりも先にエヴァの沸点を軽く超えてしまっていた。この絶妙な火加減は――ロボットである彼女の演算があって初めて成立するのだろう。

 む、なんだか鼻がむずむずする。

「……っくしゅん!」

 口を抑えたが、その音だけは抑えられなかった。

 自然と、エヴァに向けられていた茶々丸さんの視線が私に向く。エヴァも振り向いて私の様子を窺っているようだった。なんというか、意図して集めたわけではない視線は、ちょっだけ居心地が悪い。それから逃げるように、またエヴァの背中に張り付く。

「とにかく、風呂だ。沸かしておいてくれ」

「はい、マスター」

 先程までの応酬はどこへやら。エヴァの命令を素直に聞き届けた茶々丸さんが、おそらく浴室があるのだろう方向へと足を向かわせ、一方でエヴァは私に向き直った。

「冷房が効いているから、濡れた服を着続けるのは寒いだろ。――脱げ」

 確かに、道中乾いてくれるだろうという憶測は外れた。水が滴るほどではないが、水を含んだ重さと肌に張り付く感覚は消えていない。ログハウスに至るまでの林道は影が多くて陽の光を浴びれなかったから、まぁ、仕方ない。

 しかし、エヴァの眼前で服を脱ぐというのは、いささか――というか、かなり、恥ずかしい。

 私はふるふると首を横に振った。

「マスター。猥褻行為が目的の誘拐は一年以上十年以下の懲役です。……二人で入浴するのであれば、別荘を利用されてはいかがでしょうか」

 浴室の方から茶々丸さんが言う。なんというか、抜け目がない。

「貴様は余程私を犯罪者にしたいらしいな! ……別荘は、ダメだ。まだ(・・)鈴葉は麻帆良の管理下にある。あれを使うといろいろと狂うからな」

 そう言いながら、エヴァは私のワンピースの裾を持って無理やり脱がそうとしてくる。「ほら、バンザイしろ、バンザイ」なんて言われて、さすがの私も抵抗をやめて素直に従う。

「…………お前、なんで紐パンなんだ……?」

「山より高く、谷より深い、理由がある」

 神多羅木先生曰く、葛葉刀子という魔法先生に「女の子にプレゼントするならどんなものがいい?」という質問をしたら「パンツよ、パンツ!」と言われ、その流れでランジェリーショップに連れ回された挙げ句の果てにこの紐パンを購入させられたとかなんとか。葛葉先生の感性はよく分からないが、神多羅木先生の心労を讃えて有り難く使わせてもらっているのだ。

 まぁ、紐パンとは言っても布面積が狭い訳ではない。意外としっかりした下着だ。いや、かと言って好き好むのかと言われると微妙だが。

「とりあえず服はこっちで洗濯しておいてやる。明日か明後日には返すから安心しろ」

 言いながら、濡れているそれをソファの背凭れに掛けた。

 下着までしっかりと濡らされているせいでソファに座ることもできない私は、さて、どうしたものかと立ち尽くす。エヴァはエヴァで上階に上がっていってしまったし、できることがない。

 決して退屈というわけではない。

 私の部屋とは様相の違う建築に惹かれない訳ではないし、なにより数々の人形を一体ずつ見て回れば時間なんて言うものはあっという間に過ぎてしまうだろう。

 そしてその読みと言うにも杜撰な思惑は、幸いにも遠からずとも当たっていたようで、エヴァから「準備が終わったぞ」と呼びかけられた時には、私は十体目の人形の鑑賞を終えていた。

 脱衣所でインナー類を脱ぎ――チョーカー型のデバイスは耐水仕様なのでそのまま――、シャワーを浴びて、表面張力の限界まで満たされた浴槽へと恐る恐る足を浸けて、入浴剤の影響で乳白色に染まったお湯に全身を浸らせた。

 流石は小柄が過ぎる私の体躯といったところ。足をぐんと延ばして、背筋を延ばして、腕を延ばす。

 それでも余りある浴槽に、満足感。

 今にして思えば、この二年間、湯船に浸かるという行為に至ったことは一度たりともありはしなかった。久々――というよりは、やはり初めての感覚。お湯と外界の境界線が、こそばゆい。なにより、日に焼けた肌が今まで以上に絶叫していた。

 しかし、そんな痛覚も慣れてしまえばなんてことはなく、体の芯まで茹でられるような感覚は、体の中身までをも一新させるような魅力に溢れていた。

 そうこう考えながら浴槽の縁に頭を預けてぼんやりと天井を眺めていると、浴室のドアが開かれる音がした。見れば、生まれたてのままの姿を星で編んだような金髪で覆ったエヴァが、柔らかな笑みを浮かべている。

「湯加減はどうだ」

「ちょうど、いい」

「そいつは重畳だ」

 言いながら、エヴァは当然のように浴室に侵入して、私の行動をなぞる様にシャワーを浴びた。

 そして、湯に足を滑らせ、まるで私と対面するように、滑らかな動作で湯船へと身体を、極自然的であると言わんばかりに、浸入してきた。

 別に、慌てるようなことではない。

 そう、慌てるようなことではない。

 エヴァは「ふぅ……」と息を吐きながら、どこから取り出したのか、タオルを頭の上に乗っけながら、ぼんやりと、私に倣うように天井を見上げた。

「エヴァ」

 と、私は、鈍くなっている思考回路をそのままに、口を開いた。

「私、このまま、で、いいのかな」

「判然としない言い方だな」

 判然としない。

 判然としていない。

 どこまで言っても不明瞭。

 これが天然なのか、逃げているだけなのか。

 それすらも不透明。

「このままという言葉の意味が停滞をさすならば、それはそもそも不可能だ。お前がこのままでいたいと思っていても、人間は立ち止まれないし、行き止まることもできん」

 立ち止まれない。

 行き止まれない。

 それはまさしくそのとおり。

 気が付けば、私はいつの間にか、地下に閉じこもったまま、二年という月日を無駄にした。

 この際、客観視というものは一切合切必要なく、切り捨てて、捨て置いて、私の主観からものを言わせれば、今までの時間はその殆どが無駄であったと言っていい。そう、断言できる。

 だけれど、それとは、少し違う。

 このまま、というのは。

 それは。

 停滞というよりは。

 そもそも呼吸すらしていないような、鬱蒼とした木々の中でただ独り枯れ果てているような、違和感。

「私は、なにも、知らない」

 私は、なにも、識らない。

「分からない」

 それはなによりも自分自身が。

 そして、周囲の人間たちの、考えていることが、分からない。振り回されているとは思わない。別に、なにか不満があるわけでもない。

 ただ――

「そんな、の。許され、ない」

「――誰がお前のことを許さないというのだ?」

 エヴァは、お湯を両手ですくい上げながら、そしてそれを溢れさせながら、言う。

「少なくとも私は、お前を許す。本来なら許すも許さないもないが、敢えて言わせてもらうなら、私はお前を許す。――選択次第だがな。それは私だけではない。ジジイも、タカミチも、あの若造も」

 そして、エヴァはその長い脚を持ち上げて、その、少しふやけてしまっている足の平で、私の頬をむにっと蹴った。身体が柔らかすぎやしませんかね。

「はん――」と、鼻で笑いながら、エヴァは言う。「加えて言うがな――この際、言わせてもらうがな、許されるとか許されないとか、そんな話、お前は決してそのようなくだらん話に頭を悩ませるタイプではない。いかに記憶を失おうが、忘れようが、根本は変わらん。根源はただ一つだ」

 むにむに、と。ぐりぐり、と。私の頬を足蹴にしながら続ける。

「お前のその悩みは、言わば、時間が解決してくれるだけのものだ。知らない? 分からない? それは当然だ。私が――私達が、そうなるようにしている」

 ――どうして。

「他の連中がどういうつもりかは分からんが、少なくとも、私は隠すつもりはない。隠し事をしているということを隠すつもりは、毛頭ない」

 頬を弄んでいた足が降ろされて、今度は私の胸を軽く蹴りつけた。

「お前は、ただ覚悟をすればいい」

「なに、を――?」

「さて。――気付いていることを、わざわざ聞くべきではないな。さっきも言ったがな、立ち止まれないし、行き止まれないんだよ。やがて、その時が来る」

 やがて、時は来る。

 今は、その時ではない。

 だから、気にするな、と。

「その時が来ても許されないと思うのならば、せいぜい足掻け。そして、自らを律するのではなく、受け入れろ」

 ――言わなくても、お前なら分かりきっているだろう。

 そう言い残すと、エヴァはいよいよ足を浴槽の床に着けて、それから立ち上がった。すらりと伸びた肢体から目を逸らしながら、私もそれに倣うように立ち上がる。

 これ以上は、逆上せてしまう。

 

 それから、エヴァからインナーとおとなしめのゴシックファッションを借りた。なんだか、ベルトとか帽子とかネックレスとか、いろいろ付属品があるらしいが、とりあえず、服だけを預かった。袖を通してしまえば、それが大人しいだけのゴシックファッションであるということは、あまり気になるものでもなかった。

 夕飯も食べていけ、と言われて、特に断る理由もなかった私はその申し出に甘えることにした。

 時間になるまで、エヴァはリビングのソファで読書を始め、私は人形鑑賞を再開させた。触ることはしない。耐久性を疑っている訳ではなかったが、もしも触った拍子になにかを破損させてしまったら、私は私が満足するまでエヴァの足を舐めかねなかったので――ソレはソレでいいのかもしれないなんていう邪な思考を捻じ伏せて、ぼうっと――ただ呆っと、人形を眺めるだけの時間だった。

 茶々丸さんがテーブルの上のものを手際よく片付けて、配膳を始める頃には、さて、何体目の人形を眺めていただろうか。

 メニューは白米と焼き魚とほうれん草のおひたしと味噌汁だった。めちゃくちゃ和風でびっくりしたのは、まぁ、心の中で留めておくとして、流石はロボットがメイドをしているだけあってその味は完璧の一言だった。

 いや、ずっと同じようなメニューを食べ続けてきた私の舌が馬鹿になっているだけなんてことはない。少なくともエヴァが文句を言わずに、むしろ美味しそうに食べているのだから、間違いないだろう。

 それからエヴァは私の帰宅を付き添い、特になにか言葉をかわすこともなく、教会へと帰還を果たした。

 一応シャワーを軽く浴びて、私は濡れた髪をそのままに――服すら着ることもなく、ベッドへと横になった。脱いでそのままにしていたエヴァから借りた服を手繰り寄せる。抱き寄せて、抱き締める。

 

 ――覚悟。

 

 そうは言われても、分からない。

 

 ――気付いている。

 

 そうは言われても、分かりたくない。

 

 ――隠すつもりなど毛頭ない。

 

 ああ、全く以て、そのとおりだ。

 

 いや、やはり、それは、隠すべくして隠された、なにか。どんなに核心に迫るヒントを与えられていたとしても、それをどうにかして咀嚼することは、きっと今の私にはできっこない。

 

 ――許せるとか、許せないとか。

 ――どうでもいい。

 許されるとか、許されないとか――。

 私には関係ない――。

 

 なるほど。エヴァが言っていたことは、間違いなく私のことだ。私と、私のことだ。

 根本は変わらない。

 根源はただひとつ。

 私は、私。 

 

 ――あなたはどう思う?

 

 ――ねぇ、答えてよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――嘘つき。




 茶々丸は勢い。
 あと、地味にエヴァのログハウスは詳細があまり載っていないような気がする。別荘の方はネギの修行場所ということもあってそれなりに描写されていますが……。
 まぁ、いくら描写されていないとは言っても浴室くらいはあるだろうし、キッチンもあるでしょう。一階のリビングのテーブルは随分といろんなものが乗っていましたが、あそこでご飯食べるんですかね? 謎が多いです。

 あとこれは後悔なのですが、今回のエヴァはとてもエヴァらしくないですね。書いてても思いましたが。もう少し理解を深めなくてはならないなと感じました。小並感。
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