静けさに満ちる部屋に小雨の音が漏れ響く。
それはとてもささやかな音であった。しかしシンと静まる夜中であれば彼の意識を目覚めさせるには十分な音量となっていた。音に任せてぼんやりと身を起こせば、肩にかかった布団が落ちた。
さらさらと流れる音に誘われるように窓へと顔を向ける。……わずかにカーテンが揺れていた。どうやら閉め忘れていたらしい。
音を聞く限り通り雨のような小雨で、風もそう強くはないだろう。窓の揺れる音はしない。だけどそのままで終わってくれない可能性ももちろんある。これから大降りになって風が強まれば大変だ。ちょっと拭いただけではどうにもならないほど雨が入ってしまっては大変だ。処理が遅れて床や壁からカビが生えたら大変だ。修繕に派手に金が飛ぶ。由々しき事態だ。
だから今頑張らなくてはならないのだ。寝起きの半覚醒状態で身体は重いけれど、すぐにでも倒れて今のうちに閉めておいたほうがいいだろう。
そう思っておもむろに布団から身を出そうとした時
「……う?」
重い力に引き止められた。
「ヘクトール?」
暗闇で腰に巻き付かれた両腕の主の顔は見えない。けれど引き止めたいという意思は感じる。それでも本気で振りほどこうと動いたら、きっと外れてしまうだろう。しかしわけも聞かずにそれをするのは気が引ける。
どうしたのだろうという思いをこめて、その手を放すようにと軽くとんとんと甲の部分を叩いてみる。も、それは依然強固なままである。
「ヘクトール」
小さくやわく、「一体どうした」と「離してほしい」との意思をこめて名を呼んだ。
「やだ」
「…………んん、」
それに対する返答はいたくシンプルに、それゆえに切り崩しが絶対に出来なさそうなものであった。
しかもその音は、いつものような気だるげなそれではない。ひどく子供じみてぼやけた物言いで、掻きむしりたくなるようなむず痒さが生じていた。
きっと多分、これからしばらくどころか一生聞くことはないんじゃないかという珍しさ。きっと朝になったら本人は覚えていない。いたとしても断固としてすっとぼけてしまうのだろう。
そんな彼の寝惚けた憶測でしかないヘクトールもまた、どうしようもなく愛しくて、
「いいよ」
全て許して優しく微笑み、その頭部に向けて唇を降ろし再びヘクトールの腕の中へと収まってしまったのだ。
さらさらと静かに雨は降り続け、静寂と共に部屋の中に音と幸福を満たしていく。
そこに風が吹くことはない。
平穏な世界は平穏に保たれたまま、時を重ねていくばかりであった。