ヘクトールとぐだ男の短編まとめ   作:なまきいろ

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まだ知らぬ欲求

 共同浴場から上がりほこほこと満足顔で浴衣に袖を通す。

 「そんな薄いバスローブで風邪をひかないか」と最初の頃は心配されたりもしたがやはりこれが一番馴染む。これまで風邪もひいたこともないし日本出身のサーヴァントも増えて理解も広まり嬉しい限りだ。

 それにしてもドクターが日本贔屓だとはいえお菓子どころか浴衣まで購入していたとは。ドクターサイズだから少しだけ大きめだけど、調整出来ない範囲でもない。快く譲ってくれて感謝である。いつか時間が空いたらお礼に和菓子のひとつでも作ってあげられたらいいのだけど。

ともかく今日の分のレイシフトも報告書も終えたし、あとは自由に羽根を伸ばしていいのだ。気兼ねなくゆっくりするとしよう。

 「そういやマスターは首が苦手なのかい?」

 「んえ?」

 早々にマイルームに引きこもってしまおうとした矢先、いつの間にか隣にいたヘクトールに問われる。レイシフトから一緒に帰って一緒に浴場に来たのだから上がるのも大体一緒になるのも不自然な話ではない。不意はつかれたが驚きはしていない。

 しかし何故首。

 疑問に思いながらも自分の手を添えてみる。

 「分からないよ。なんで?」

 「雨が首に落ちてきたとき随分大袈裟に驚いていたからさ」

 「あれはいきなりだったから」

 最近はあんな跳ねた声なんて戦闘中でも出さなくなってきていたというのに。恥だ。からかう声音に頬を膨らませればまたからからと笑われる。不服不服と彼の頬はまた膨らみまた笑われる。

恥を誤魔化すように彼は自身で添えていた手をさっさと払い仕切り直す。

 「分からないよ。首筋なんて自分でも触らないし人が触るものでもないんだから。びっくりしただけ。ただそれだけ」

 「ふうん?」

 なんだか嫌な予感がする。

 だからさあこれでこの話はおしまい。お互い部屋に戻って休息といこう。お互いもう疲れているのだから余計に疲れることをする必要はないのだ。

 そういうことに、したかったのに、

 「ひゃっ!」

 突然伸ばされ首筋に掠める指に、あの時と同じく身が跳ねた。

 静電気とは違う肌のざわめき白黒となる彼の瞳にヘクトールのいじわるなまなざしがかちあった。

 「苦手じゃん」

 「びっくりしただけ!」

 「ふうん?」

 「…………ひぅ」

 意図的に首筋に触れられるなんて初めての事態についムキになってしまったが、選択を間違えた。そう気付くまでに時間はかからなかった。

 だって本当に知らなかった。

 確かに雨粒が落ちてきたときはびっくりしたけれど、ヘクトールの指が掠めたときもびっくりしたけれど。自分じゃない誰かに触れられてなぞられることにこんなにおかしな気持ちになるなんて、知らなかった。

 「……ふ、んん……くぅ」

 ヘクトールの指がただ首筋にあるというだけなのだ。

 それなのにくすぐったいとは違うこそばゆさが首だけでなく背を伝って身体がびくつく。それを抑えるために背を丸める彼を面白がってヘクトールは更に柔らかに撫でていく。時々行き場を持て余した親指で耳の付け根をなぞるという思いもしない位置からの刺激に身体がまたびくついた。

逃げたいけれど逃げるわけにはいかない。これ以上オーバー振る舞えばまたどんなからかわれかたをされるのか分からない。耐えなければ。それでもどうにか何かの感覚を閉じることは出来ないかと目を閉じたばかりに更に感覚は澄まされ身が震える。

 人間やはり首は弱点なのだ。おいそれと軽率に晒してはならない。

 得も言われぬ感覚の中で痛感しながらヘクトールの飽きを待っていた。

 「なんか、ごめんなマスター」

 「…………ぅぇ?」

 降る言葉と共に手は離され、見上げれば苦笑い気味のヘクトールがいた。

 「ちょっとしたいたずらのつもりだったんだが、大分駄目みたいだな。悪かった。もうしないよ」

 「え?ぁ……あの……、えと……」

 「じゃあな。あとはゆっくり休みな」

 「…………うん」

 何事もなかったかのようにひらひらと手を振り消えるヘクトールを見送り脱衣場にひとり残される。今さらになって変な声が漏れて恥ずかしいと咄嗟に噛んでいた指の関節が痛みだす。

 「……………………なんだったんだろう」

 少し強く息も止めていたみたいだ。酸欠気味のぼんやりとする頭で残る感覚に恐れながら首に自分の手を回す。けれどヘクトールに触れられたような感覚はなく、安心したような不可解のような。

 「なんだったんだろう」

 首を触られるというのは、いいか嫌かと言われたらやはり遠慮しておきたい感覚であった。

 けれどヘクトールがもう触れてくれないのだと思うと、あの武骨な指に撫でてもらえないのだと思うと、もうあの感覚は与えられてもらえないと思うと、それはそれで寂しく思う気持ちもあって、自分にとっては特別に感じた何かはヘクトールにとっては何でもないいたずらでしかないというズレに心のどこかが軋んでいて、

 「………………ぇぅ」

 言い様のない感情と感覚の中でひとり立ち尽くしていた。

 

 

 

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