この手を離さない 作:八銀はジャスティス
当作品の始まりです
合い言葉は、八銀はジャスティス
「着いたで。ここが今日から住む家や」
僕は、師匠に連れられて大阪にある清滝家に来ていた。今日から僕はここに住むことになる。こうして今体験してみて思う。前生において僕は、大胆な決断をしたものだ。僕はまだ幼稚園児だ。中身こそあれだが、体は正真正銘の幼稚園児だ。
前生においては、中身まで幼稚園児だ。そんな幼稚園児の僕が、親元まで離れて見知らぬ土地、見知らぬ家庭の元に引っ越す。大胆極まりない行動だ。当時の僕の心境までは流石に覚えていないが、不安は無かったのだろうか?それ以上に、好きなだけ将棋に取り組めるという環境が魅力的に映ったのだろうか?今となっては知りようも無い。
それよりも、だ。清滝家だ。ここは間違いなく清滝家だ。僕の記憶が間違いなければ、前生における弟子入りの日取りと今生におけるそれは完全に一致している。と、いうことはだ。この家には既に、あの子が住んでいるはずなのだ。僕が心の底から愛する、あの子が。
「桂香、帰ったで」
師匠が玄関の戸を開け、家内に声をかける。ほどなくして、一人の女性が姿を現す。この女性こそ、師匠の娘にして前生における僕の妹弟子、清滝桂香さんだ。この時まだ高校一年生でありながら、既に完成された体を持つ悪魔的魅力のある女性。
僕は前生において、桂香さんのことが好きだった。僕はそれを当初は、恋愛感情だと感じていたが、後からそれはただの家族愛だったんだと気づいた。逆に、ただの家族愛だと思っていた感情が、蓋を空けてみれば重度の恋愛感情だったんだから、人間の感情というのはわからないものだ。自分の感情に対しても全くわからないのだから、人の感情に対して理解ができるわけがない。だから、鈍感と呼ばれてもそれは僕のせいじゃない。僕は全く悪くないんだ。きっと。
そんな桂香さん。前生においては、幸せな家庭を築いていた。お相手は鏡洲飛馬さん。
プロ棋士だ。確か、僕が付き合い始めた一年後ぐらいに付き合い始めて、更に一年ぐらいで結婚していた。付き合ってる期間中には、ダブルデートなんかもしたことがある。棋士として遅咲きだった二人。お互いの気持ちも良く理解できていたことだろう。端から見ていても、お似合いのカップリングだった。
そして桂香さん、棋士として本当に遅咲きだった。だけど、咲かせた花は色褪せない輝きを放っていた。女流史上最年長で初のタイトル、女流名跡を獲得したかと思うと、そのままストレートでクイーン女流名跡を獲得してみせたのだ。
女流名跡というタイトルは、元々女流名人と名付けられる予定だった。しかし、女流棋士が名人という称号を名乗るのは畏れ多いという理由から、この名前が付いた。
何が言いたいかというと、つまりこのタイトルは、女流における名人なのだ。序列こそ女王や女流玉座に負けるが、それでも名人なのだ。清滝鋼介の夢見た、名人なのだ。女流とプロの違いこそあれど、桂香さんは、父の夢を代わりに叶えたことになる。
その頃は、既に師匠はこの世を去っていた。だけど、きっと師匠がもし存命だったならば、こう言っていたことだろう。「さすがわしの娘や!」「夢がまた叶ったわ!」と。
そして鏡洲飛馬さんだが、彼については今は語らなくてもいいだろう。またの機会に取っておこう。
「おかえりなさい、ってその子は?」
「この子も、今日から一緒に暮らすからな」
「は?」
一瞬ポカンと呆けた後に、何言ってるんだこのおっさんとでも言いたげに師匠のことを睨み付ける桂香さん。師匠は、その視線から逃げるように僕の紹介へと入った。
「福井から来た九頭竜八一くんや。この子は強い。中学生プロ棋士も夢やないで」
「初めまして。九頭竜八一です!今日からお世話になります!」
「あら。ご丁寧にどうも。私は清滝桂香。このおじさんの娘よ。早速で悪いんだけど、私はこれからこのおじさんをせっきょ……このおじさんとお話があるから、八一君は二階で待っててくれる?」
今桂香さん、絶対説教って言いかけてたよ。そう言い残すと、桂香さんはこちらの返事も聞かずに師匠の耳を引っ張って奥に引きずっていってしまった。その際の師匠の目が、僕に助けを求めていたように見えたが、僕は師匠のことを思い無視することにした。これは師匠の名誉のための行動だ。師匠が、6歳の弟子に助けてもらっただなんてことがあれば、師匠のあるかどうかもわからないブランド力がきっと低下してしまうことだろう。それを避けたわけだ。決して、桂香さんが怖かったとか、師匠を見捨てた言い訳をしているわけではない。
さて、それよりも2階だ。僕が、前生において、運命の出会いを果たした場所。または、運命が決定づけられたと言ってもいいかもしれない。僕の人生における、最大のターニングポイント。その時がいよいよ近づいていた。
階段を使い、2階へ上がる。そこには、部屋が2つだけあった。手前の部屋は、桂香さんの部屋だ。正直、めちゃくちゃ入りたい。前生で僕は、知らなかったとはいえここで桂香さんの部屋に入ってしまう。そこで目にしたのは、いや手に取ったのは、綺麗に片付けられた部屋の中で、何故か無造作に置かれていた桂香さんのブラジャーだった。
きっと、また置いているんだろう。入りたい。めちゃくちゃ入りたい。また手に取りたい。え?精神年齢ジジイの僕がなに盛ってるんだって?そりゃ当然だろ?男はいくつになってもケダモノなのさ。
まぁ、非常に残念ながら、本当に残念ながら、僕はその部屋に入らず進む。名残惜しそうに5回ぐらい後ろを振り返ってしまったことは許して欲しい。さぁ、それよりも本命だ。僕が今から入る部屋、そこに彼女はいるはずだ。僕は高鳴る鼓動を必死に押さえつけ、その部屋へと足を踏み入れる。
いた。いてくれた。安心した。今だから言おう。正直僕は、この部屋に入るまで、それこそ僕が今生にて自我を持ったあの日からこの部屋に入るまでの間、ずっと不安で仕方がなかった。もし、彼女がここにいなければどうしよう。彼女と出会えなければどうしようと。そんなの、こうしてまた生を受けた意味が無いじゃないか。僕の人生は、将棋と彼女がいなければ成り立たないのだから。だから、心から今の状況に安心した。
部屋の真ん中に佇む少女。前生と全く同じシチュエーション。僕は、最初彼女のあまりにも人間離れした容姿と雰囲気から、お化けと勘違いをした。流石に、第一声で「お化けですか?」は無いだろう。それは、彼女に晩年までイジられるネタにされていた。
だけど今改めて目にして思う。あぁ、これはお化けと勘違いしても仕方ないかもしれない。それほどまでに、現実離れした美しさを彼女は擁していた。賞賛する言葉はいくらあっても足りない。まぁ、きっとこの世界に、彼女の美しさ、可愛さを一語で形容する言葉なんて存在しないのだろうから、仕方ない。
僕は前生において、最期の時まで答えがわからない難問が一つあった。それは、僕が一体いつ、どの時点から彼女のことが好きだったのかという問題。どんな詰め将棋よりも難解なその答え。だけど今ならわかる気がする。きっと、この瞬間からだったのだ。初めて彼女に出会った、この瞬間から既に僕は惹かれていたのだ。自身でも気づかぬ内に。
紹介しよう。彼女の名前は空銀子。今更説明は不要だろう。
僕の………最愛の
「初めまして。僕の名前は九頭竜八一。今日から、ここに住むことになったんだ」
彼女に会えたことによって、溢れ出しそうになる涙を必死に抑えながら、僕は改めて自己紹介を行う。僕は銀子ちゃんのことを良く知っている。なんでも知っていると言っていい。だけど、銀子ちゃんは違う。この銀子ちゃんは僕のことをまだ何も知らない。だから、まずは僕のことを知ってもらおう。丁度おあつらえ向きに、僕達は
「将棋盤を持ってるってことは、君も将棋を指すの?だったら一局指そうよ!」
もちろん、将棋だ。僕の言葉に同意するかのように、銀子ちゃんは幼少時代いつも肌身離さず持ち歩いていたマグネット式の将棋盤を広げてくれる。駒を並べて、じゃんけんで先手後手を決める。結果、先手は僕となった。
「さて、何を指そうかな」
と言っても、銀子ちゃんとの初対局で何を指すかなんてものは、師匠との初対局時のように、以前から決めてあった。僕は、そんな素振りを見せずに、あたかも今決めましたと言わんばかりに
前生においての、僕と銀子ちゃんの初対局の戦型は相矢倉だった。だけど、今回は相掛かり。前生における、僕と銀子ちゃん最期の対局の戦型だ。あの時は全く良いところなく、僕の負けとなってしまった。これは、あの時のリベンジだ。相掛かりは僕の得意戦法だ。そう何度も負けるわけにはいかない。
お互い歩交換を果たし、それぞれ2六飛、8四飛と浮き飛車の形を取る。その後、お互いに棒銀を試みるが、いとも簡単に防がれ、陣形を固めにかかる。いちご囲いと呼ばれる陣形だ。相掛かりの盤面では、良く出現するこの陣形で、相手の出方をお互い窺う。しばらく小競り合いを続けながら、戦力を確保していくうちに、突然銀子ちゃんが異様な仕掛けを見せてきた。
「え!?飛車を!?」
どうぞ取って下さいと言わんばかりの一手。飛車を切ってきたのだ。だが、この手が実に妙手だった。取らなければ、詰めろがかかる。だが取ってしまえば……
「くっ、飛車が……」
角による王手飛車がかけられてしまう。実質の飛車交換。更には、銀子ちゃんは敵陣奥深くに馬まで作れてしまうおまけ付き。その後も銀子ちゃんは、作った馬を起点にしてこちらの囲いを次々と食い破ってくる。僕は、いつの間にか防戦一方となっていた。
「つ、強い……!」
確かにこの当時は、棋力で言えば銀子ちゃんの方が確実に上だった。だけど、まさか経験という武器を持っている僕をしても、埋められない棋力だとは思いもしなかった。まぁ、正直に話せば
というのは建前で、本音を言うなら、ただ浮ついていただけだ。久しぶりの銀子ちゃんとの出会い、対局。それらの状況に、ただ浮ついていたのだ。目の前の盤面よりも、目の前の少女のことが気になって仕方がなかった。微かに靡く美しい髪、綺麗な色をした瞳。考えに耽る仕草。そんな、彼女を形作る要素全てに僕は釘付けになっていたのだ。
「負けました」
その結果がこの敗局だ。まぁ、今更何を言っても言い訳にしかならない。今は負けた事実を受け入れ、銀子ちゃんとまた巡り会えたことを将棋の神様に感謝しよう。
「ん」
銀子ちゃんが、僕に向かって左手を伸ばしてくる。確か、前生でも初対局の時は、終わった後にこうやって銀子ちゃんの手を握ったんだっけ。
「熱い……」
その手は、確かな熱を僕に伝えてくれた。熱くたぎる、銀子ちゃんの熱を。銀子ちゃんは、本気で対局をすると発熱をする。この熱は、彼女がいかにこの対局に本気で取りかかってくれていたかを教えてくれている。浮ついた気持ちで指してしまって申し訳無い。
「ぎんこ」
そして、彼女はそこで初めて自身の名を口にする。そういえば、僕はこの時まだ彼女の名前も知らなかったんだった。対局よりも前に、することがあっただろうと自省する。そして彼女は、可愛らしく勝利宣言するのだった。
「私の勝ちよ……ばかやいち」
斯くして、僕と空銀子はまた出会った。出会ったとはいえ、今生が前生と同じように、僕達が結ばれるとは限らない。この頃の彼女は、おそらく僕に対してまだ恋愛感情は一切持ち合わせていない。彼女が他の男を好きになってしまうことだって、十分考えられる。想像しただけで、死にたくなってしまうようなことだが。
だけど、僕と彼女のことだ。きっと、いや間違いなくこんなものは杞憂に終わることだろう。え?どうしてそう言いきれるのかって?そりゃ当然だろ?だって、僕は九頭竜八一で、彼女は空銀子なのだから。これ以上の理由が必要だろうか?これ以上に説得力のある理由があるだろうか?きっとそんなもの、この世の何処にも存在しないだろう。
そう。僕は九頭竜八一なのだ。憐れな白雪姫に恋をした王子様なのだ。彼女が困っていたら真っ先にかけつけ、この手を伸ばそう。溢れる涙を、この手で受け止めよう。だってそれが、恋する王子のおしごとなのだから!
なんて格好つけてみたが、結局前生における僕は、彼女の手を一度離してしまい、大きな痛みを与えてしまっている。そんな情けないクズ竜王が、どの
だけど、僕だって男だ。女の子がお姫様になりたいと憧れるように、男が王子様に憧れて何が悪い。僕だって、いつまでもクズでいたくないんだ。そしてクズを捨てるチャンスが、今巡ってきたんだ。このチャンス、逃してなるものか。
だから僕は、未だに繋がった彼女の小さな手に、こう誓った。
もう二度と、この手を離さない
(再登場を)待たせてごめん。銀子ちゃん
遅いよ。ばかさくしゃ
というわけで銀子ちゃん再登場でした
ここからイチャラブが加速するかもしれないし、しないかもしれない
次の投稿もあさって……と言いたいけれど、明日は何の日か当然皆さんご存知ですよね?
日付が変わったタイミングで特別編投稿しますので、ケーキとブラックコーヒーを用意してお待ち下さい
追記:皆様のおかげで、評価バーに赤い色が付きました。
これからも頂いた評価に恥じない作品を目指して邁進していきますので、完結までお付き合い頂けるとありがたいです。
本当に、ありがとうございます!