この手を離さない   作:八銀はジャスティス

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合い言葉は、八銀はジャスティス。


第19局 師匠の挑戦2

月は進み、4月。

名人戦開幕局前々日。検分を翌日に控え、その日師匠は、自宅で対局時に着る和服の試着を行っていた。今生で初めて目にする師匠の和服姿は、神々しかった。俺と銀子ちゃんが憧れた、師匠の和服姿。その姿をまた拝見することができて、俺は感慨に耽っていた。

 

「師匠、カッコいいね」

 

「うん」

 

俺の言葉に、銀子ちゃんも同意を返してくる。銀子ちゃんは、師匠の和服姿をずっと見つめていた。

 

「……カッコいい」

 

しばらく見つめ、おそらく無意識にだったのだろう。銀子ちゃんの口から言葉が飛び出す。その目は依然師匠の和服姿を見つめていた。

 

「私も、着てみたい」

 

「うん。俺も早く着てみたい」

 

「八一より私の方が先に着るから」

 

「えー?絶対俺の方が先だと思うけどな」

 

「ここは姉に譲りなさい」

 

「これだけは、銀子ちゃんでも譲れないね」

 

銀子ちゃんに先に着物を着られるということは、銀子ちゃんに先にタイトルに挑戦されるということだ。それだと、俺の目標が達成できなかったということになる。だから絶対に、これだけは譲るわけにはいかない。

 

「どうや?銀子、八一。中々様になっとるやろ?」

 

「はい!凄くカッコいいです!」

 

「カッコいい」

 

「そうかそうか!二人ともよーわかっとるわ!桂香!今日の晩飯は豪勢に頼むで!」

 

「はいはい。明日は大事な対局なんだから、お酒は無しね」」

 

「わかっとるわ」

 

その日の夕飯は、師匠の希望通り桂香さんが腕によりをかけた豪勢なものになった。余談だが、俺は食い過ぎのあまり、その晩何度もトイレに駆け込んでしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌々日、名人戦の開幕局は予定に(たが)うことなく、無事に開局された。今日の対局は、場所が遠かったために、俺と銀子ちゃんは家でテレビ越しでの観戦をしている。日程や開催場所は、俺の記憶通りなら前生のそれと一致している。第5局に大阪対局があるのも一緒だ。師匠も、その対局に俺たちを連れて行ってくれると言っていた。

 

対局は、矢倉に構えた師匠に対し、月光名人が急戦を仕掛ける形で開戦を迎えた。兄弟弟子対決となった今回の名人戦。輝かしい棋歴を残してきた月光名人と、藻掻き苦しみ棋歴を積み重ねてきた清滝師匠の対局。それを盤上で表現するかのように、対局は進んでいく。

 

惚れ惚れするような無駄の無い綺麗な将棋を見せつける月光名人に対して、師匠からは早くも泥臭く粘って勝ちきるといった意思がその指し手から伝わってくる。だけど、月光名人は師匠のそんな意思表示にお構いなく、目が見えていないにもかかわらず、ロープの上を走る軽業師かのように、狭く細い攻め手を軽やかに、鮮やかに決めていく。その一手一手に、思わず苦い顔で返してしまう師匠。その攻め手に苦しんでいるのは間違いない。

 

一日目は、師匠が長考してからの封じ手となった。封じ手する側は、封じ手時刻になってからも長考することはできる。師匠は、封じ手時刻の18時30分になってからも長考を続け、結局封じ手に応じたのは20時を回った頃になった。苦しんだ上に選んだ封じ手。しかし、見ている者にはその盤上の形勢はよく、よくわかっていた。万が一にも、師匠がここから勝つことは無いであろうことを。それこそ、月光名人が数度大悪手を繰り返さない限りは。そして、それも見ている者にはよく、よくわかっていた。あの月光名人が、そんなヘマをするわけがないと。それを証明するかのように、開幕局は、二日目のお昼休憩を迎えるでも無く、師匠の投了により終局を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー!流石月光さんや!完敗やわ!」

 

その日の夜、師匠は機嫌良さそうに酒を呷り、今日の名人戦の感想を俺たちに話してくれた。あまり負けたことを気にしていないのか、師匠の表情は明るい。

 

「まだ1局負けただけやからな!後3局負ける前に、4局勝てばええねん!」

 

師匠はそう言って、機嫌良さそうに笑う。今日負けたのは、たかが開幕局。たかが1局に過ぎない。さして、気にすることでも無い。そう考えているのだろう。だけど、前生において数多くのタイトル戦を経験してきた俺は知っている。その開幕局での勝敗というのが、如何に重要であるかということを。師匠は、果たして知っているのだろうか?勝敗で先を行かれる、重圧というものを。俺は、その後も機嫌良さそうに酒を呷る師匠を見ていると、怖くて聞くことができなかった。師匠の、開幕局への理解度について。

 

その夜のことだった。俺は、深夜にトイレに行きたくなり眼を覚ました。トイレで眼が覚めるなんて、実に年寄り臭いと思う。俺は、寝ている銀子ちゃんを起こさないように、静かにベッドから抜け出した。因みに、今日は別々のベッドで寝ている。銀子ちゃんが上で、俺が下だ。つまり、ベッド争奪対局は俺の負けだった。師匠のことが気になって、対局に集中しきれなかったのだ。決して、負けた言い訳をしているわけではない。

 

トイレを済ませて部屋に戻ろうとする俺。その俺の耳に、パチン、パチンという聞き慣れた音が微かに聞こえてくる。俺は、その音に釣られて、発生源へと足を進める。音の発生源は居間だった。普段から、師匠に指導対局をよくして頂いている場所。その居間に、誰かが正座している。その前には、七寸盤が置かれ、誰かのシルエットは、その盤に向けて指を動かしている。おそらく駒を打ち付けているのだろう。シルエットの動きに合わせて、パチン、パチンという音が聞こえてくる。明かりも付けずに、そのシルエットは一心不乱に指を動かしていた。そのシルエットが、誰のものなのかは、俺にはわかっていた。師匠だ。師匠が、暗い部屋の中で、只管指を動かし続けていた。

 

俺は、少しずつ師匠に近づいていく。師匠は、俺が近づいても一切気づかずに、盤だけを見つめていた。俺は、師匠まで2メートルほどの位置まで近づく。それでも、師匠は気づかない。盤と駒以外に意識が向いていないようだ。この距離まで近づいたことによって、暗くてわからなかった師匠の表情が見えるようになった。その表情は、悲痛という字を絵に描いたかのようだった。眉間に皺を寄せて、まるで、何かを堪えているかのように見える。

 

「なんで、なんでわしは……わしは……あんな手を、あんな手を……」

 

師匠が呟く。あんな手と言われて、思い浮かぶ手が一つあった。昨日の封じ手前だ。封じ手の一つ前に師匠が指した手。それは、満場一致で大悪手と認定されるような、最悪な一手だった。只でさえ形勢を悪くしていた師匠は、その一手により逆転の可能性を無くしてしまったとも言える。直ぐさまその悪手を月光名人に咎められ、師匠の封じ手の大長考に繋がった。

 

俺は、師匠が指している盤上に目を向ける。師匠は、駒を一手ずつ進めて行っていた。棋譜をなぞっているのだ。今日の対局の棋譜を。月光名人側の駒も自身で動かし、棋譜通りに盤面を進めていく。そして、大悪手の局面に来ると、師匠は棋譜を外し、違う手を指し始めた。それは、驚嘆するべき、完璧な一手だった。大悪手とは、まるで違う。ここからの展開次第では、逆転も可能であろう完璧な一手。おそらく、対局後に気づいたのだろう。この手を指せていれば、全く違う結果になっていたかもしれない。その手を指し、しばらくすると、師匠は駒を初期配置に戻し始めた。そして、また棋譜通りに駒を進め始める。駒を進める師匠の手は、小刻みに震えていた。

 

あぁ、そうだ。当然だ。師匠だって、悔しいに決まっているのだ。怖いに決まっているのだ。不安に決まっているのだ。それを俺たちに悟られないために、あぁやって上機嫌に見せかけていたのだ。あれは只の空元気だったのだ。師匠は、震える手で駒を進めていく。そしてまた、最終地点まで駒を進めると、また師匠は初期配置に駒を戻し始める。戻し終えたところで、俺は師匠の対面へと正座した。

 

「やい……ち……?」

 

そこで俺の存在に初めて気づいた師匠は、俺の名前を声に出す。その声は、本当にこれは師匠の声なのか?と疑いたくなるほどに、弱々しいものだった。震えも混じっている。

 

「こんな時間に起きてて、悪い子やな。何しとるんや?」

 

「将棋は、一人じゃ指せないでしょ?」

 

その俺の言葉を聞いて、師匠は目を見開いた。そして、眼を手で抑えて、絞り出すように声を出す。

 

「ほんまに、悪い子や。悪い……子や……!」

 

俺は師匠の手の隙間から零れる雫を見ないようにしながら、最初の一手を進めた。師匠は悔しかったのだろう。怖かったのだろう。今日の一手をよっぽど後悔していたのだろう。その全てを、今は俺にぶつけて欲しい。その全てが、次の対局には必要無いものだから、師匠にはここで捨ててもらわないといけない。師匠は、一手一手に力を込めて指していく。何かを盤上に吐き捨てるかのように、一手一手を指していく。俺と師匠は、そのまま朝まで将棋を指し続けた。日が昇る頃には、師匠の手から震えは消えて無くなっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後行われた第2局も、師匠は接戦の末に月光名人に敗れてしまった。だけど、目立った悪手もなく、師匠も手応えは感じたらしい。その夜、俺は師匠とまた朝まで将棋を指した。開幕局の時よりも、師匠の震えが消えるのは早かった。

 

第3局。師匠はこの日も、月光名人に敗れてしまった。一手差で。その対局内容は、実に素晴らしいものだった。関係各所から、名局賞候補に名前が挙げられるほどの素晴らしい対局だった。番数を重ねるごとに対局内容を向上させていく師匠に、周囲の反応も比例するように上がっていった。次は勝てるんじゃないか?ここから逆転もあるんじゃないか?と。将棋の歴史において、七番勝負のタイトル戦で開幕3連敗した側がタイトルを手にしたことは無い。前生においても、俺が名人相手に逆転防衛を果たしたあの対局が唯一だったのだ。その偉業を、周囲は師匠に期待する。その対局の夜も俺は、師匠と朝まで将棋を指した。師匠の手は、その日は最初から震えていなかった。その師匠の状態を見て、俺も思わず期待してしまう。前生では叶わなかった、師匠の夢が叶うのではないかと。そして、5月末。運命の第4局が、行われる。舞台は俺の地元、福井だ。福井のとある温泉街にある旅館が対局の舞台となる。

 

「それじゃ桂香さん、行ってきます!」

 

「行ってきます」

 

「桂香、留守は任せたで」

 

「はーい!お父さんも、頑張ってね!八一くん、銀子ちゃん、お父さんのことお願いね」

 

その日、俺と銀子ちゃんは福井へと師匠と共に行くことになった。俺が師匠に無理を言ってお願いしたからだ。前生では、まぁあれだ。俺たちが色々と問題を起こしてしまった福井対局。今回は、最初から同行することが許された。しかも、検分まで見学させてくれるらしい。なんて太っ腹なんだ。福井の旅館に着き、一息吐くと、俺たちに話しかけてくる人物がいた。

 

「八一君、銀子さん、遠路はるばるお疲れ様です」

 

17世名人、月光聖市。盲目の天才棋士。師匠と同い年とは思えないほどに若々しい容姿をしている、現名人。俺も、今生で既に何度か会ったことがある。師匠と兄弟弟子の関係にあるので、顔を合わせる機会が多いのだ。

 

「月光名人、お疲れ様です!」

 

「お疲れ様です」

 

「お二人とも、今日は検分も見学されるということで、疑問などがありましたら、なんでもお尋ね下さいね。おっと、では私はこれで」

 

月光名人が離れていくと、直ぐに師匠が俺たちの元へとやってきた。足音で師匠の接近を察したのだろうか?どうやって師匠の接近に気づいたのかまではよくわからなかった。

 

「なんや、気を使わせてもうたかな」

 

明日、師匠と月光名人は対局をする。対局者同士、対局前日に顔を突き合わせるのは気まずい物だ。不必要なそれを避けるために、月光名人は場を去ったのだろう。月光名人が気まずいと感じているわけではない。師匠がそう感じないようにするための配慮だ。

 

「八一、銀子。今から検分や。行くで」

 

師匠に案内され、俺たちは対局室へと入っていく。見覚えのある対局室。前生で、俺たちはこの部屋の庭から、この対局室に侵入してしまったことがある。その時は、俺もまだ奨励会員にすらなっていなかったこともあり、更には月光名人の気遣いによって不問とされたが、今の俺は奨励会員だ。前生と同じ結果になるとは限らない。今日師匠と一緒に現地入りさせてもらったのは、その未来を避けるためでもあった。

 

「鋼介、その子らがお前の弟子か」

 

「そうです。1番弟子の空銀子と、2番弟子の九頭竜八一です」

 

師匠が俺たちのことを紹介してくれる。その相手は、今回の対局で立会人を務める蔵王達雄九段。ナニワの帝王の異名を持つ、関西を代表する棋界の重鎮だ。

 

「九頭竜八一です!よろしくお願いします!」

 

「空銀子。よろしくお願いします」

 

「ほう。幼いのにしっかりした子らやな」

 

「二人とも、将来は関西を代表する棋士になります。八一は、小学生プロ棋士も狙える才能かと」

 

「それはおもろいな。楽しみにしとくわ」

 

蔵王先生は、そう言うと検分の進行へと入っていった。明日使用する盤と、駒の説明が進められていく。そして、月光名人と師匠が実際に駒を並べて、感触を確かめていく。

 

「二人とも、何か要望はあるかの?」

 

「そうですね。私は、少し空調を上げていただきたいです」

 

「空調じゃな。わかった」

 

「清滝さんはどうですか?照明などに関しては、私にはわからないので、清滝さんの自由に決めていただいていいですよ」

 

「そうですな。少し照明を暗くしていただいてよろしいかな?」

 

「暗くじゃな。わかった」

 

その後も、二人が要望を言い合って、検分は滞り無く進んでいく。検分が終わると、今度は合同記者会見だ。会見も、二人は無難な受け応えで終えていく。そして夜は、前夜祭が待っている。ファンも交えての前夜祭。立食形式で行われる前夜祭。地元福井の名産が惜しみなく使われた料理の数々。俺は、久しぶりの地元の味に、舌鼓を打っていた。隣では、銀子ちゃんが持参したと思われるソースを大量に料理にぶっかけていた。あの銀子ちゃん、我が故郷の味を堪能していただきたいのですが……

 

「ようお二人さん。楽しんでるみたいだな」

 

食事を進めていた俺たちに、話しかけてくる人物がいた。鏡洲さんだ。鏡洲さんは今回、大盤解説会の駒操作係として現地入りしている。鏡洲さんとは、1月に歩夢と4人で開いた研究会を機に、頻繁に研究会を行うようになっている。銀子ちゃんも交えて、3人で開くことが多い。

 

「鏡洲さん!お疲れ様です!」

 

「お疲れ様です」

 

「おう、お疲れ様。二人とも、明日は会場で応援か?」

 

「はい!蔵王先生と一緒に別室でモニター観戦させてくれるそうです!」

 

「それは貴重な体験だな。清滝さん、勝てるといいな」

 

「師匠は勝つもん」

 

「銀子ちゃんがそう言うんなら、勝てそうだな」

 

そう言って笑うと、鏡洲さんは俺たちの元から離れていった。それからしばらく時間が経ち、師匠達、両対局者が退場する時間となった。前夜祭において、対局者は翌日の対局に備え、閉会前に退場するのだ。その後は、ゲスト棋士達によるトークショー等が行われるけど、俺と銀子ちゃんは、師匠が退場したのを見届けると、会場を後にした。今から俺たちは、今日の宿泊場所へと移動する。今日俺たちは、この旅館に泊まるわけではないのだ。ここから電車を乗り継ぎ、今日の宿泊場所へと移動する。福井の山奥に、その場所はあった。

 

「ただいま!」

 

「お邪魔します」

 

「はいはいおかえりなさい」

 

母さんが出迎えてくれる。何を隠そう、今日の宿泊場所とは俺の実家だ。俺と銀子ちゃんは、今日から2泊、ここで過ごす。

 

「まさか、八一が早くも彼女を連れてくるなんてねぇ。明日はお赤飯を炊こうかしらね?」

 

「彼女じゃないよ!姉弟子だよ!」

 

今はまだ彼女ではないのだ。母さんは昔から変わらず、いつもこの調子だから困る。その後俺たちは、風呂を済ませると、日課となっている就寝前の対局を行った。戦型は、示し合わせたかのように相矢倉となったのだった。一局を終えると、流石に疲れていたのか、俺たちは直ぐに寝ることにした。いつもならこの後も数局指すのだけど、今日は眠気に負けてしまった。

 

そして翌日、師匠の運命を左右する対局日を迎えたのだった。




もうちょっとだけ続くのじゃ。
知ってる方いるかな?
この前、ツイッターで流れてきた二次創作の根元チェックチャートなるものをやってみました。
結果は、「喜」でした。
結果の説明を見て、あまりにも自分と一致していたために大爆笑してしまいました。
あのチャート、恐ろしい。
今後も、推し事のために執筆がんばっていきます。
次の投稿はあさってです。

八銀はジャスティス

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