この手を離さない 作:八銀はジャスティス
今後も本作は、八一視点メインに希に三人称視点が入る構図になっていきますのでご了承下さい
追記:前話、日時の記載ミスがあったためほんの少しだけ修正しております。
前話及び今後の展開には一切影響はありません。
なので、一度閲覧頂いた方は、改めて修正箇所を閲覧し直して頂く必要はございません。
この度はご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。
今後とも、当作品をよろしくお願い致します。
合い言葉は、八銀はジャスティス
対局の朝。
清滝鋼介は、心地良い目覚めを迎えていた。快眠だった。これほど、寝起きが気持ちいいと感じたのはいつ以来だろうか?少なくとも、名人戦のシーズンに突入してからは無かったはずだ。ここのところ、禄に眠れない日々が続いていた。寝ようと思い目を閉じても、次の対局のことばかりが、月光名人との名人戦のことばかりが頭に浮かぶ。次はどんな戦法で行けば勝てるんだ?何を研究していけばいい?そのことばかりが、頭に過ぎっては眠れない。眠れずに、深夜にもかかわらず盤に向かい合う日々。そして盤と睨み合って、駒を打ち付けていると、いつも2番弟子である九頭竜八一が深夜にもかかわらず対局を願い出てくれるのだ。それは実に良い気晴らしになっていた。
開幕局で月光名人に敗れたあの夜、鋼介は震えて眠ることができなかった。後悔、不安、そして恐怖が震えの原因だ。開幕局での大悪手に後悔した。今後の対局が不安だった。月光名人が、怖かった。震える手で、後悔混じりの棋譜並べをしていると、八一が対面に座り、声をかけてきた。将棋は一人じゃ指せないでしょ?と。その言葉に、清滝鋼介はおもわず眼を見開く。自分は今まで、一人で月光名人と対局しているつもりでいた。だが、実はそうでは無かったのだ。自分には、共に闘ってくれる、恐怖や不安を共有してくれる家族がいたのだ。そう思うと、自然と涙がこぼれ落ちてしまった。その後朝まで八一と将棋を指し、最後に鋼介は見苦しいところを見せたと八一に謝罪すると、八一は何のことですか?盤面に集中しててわからなかったです。と、
今日はその八一と、1番弟子である空銀子も応援に来てくれている。そう考えただけで、福井に入ってからの鋼介には、不安や恐怖は一切無かった。心強い家族が側に付いているのだ。
「カッコ悪いところ、見せられへんな」
弟子達は、自身に憧れを抱いてくれている。こんな、40を過ぎてやっとタイトルに挑戦できるような無才な自分に。そんな未来明るい弟子達を失望させるわけにはいかない。恥ずかしい対局は見せられない。そう考えると、普通は対局に臨むのが、弟子達に自身の対局を見せるのが怖いと感じるだろう。だが、そんな感情は鋼介には一切湧いてこなかった。むしろ、早く対局がしたいとすら考えていた。対局が、楽しみで仕方が無かった。それほどまでに、今の鋼介には自信が溢れていたのだ。対局が待ち遠しいと感じたのは、一体いつ以来だろうか。非常に充実した目覚めだった。
「おはようございます」
朝食を済ませて、早くも対局室へと入場する。そこに月光名人の姿はまだ無い。対局の準備を進める記録係と、自分の準備を進める観戦記者、集まった報道陣に立会人の蔵王達雄の姿は既にある。まだ来ていないのは月光名人只一人だけだ。
「おー、鋼介。早いな」
「なんや、対局が楽しみで楽しみで仕方なかったもので。こんな気持ち随分と久しぶりですわ」
「それはええことや。今日はええ対局が見れそうやな」
「期待しとって下さい。それと先生、今日と明日は弟子達のことよろしく頼みます。二人ともしっかりした子やから、ご迷惑お掛けすることは無いと思いますが」
「おー、あの子らなら今朝早くに挨拶にやってきたわ。ほんまに幼いのにしっかりした子らや。師匠の教えがええねんやろな」
「そんなそんな。ワシなんか何も教えてません。むしろ、ワシが教わってるぐらいですわ」
「謙遜せんでええ。あの子らのことは心配せんでええ。鋼介は今日の対局だけに集中しとき。聖市と二人、最高の対局を頼むで」
「ありがとうございます。任せといて下さい」
「おはようございます」
鋼介と達雄が会話を終えると、見計らったかのように月光名人が対局室に姿を現す。盲目なのを感じさせない優雅な立ち姿。鋼介と同い年とは思えない若々しい姿。しかし彼からは、鋼介をも上回る威厳が、覇気が感じられた。棋界屈指の天才棋士。その実力は、昔から嫌と言うほど知っている。自身の勝ち目は、低いのかもしれない。だが、それでも今日は、今日からの4連戦は勝たせてもらう。鋼介は、一歩も引かないつもりだ。
「もう皆さんお揃いですか?」
「おう。聖市が最後や」
「それは、お待たせしてしまい申し訳ございません。早速、初めて行きましょう」
月光名人は、一言謝罪すると、上座に腰を下ろし、駒袋の封を開け始めた。その手つきは、本当に見えていないのかと疑うほどに手慣れた物だった。駒袋から駒を取り出すと、お互い交互に駒を取り、初期配置に並べていく。ものの5分足らずで全ての行程を終え、後は開局の時を待つだけだ。
「時間やな。初めてくれ」
達雄が合図を出し、対局が開始される。開幕局の振り駒にて、月光名人が先手を獲得していたため、第4局となる今回は鋼介の先手となる。鋼介はゆっくりと大きく深呼吸をすると、最初の一手を動かした。この一手は、福井に入る以前から決めていた。
「7六歩」
駒を動かすと、凄まじい数のフラッシュが鋼介の手元に向けて放たれる。鋼介はその光にアピールするかのように、動かした歩をグリグリと指で盤に押しつける。月光名人が盲目であるため、彼と対局する際は、対局者は符号を口頭で言う必要がある。彼の為の特別ルールだ。
「ほなら、報道陣は退室願えるかのう」
達雄のその言葉に従い、集った報道陣は対局室を後にする。それに続いて、達雄も部屋を出て行く。出ていこうとした達雄と、鋼介の目が合った。達雄はその鋼介の視線を受け止めると、静かに頷いたのだった。弟子達は任せとけとのことだ。その達雄の反応を見て、鋼介は静かに微笑んだ。
「3四歩」
足音で部屋から全員退室したのを確認してから、月光名人は駒を静かに動かした。お互いに角道を開く展開。特に変わり映えもしない、至って普通の初手の展開だ。
「6六歩」
その月光名人の手を見て、鋼介は角道を閉じた。月光名人には、鋼介が角道を開いた時点で、いや、対局前から鋼介が何を指してくるのかはわかっていた。矢倉。鋼介が最も信頼し、最も愛着を持っている戦法だ。この後が無くなった第4局。鋼介なら必ず矢倉で来るだろうと確信していた。開幕局も鋼介は矢倉で挑んできた。その際は、急戦を仕掛けて鋼介の矢倉が機能する前に勝負を終わらせてみせた。だが、流石に今回は上手く行かないだろう。鋼介からは、急戦で来るなら急戦で来いと言うような、誘われているような雰囲気すら感じる。目には見えないが、何かを自分に訴えかけてくるように一手一手強く打ち付けられる駒から、聴覚にそのように挑発されているように感じる。
罠。そのような考えが思わず浮かんできてしまう。月光名人は、早くも長考し、自身が指す戦法を考える。ここまで開幕3連勝と来ているのだ。この局は落としてもいいから、罠かもしれない道を選ぼう。なんて考えることは月光名人にはできなかった。その原因は、鋼介の調子だ。鋼介は、この番勝負が始まってから対局を重ねるごとに調子を格段に上げていっている。前回の第3局では何度か負けを覚悟した局面があったほどだ。おそらくそれが原因なのだろう。月光名人の脳信号はさっきからずっと警鐘を鳴らしていた。この局で負けると、マズイと。たっぷりと時間をかけて、月光名人は手を動かした。そして直ぐさま鋼介が手を進める。その後しばらくは、お互いに小考程度に抑えて、手を進めていく。しばらくして、今局の戦型が姿を現してきた。相矢倉。月光名人は、様子見も込めて鋼介に合わせる道を選択したのだ。今の鋼介に正面から挑むのは危険。鋼介が月光名人を警戒させた結果と言えるだろう。
お互いの矢倉が完成する少し前に、昼休憩を挟む。昼休憩の間も、鋼介は思考を止めない。相矢倉。この戦型は、実は鋼介の狙い通りの戦型だった。鋼介は、決して急戦なんてものは求めていなかった。確かに、自分は月光名人にそのように取られてもおかしくないような挑発紛いのことはした。だが、それは逆に急戦を警戒させて、じっくりと構えさせるための、望むならば相矢倉へ仕向けるための誘導、急戦を仕掛けさせないために、急戦を誘ったのだ。鋼介は、月光名人が自身を必要以上に警戒していることを感じ取っていた。あの第3局の時から、ずっと。だからこそ、彼ならこの局面で慎重策を取るであろうことをわかっていた。だからこその挑発。相手を矢倉に押し込めるための、挑発だったのだ。同じ矢倉なら、自分は月光名人よりも数を熟してきた自身がある。この土俵なら、勝ちきってみせる。そう意気込んで、鋼介は昼休憩を終え対局室へと戻っていった。
昼休憩後は、お互いに矢倉を完成させ、小競り合いを始めようかという展開。しかし、お互いに開戦まではいかない。お互いに長考が増えてきた。だが、まだ開戦まではいかない。時刻にして17時半を回った頃。ここにきて、月光名人が鋼介に開戦を申し込むかのような一手を放つ。これを受けるか、受けないか。開戦するか、まだしないのか。その選択が、鋼介に委ねられた形になる。鋼介はここで長考に入る。たっぷりと一時間ほどを長考に使う。そして、18時半。鋼介が手を封じ、1日目が終わりを迎える。結局、1日目は開戦を迎えることなく、静かに終わりを迎えた。しかし、この対局を見ていた者は、全員が感じ取っていた。この封じ手が開かれた直後から、この対局は一気に動くと。
「考えるんや。脳みそ全部使って考えるんや」
鋼介は、夕飯を取り自室に戻ると、床に胡座をかき、目を閉じて思考を始めた。正確には、夕飯時から、いや、先の対局中から1日目が終わった後もずっと思考を続けていた。勝つためには、考えるしかない。相手よりもより多く、より深く考えるしかない。幸い、次の一手は
「考えることを止めたら負ける。考えろ。朝まで、いや明日の終局時まで考え続けるんや」
おそらく、いや間違いなく今頃月光名人も自室で思考を続けている。だが、月光名人は次の手を知らない。その分、自分より考えるパターンは多いうえに、深くまで考えることもできないはずだ。有利なのは間違いなく自分。自分のはずなのだ。
「この対局、絶対勝たなあかんねん。負けは許されへんのや。だから考えろ。考え続けるんや」
この対局は、弟子達が見ている。あの子達にみっともない師匠は見せられない。だから、鋼介は考え続ける。自分のためにも、弟子達のためにも、応援してくれている全ての人達のためにも。鋼介は考え続ける。鋼介はそのまま、朝を迎えるまで身動き一つせずに思考の海を泳ぎ続けたのだった。
「おはようございます」
朝になり、対局室に関係者が全て集まった。最後に入ってきた月光名人は、報道陣がざわついているのを感じ取った。何故、報道陣はこんな反応をしているのだ。目が見えない月光名人にはわからない。そのざわつきの原因は、挑戦者、清滝鋼介だった。この鋼介、なんと報道陣や記録係、この場に居る誰よりも早く入室を果たしていたのだ。そして、ずっと正座の姿勢で、目を閉じている。次に入ってきた記録係や報道陣が見た姿から、一切変化は見られない。ずっと同じ姿勢を維持したまま目を閉じているのだ。寝ているのか、と思った報道陣もいたが、どうやらそうでもないらしい。何やら、時々ブツブツと呟く小さな声が聞こえてくる。どうやら、その声を発しているのは鋼介だ。小さすぎて何を言っているのかまでは聞き取れないが、相当集中をしていることだけはわかる。
「これは、また私が最後でしたか?」
「せやな。聖市で最後や」
「これは、連日お待たせして申し訳ございません」
月光名人が連日の謝罪を終えると、早速駒袋から駒を取り出す。鋼介も、その開封する音に反応したのだろうか。月光が駒を取り出すと徐に眼を開いた。そして、昨日に引き続き初期配置に駒を並べていく。
「先手、清滝八段、7六歩」
駒を並べ終えると、記録係が棋譜を読み始める。それに合わせて、対局者二人が駒を進めていく。対局室に、記録係の読む符号と対局者が打ち付ける駒音だけが響き渡る。そして、遂に1日目の最後の手まで盤面が進められた。
「では、開くかのう」
立会人の蔵王達雄九段が封じ手の入った封筒を鋏で切っていく。そして中身を取り出し、確認する。
「封じ手は……ほう」
その封じ手を見て、達雄は思わず口元を緩めてしまった。それは、達雄には未知の手だった。だが、噂程度には耳にしたことがある。達雄が口にした封じ手を聞いて、報道陣が思わずざわつく。将棋を見はするが、戦法などの新情報については疎い報道陣は、その見たこともない手に驚きを露わにする。だが、一部の、戦法面の新情報にも精通している報道陣達は、その鋼介の手に思わず立ち上がってしまう者までいたほどだ。プロの対局で使用された例は未だかつて無い。だが、その手は今最も研究が盛んな手とも噂されている。それは、矢倉に対する最終兵器にもなりかねない、矢倉の歴史を終わらせかねない恐怖の一手だった。棋界では今、この手を畏怖を込めてこう呼んでいる。
矢倉殺しと。
長くなりすぎたので分割。
次回で師匠の挑戦シリーズは終わります。
おかしい。プロットの段階では1話で終わる予定だったのに(白眼
筆が乗ったら何故か4話分になってるよ……
それと、今作で初めて八一も銀子ちゃんも出てこない回でしたね。
初めてというか、このままプロットの通りに行くと完結までで唯一の回となります。
プロット通りいけば(白眼
次もあさってのはず。
分割するとは言ったけど、分割した後半部分はまだ書けてないんですよねぇ。
平日はあまり予定通りの更新を期待しないで下さい。
まぁ、投稿できるようにがんばります。
八銀はジャスティス