この手を離さない   作:八銀はジャスティス

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良い夫婦の日ということでね

pixiv様にも単体作品として同時投稿しております

合い言葉は、八銀はジャスティス


記念対局 趣味の今昔

空気が冷たくなり始めた11月、私達は新幹線に乗り旅行に出かけていた。茹だるような暑さも身を引き、私にとっては過ごしやすくなったこの季節、そしてこの日に旅行に出かけるのは、私達にとっての恒例行事となっていた。そして、新幹線での移動中となれば、やることは当然決まっている。

 

「7六歩」

 

「8四歩」

 

目隠し将棋だ。私が符号を言うと、隣の彼も符号で返してくれる。これが、私達の行う移動中の定番だった。昔から変わらない、定番だった。私の名前は九頭竜銀子。隣に座る彼、九頭竜八一の妻だ。今日の日付は、11月22日。世間一般では、良い夫婦の日と呼ばれている。世間のご夫婦の方々は、仲良くお出かけに興じているのではないだろうか。私達も例に漏れず、毎年この日は旅行に出かけていた。今年は二人とも対局予定と被らず、無事に予定通りに旅行することができた。対局が被ってしまった場合は、仕方なく日を改めている。私達棋士にとって、対局は何よりも優先しなければいけない神聖なものなのだ。

 

新幹線で移動すること数時間、在来線などを乗り継ぎ、私達はお昼過ぎに、今日の目的地となる地へと到着した。そこは、とある温泉街だ。今回の私達の目的は、温泉旅行だった。私達が旅行に行く際は、温泉街が目的地になることが多い。これは、私の趣味が関係していたりするのだが。温泉は二人とも好きだし、一切の異議が出ないからいいのだ。勿論、それ以外の場所が目的地になることもあると付け加えておく。

 

「距離としては長かったけど、時間としてはあっという間だったね」

 

「そうね。もう着いちゃったのか、って感じだわ」

 

八一と目隠し将棋をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。昔からずっとそうだった。長い移動だって、八一がいれば全く苦痛では無かった。むしろ、長い移動距離を自分から望んでいたくらいだ。

 

「こんにちは。予約していた九頭竜です」

 

「あら、どうも九頭竜先生!その節はお世話になりました!」

 

「こちらこそ、ありがとうございました。お陰様で良い将棋が指せました」

 

私達は、今回お世話になる旅館へのチェックインを行っていた。今回宿泊する旅館は、八一が以前にタイトル戦で対局を行ったことがある場所だ。その際に、八一がとても気に入ったらしく、プライベートでもう一度来たいと考えていたらしい。因みに、私はここに来たことは無い。八一と顔見知りの女将さんが、将棋の話を中心に、八一と和気藹々と談話をしている。どうやら、将棋にも詳しい方のようだ。

 

「奥様とは、初めましてですね。いつも活躍は拝見しております。日々の疲れを存分に癒やしていってくださいね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

女将さんはそう言って、私達を部屋へと案内してくれた。館内をしばらく進み、女将さんが目的の部屋の前で止まる。

 

「着きました。ここが本日のお部屋、銀龍の間となります」

 

「なっ!?」

 

思わず、驚き声が漏れてしまう。銀龍の間なんて、そんな狙ったかのようなネーミング、普通あるだろうか?これは、冗談というわけでは無いのだろうか?だけど確かに、部屋の横に掛けられている表札には銀龍と記載されている。だとしたら、本当にそんなネーミングなの?

 

「あはは、驚いた?この旅館は、創始者の方が将棋好きだったらしくてね、旅館の部屋名が将棋の駒に関するものになっているんだよ」

 

なるほど。それなら納得した。八一が言うには、他にも金龍の間、飛車角の間、と金の間、桂香の間等があるらしい。今度桂香さんにも紹介してあげよう。

 

「以前タイトル戦で来てた時に、偶然この部屋を見かけてね。この旅館に泊まるならこの部屋がいいと思ってて、今回女将さんに無理言って抑えてもらってたんだ」

 

「お二人の活躍は本当に素晴らしいですからね。お二人の名前に縁があるこちらのお部屋は、お二人に(あやか)ろうと考えていらっしゃるお客様方から大変な人気を博しております。抑えるのは大変でしたよ」

 

「本当にありがとうございます」

 

「あ、ありがとうございます」

 

どうやら、苦労して八一の我が儘に応えてくれたらしい。私としても、こんな部屋があると知っていれば、きっと八一と同じお願いをしていたと思うから、これは私の我が儘でもある。しっかりと女将さんには、お礼を言っておいた。

 

「うわぁ……!」

 

部屋の中に入った私は、まず外の風景を見て感嘆の声を漏らす。そこに広がっていたのは、一面の青だった。青い空、青い海、そこに白い雲がアクセントを加えている。惚れ惚れするような、雄大な風景だった。

 

「ご覧の通り、当宿は海に面しております。夕食には、特産の新鮮な海の幸をご堪能頂きます」

 

「これがまた絶品なんだよ。以前お世話になった時、虜になっちゃったんだ。きっと、銀子も気に入ってくれると思うよ」

 

それはまた、楽しみが一つ増えた。これだけ海が近いのだから、さぞ新鮮な料理が頂けることだろう。今から夜が楽しみだ。

 

「それでは、私はこれで。ごゆるりとなさってください」

 

そう言い残し、女将さんは部屋から出て行った。当然のことながら、これで部屋には私と八一、二人きりとなった。

 

「これから、どうしよっか」

 

「そうだね。早速温泉に行ってもいいけど、それよりもまずは……」

 

そこで八一のお腹から鳴き声が聞こえてくる。そういえば、お昼御飯をまだ食べていなかった。八一は、気恥ずかしそうに顔を少し赤らめて、頭を掻いている。私はそんな八一を見て、思わずクスッと軽く笑ってしまった。

 

「わ、笑わなくたっていいじゃん」

 

「だって、面白かったんだもーん。さてと、それじゃお昼食べにいこ?」

 

八一も私がそう言うと、何も言い返さずに素直に私に右手を差し出してきてくれた。私はその手を握り、指を絡めていく。恋人から夫婦になっても、この右手が好きなことには変わらない。こうやって、手を繋いでいるといつだって安心できる。私達はそのまま手を繋ぎ、土地勘の一切無い街中へと繰り出していった。外に出ると、海が近いこともあり、仄かに磯の香りが鼻に届く。大阪ではまず、嗅ぐことのできない匂いだ。

 

「さて、何を食べよっか」

 

「夕食のことも考えたら、軽食程度で抑えたいね」

 

私達は、とりあえず適当に付近を歩いて回ることにした。適当に歩いて回って、適当に買い食いでもしよう。そう考え、旅館付近を散策する。温泉街ということもあり、付近は大変な賑わいを見せていた。私達の宿泊先以外にも、複数の旅館があり、飲食

店も盛んだ。

 

「これなら、食べるところには困らなさそうね」

 

「そうだね。だけど、何を食べるか迷っちゃうな」

 

確かにその通りだ。これだけ盛んだと、選択肢も多くなってくる。どのお店にしようか悩む。尤も、その悩みも旅の醍醐味と言えるかもしれないが。悩んだ末に私達は、地元でも有名らしいコロッケを頂くことにした。軽食で済ませようとしていたので、良い選択だっただろう。

 

「うわ、このコロッケすっげーうまい!」

 

「ほんと、ジャガイモがすっごく濃厚ね」

 

地元の名産ジャガイモを使ったそのコロッケは、文句無しの逸品だった。これなら、何個でも食べれそうだと思ってしまうような絶品コロッケだった。だけど、夕食のこともあるからここは我慢。その後私達は、少し辺りを散策してから、宿に戻ることにした。折角だからと、砂浜にまで出てみる。時期が時期なだけに、砂浜には人が全くと言っていいほどいなかった。

 

「流石にこれだけ寒いと、誰も海には近づかないね」

 

「夏は海水浴客で賑わうんだけどね。ここは海も綺麗だし、絶好の海水浴スポットだからね」

 

確かに、海が透き通っていて綺麗だ。私は、夏場の海には昼間から出ることはできないけど、夜になったら泳いでみたいなと思う。八一も、私に付き合ってくれるだろう。今度の夏は、またここに来るのもありかもしれない。

 

「流石に冷えてきたね。そろそろ戻ろっか」

 

「そうね。戻って早く温泉に入りたいな」

 

私達は、付近の散策を終えて宿に戻ることにした。すっかり体が冷え切ってしまった。早く温泉に入って温まりたい。そう思い、二人早足になりながら宿を目指す。最後の方は、少し競争みたいになってしまった。尤も、ずっと手を繋いでいたので距離が広がることは無いのだが。部屋に戻った私達は、早速準備をして、温泉へと向かう。

 

「それじゃ、また後でね」

 

「うん、楽しんできて」

 

温泉の手前で別れた私達は、男湯と女湯に別れて別々の入り口に入る。中は時間的理由なのかはわからないが、誰もおらず貸し切り状態だった。脱衣所は(もぬけ)の殻で、温泉内に入っても従業員の人がせっせと仕事を熟しているだけだった。もしかしたら、ベストタイミングで来たのかもしれない。私は体を洗うと、早速露天風呂へと向かった。外に出ると、冷たい外気が素肌に襲いかかってくるが、そんなもの、この絶景の前ではどうでもよくなる。広大な青が視界一面に広がる。部屋からも見たけれど、この景色は本当に引き込まれる。いつまでだって見ていたくなる。私は景色を眺めながら、温泉に足を入れていく。

 

「気持ちいい……」

 

「その声は、もしかして銀子?」

 

肩まで浸かり、思わず声が漏れてしまうと、その声に反応して仕切りの向こう側から八一の声が聞こえてきた。どうやら、八一も丁度露天風呂に来ていたらしい。また後でと言って別れてから、早すぎる再会となった。

 

「そうよ。こっちは今他のお客さんがいないみたいなんだけど、そっちはどう?」

 

「こっちも同じだよ。タイミングが良かったのかな。利用者は俺だけだよ」

 

どうやら、男湯も貸し切り状態らしい。片方だけでも珍しいのに、両方とも貸し切り状態だなんて、こんな経験初めてだ。

 

「それにしても、良い眺めだね」

 

「そうね。本当に、良い眺め」

 

雄大なこの景色を眺めていると、私はこの星にとって、本当にちっぽけな存在でしかないんだなと思い知らされる。だけど、それと同時に私は感謝していた。こんな馬鹿らしいほど大きな大きな、巨大な世界の中で、八一という存在に出会えた奇跡に。80億分の1という奇跡に。

 

「本当に、よく巡り会えたな……」

 

「え?」

 

「あ、うん、こっちの話。気にしないで」

 

そう言って八一ははぐらかしたが、今の呟きで私は八一が考えていたことがわかった。私と同じ事を考えていたのだ。この一期一会の奇跡に、感謝していたのだ。

 

「ふふっ」

 

そう考えると、嬉しくて嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまう。私と同じ事を考えてくれていることが、嬉しかった。私と出会えたことに感謝してくれていることが、嬉しかった。

 

「何?急に笑って、どうしたの?」

 

「なんでもないですよーだ」

 

「えー?そう言われると余計に気になるんだけど」

 

「気にしない気にしない」

 

「うーん、まぁいいや。そういえば、女将さんに聞いたんだけど、この旅館露天風呂が付いた家族風呂があるんだって。明日の朝にでも行ってみない?」

 

「ほんと?行く行く!」

 

こうやって一人で絶景を眺めるのもいいけど、やっぱり八一と二人で眺めながら露天風呂に浸かれたらより一層素晴らしい経験になるだろう。八一とは結婚して数年が経つのだ。今更一緒に温泉に入ることなんて、恥ずかしくもなんともない。……本当はまだ少し恥ずかしいけど。

 

「おや?もしかして将棋の九頭竜先生じゃないですか?私あなたのファンなんですよ。まさかこんなところで会えるなんて」

 

「こんにちは。いつも応援ありがとうございます」

 

どうやら、男湯の方に他のお客さんが入ってきたらしい。他のお客さんがいるのに、仕切りを跨いで会話をするわけにもいかず、そこからはお互いの会話は無くなった。八一も、ファンの方と楽しそうに話している。その声を聞きながら、私は一足早く温泉を後にした。私は八一と違って、ファンサービスは苦手なのだ。他のお客さんに見つかる前に、さっさと退散しよう。ゆっくりと露天風呂に浸かるのは、家族風呂の時でいい。私はさっさと脱衣所に戻ると、直ぐに着替え、部屋へと一人で戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜になり、夕食の時間となった。時間になると、女将さんが部屋まで食事を運んでくれる。海鮮料理がズッシリ並べられたテーブル。見ただけで美味しいとつい言ってしまいそうになるほどに素晴らしい料理の数々だった。

 

「どうぞ。当宿自慢の海鮮フルコース、ご堪能ください」

 

「ありがとうございます。それじゃ早速」

 

「そうね。もう待てそうにないわ」

 

「うん、いただきます」

 

「いただきます」

 

私達は挨拶もそこそこに、料理へと手を伸ばした。まずは、見ただけで鮮度がわかるほどツヤツヤしたお刺身から。マグロ、ハマチ、タイ、甘エビなど、刺身のバラエティも豊かだ。私はその中から、タイを箸で掴み、わさび醤油を少し付け、口に運ぶ。

 

「ッ!?」

 

言葉も出なかった。まるで、口の中でタイが跳ねてるのではないかと錯覚するほどの鮮度。コリコリとした、噛んでて楽しい歯ごたえ。そして、口の中に幸せをいつまでも残してくれる後味。言葉を失う美味とは、実際に経験したのは初めてだ。

 

「あはは、美味しすぎて言葉も出ないみたいだね」

 

コクコクと、八一の言葉に頷くことしかできない。これは、八一が絶賛するのも納得だ。こんな海鮮料理食べてしまったら、普通の海鮮料理なんて食べれなくなってしまう。私はその後も、海鮮料理を夢中で食べ進めていく。どれもこれも、言葉も出ない美味しさ。私の箸は、完食まで止まることは無かった。

 

「も、もう食べれない……でも、幸せ……」

 

「本当に幸せそうに食べてたもんね。ね?絶品だったでしょ?」

 

「絶品なんてものじゃないわ……もう、普通の海鮮じゃ満足できないかも……」

 

「あらあら、お気に入り頂けたようでありがとうございます。また海鮮が食べたくなったら、いつでもお越しくださいね」

 

女将さんがそう言ってくる。絶対にまた来よう。私はこの海鮮を食べて、そう決断した。

 

「それにしても、ふふっ」

 

私が幸せに打ちのめされていると、女将さんが思わずといった風に笑う。何かおかしな事でもあっただろうか?

 

「ごめんなさいね。奥様の一連の反応が、九頭竜先生が初めて当宿の海鮮料理を食べた時の反応と全く一緒だったものだから、ついおかしくて、ふふっ」

 

「ちょ、ちょっと女将さん!そんな余計な事は言わなくていいから!」

 

……へぇ?さっきから自分は私と違って、なんとも思ってませんよ、みたいな余裕な態度を取ってたのに、最初は私と同じだったんだ。へぇ。同じか。ふーん。

 

「へぇー、そうなんだ。ふーん」

 

「そ、その反応は何かな?」

 

「べっつにー。何でも無いですよー」

 

同じ、か。だとしたら、嬉しいな。八一との共通点がまた一つ見つかった。些細な事でも、八一との共通点があると、嬉しく感じてしまう。ダメ、このままだと、顔が勝手ににやけてきちゃう。早く話題を変えないと。

 

「そ、そういえば八一、お酒飲まなかったの?」

 

私は、話題を変えるために八一に質問した。話題を変えるためと言っても、そんなこと関係無しにその質問は、私が気になっていたことでもある。八一は、酒飲みの師匠に育てられたこともあってか、割と酒好きだ。だけど、どうやら今日は全く飲んでいなかったらしい。これは珍しい。旅行に来たらいつも飲んでるのに。まぁ、旅行に来ずともいつも飲んでいるが。

 

「うん。今日はまだこれから出かけようと思ってね」

 

「出かける?」

 

「女将さんに、夜行くに最適な絶景ポイントがあるって聞いてね」

 

「あの場所は素敵ですよ。奥様もきっと、気に入ってくださるはずです」

 

絶景ポイント?凄く気になる。食後の運動に、ちょっとお散歩するのも悪くない。

 

「夜は一段と冷え込みますから、厚着をしていって下さいね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

女将さんからのアドバイスを受け、私達は浴衣の上から何枚か重ね着することにした。重装備を整えてから、女将さんにお礼を告げて外へと出る。外へと出ると、八一に手を引かれて、温泉街を歩く。少し歩いただけで、栄えた場所から外れ、緑の多く生い茂った場所へと入っていく。車は通れないような場所だけど、歩行者が歩きやすいように道は整えられていた。そのまま、山道のような場所を歩いて行く。目的地まで、そんな長い距離を歩いたわけではない。旅館から15分ほどだろうか。

 

「着いたよ」

 

私達は、目的地へと辿り着いた。

 

「ッ!?」

 

そこは、切り立った崖の先端だった。海がよく見える。それはもう見えすぎる。その場所からは、視界の全方向が海を捉えることができた。どこまでも、海。先の見えない水平線の向こうまで、海が続いている。それだけならそこまでおかしなこともない。本当に凄いのは、下ではなく上だった。どこまでも続く水平線に平行して、同じくどこまでも満点の星空が続いていた。果てなくどこまでも、海と空が続いていく。異論を唱える余地もなく、正しくこれは絶景だった。

 

私は今、先ほどの海鮮料理を食べた時と同じような現象に陥っていた。言葉が、出ない。そのあまりにも雄大な美しさに目を奪われ、言葉が何も出てこない。人は、自分の許容量を超える感動に出会った時、言葉を失ってしまうんだと、今日一日で存分に知ることができた。

 

「銀子、座ろ?」

 

気づいたら、八一が座っていて、私に座るのを促すように自分の右隣の地面を軽く叩いていた。どうやら、繋いでいた手をいつの間にか離していたらしい。そんな大事なことにも気づかないほど、私はその絶景に全てを奪われていたらしい。私は慌てて八一の右隣に座り、またその右手を握る。そこからは、お互いに無言の時間が続いた。二人して、ただ景色を眺めているだけの時間。とてもとても心地良い、無言の時間だった。

 

こうして八一と手を繋いで、星空を眺めていると、あの福井での時間を思い出す。私と八一が、封じ手を交わしたあの日、あの夜。私と八一の想いが繋がった、あの瞬間。私の人生において、最も忘れられない、特別な思い出。

 

「こうしてると、あの日を思い出すね」

 

「……うん」

 

どうやら、八一も同じ事を考えてくれていたらしい。私達にとって星空とは、特別な存在なのだ。この空を見れば、いつだって鮮明にあの日のことを思い出すことができる。色々遠回りをしてしまった。一度は離れもした。だけど、あの日を境に、私達の道はまた繋がった。この手もまた、繋がった。

 

「綺麗だ」

 

「うん、本当に綺麗な景色」

 

「それもあるけど、銀子がだよ」

 

「ふぇっ!?き、急に何言い出すのよ!ばかやいち!バカ!頓死しろ!」

 

「あはは、相変わらずこういうのに弱いよね」

 

こんなの、慣れろっていうのが無理な話だ。きっと私の顔は今、暗い中でもわかるほどに、真っ赤になっていることだろう。本当に、あの日以降八一はこういうことに遠慮が無い。きっと、私の反応を見て楽しんでるだけだろうが。けど、私も決して嫌というわけではない。むしろ、ありがたく思っている。こういうことを八一が言ってくれるのは、私だけだってわかってるから。これは、私の特権。私の幸せ。あの日を境に、私達の関係は大きく変わった。それは本当に、幸せな変化だった。幸せすぎて、おかしくなってしまいそうなくらいの。そしてこれからもきっと、幸せな時間は続いていくことだろう。どちらかの時間が終わる、その時まで。人生に永遠は無い。終わりは必ずやってくる。今はまだ、想像もしたくないけど、その時はきっとやってくる。だけど、その時までは絶対、この右手(しあわせ)を離さない。私はこの時、密かに誓ったのだった。あの日以来何度目になるかわからないが、密かに誓ったのだった。

 

もう、この手を離さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、私達は家族風呂での朝風呂を済ませると、お土産屋さんへと来ていた。目的はもちろん、お土産を買うためだ。帰り支度は既に終えて、後はチェックアウトを済ませるだけ。時間にはまだ余裕があったため、旅館内のお土産屋さんに立ち寄っていた。

 

「とりあえず師匠の所と、桂香さんのところにもいるだろ。ひな鶴には持っていかないとだし、夜叉神家に、シャルちゃん、綾乃ちゃんにもだな。歩夢と釈迦堂さんにも必要だし、生石さんとこも持っていった方が良いな。会長も、渡さないと遠回しにネチネチされそうだ。供御飯さんと月夜御坂さんも渡さないと後が怖い。創多にもあげないとだな。後、明石先生。そんなものかな。銀子は?」

 

「私の交友関係、聞きたい?」

 

「ごめん、俺が悪かった」

 

八一と共通でない知り合いなんて、私にはいない。友達?別に作れないわけではない。興味が無いから作ってないだけだ。友達付き合いなんて、面倒くさいだけだと思う。

 

「将棋の神様にも、お供えを持っていった方がいいのかな?」

 

「あの人なら気にしなさそうだけど。でも、持っていったら喜びそうね」

 

後、奥さんにSNSで拡散されそう。このお土産、九頭竜ご夫妻からいただきました。これだけで、何RTされるだろうか?ある意味棋界で一番のインフルエンサーはあの人の奥さんかもしれない。

 

「さてと、こんなものかな。他に買う物はない?」

 

「あ、ちょっと待って」

 

八一がレジに向かおうとするのを、私は止めた。まだもう一つ、購入したい物があったからだ。

 

「これも一緒にお願い」

 

私は購入したい物を八一に渡す。それは、温泉街のペナントだった。これを集めるのが、私の趣味だった。

 

「また買うの?」

 

「いいでしょ?趣味なんだから」

 

「はいはい。じゃ、買ってくるからちょっと待ってて」

 

そう言って、八一はレジの列へと並びに行った。私はそれを、少し離れたところで待つ。大体5分ほどだろうか。それほど待つことなく、八一はレジを抜けて戻ってきた。

 

「おまたせ。それじゃ、行こっか」

 

「うん」

 

これで、楽しかった旅行は終わりを迎える。寂しいけど、またいつでも来ればいい。私達は、チェックアウトをするために旅館のフロントへとやってきた。

 

「女将さん、お世話になりました。お陰様で素晴らしい思い出が作れました」

 

「ありがとうございました」

 

「それは良かったです!またいつでもお越しくださいね!奥様も、また新鮮な海鮮用意して待ってますから、いつでも来て下さいね」

 

「絶対来ます」

 

来年の夏にでも来ようか。あの海鮮のためなら、何度でも足を運びたくなる。八一の都合が合わなくても、最悪一人旅で来ようかと考えてしまう。

 

「あらあら、よほど気に入って頂けたようで、ありがとうございます。それでは、九頭竜先生、奥様共に、次の対局も頑張って下さいね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

私達は、この二日間でかなりの英気を養うことができた。その恩恵大きく、私達二人とも、次の対局では完勝したことをお知らせしておく。そして、帰路に着いた私達は、帰りの電車に揺られ、大阪を目指していた。移動の電車内、となればすることは決まっている。

 

「5八飛」

 

「……初手中飛車明示なんて、大胆じゃない。3四歩」

 

「たまにはこういうのも面白いでしょ?5六歩」

 

「まぁ、そうかもしれないけど。4二銀」

 

その後も私達は、大阪に着くまで何局も、何局も目隠し将棋を続けていく。旅行は、家に帰るまでが旅行だ。帰るまでの間、存分に、まだまだ楽しませてもらおう。私達は電車に揺られながら、帰るまでずっと頭をフル回転させ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

旅行から帰宅し翌日。私は、自宅のとある部屋でコレクションの飾り付けを行っていた。結婚してから私達は、大阪市内に一軒家を購入していた。今はこの家で、二人で暮らしている。そして家の一室、この部屋は私のコレクションルームと化している。壁に飾られた、温泉街のペナントの数々。全て、私が実際に訪れて、趣味で購入したものだ。昔はタイトル戦で訪れた際にだけ購入していたが、八一と付き合い始めてからは、八一と旅行で訪れた場所のものも購入している。

 

私にとって、今と昔でこの趣味に込められた色合いが変わっていた。集め始めた当初は、私と八一の手が離れていた時だった。いつもなら、必ず二人で行くような距離の移動も、私は一人だった。孤独だった。寂しかった。だけど、行かないわけにはいかなかった。私は、タイトル保持者だったのだから。そして、その寂しさを少しでも紛らわせるために始めたのが、このペナント集めだった。その頃に集めたものは、少し離して飾ってある。

 

そして今、私達の手が再び繋がってからは、八一との思い出を形に残すために集めるようになっていた。昔集めていたものよりも、明らかに数の多いペナント。これは全て、八一と二人で訪れた地のペナントだ。このペナント一つ一つを見れば思い出す。その地での、八一との思い出を。そしてまた一つ、新たなペナント(思い出)が加わった。私は、昨日購入したペナントを、壁に飾り付けた。大事に大事に、飾り付けた。

 

「ふふっ」

 

それを見て、自然と笑みが溢れてしまう。思い出し笑いだ。楽しかった思い出を思い出して、笑みが溢れる。こうして見ると、随分と思い出が増えたものだ。そして、これからも増え続けることだろう。何年も、何十年も、増え続けることだろう。この手が繋がっている限り、増え続けることだろう。

 

私は一通りペナントを眺め、部屋を後にした。リビングに入る。そこでは、八一がソファに腰掛け、将棋雑誌を読んでいた。私はその姿を確認して、キッチンに行き熱いお茶を用意する。お茶汲みは、奨励会時代から鍛え上げている。記録係として、お茶汲みをした際には、いつも先生方に好評をいただいていた。八一も、私の煎れるお茶を気に入ってくれている。

 

「ありがとう」

 

私がお茶を八一の前のテーブルに置くと、八一がお礼を言ってくれる。それと同時に、私が腰掛けやすいように、右に体を寄せてくれる。私は、その優しさに甘え、八一の左隣に腰を下ろした。そして、八一の左肩に頭を預ける。その私の頭を、八一が右手で優しく撫でてくれる。私が好きな時間だ。

 

「ねぇ、次はドコに行く?」

 

「帰ってきたばかりなのに、もう次の話?」

 

「だって行きたいんだもーん。悪い?」

 

「悪いなんて言ってないだろ?それに、ドコだっていいさ」

 

八一はそこで、言葉を切った。だけど、私には八一がその後に言葉を続けようとしていたのがわかった。その内容も。それは、私と同意見だったから。結局の所、旅行先なんてドコでもいいのだ。趣味の影響で温泉に行くことが多いが、ドコだっていいのだ。お互いがいれば。大事なのはドコに行くかでは無い。ダレと行くかなのだから。これからも、八一とは数え切れないほどの思い出を作っていく。今この時間も、私にとっては掛け替えのない思い出へと変わっていく。これから先も、ずっと八一と思い出を作っていく。私の人生は、今も昔も八一と将棋で彩られているのだから。それは間違いなく、これから先、いつまでも変わらないことだろう。これはそんな、私にとって何気ない、いつも通りな日常の1ページなのだった。




特別編投稿前に、本編投稿間に合わず申し訳無い
単純に執筆時間があまり取れなかった……
3連休ですが、日、月と自分用事が入ってて執筆時間取れそうに無いので、本編の更新まだ時間かかるかもしれません
予定としては、来週の平日の内のどこかってことでお知らせしておきます
進捗状況等は、ツイッターでお知らせします

八銀はジャスティス
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