この手を離さない 作:八銀はジャスティス
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合い言葉は、八銀はジャスティス
年をまたいで、1月。
この日、俺は銀子ちゃんと一緒に、関西将棋会館へとやってきていた。今日は、俺が対局を行うために来たわけではない。今日の主役は銀子ちゃんだ。今日は、この会館で小学生名人戦の大阪予選が開催される。3年前に、俺が優勝した大会だ。銀子ちゃんはその大会に、新2年生として出場する。前生において、銀子ちゃんが出場した年齢と全く一緒だ。銀子ちゃんはその大会において、俺が持っていた記録を塗り替え、最年少での大会優勝を決めている。尤も、今生においては、既に俺がアンタッチャブルレコードを叩き出してしまっているため、その記録は破られないだろうが。
まぁ、銀子ちゃんなら負けることは無いだろう。只問題は、銀子ちゃんの体力面だ。銀子ちゃんは病気を抱えてることもあり、体力が非常に低い。その銀子ちゃんが、果たしてこの連戦を戦い抜けるのか。それが心配だ。
「それじゃ、行ってくる」
「うん、頑張ってね」
そして対局の時間となり、銀子ちゃんが対局スペースへと去って行く。それを見送って、俺はポケットに入れてある駒ストラップを強く握りしめた。いつも肌身離さず持ち歩いている、俺たちのお守り。それを強く握りしめた。どうか、銀子ちゃんを守ってくださいと。
そして、銀子ちゃんの初戦が開局する。まずは、2勝で通過できる予選ラウンドからだ。この結果次第で、決勝トーナメントに進出できるかが決まる。その初戦、おそらく相手は銀子ちゃんのことを舐めている。女子でしかも低学年だからと、舐めて挑んでいる。勢いで攻めれば簡単に崩せると思っているのだろう。自玉の囲いを度外視して、銀子ちゃん陣を攻めてきている。通常ならありえない攻め方。大駒2枚は当然ながら、金銀4枚も全て攻めに投入するつもりらしい。更には両桂馬まで攻め上がってくる。普通の小学生相手なら、こんな無理攻めでも、十分通用するかもしれない。普通の小学生相手なら。
攻め続けていた相手の顔が段々と青くなっていく。いくら攻めても、銀子ちゃんの囲いがビクともしないのだ。銀子ちゃんの陣形は矢倉だ。いや、矢倉にするまでもないと考えているのだろう。矢倉の準備段階、通称矢倉の子供とも呼ばれる形、カニ囲いで陣形を留めている。それでも、相手は銀子ちゃんの守りを崩せない。銀子ちゃんの受け駒よりも、相手の攻め駒の方が圧倒的に多いというのに、それでも崩せない。
無駄の多い攻めに対して、無駄の一切無い受け。その差が如実に現れているのだ。そして、崩せないことに焦りを覚えた相手は、更に攻めようと躍起になる。その結果、大きな隙が生まれることになる。その隙を見逃す銀子ちゃんでは無い。
「な!?」
銀子ちゃんが、一気に攻勢に出た。無防備な玉にめがけて、飛車角が攻めかかる。更には、相手の攻めを受けてる最中に得た持ち駒まで一気に投入すれば、終局まで然程時間は要しなかった。
「ま、負けました……」
対戦相手が、信じられないものを見たとでも言いたそうな表情で投了をする。あれだけ攻めておきながら、相手玉の影すら踏むことができなかったのだ。嫌でも、実力の差を見せつけられたことだろう。対する銀子ちゃんは、熱を出した様子も無い。それが、銀子ちゃんが全く本気を出していないことを俺に教えてくれる。銀子ちゃんの圧勝だ。
その後も、銀子ちゃんは順当に勝利を重ねていく。予選ラウンドは、次の対局も危なげなく白星を獲得し、無事に決勝トーナメントへと駒を進める。その決勝トーナメントでも、銀子ちゃんの快進撃は止まることを知らない。圧倒的な強さを見せつけ、決勝戦へと駒を進めた。
「銀子ちゃん、体調は大丈夫?」
「うん。相手が大したことないから、かなり体力を温存できてるみたい」
とんでもなく辛辣なことを言ってるが、それが事実なのだから仕方ない。そもそもな話、小学生に銀子ちゃんの相手をしろと言うのが酷な話なのだが。彼女の相手が勤まる小学生なんて、そうはいないだろう。せめて歩夢か、今頃岩手にでもいるだろう祭神でも連れてこい。いや、やっぱり祭神は連れてこないでください。お願いします。歩夢も、今は奨励会で揉まれている。アマチュアの大会には、見向きもしていないことだろう。
「負けました……」
どうやら、決勝戦も危なげなく銀子ちゃんは勝利したらしい。相手の投了宣言を聞く銀子ちゃんの顔には、まだ余裕が感じられた。このままの調子でいけば、苦も無く小学生名人になれるだろう。
「銀子ちゃん、お疲れ様」
「うん、私、勝てたよ」
「うん、おめでとう。次も頑張ってね」
「うん、ありがとう」
次の関西予選は3月だ。大阪予選とは比べものにならない、厳しい闘いが予想される。だけど、銀子ちゃんなら大丈夫だろう。歴代最強女性棋士の実力は伊達じゃ無い。どんな困難な闘いでも、銀子ちゃんなら問題無く乗り越えられるはずだ。俺は、それを信じて、見守っていればいい。きっと銀子ちゃんなら、俺のいる場所まで上ってきてくれるだろう。決してペースを合わせる気は無い。それでも、追いついてきてくれるはずだ。前生でだって、そうだったのだから。俺は、追いかけてくる銀子ちゃんを見守っていればいい。距離は離れていても、この手はいつだって繋がっているのだから。俺は、銀子ちゃんの手の温もりを右手にしっかり感じながら、帰り道をゆっくり歩くのだった。今は、銀子ちゃんの歩幅に合わせて、ゆっくり歩くのだった。
そして3月。関西予選当日となった。今日から二日間、ここ関西将棋会館で熾烈な争いが繰り広げられる。この日も俺は、銀子ちゃんの応援に駆けつけていた。銀子ちゃんと一緒に、対局室へと入る。すると、集まっていた参加者全員の視線がこちらに向けられる。え?なんか凄い警戒されてるような……
「おい。あの銀髪知ってるか?」
「あぁ。名人の弟子らしいな」
「しかも、あの覇王の姉貴分なんだろ?」
「らしいな。実際、今も一緒にいるし。大阪予選でも、全対局完勝譜だったらしい」
「当たったら、要注意だな」
どうやら、銀子ちゃんのことは既に参加者にも知れ渡っているらしい。流石に名人の弟子ということもあって、注目を嫌でも集めてしまうようだ。……それよりも待て。何だ覇王って。今の流れから言って、きっと俺のことなんだろうが、いつの間にそんな有り難くもなんともない二つ名を頂いたんだ。前生では魔王という二つ名が一人歩きしていたが、今生では覇王になっちゃったのか。しかも、二つ名できるの早いな。因みに、前生では世間一般の方々には、魔王という名前よりもロリ王という名前の方が浸透してしまっていたのだが、今は割愛しておく。そんな名前を頂くようなことをした覚えはありません。そういえば、前生で魔王と呼ばれるようになった原因には、歩夢の奴が一枚噛んでたんだよな。あいつ、いつも俺が魔王で自分はそれを討伐する騎士だとか言ってたのが、いつの間にか棋界に浸透してしまったらしい。まさか、今回もあいつが一枚噛んでるんじゃないだろうな?
「それじゃ八一、行ってくるね」
「うん。銀子ちゃんなら心配無いと思うけど、油断しないでね」
「うん、わかってる」
さて、二つ名の話は置いておいて、銀子ちゃんの初戦だ。今日は予選ラウンドだけが行われる。最大3局行い、2勝した時点で終了だ。2連勝してしまえば、3局目を行う必要は無い。明日の決勝トーナメントに体力を温存できる。銀子ちゃんの初戦は、静かな立ち上がりを迎えていた。そもそも、相手の指し回しが異常だ。総手数10手を超えても、歩が一枚も初期位置から動いていない。狭い自陣の中で、金銀玉を中心に動かし、ガチガチに囲いを固めている。その相手の目からは、強い警戒心を感じる。銀子ちゃんを警戒しすぎるあまり、手を縮こまらせているのだ。これなら、万が一にも銀子ちゃんが負けることは無いだろう。だけど、こうもガチガチに固められてしまうと、嫌でも終局に時間がかかってしまう。それは、銀子ちゃんの体力を大きく削ることにも繋がってしまう。俺が、奨励会で苦しめられたのと同じパターンだ。銀子ちゃんよりも体力で勝る俺でさえ苦しめられたのだ。もちろん、奨励会とアマチュア小学生という、棋力に大きな隔たりがあるのは間違いない。それでも、体力の総量を考慮したら、このような対局が続くと今大会の銀子ちゃんは、奨励会での俺と同等の辛苦を、嫌、それ以上のものを感じてしまうかもしれない。
「ま、負けました……」
「あ、ありが、とうござ、いまし、た……」
銀子ちゃんが息も絶え絶え相手の投了宣言に応える。長い対局だった。持ち時間こそ短い大会だが、その分頭をフル回転して瞬時に手を導き出さないといけないため、労力は大きい。それでいて、対局時間1時間を超えたのだ。持ち時間が切れて、30秒将棋になっても、相手は粘り続けた。その結果、銀子ちゃんの体力は想像以上に削られていた。
「銀子ちゃん!大丈夫!?」
「ま、まだ大丈夫……」
「無理しないで!はい、お水!」
「あ、ありがとう……」
銀子ちゃんは、水をゆっくりと飲み進めていく。その間に、俺は銀子ちゃんから流れ落ちる汗をタオルで軽く拭き取っていく。銀子ちゃんの顔は熱い。熱が出ている。さっきの対局、やはり本気で手を考えていたらしい。あれだけ固められたら、流石の銀子ちゃんでも、一筋縄では詰ませられない。
「次の対局が始まります!対局者の方は準備してください!」
そして、早くも銀子ちゃんの2局目の時間がやってきた。早い。早すぎる。銀子ちゃんの体力はまだ回復していない。このまま続けたら、銀子ちゃんの体が耐えられるかわからない。何かがあってからでは遅い。ここは、棄権も視野に入れるべきだろう。
「銀子ちゃん、無理しないで、ここは」
「大丈夫」
「けど……」
「私なら、大丈夫。こんなところで、躓いていられない。私は……追いつかないといけないんだから」
「ッ!?銀子ちゃん……」
銀子ちゃんの意思は固い。こうなったら、銀子ちゃんは絶対に折れないことはわかっている。銀子ちゃんが、ずっと俺のことを目標にしてくれていたことは知っていた。それこそ、前生のころから。だけど、それは俺だって一緒だ。俺だって、ずっと銀子ちゃんのことを目標にしていたのだから。だけど、それは前生での話だ。今生では、現在の所、俺の方が銀子ちゃんより先に進んでしまっていることは疑いの余地が無い。そんな俺に追いつこうと、銀子ちゃんは藻掻いてくれているのだ。苦しみながらも、足掻いてくれているのだ。その思いが、堪らなく嬉しかった。あぁ、やっぱり俺はクズなんだろうな。好きな女の子がこんなに苦しんでるのに、それが嬉しくて嬉しくて堪らない。俺はクズ野郎だ。クズ野郎だから、好きな子を止めることもできない。止めたくもない。
「わかった。銀子ちゃん……信じてるから」
だからせめて、俺は堂々と胸を張って、銀子ちゃんの勇姿を見守っていよう。彼女を信じて、待っていよう。それがせめてもの、俺の役目だと思うから。2局目も、銀子ちゃんの相手は、守りをガチガチに固めてきた。攻め込めば、一気に飲み込まれるとでも思っているのだろうか。
銀子ちゃんの顔色は悪い。手を進めるごとに、少しずつ顔色が悪くなっているような気がして仕方ない。見るからに苦しそうにしている銀子ちゃん。それに構うことなく、対局はドンドンと進んでいく。またも、1時間を超える長期戦。銀子ちゃんの体力も、限界が近そうだ。だがそれでも、勝ったのは銀子ちゃんだった。正に意地の勝利。銀子ちゃんの強い想いがたぐり寄せた勝利だった。相手の投了宣言を聞いて一息吐くと、銀子ちゃんはすぐに立ち上がろうとした。しかし、その足がふらつき、倒れそうになる。
「銀子ちゃん!」
間一髪だった。倒れる寸前で、俺の腕が間に合った。倒れそうになった銀子ちゃんを抱きしめる。俺の腕の中にいる銀子ちゃんの体は、熱かった。かなりの熱を発しているようだ。
「銀子ちゃん、大丈夫?」
「うん、ちょっと、た、立ちくらみが、した、だけだから、だ、大丈夫……」
嘘だ。立ちくらみだけが原因で無いことはわかりきっている。大丈夫なわけが無い。それでも、銀子ちゃんは大丈夫だと強がって見せている。本当は、苦しくて苦しくて堪らないはずなのに。
「銀子ちゃん、少し休んでいこっか。ここだと、落ち着けないから、休憩スペースまで行くよ」
俺はそう言って、銀子ちゃんを横抱きにして、対局室から外に出た。周りの視線が俺達に集まるが、そんなのに構っていられない。今は、銀子ちゃんのことだけを考える。
「やいち……」
「ん?何?」
「ごめんね……」
「気にしないで。今は、体を休めることだけ考えてて」
休憩スペースに着き、銀子ちゃんをベンチに寝かせてあげる。そのタイミングを見計らったように、一人の人物が休憩室に入ってきた。その手には、氷水の入ったバケツと濡れタオルが持たれていた。驚くほどの気の利きようだ。
「よう。必要かと思って持ってきたぞ」
「ありがとうございます。鏡洲さん」
鏡洲さんは、この大会のスタッフとして参加していた。だからこそ、銀子ちゃんの異変にも直ぐに気がついてくれたのだろう。2局目の最中には、道具を用意してくれていたらしい。鏡洲さんから道具を受け取ると、俺は慣れた手つきで銀子ちゃんの看病を始めた。
「へぇ、慣れたもんだな」
「いつもやってることですから」
銀子ちゃんは、体が弱い。何も、体調を崩すのは今日に始まったことではない。体調を崩し、学校を休むことも日常茶飯事なのだ。その度に、いつも俺が看病を担当していた。それは何も今生でだけの話では無い。前生の時だって、銀子ちゃんの看病は良く受け持っていたのだ。看病の経験値は絶大だ。
それから数十分が経過した。鏡洲さんは、自分の仕事がまだ残っているので、持ち場へと戻っていった。銀子ちゃんは、体調も少し回復してきたのだろう。顔色も、多少良くなったように感じる。
「八一ありがとう……もう、大丈夫……」
「銀子ちゃん、無理しちゃだめだよ」
「少し歩くだけなら、大丈夫……八一、帰ろ?」
「銀子ちゃん……うん、わかった。けど、絶対無理しないでね?」
銀子ちゃんが立ち上がる。確かに、その足取りは先ほどまでよりもしっかりしている。これなら、銀子ちゃんの言うとおり帰るぐらいなら問題無いかもしれない。
「念のために、今から明石先生の所に行くからね?」
「……うん」
そして俺たちは、ゆっくりと歩き出した。大会は、今日で終わりでは無い。まだ明日があるのだ。それまでに、銀子ちゃんの体調が回復するかはわからない。しかも明日は決勝トーナメント。相手の棋力も高くなることが予想される。更には、明日の対局は全3局あるのだ。負けたらその時点で終わりだが、勝ち続ければ3局対局することになる。銀子ちゃんの体が保つのか、わからない。そもそも、それ以前に、明石先生からのドクターストップがかけられる恐れもあるのだ。銀子ちゃんもそれを恐れているのだろう。明石先生の名前を出した途端に、表情が暗くなった。だけど、明石先生に診てもらわないわけにもいかない。何かがあってからでは、遅いのだから。俺たちは、ゆっくりとした足取りで、明石先生の病院までの道を歩いて行くのだった。
右手に感じる銀子ちゃんの力は、とてもとても、弱々しかった。
長くなりすぎたので分割
本作にとって、八銀にとって大事なお話
一語一句文章を吟味しながら、書いては消し、消しは書いてを繰り返してたら予想以上に時間がかかってしまった
次はあさって大丈夫です
きっと
八銀はジャスティス