この手を離さない 作:八銀はジャスティス
お待たせしました
合い言葉は、八銀はジャスティス
銀子ちゃんの試験を翌日に控えたその日、俺と銀子ちゃんは夕方に会館へとやってきていた。世間がお盆に入ったこの日に俺たちは、試験に向けた、最後の研究会を会館で行うことにしていた。鏡洲さんを交えて3人でだ。銀子ちゃんの試験は明日とはいえ、今日も会館では1次試験が行われていた。その参加者との接触を避けるために、試験が終わった夕方から行うことにしていた。
「よう、お二人さん」
「鏡洲さん、今日はよろしくお願いします」
「お願いします」
「おう、よろしくな」
鏡洲さんとは、会館の入り口でバッタリと出会った。てっきり先に来ているものだと思ったら、今来たところらしい。なんでも、会館から依頼を受けた仕事に参加してから来たらしい。仕事上がりに付き合わせてしまって、申し訳無く思う。鏡洲さんと軽く挨拶を交わし、俺たちは3階へと上がった。峰さん達に挨拶をして、事務局を抜け棋士室へと入ろうとした時だった。
「こんにちは。エアコン修理に来ました」
作業服を着た男の人が事務局を訪れた。その姿を見て、発言を聞いて、事務係の人達が一様にキョトンとした顔になる。
「え?この前電話したら、予約が一杯で最速でも来月になると言われてたんだけど」
「はぁ、なんでも、春先の時点でこの日に修理に来て欲しいと予約を頂いていたみたいなのですが」
「春先?エアコンが故障するよりも前じゃないか。一体誰が?……まぁいいか。修理してくれると言うんだったら、してもらおうか。案内するよ」
峰さんの案内の元、修理業者の人が事務局から出ていった。今、明日の試験が行われる対局室のエアコンが故障しているのだ。使えることには使えるのだが、作動中にいきなり止まってしまう。この猛暑が続く夏場に、窓が無い対局室では地獄のような暑さとなってしまう。因みに、当然のことながら業者に予約を入れておいたのは俺だ。
前生では、そのエアコンの故障がとある悲劇を招いてしまった。まぁ、それはあくまで一因に過ぎないのだが。今生では、あのような悲劇が起こってほしくない。あんな銀子ちゃん、見たくない。そのためにも、できる備えはなんだってしておく。銀子ちゃんには、今年奨励会員になってもらう。来年の試験は、必要ない。
「さてそれじゃ、何を研究する?」
「今日は銀子ちゃんのための研究ですからね。とりあえず、香落ちと、辛香理論の対策を」
「それは、必須だな」
「香落ちと、カラシ理論?」
「銀子ちゃん。カラシじゃなくて、辛香だよ」
カラシ理論は、前生の小学生時代、俺が間違えて覚えていた名称だ。恥ずかしいから、思い出させないでくれ。何にしても、この二つへの対策は奨励会試験において、更には奨励会で生き残っていくうえで必ず必要になってくる。前生の試験でも、銀子ちゃんはこの二つに苦しめられ、対局を長引かされた結果、あの悲劇が起こってしまった。この二つに対処することは、明日の試験の結果にも繋がるのだ。その後俺と鏡洲さんは、明日の試験に向けての対策を、銀子ちゃんに伝受していった。万全の体制で、銀子ちゃんには試験に挑んでもらう。明日の試験に響かないように、短い時間で研究会は終わる。だけど、濃密な時間になったはずだ。銀子ちゃんの試験対策も万全だ。これを、明日銀子ちゃんなら活かしてくれるだろう。俺と銀子ちゃんは、鏡洲さんにお礼を言って、帰路へと着いた。その時の俺には、翌日に対する一抹の不安も無かったのだった。
翌日、俺と銀子ちゃんは出発の準備をしていた。銀子ちゃんの奨励会入会試験当日。やれるだけの準備はしたつもりだ。銀子ちゃんは、万全の体制で試験に挑めるはず。
「銀子ちゃん、はいお弁当。ソースたっぷり入れておいたからね。それと、日焼け止めもしっかり塗っておくわね。今日の試験、頑張ってきてね!」
「うん。桂香さん、ありがとう」
桂香さんも、銀子ちゃんのためによくしてくれている。自分の勉強も大変だろうに、そんなの気にするなと言わんばかりに銀子ちゃんのサポートをよくしてくれていた。そのお返しと言ってはなんだが、俺からも桂香さんに色々とプレゼントしていたりするんだけど、それは今は置いておこう。
「それじゃ、いってきます!」
「いってきます」
「うん、二人とも、頑張ってね!」
そして俺と銀子ちゃんは、会館へ向けて出発した。今日は俺の例会もある。そして、俺にとって重大な例会でもあった。今日の初戦に勝てば、連勝規定により二段への昇段が決まるのだ。ここのところ俺は絶好調だ。特に危なげも無く、連勝を重ねてくることができた。今日は俺が昇段を決めて、銀子ちゃんが入会を決める。良い一日になりそうだ。
「やぁ」
会館に着いた俺たちを、明石先生が出迎えてくれた。明石先生とは、特に約束をしていなかったのだが、銀子ちゃんの応援に来てくれたのだろうか?
「小学生名人戦の一件を、僕はまだ気にしていてね。今日の試験に、銀子ちゃんが万全な状態で挑めるように微力ながら協力させてもらうよ」
微力なわけがない。明石先生がいてくれるのが、どれだけ心強いことか。これでもし仮に、初戦で銀子ちゃんが負けてしまった場合も、二戦目、三戦目と、長期戦になっても大丈夫だろう。まぁ、銀子ちゃんなら初戦で問題なく勝てるだろうが。
「うん、今朝の体調は良さそうだね。顔色も良好だ。これなら、問題無く試験に挑めるだろう。八一君も、例会頑張ってね」
「はい!ありがとうございます!」
明石さんの応援を受けて、俺たちは対局室へと向かう。対局室には、既に多くの奨励会員や、銀子ちゃん以外の受験者の姿があった。そして、そんな皆の前に一人のプロ棋士が立っている。
「久留野先生。おはようございます」
久留野義経四段だ。幹事として、今日の二次試験の監督を引き受けている。
「ん。九頭竜君、おはよう。今日は、昇段がかかった大一番だね。頑張って下さい。それと、受験者の空銀子さんだね?今日は自分の力を精一杯出し切って、試験に挑んで下さい」
「はい、ありがとうございます」
久留野先生に挨拶を済ませると、俺たちは指定された席に着いた。席に着き、数分もすれば久留野先生が話を始める。そして、手合いが次々と発表されていった。俺の手合いも、発表される。
「よろしくお願いします」
対局相手と早速向かい合い、挨拶を済ませる。先手は俺だった。この対局の初手は、以前から既に決めていた。
「2六歩?」
相手が、俺の初手を見て訝しむ。だがそれもほんの少しの時間だけ。直ぐに自身の手に着手した。8四歩と、俺の初手に合わせて飛車先の歩を突いてくる。そして、更に一つ歩を進めて、金をお互い角の横に付ける。そして直ぐさま、俺は飛車先の歩を相手の歩と交戦させた。相掛かりだ。相手は、俺の状況を知っている。この1局に、俺の昇段がかかっていることを。だからこそ、慎重策でくると思っていただろう。もっと、自身の囲いを固めてから開戦してくるだろうとでも考えていたことだろう。だけど、俺が選んだ戦型は相掛かりだった。急戦戦法だ。
相手が、俺の歩を取ってくる。そして俺は、飛車側の金を一つ前に進めた。歩を飛車で取ってこなかったことに、またも訝しげな顔をする相手。だが、そこまで深く気にせず、こちらも飛車先の歩を交戦させてきた。素直に歩取りを俺は行う。そして相手も、素直に飛車で歩を取る。そして次に俺が指した手に、相手は驚愕の表情を見せる。
「んな!?」
2三歩。取った歩を直ぐさま、角頭に打ち付けたのだ。定石を完璧に無視した一手。この一手を受けて、相手の手が止まる。角を動かす方法は無い。取れる手は、金で歩を取るだけ。だが、はたしてそれでいいのか。金で歩を取った場合、金が後ろに下がれなくなってしまう。取った後はどうなるんだ?と変化を延々と考えていることだろう。この手は、前生で創多が考案したものだ。それを、俺風に変えて指している。この大胆な手をこの対局に使用した理由は一つ。短手数で対局を終わらせるためだ。一手でも早く対局を終わらせて、銀子ちゃんの応援に駆けつける。そのために、この一局に相掛かりを、この戦法を採用した。超急戦で、終わらせるために。
その後は、俺の作戦通りに超急戦展開へと発展していく。歩を金で取った後、金と角の逃げ場を確保するために、角道を開けてきた相手を狙って角交換を行う。そして直ぐさま角を打ち付けて、こちらの陣地に踏み込む機会を狙っていた飛車を狙う。飛車取りか角成の選択を相手に迫った。そして、相手が飛車を逃がしたので直ぐさま馬を作る。それを軸に、相手陣地に攻め込んでいく。飛車も、歩と更には桂馬との連携で相手金銀に迫り、金銀の防壁を突破し龍王へと成った。左翼から馬、右翼から龍が攻め込む形だ。そうなると、終局まではそう時間を要さなかった。
「ま、負けました……」
対局相手が投了宣言をする。これで、俺は二段へと昇段を果たした。そして、喜ぶ間もなく、俺は銀子ちゃんの対局を見に行く。対局は、まだ中盤の様相だった。開戦間もないように見える。香落ち手合いということで、飛車を振っている相手。その戦法に、銀子ちゃんは冷静に対処できていた。
「あの銀髪の子、凄いな」
「例の小学生名人だろ?清滝名人の弟子で、覇王の姉貴分だっていう」
「なんだよそれ。将来有望すぎだろ」
奨励会員の皆も、銀子ちゃんの実力に舌を巻いているようだ。銀子ちゃんが褒められるのは嬉しいんだけど、覇王と呼ぶのだけはやめてもらえないだろうか?対局は、そのまま終盤戦へと突入していく。優勢なのは、どう見ても銀子ちゃんだ。このまま、銀子ちゃんなら問題無く終局まで持っていくことができるだろう。だが、奨励会は決して甘い場所ではない。
「教えてやるよ受験生。奨励会の終盤は、二度ある」
銀子ちゃんの対局相手が、自陣に金銀を打ち付け始めた。辛香理論の実践だ。奨励会では、ここからが本当の終盤となる。勝つことではなく、負けないことを考え始めた相手を、如何にして詰ませるか。その研究は、昨日既に行っている。
「くっ!」
対局相手が、苦悶の声を漏らす。銀子ちゃんの攻めが鋭く、金銀の防壁をいとも簡単に突破されてしまっているのだ。
「つ、強い!」
「あんな簡単に、あの囲いを突破するんか!?」
「これは、入会したら強敵になるな……」
銀子ちゃんへの賞賛が、周りから飛び交う。それほどまでに、完璧な崩しだった。完璧すぎて、身震いするほどの崩しだった。数手後には、もう相手に打つ手が無くなっていた。そして、終局を迎える。後は、頭に何かを打ち付けて終わりだ。銀子ちゃんが、右手で駒台から銀を掴み、その綺麗な人差し指と中指で挟む。そして、自身の勝利を宣言するかのように、その駒を高く頭上に掲げた。こうして、俺の姉弟子、空銀子は対局に勝利し、晴れて奨励会員となったのだった。
そのはずだった。
「……え?」
思わず、声が漏れてしまう。銀子ちゃんの指に挟まれた銀が、こぼれ落ちて、床に音を立てて落ちる。まるで、何か未来を暗示するかのように、銀が落ちる。そしてそれから数秒が遅れてのことだった。指を頭上に掲げたまま固まっていた銀子ちゃんの体が、傾いたのは。その状況を見ても、俺は何が起きたのかを理解することができなかった。いや、したくなかっただけだ。目の前で起きている、現実から目をそらしたかっただけだ。だけど、その現実逃避を、銀子ちゃんが床に倒れる音が許してくれない。
「銀子ォォォ!!!」
悲痛な俺の叫び声が、誰もが動きを止めた対局室に、響き渡ったのだった。
久しぶりの投稿
しかも暗い終わり
次は早く投稿できるようにがんばります
たぶんあさって大丈夫です
たぶん
進捗状況はツイッターでお知らせします
八銀はジャスティス