この手を離さない 作:八銀はジャスティス
ゲーム発売まで、これ聞いて慰めて貰ってます
もう、延期はないよね……?
合い言葉は、八銀はジャスティス
「銀子ォォォ!!!」
俺の叫び声が、対局室に響き渡る。直ぐさま俺は、銀子に駆け寄り、その体を起こそうとする。しかし、その俺の行動を、手を捕まえて制止する人が現れた。
「八一君、落ち着くんだ!無理に起こそうとするのは危険だ!僕に任せて下がっているんだ!」
明石先生だ。明石先生が、聞いたことも無いような、張り上げた声で、俺の行動を咎める。だけど、今の俺には、そんなことなんて、明石先生の事なんて目にも入っていなかった。誰かに腕を掴まれた。邪魔をされた。その程度の認識でしかなかった。
「離せ!邪魔をするな!銀子、銀子ォ!」
取り乱した俺には、もはや銀子ちゃんと、この頃の呼び方を保つ余裕も持てなかった。銀子と、前生で婚後から晩年まで呼んでいた、呼び慣れたその呼び名が自然と口から出てくる。それだけでも、俺がどれだけ取り乱しているかがわかるだろう。今の俺の眼には、銀子のことしか映っていなかった。
「銀子、銀子ォ!さっさと手を離せよ!銀子が、銀子が!」
「えぇかげんにせんかい!」
明石先生の手を全力で振り払おうとしているときだった。俺の頬に、衝撃が走ったのは。遅れて、痛いのか、熱いのかよくわからない刺激が頬に襲ってくる。そして、俺は、胸倉を掴まれる。目の前には、師匠の顔があった。そこで漸く、俺は師匠に頬を
「銀子が、銀子がと吠えおって、口だけで、お前はほんまに銀子のことを助けたいと思っとるんか!お前が近寄って何ができんねん!銀子が苦しむのを長引かせるだけやろ!明石君に任せて、お前は水でも被って頭冷やしてこい!」
師匠の怒声が、俺にとっては冷や水と同様の効果をもたらしてくれた。徐々に、思考が冷静に戻っていく。完全に元の状態に戻ったかと言われれば、首を縦に振ることは到底できないが、自分に今できることが何なのかは理解することができた。何もできないと言うことは、理解することができた。結局の所、俺には医学的知識なんて、全く無いのだ。銀子ちゃんに何かあった時のために、心臓マッサージや人工呼吸のしかたは前生で身につけたが、今この場には一般人の俺なんかよりよっぽど頼りになる、本職の明石先生がいる。この場は明石先生に任せるのが一番だということは、誰にだってわかるだろう。俺はその後も、明石先生が銀子ちゃんにこの場でできる限りの治療を行っていくのを見守っていることしかできなかった。そしてしばらくすると、会館の外からサイレンの音が聞こえてくる。どうやら、救急車が来たようだ。サイレンの音が聞こえなくなると、程なくしてタンカを担いだ人達が数人対局室に入ってくる。明石先生が事情を説明し、その人達と、銀子ちゃんを連れて部屋を出て行った。おそらく、このまま一緒に病院に行くのだろう。それに、師匠も着いていった。
「ワシは付き添って病院に行ってくる。八一は例会が終わったら、真っ直ぐ家に帰るんや。桂香にはもう電話で事情を伝えてあるからな。安心せい。銀子ならきっと大丈夫や。直ぐに、良くなってまた将棋が指せるようになるわ。だから、心配するんやないで?な?」
そう言って、師匠は部屋から出て行った。心配するななんて、そんなの無理な話だろ。前生では、銀子ちゃんは確かに助かった。だけど、今生もその通りになるとは限らないのだ。……いや、きっとその通りになるのだろうか。これだけ、万全を尽くしても、俺は未来を変えることができなかったんだ。だとしたら、この後もずっと、前生の通りに未来は続いていくのかもしれない。ずっと、変わらずに。
その後、俺は師匠に言われたとおりに、残り1局の例会を終えてから清滝家に帰った。例会の結果は、俺の惨敗だった。正直、どんな戦型を指したのかも全く覚えていない。俺が何を指して、相手が何を指して、第一手で何を指したのか、決まり手はどんな手だったのか、それどころか、先手がどっちだったのかも全く覚えていない。対局中も、ずっと銀子ちゃんのことが頭から離れなくて、集中なんてできるわけがなかった。二段最初の対局は、酷いものとなった。だけど不思議なことに、対局に負けたというのに、俺には、悔しさなんてものが一切湧いてこなかった。負けたというのに、どうでもいいとすら思ってしまっていた。俺は、帰り道を一人歩く。その足取りは、重かった。負けたことが理由では無い。自分の無力さが情けなかったのだ。銀子ちゃんが倒れたとき、結局俺は何もできなかった。そんな自分の無力さが、情けなくて、俺の足取りを重くしていた。俺は重い足取りで、帰り道を一人歩いた。その右手は、寂しそうにブラブラと揺れていたのだった。
翌日、俺は子供部屋に引きこもり、将棋盤を見つめていた。いつもいるはずの、対局相手がいない。負けず嫌いのあの少女が、今はいない。一人きりの子供部屋は、いつもよりも広く感じた。その広い子供部屋で、床に銀子ちゃん愛用のマグネット式将棋盤を広げて、駒も動かさずに俺はずっと盤面を見つめていた。駒は、初期位置から一切動かしていない。俺は、後手なのだ。先手が動かしてくれないことには、対局が始まらない。持ち時間無制限のその対局は、いつまで経っても始まらなかった。
「八一」
そうして、子供部屋でボーッと過ごしていると、部屋に師匠が入ってきた。俺は気だるげに、ゆったりとした動きで師匠の方に顔を向けた。目に入った師匠の顔も、心なし暗く感じた。
「病院に行くで。銀子の見舞いや」
病院には、既に桂香さんが先に行っている。師匠は、午前中用事があったので外出しており、どうやら帰宅するなり直ぐに見舞いに向かうらしい。
「行かない」
しかし、俺は見舞いに行く気にはなれなかった。銀子ちゃんに、どんな顔をして会えばいいのかわからなかったからだ。なんと声を掛ければいいのかわからなかったからだ。惜しかったね、とでも言えばいいのか?残念だったね、とでも言えばいいのか?次があるよ、とでも言えばいいのか?人生二週目、人よりも長く人生を歩んでいても、決してその答えがわからない。いや、そもそもこの問題に答えは存在するのだろうか?どれも不正解な気がして、銀子ちゃんに会うのが怖かった。
「いいから行くで。これは師匠命令や」
師匠命令。それは卑怯な言葉だ。そう言われれば、俺に拒否権は無い。従う以外に、選択肢は無かった。
「……行って、銀子ちゃんになんて声を掛ければいいのかな」
「なんや。そんな心配してたんか」
「そんな心配って……!」
その時、俺は師匠に怒りを覚えた。必死に人が悩んでいるというのに、その悩みを軽んじるかのような発言。これだけ悩んでいるのに、まるでそんなの無駄な悩みだとでも言われた気がして、俺は怒りを覚えた。
「実際に悩むだけ無駄や。理由は、会えばわかるわ。行くで」
俺は、怒りを抑えながら、渋々師匠の後に着いていった。病院に着く頃には、俺の怒りは
「こんなところで、奇遇やな」
「ん?その声は……」
入ろうとしたところで、よく知っている人物と出くわした。月光聖市九段だ。月光先生は、今病院から出てきたところだった。おそらく、銀子ちゃんのお見舞いに来てくれていたのだろうか。見送りに来たと思われる、桂香さんも一緒にいる。
「奇遇も何も、お弟子さんのお見舞いに来たのでしょう?私も、目的は同じですよ」
「態々銀子の見舞いに来てくれたんか」
「彼女は、私の姪ですからね。親戚のお見舞いに訪れるのは、不思議なことですか?」
「そう言われると、普通やな」
「えぇ。普通のことです」
そう言って二人は病院の前で笑っていた。豪快に笑う師匠と、静かに笑う月光先生。笑い方に個性はあるが、仲の良い兄弟に見える。
「……こうして直接会うのは5月の名人戦以来ですね。お元気そうで、安心しました」
「お陰さんで、良い思いさせてもろうてるからな」
「これはこれは、短い夢に終わらないことを期待してます」
そして、急に二人して挑発を始める。棋士として、ライバルとしての
「八一君も、お久しぶりですね。お元気にしてましたか?」
「はい、お陰様で元気に過ごしてました」
「……少し声に元気が無いような気がしますね。お姉さんのことで、気落ちするのもわかります。ですが、せめて彼女には元気な顔を見せてあげて下さいね。それが、彼女にとっても良い薬になるはずです」
「はい、肝に銘じておきます」
「それでは、私はこれで失礼します」
「なんや、もう帰るんかいな」
「これから仕事が入っているもので。後は、ご家族で過ごして下さい。それでは、失礼します」
月光先生は、そう言って去って行った。俺たちは、月光先生の姿が見えなくなったのを確認してから、桂香さんに案内され銀子ちゃんの病室へと向かった。
「あぁ、お待ちしてました」
桂香さんに案内された病室の前で、明石先生が立っていた。どうやら俺たちのことを待っていたらしい。
「銀子の調子はどうや?」
「昨日から変わりありませんよ。僕が説明するよりは、直接会って頂いた方がわかりやすいとは思いますけどね」
「せやろうな。ワシは知っとるけど、八一は知らんからな。とりあえず、中に入ろか」
「私は……」
「……桂香も一緒におってくれへんか」
師匠にそう言われた桂香さんの表情は暗い。まるで、この病室に入るのを嫌がっているようにも見える。その桂香さんの様子を見て、俺は徐々に嫌な予感を覚えてきていた。この病室の中に、何があると言うのだ。ただ、銀子ちゃんが寝ているだけではないのか?俺は段々、悩みなど関係無しに、この病室に入るのが怖くなってきていた。
「ほな、入るで」
しかし、入らないわけにも行かない。どうせ、師匠命令を使われるに決まっているのだ。おそらく、師匠は銀子ちゃんに俺を会わせるために師匠命令を発令したのだから。俺は意を決して、師匠に続き病室の中に入る。中に入り、ベッドの上に横たわる少女を見て、
「な……!?」
言葉を失った。その、あまりにも痛ましい銀子ちゃんの姿に。どうやら、意識はあるらしい。いや、こんな状態を意識があると言っていいのかわからない。酸素マスクをして、声は出せないようだ。輸血を受けていて、常に肩で息をしている。目は虚ろで、周りの様子がわかっていないらしい。俺たちの声が聞こえているのかもわからない。だけど、その右手の指先だけが時にピクリと動くのだ。まるで、持っている駒を盤に叩きつけるかのように。銀子ちゃんの右手は、まだあの時の銀を玉頭に打ち付けようとしているのだ。銀子ちゃんはまだ、昨日の対局を闘っているのだ。その姿が、痛ましくて、思わず目を背けてしまう。
その姿を見て、俺は漸く師匠が悩むだけ無駄と言った意味を理解した。話しかけることも、できないのだ。それは当然無駄だろう。ここまで痛ましい銀子ちゃんは、前生を通じても初めて見た。確かに、前生でもこの時期は、銀子ちゃんは奨励会試験で倒れ、入院をしていた。だけど俺は、銀子ちゃんの容体は心配無い。しばらく念のために検査入院するだけだとずっと聞かされていたのだ。お見舞いに訪れる許可を貰ったのも、世間がすっかり秋色に染まってからのことだった。つまり、銀子ちゃんの容体が回復してからのことだったのだ。今の今まで、倒れた直後の銀子ちゃんがここまで酷い状態だったなんて、想像もしていなかった。
「とりあえず、命に別状は無いよ。昨日の時点では、危険な状態だったけど、峠はもう過ぎた。ここからは、時間はかかっても、徐々に回復していくよ」
明石先生のその言葉を聞いて、安心する。正直、この姿の銀子ちゃんを見てしまえば、命の危機なんじゃないかと心配してしまっていたのだ。本当に良かった。俺は、もう一度銀子ちゃんの方を見る。だけど、やっぱり直ぐに目を逸らしてしまいたくなる。銀子ちゃんの姿から。未来を変えれなかったという現実から。俺は、銀子ちゃんからまた目を逸らす。逸らそうとして、ふと気づいた。時折ピクリと動く銀子ちゃんの右手。その反対の左手だ。その左手が、何かを握っているように見えるのだ。俺は、それが気になって、銀子ちゃんの左手に近づいていく。握りしめた左手の、僅かな隙間から、銀子ちゃんが何を握っているのかは確認することができた。
「あ、あ……あぁ……!」
それを確認した瞬間、俺の眼からは、滝のように涙が溢れ出てきた。その溢れる涙が、銀子ちゃんの左手に流れ落ちていく。銀子ちゃんが握りしめていた物、それは駒ストラップだった。龍王の、駒ストラップだった。その駒ストラップを、ずっと握りしめていたのだ。
「気付いたかい?昨日から、ずっと握りしめていてね。取ろうと思っても、凄い力で抵抗されて諦めたんだ。無理に取ろうとすると、余計に容体が悪化しそうな予感もしたしね」
明石さんの説明に、俺の涙がまた一際強まる。もはや、銀子ちゃんの顔もハッキリと見えないようになっていた。
「医者が精神論を語るのもどうかと思うけど、病に一番効く薬は強い気持ちだと思うんだ。銀子ちゃんの場合、その強い気持ち、いや、銀子ちゃんの場合は絆と言うべきかな?それが、その駒ストラップだと思うんだ。以前、銀子ちゃんが検診に来た時に、嬉しそうに教えてくれたよ。八一君から貰ったんだって。あんなに嬉しそうに、他人のことを語る銀子ちゃんを、僕は見たことが無い。きっと、今の銀子ちゃんにとって八一君は、掛け替えのない心の支えになっているんだよ」
その明石先生の言葉を聞いて、俺はポケットからある物を取り出した。銀将の駒ストラップだ。銀子ちゃん同様、俺だっていつも肌身離さず持っている。そのストラップを、俺も力強く握りしめた。銀子ちゃんに、俺の想いが届くように。
「……桂香、明石君から銀子の病気のことについては聞いたな?」
「う、うん。……聞いたけど」
「なら問題無いわ。八一……お前、銀子の病気のこと、知っとったな?」
「……え?」
師匠の発言に、桂香さんが驚き息を飲む。明石先生も、声は出さなかったが、その目は驚き見開かれていた。師匠にバレていることは知っていた。俺が銀子ちゃんの5歳の誕生日会で行った、衝動的な行動と言動のせいだ。あの時はまだ桂香さんも、銀子ちゃんの病気のことを知らず、不審に思わなかったみたいだけど、師匠は違う。師匠は、銀子ちゃんの病気のことをずっと知っていたのだ。バレてもおかしくないだろうと思っていた。それでも、言わずにはいられなかったのだ。あれから3年。師匠が何も聞いてこないことが、逆に不気味ではあったけど、今ここで聞くつもりになったらしい。
「……うん」
「なんで知っとったんや?」
「なんとなく。銀子ちゃんの普段の様子を見て、そうなんじゃないかな、って思っただけだよ」
「そうか」
師匠は、あっさりと引き下がった。拍子抜けするほど、あっさりと引き下がった。正直、問い詰められても言い逃れできる言い訳が全く思いつかなかったので、適当にはぐらかしただけだったのだが、まさかそれで引き下がるとは思ってもいなかった。その驚きが顔に出ていたのだろう。師匠は、優しげな笑みを浮かべながら、俺に言って聞かせた。
「誰にだって、隠したいことの一つや二つあるわ。ワシにかって、桂香にさえ言っとらん秘密があんねん」
「タンスの裏のヘソクリなら、回収しておいたわよ」
「なんで知っとんねん!?……ん、ゴホン!とにかく、そういうことや。八一が何か隠してようと、無理矢理聞くようなことせーへんわ。せやけどな、これだけは覚えとき。ワシらは師弟であると共に、親子でもあるんや。子供の悩みなら、親はいつでも聞いたる。せやから、一人で抱え込むんやないで。辛くなったら、いつでも相談してき」
「師匠……」
師匠の優しさが、有り難かった。本当に、俺は良い父親に巡り会えた。その優しさに、甘えたくもなる。だけど、それが許されるわけがない。こんな相談、できるわけがないじゃないか。俺は未来を知ってるんです。未来を変えたいんですなんて、相談できるわけがないじゃないか。相談した瞬間、精神科医に連れて行かれかねない。
銀子ちゃんの想いは嬉しい。師匠の優しさは有り難い。だけど、そんなものでは未来を変えることはできないのだ。現に、こうして最善を尽くしても、未来を変えることはできなかった。辛い現実を、叩きつけられた。もしかしたら、どれだけ頑張っても、この先も未来を変える事なんて、できないのかもしれない。また、この手を離してしまうのかもしれない。俺が今までしてきた努力は、全て無駄だったのかもしれない。未来は、どう足掻いても変えれないのかもしれない。そんな考えばかりが、頭に過ぎってくる。俺の、今生での努力はなんだったんだろう?
精神的に不安定になってしまった俺は、その後著しく調子を落とした。降段こそ免れていたものの、負けが先行することが多くなってしまった。いくら勝っても、未来を変える事なんて、できないんじゃないか?そんな考えばかりが対局中も過ぎってしまう。俺は、一体どうすればいいんだ……
俺の不調は、その後もしばらく続いた。自分がするべきことに答えも出せないまま、時間ばかりが過ぎていくのだった。悪戯に時間ばかりが、過ぎていくのだった。
月曜に投稿すると言ったな?
あれは嘘だ(訳:遅れてしまい本当に申し訳ございません
年末繁忙尋常じゃないでやんす
次はたぶん土曜日かな
土曜日目標に頑張ります
八銀はジャスティス