この手を離さない 作:八銀はジャスティス
合い言葉は、八銀はジャスティス
「負けました……」
この日、二度目のその言葉を、俺はホッと息を吐きながら聞いていた。最後まで気の抜けない対局だった。一手間違えれば、その言葉を口にしていたのは俺だったかもしれない。思わず口から安堵の息が漏れてしまう。
今日は、2月後半の例会が行われていた。結果は、俺の2連勝。前回から合わせて、連勝記録を4に伸ばした。銀子ちゃんとの一件以来、俺の将棋は調子を取り戻した。もう、あのような余計な思考に襲われることもなくなった。目の前の対局にだけ、集中することができている。最高な状態で、対局ができている。しかし、ここまで上がってくると、流石に対局相手も強い。誰もが、プロに上がれる可能性を秘めた棋士達だ。中には、実際にプロレベルの棋力を持っている棋士もいる。今対局した相手も、実力はプロに匹敵したかもしれない。相当な実力者だった。だが、勝ったのは俺だ。勝ったからこそ、俺は望みを繋げた。
帰り支度をしていると、カバンに仕舞ってあったマナーモードのスマホが震えだした。今は2011年。世間一般には、所謂ガラケーの普及率の方がまだまだ高い時代。だが、スマホだって既に販売され、シェア率を徐々に上げていっている。俺は、一足早くスマホに手を出していた。そのスマホの画面を見る。そこには、神鍋歩夢という親友の名前が表示されていた。
「もしもし?」
「電話に出るということは、終わったのか?」
「うん。勝ったよ。2戦とも」
「そうか。それでこそ、我がライバル!そうでなくては面白くない!」
「紙一重だったけどね。強い相手だった。本当に危なかったよ」
「それでも勝ったのであれば、良いではないか。……八一、我は上がったぞ」
「だろうね。このタイミングで電話してくるってことは、そういうことだろうと思ってたよ」
「フッ、八一、上がってこい」
「あぁ、もちろんだ。例会も4月の開幕まで無いんだ。時間が空いただろ?今の内に、俺の対策を考えておけよ」
「フッフッフ、フハハハハハハ!昂ぶる。昂ぶるな八一!先に上で待ってるぞ。上がれなかった場合の言い訳は、聞かぬからな?」
「あぁ、俺もそんなもの用意する気ねーよ。約束だ。三段リーグで最高級の対局をしよう」
「あぁ、……待ってるぞ!」
そう言って、歩夢は電話を切った。同日、関東でも例会が行われていた。その結果、歩夢の三段リーグ入りが決定した。4月開幕のリーグから歩夢はプロ入りを賭けたリーグ戦に挑む。歩夢は現在小学6年生。4月から中学生だ。中学生プロ棋士になるチャンスが、計6度与えられた。
そして俺は、まだ三段リーグに上がれていない。段位者の昇段条件は、12勝4敗、14勝5敗、16勝6敗、18勝7敗のいずれかの戦績を記録すること。4月開幕のリーグ戦に間に合わせるためには、残りの例会2度、計4局でこの戦績を記録しないといけない。しかし、仮に全ての対局に勝ったとしても、俺は先述の戦績、どれにも届かない。なら昇段は間に合わないのか?と言われればそうでもない。もう一つだけ、昇段するための条件が存在する。それは、8連勝を記録すること。俺は今現在、例会4連勝中だ。残りの4局、全て勝つことができれば8連勝に到達し、昇段が決定する。4月からのリーグに間に合うことができる。しかし当然ながら、一つでも負けたならば、その時点で終わりだ。歩夢との約束を、破ってしまうことになる。俺は、一度交わした約束を破るようなそんなクズにはなりたくない。残りの4局、何がなんでも勝ってみせる。勝って、約束の舞台へと上がってみせる。そう決意を込めて、俺は帰路へと着いた。帰り道を歩く俺の脳内では、歩夢に対する対策が延々と思考されていたのだった。
3月に入り、俺は前半の例会を危なげなく2勝することができた。これで、連勝数を6に伸ばし、最後の例会に望みを繋いだ。そして、今日はその最終日だ。
「何も、態々応援にまで来なくてもいいのに」
「応援などではない。三段リーグは関西将棋会館でも対局を行うからな。その下見に来たのだ」
「下見なんてしなくても、歩夢だって何度も通ってるでしょ」
この最終日に、態々歩夢が関東から駆けつけてくれていた。口ではこう言ってるが、間違いなく俺の応援が目的だ。そして、もう一人。
「銀子ちゃんも、応援に来なくても大丈夫だよ?」
「応援なんかじゃない。8月の入会試験に向けて下見に行くだけ」
「まだ半年近くあるし、毎日のように通ってる場所に下見も何もないでしょ」
銀子ちゃんも、今日は俺に着いてきてくれている。口ではこう言ってるが、間違いなく俺の応援が目的だ。二人の気持ちに応えるためにも、今日は最高の結果を手に入れないといけない。
「それじゃ、行ってくるよ」
「うむ。月並みな言葉ではあるが、頑張ってこい」
「負けたらぶちころすぞわれ」
「うん。ありがとう」
結局応援してくれてるじゃないかという言葉は喉の奥に引っ込めて、俺は対局室へと向かう。二人は、棋士室の方で待機してくれているらしい。そして、俺は対局へと臨む。今日の初戦は、俺にとってもそうだが、対局相手にとっては、より一層特別な対局となっている。
「お願いします」
「お願い、します!」
淡々と挨拶を行った俺に対して、明らかに開局前から力んでいる相手。その目は怖いぐらいに血走っている。対局相手の現在の年齢は満年齢で25歳。そして、この4月で26歳を迎えるらしい。奨励会には、年齢制限がある。段位者の場合は、満26歳の誕生日を迎えた三段リーグ終了時に、四段に昇段できなかった場合、退会となってしまう。つまり、目の前の対局相手は、この4月からの三段リーグに参戦し、一期抜けしないと退会になってしまうのだ。まぁ、他にも延命措置の手段があるのだが、それも三段に昇段できなければ適用されないので、今は置いておく。そしてこの対局者は、ギリギリのところで三段昇段に望みを繋いでいた。今日の対局、2局とも勝利することができれば、ギリギリで規定戦績に到達できるのだ。つまり、条件は俺と同じだ。どちらかが次局に望みを繋ぎ、どちらかが絶望の涙を流す。天国か地獄かの大一番だ。
その対局は、俺の先手で始まった。俺は初手で、角道を開けるスタンダードな手を指す。対して、相手も同様に角道を開いてくる。無難な展開から、俺は飛車先の歩を突いていく。俺がこの対局で目指した戦型は横歩取りだ。しかし、相手が次に指した手が、俺の目指した戦型を嘲笑ってきた。
「な!?」
思わず、声が漏れてしまった。両隣で対局していた奨励会員も、皆一様に驚愕を顔に見せる。角交換だ。相手が角交換を仕掛けてきたのだ。後手番で、角交換を仕掛けてきたのだ。つまりだ。この対局の戦型は横歩取りでは無くなった。一手損角換わりとなったのだ。
「流石の天才君も、この手は想定外だったかな?」
「……面白い!」
その後も、一手損の利点を活かして、相手は展開を進めていく。その手に、ミスと呼べる物は一切無かった。なるほど。よく研究している。俺の知っている限りでは、彼が一手損角換わりを指したというデータは無い。ずっと、水面下で研究を続けていたのだろう。いつからかはわからないが、ずっと。もしかしたら、三段リーグに向けた秘密兵器として用意していたのかもしれない。確かに、いきなりここまでレベルの高い一手損角換わりを指されたら、並大抵の奨励会員では為す術が無いだろう。強い。ここまで一手損角換わりを指し熟せるとなると、相当な努力をしたことだろう。
そんな彼の敗因を挙げるとするならば、秘密兵器に一手損角換わりを選んでしまったことか、もしくは対局相手が俺だったことだろう。
「な……なんで……」
形勢が悪くなった盤面を見つめて、相手が震えた声で呟く。本当に完璧な指し回しだった。隙の一切無い、完璧な指し回しだった。だが、相手が悪かった。彼は知らないだろうが、今彼の目の前にいるのは、一手損角換わりのスペシャリストなのだ。はっきり言って、経験値が全く違う。いくら完璧に指し熟せたとしても、この戦法に関しては、彼の更に上を俺はいく。と言っても、彼が知らないのも無理はない。何故なら、この戦法を温存しているのは、彼だけではないのだから。俺も、今生においてこの戦法を指したのは、歌舞伎町での一局だけだ。決して、世に出回らない一局。だからこそ、誰も俺が一手損角換わりのスペシャリストだと知らない。だからこそ、この戦法に対する究極のカウンターとなる。
「ま……まけ、まし、た……」
消え入りそうな声で、彼が投了宣言を行う。盤面には、完詰み状態の彼の
「首を斬ったっていうのに、あっさりとしてるな」
「あいつには人間としての情がないのかよ」
ヒソヒソとした陰口が聞こえてくる。俺に聞こえていないとでも思っているのだろうか?静かな対局室では、周りの声がよく聞こえるというのに。そもそも、勝者が敗者を慰めることは、敗者に対する侮辱でしかない。お互いに、この対局に全てを賭して、真剣に臨んだのだ。ここで声をかけないのは、俺なりの彼へのリスペクトだ。
そもそも、首を斬るという行為は前生でも嫌というほど行ってきた。今更、首を斬ることに躊躇いを持つような精神はしていない。それに、首を斬ることが嫌なら、初めから棋士になるなという話だ。この世界では、その行為は付きものなのだから。
「九頭竜君」
俺が無言で立ち去ろうとすると、対局相手が話しかけてきた。まさか、話しかけられるとは思っていなかったので、思わず驚いて振り返ってしまう。そこには、震える体で、白い顔で、それでも必死に、無理をして笑顔を浮かべる対局相手がいた。
「ありがとう。最期の対局相手が、君で良かった。俺の分も、プロで頑張ってくれ」
彼の口から紡がれたのは、俺に対する礼と、励ましだった。まさか、この期に及んで、首を斬った相手に対して、そんなことが言えるとは思わなかった。俺は、思わず目を見開く。しかし、俺は直ぐに前へと視線を戻し、彼から目を逸らす。
「……外の世界は、きっと辛いことが多く待ち受けています。けど、それと同じくらい、楽しいことも溢れてると思います。良い人生を歩めるように、祈ってます」
俺はそう言って、その場を後にした。もう、後ろは振り向かない。前だけを見て、俺は進む。俺は、背後から聞こえる嗚咽を、気にしないようにしながら、対局室を後にした。さぁ、次の対局で、俺の今後の運命が変わってくる。大事な、本当に大事な一局だ。精神面に変化は無い。大丈夫だ。いつも通りの将棋が指せるだろう。ただ、唯一次局に向けて変わったことがあるとするならば……背負う物が増えた。ただそれだけのことだ。
棋士をしていると、どうしても背負う物が増えてしまう。自分を、想ってくれている人が、応援してくれている人がいる。その人達の想いを、全て背負って対局に挑まないといけない。その分だけ、負担も大きいし、その分だけ、力がもらえる。自分は一人で闘っているわけではないと実感できる。背負う想いが一つ増えた。その分だけ、俺はまた強くなる。次局は、少し強くなった俺が対局に挑む。負けるつもりは、更々ない。だが、その前に腹ごしらえだ。昼食を頂くとしよう。俺は、空腹を訴えるお腹を擦り、応援してくれている二人のところへ向かうのだった。
次話と纏めても良かったんだけど、あえての分割
特に分割した意味は無いです
強いて言うなら、仕事の疲れで平日執筆するのしんどかったから、執筆をサボ(ry
まぁ、次話もほぼほぼできあがってるんで、確実に次はあさってに投稿します
お待ちください
八銀はジャスティス