この手を離さない   作:八銀はジャスティス

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ほら、今回は早い(当社比
今回久々の三人称視点描写があります
それと、長いです
合い言葉は、八銀はジャスティス


第38局 棋士として、友として

東京での連勝スタートを記録した俺は、その日のうちに清滝家まで帰ってきていた。最寄りである野田駅の改札を抜けると、そこには俺を出迎えてくれる家族達の姿があった。

 

「おかえり、八一くん」

 

「うん、ただいま」

 

桂香さんの挨拶に、俺は胸を張ってそう応えた。開幕連勝スタート。文句なしのスタートを切ることができた。だけど、決して安心はできない。まだ本当に強い相手とは当たっていない。最後の最後まで、たとえどれだけ白星を積み重ねていたとしても、安心はできない。今年の三段リーグは、類を見ない大混戦が予想されているのだから。

 

「その様子やと、勝てたみたいやな」

 

「うん。開幕連勝できたよ」

 

「そうか!流石八一や!せや、腹減ったやろ?今日は、このまま外食しよか!奮発して焼き肉や!」

 

「私、シャトーブリアン食べたい」

 

「さ、砂糖鰤餡?」

 

「お父さん、シャトーブリアンよ」

 

「なんやようわからんけど、好きなもん頼み!今日は出血大サービスや!」

 

俺はそう機嫌良さそうに笑う師匠を見て、静かに心の中で合掌した。そして案の定、会計時に店内には絶叫が響き渡ったのだった。師匠に幸あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けました」

 

その日の夜、俺は毎日恒例となっている銀子ちゃんとのベッド争奪対局を行っていた。体は疲れて直ぐにでも睡眠を欲してるはずなのに、不思議と銀子ちゃんとの対局となると、体が睡眠よりもそちらを求めているのか、眠気が綺麗さっぱり吹っ飛んでいった。そして結果は、俺の勝ち。とは言っても、いつものパターンだと直ぐに銀子ちゃんが再戦を要求してくる。そして、銀子ちゃんが勝つか体調を崩すまで終わらない……はずなんだけど、中々銀子ちゃんが再戦を要求してこない。

 

「銀子ちゃん、どうかした?」

 

思わず俺は、銀子ちゃんにそう問いかけていた。銀子ちゃんは、盤上を静かに見つめていた。だがその視線を、徐に上げると、逆にこう問いかけてきた。

 

「八一、どうかした?」

 

「え?」

 

オウム返しのような問いかけ。その視線は、真っ直ぐに俺の眼を捉えている。まるで、全てを見透かされているかのような視線だった。俺の迷いや不安まで、全て見透かされているかのような。

 

「今日帰ってきてからずっと、なんだか元気が無いでしょ?なんかあったの?」

 

銀子ちゃんのその言葉に、俺は素直に敵わないなと感じた。どうやら俺は、銀子ちゃんの前で隠し事は一切できないらしい。まぁ、別に隠すつもりもなかったのだけれど。

 

「実は、歩夢が開幕連敗スタートを切ったんだ」

 

「え……?歩夢君が……?」

 

「うん。確かに、強敵が相手だったのは間違いないけど、あの歩夢が簡単に連敗するなんて思わなくて……それで、歩夢がここから立ち直せるのかが心配で……」

 

前生でも、前期次点獲得者の坂梨さんが銀子ちゃんと三段リーグ初戦で当たり、黒星スタートを切った。その後、開幕4連敗という最悪のスタートを切っている。まぁ、その後14連勝をし、見事に二度目の次点を獲得し、フリークラスでの昇段を決めたのだが。だけど、歩夢も立ち直せるとは限らない。あいつがこのまま連敗を引きずって、俺との決戦まで来てしまったら……どうしても、そんな最悪な想像が浮かんでくる。

 

「あいつとは、三段リーグで最高の対局を繰り広げるって約束したんだ。それなのに、こんなところで躓いて、もし立ち直れなかったらと思うと……」

 

対局日程も、最高の対局に相応しい、これ以上無い、完璧な形に決まったのだ。全てが決まる大一番、最終局での対局。勝っても負けても恨みっこ無し。だというのに、その前にあいつが早々脱落するようじゃ、最高の対局なんて、できるわけがない。

 

「その心配って必要ある?」

 

だが、銀子ちゃんはそんな俺の心配をバッサリと切り捨ててきた。それはもう、気持ちいいぐらいにバッサリと。

 

「必要あるって……銀子ちゃんは歩夢のこと心配じゃないの?」

 

「全然」

 

この子には、血も涙も無いんですか?

 

「はぁ、じゃあ八一、八一は、あの歩夢君が連敗をズルズル引きずって、この後も立ち直れないような弱い棋士だと思ってるの?」

 

「それは……そうは思わないけど……」

 

「だったら気にすることないでしょ?歩夢君ならきっと大丈夫。私は、この家の住人以外では歩夢君と一番将棋を指してるからよくわかる。歩夢君は強い。将棋も、心も。心配しなくても、間違いなく次の対局では立ち直ってるわ」

 

「そう、なのかな?」

 

「そうに決まってる。歩夢君は八一にとってライバルなんでしょ?そのライバルのことを信じてあげなくてどうするの」

 

「そう、だよね。俺が弱気になってたらダメだよね。俺が一番、あいつのことを信じてあげないと」

 

「そうそう。わかったらもう寝ましょ。そんな簡単なことで悩んでるなんて……はぁ、心配して損した」

 

「え?銀子ちゃん俺のこと心配してくれてたの?」

 

「当たり前でしょ?……弟弟子なんだから」

 

銀子ちゃんは、素直にそう返してきた。その返答は、少し意外だった。銀子ちゃんのことだからてっきり、『はぁ?何寝ぼけたこと言ってんの?頓死しろ、クズ』……てな感じに返してくるかと思っていたのだけれど。これは、俺が思ってる以上に今生の銀子ちゃんが俺に心を開いてくれてるって考えていいのかな?だとすると、凄く嬉しい。でも確かに、銀子ちゃんの言うとおりだ。ライバルであるはずの俺が、あいつのことを信じてやらなくてどうするんだ。どうも、前生での坂梨さんの成績が思い浮かんで、弱気になっていた。そうだ。歩夢ならきっと大丈夫だ。次の対局には、きっと持ち直してくれてるはずだ。俺はそうやって安心すると、直ぐに夢の中へと突入していったのだった。

 

それといつも通り、俺の勝利で終わったからって、引き分け扱いにして俺の布団に潜り込んできてるそこの銀髪JS。この行為も、俺が思ってる以上に心を開いてくれてるからって考えていいんだよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらく経ち、三段リーグ二日目を迎えた。

二日目の今回は、俺は関西での対局に割り振られていた。そして、歩夢も。三段リーグは、開幕日と最終日だけは全対局関東で一斉に行い、間の対局は、各自が関西と関東に割り振られて、別れて行う。関西に割り振られた俺は、ホームで対局できるとあって、対局日をリラックスして迎えることができた。良い状態だ。これなら今日の対局も問題無さそうだ。

 

「ん?」

 

関西将棋会館に入った俺は、開幕日と同じく見知った顔に遭遇した。あの日遭遇したのと同じ相手、歩夢だ。俺は歩夢のことを見つめる。しかし歩夢は、こちらに気づくと、直ぐに視線を下に逸らしてしまった。下に、だ。あの歩夢が、俯いたのだ。申し訳なさそうに、俯いたのだ。

 

「歩夢……」

 

歩夢の状態は、もしかしたら俺が思っている以上に深刻なのかもしれない。しかし、俺は決めたんだ。

 

「……信じてるからな、歩夢」

 

歩夢なら、それでもきっと上がってきてくれる。俺は、それを信じて進んでいく。人のペースには合わせない。自分のペースで進んでいく。俺は、その呟きを最後に、意識から歩夢を追い出した。俺には、俺の闘いがある。目の前の闘いに集中しなければ、俺も歩夢と同じ道を歩むことになるかもしれない。それだけは、避けなければ。俺は、意識を自分の対局へと持って行きつつ、対局室へと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「不甲斐ない……」

 

はたしてその言葉を、あの日から何度呟いただろう?少なくとも今日だけで二桁は超えた。

 

「不甲斐ない……」

 

そして、また一つ。歩夢は、心底自分のことをそのように感じていた。先日行われた三段リーグ開幕局、自分は自信を持って、負けるわけがないという自信を持って対局に臨んだ。しかし結果は、惨敗だった。確かに相手は強かった。この三段リーグに参戦している棋士の中でも、屈指の実力者だっただろう。歩夢自身も最大限に警戒をしていた相手。最大限に警戒していたからこそ、惜しみなく最新の研究手を対局に投入した。だが、その研究手でさえも、全て撥ね除けられてしまった。そして逆に、相手の研究手の餌食になってしまった。見るも無惨な形に食い荒らされた矢倉。あの清滝名人に教わった矢倉がだ。その矢倉が、完敗したのだ。

 

そして心の整理も付かないまま迎えた二局目。相手は、同じ関東勢だった。奨励会でも、何度か対局したことのある相手。対局結果も勝ち越している、決して簡単に負けるような相手では無かった。しかし結果は、惨敗だった。全く良いところなく、惨敗だった。あまりにもあっけなく負けたものだから、相手は対局後、キョトンとしてしまっていた。その顔を思いだし、歩夢はまた一つ呟いた。

 

「不甲斐ない……」

 

歩夢には、尊敬しているライバルがいる。年は自分より二つ下なのだが、なんと初めて対局したあの日から、一度も勝てたことが無いのだ。一度も、だ。彼ほど天才という言葉が似合う棋士を、歩夢は知らない。古今東西あらゆる棋士と比べても、彼の才能は飛び抜けているだろう。敬愛する師匠(マスター)や、全ての棋士の憧れである神様と肩を並べるほどに尊敬している相手、それが九頭竜八一という少年に対する歩夢の嘘偽り無い評価だった。正直なところ、歩夢は自分のことを八一に相応しいライバルだとは思っていない。八一のライバルを名乗るなら、それこそあの女版八一とでも言うべき才能の持ち主、八一の姉弟子である空銀子の方がよっぽど相応しいだろう。しかし、それにも係わらず、八一は自分のことをライバルだといつも言ってくれる。そのことがいつも歩夢は嬉しく感じていた。だからこそ、自分も周りに、我は九頭竜八一のライバルなのだと言いふらしてきた。今は相応しくなくても、いつかきっと、胸を張ってライバルだと言える棋士になってみせると、そういう想いもこめて、言いふらしてきた。

 

「不甲斐ない……」

 

だというのに、自分はあっけなく負けた。完膚なきまでに負けた。そのことが歩夢は、本当に、本当に不甲斐なくて、堪らなかった。こんなことでは、八一のライバルを名乗る資格なんて、あるわけが無いではないか。

 

「何さっきからボソボソ呟いてるん?さっさと始めようや」

 

向かいに座ってる相手の声に、歩夢は俯いていた顔を上に上げる。そうだ。今日は三段リーグの二日目だった。態々対局をするために、遠路はるばる大阪までやってきたのだった。今日の一局目、対局相手は関西棋士だった。確か、八一が開幕局で対局した相手だったと記憶している。関東の将棋会館ではあの開幕局以降、今に至るまでずっと、件の対局の話がひっきりなしに聞こえてくる。曰く、天才の実力は本物だった。曰く、近い将来間違いなくタイトルに手が届く存在。曰く、覇王の関東制覇への第一歩。九頭竜八一という名前が、関東棋界にも強く刻まれた対局となった。棋譜を実際に見たわけではないが、見なくてもわかる。圧勝だったのだろう。完膚なきまでの圧勝だったのだろう。自分と違って。

 

「ほな、初めよか」

 

だが、嘆いてばかりもいられない。もう、対局が始まる時間だ。

 

「関東の天才君のお手並み拝見といかせてもらおか」

 

歩夢は先手だ。初手に角道を開ける。それに合わせて相手も角道を開けてくる。角が対角線を睨み合うが、歩夢は角交換をする気は一切無い。直ぐにもう一つ歩を上げ、角道を閉じる。

 

「聞いとるで。矢倉が得意らしいな。その自慢の矢倉、俺の攻めに耐えられるんやろうな?」

 

相手の言葉に惑わされず、歩夢は冷静に矢倉を組んでいく。果敢に攻めてくる相手の攻めを受け流し、数十手後には、綺麗な矢倉が完成していた。矢倉が完成し、歩夢はここで一度盤全体に隈無く目を通す。ジックリと盤を眺めて、歩夢は一カ所、相手の陣形に攻め入る隙があるのを見つけた。ここから攻めていけば、今後優勢に展開を進めていくことができるだろう。そう考えて、手を進めようとした。しかし、伸ばした手が途中で止まる。確かに、攻めることはできる。しかし、その隙というのも大したものでもない。攻めきれる保証も無いほどにい小さなものだ。しくじれば、痛い返しが飛んでくることだろう。ここは、無理をする場面でもない。先日も、無理に攻めようとして痛い目にあったばかりだ。今回は同じ轍を踏まないように、慎重に行こう。そう考え、歩夢は指そうとしていた手と別の手を指す。それは、矢倉を更に固める一手だった。これなら、簡単に攻め込まれることは無いだろう。そう考え、歩夢は相手の顔を見た。対戦相手の眼は、その視線だけで歩夢のことを凍死させれそうなほどに、冷たかった。

 

「……最初のチャンスやから、奨励会有段者らしく逃した、ってわけでも無さそうやな。ただ単純に失敗にビビっただけか。……なるほどな。お前のことはよくわかったわ。俺、お前のこと、嫌いやわ」

 

「え?」

 

「俺はまず、奨励会有段者の闘い方が嫌いなんや」

 

奨励会有段者の闘いは、ただただ負けないことを考え、相手の心を折りにいく闘いだ。とにかく最初に防御を固め、その後相手の手を殺すことだけを考える。そして、最初のチャンスは見逃す。見逃して、より確実な次のチャンスを待つ。遠回りをして、ジワジワと相手の心を攻める将棋、それが奨励会有段者の将棋だ。

 

「あんな将棋して何が楽しいねん。皆、将棋が好きやからこの道を選んだんやろ?将棋を楽しまんな、この道を進む意味なんてないやんけ。俺の棋風は根っからの攻め棋風や。攻めて攻めて攻めまくって、受けに回す駒まで攻めに回して、攻め勝つ。相手に詰まされる前にこっちが詰ませればいいんやろ?っちゅう話や。俺は、奨励会に入ってからも、この将棋を変えたことは一度も無い。壁にはしょっちゅうぶつかってるけどな」

 

彼は奨励会に入り、多くの壁に直面してきた。それはもう、数え切れないほど多くの壁に。しかし、そんな壁も全て、自分の将棋で破壊してきた。破壊して破壊して、しまいには三段リーグで次点を獲得できるまでに、自分の将棋を磨いてきたのだ。

 

「俺の将棋は、奨励会では異色やろうな。せやけど、俺はこの将棋を変える気は一切無い。たとえ、奨励会を退会することになってもな。最後まで、自分らしい将棋を指して死ぬ。ま、簡単に死ぬつもりは無いけどな」

 

「自分らしい将棋……」

 

「せやから、有段者らしいネチネチした将棋指すやつは嫌いやねん。せやけど俺は、そんなやつよりもっと嫌いなやつがおんねん。それはな……自分の将棋に嘘付く奴や!」

 

「ッ!?」

 

「今の手、ほんまにお前が指したかった手なんか?俺にはそうは思えん。どうせ自分の将棋にここは無理をする必要は無いなんて言い訳して、ほんまは攻めるのにビビっただけなんやろ?そんな(ぬる)い将棋指す奴がな……俺に勝てる思うとるんか!」

 

そう言って、相手は力強く手を進めた。進めた駒は、銀。

 

「ほらほらほらほら!どんどん行くで!」

 

「な!?」

 

その後も、銀で次々と攻め込んでいく。二枚の銀で。なんと、両サイドの銀を攻め駒に使ってきたのだ。

 

「まだまだこっからやで!」

 

「ッ!?」

 

そして、飛車角に桂香まで攻めに加わる。受けに回している駒は、二枚の金と歩ぐらいだ。玉も居玉のまま、金が初期位置で固めているだけの囲い。あまりにも無謀な攻め。だが、一度導火線に火が付いてしまえば、怒濤の波状攻撃が待っている。

 

「くッ!このような攻め、成立するわけが……」

 

「成立せーへん思ったら、最初からやってへんわ!」

 

そして遂に、矢倉攻防戦が開戦した。歩同士のぶつかり合いを経て、金と銀が、大駒同士が鎬を削る。

 

「ほらほら、どないしたんや天才少年!自慢の矢倉がガタガタ悲鳴上げとるぞ!」

 

「ッ……!」

 

相手の言う通り、歩夢の矢倉は瞬く間に半壊状態になってしまっていた。美しかった矢倉は、もう見る影も無い。

 

「さぁ終盤、一気に決めてまうで!」

 

その言葉通りに、相手の攻めは更に過激になる。激しく駒台を入れ替わる駒達。そして、その駒達が入れ替わるごとに様相を変えていく盤面。決着の時は近い。そう感じさせるには十分な状態となっていた。

 

「……(しま)いやな」

 

そして、相手から歩夢に声が掛けられる。それは、終戦を呼びかける声だった。もう、ここからは戦況が変わることはない。相手はそう歩夢に報せているのだ。それは、歩夢にもわかっていた。ここから自分に勝ちの目が無いであろうことを。駒台には、金2枚と銀4枚、更には香車3枚と桂馬1枚に歩が数枚置かれている。しかし、相手は大駒を全て掌握しており、こちらの陣形はボロボロ。一方相手の陣形は囲いこそ最初から頼りないものの、手つかずの状態。どうやって反撃すればいいのかもわからない状況だった。

 

「なんや、関東の天才少年は大したこと無かったんやな。こりゃ、関西(ウチ)の天才少年とは比べられへんわ」

 

歩夢は、悔しさに歯を食いしばった。ズボンを強く握りしめた。自分が(てんさい)と比べものにならない存在であることは言われなくても知っている。それこそ、初めて彼と対局をしたあの日から。いや、更に前から。あの対局、結果としては接戦だった。彼をあと一歩のところまで追い詰めた。しかし、負けた。彼の戦法を借りてまで、絶対に勝つという意思を込めて挑んだのに、負けた。あの敗戦は、歩夢にとって人生で一番悔やむ対局となっていた。同時に、人生で一番好きな対局ともなっていた。楽しく、熱い対局だった。あの対局があったからこそ、歩夢は彼と面識を持つことができた。初めて憧れた、同年代の棋士に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼のことを歩夢が知ったのは、本当に偶然だった。奇しくも歩夢は、件の彼が清滝鋼介に出会ったあの日、両親に連れられて福井旅行に来ていた。あの日を跨いでの二日間、福井を満喫していたのだ。その旅行中、二日目の朝のことだった。ふと旅館の売店に立ち寄った際、歩夢は偶々ローカル新聞の一面を目にした。そこには、自分もよく知っている将棋の大先生と、自分より年下と思われる男の子が載っていた。歩夢は、将棋が大好きな少年だった。当然、プロの先生方のこともよく知っている。自分より小さな子が、そんな将棋の大先生と一緒に掲載されているとなったら、将棋好きな歩夢の好奇心が刺激されて堪らなかった。

 

しかし、歩夢は当時まだ小学二年生。難しい漢字はまだ読めない。歩夢は、両親にお願いしてその記事を読んでもらうことにした。それならばと、両親は新聞を買って部屋に戻る。この場所で読まず、部屋でノンビリ読もうということだ。その記事を読んでもらっている間、歩夢は興奮しっぱなしだった。自分よりも年下の少年が、あの清滝鋼介八段を後一歩のところまで追い詰めた。その事実が、歩夢を興奮の坩堝へと叩き込んだ。凄い!この子は凄い!歩夢がその少年に興味を持つのは、当然のことだったのだ。

 

「父上!この漢字は何と読むのですか?」

 

「これはね、くずりゅうって読むんだよ」

 

「くずりゅう……くずりゅう、はちいち」

 

「そうとも読めるけどこの場合は、はちいちじゃ無くて、やいちかな」

 

「くずりゅう、やいち……」

 

神鍋歩夢に、九頭竜八一という存在が強く刻まれた瞬間だった。そして、その新聞には実際に九頭竜八一が清滝鋼介と指した対局の棋譜も載っていた。歩夢は、福井から帰るなり直ぐに、盤に向かって棋譜並べを行った。そして浮かび上がったのは、到底小学生にも満たない少年が指したとは思えないような、異次元な将棋だった。今の歩夢には理解することもできないような指し手の数々。その指し手の意図を理解しようと、毎日毎日棋譜を並べ、盤と睨み合った。そんな日が過ぎていく内に、歩夢は将棋のことが益々好きになり、実力もグングン上がっていった。そして、それから約半年後のことだった。父親から、ある提案が飛び出したのは。

 

「歩夢、そんなに将棋が好きなんだったら、大会に出てみないか?小学生名人戦っていう大会の予選がもうすぐ始まるんだ。もしかしたら、九頭竜君も出場するかもしれないし、勝ち進んでいけば実際に対局できるかもしれないよ」

 

その父の提案に、歩夢は二つ返事で参加する意思を伝えた。その時の歩夢は、心の底から、くずりゅうやいちに会いたいと、実際に対局してみたいと思っていた。東京予選に参加した歩夢は、順調に勝ち進み、東日本予選をも勝ち進み、決勝大会へと駒を進めた。そして、その決勝大会初戦で、遂に歩夢は相見えることになった。

 

「僕は九頭竜八一。よろしく」

 

「うむ。我は神鍋歩夢。よろしく頼む」

 

その名前は、知っている。ずっと、会いたいと思っていた相手が目の前にいる。対局したいと思っていた相手と、駒を並べている。歩夢はその対局で、自分の出せる全てを出し切った。この一年弱研究してきた、目の前の憧れの存在が考案した鬼手まで駆使して、全力で勝ちにいった。しかし、結果は負けた。歩夢にとって、人生でこんなにも熱くなったのは初めてだった。そして、歩夢はこの時確信していた。きっと、これから先も、自分が最も熱くなれる瞬間は、目の前の天才と対局をしている時なんだろうと。それから歩夢は、ネットを通じて毎日八一と将棋を指した。暇さえあれば、大阪にまで出向いて八一と盤を挟んだ。時には、歩夢のもう一人のライバルである空銀子も交えて。それは、歩夢にとって掛け替えのない、充実した毎日だった。そしてそんな日々を過ごしていく内にいつしか、歩夢にはとある目標ができていた。この生涯のライバルと、最高の舞台で最高の対局を繰り広げて、そしてあわよくば勝利を手にしたいという目標が。それは、今もなお、歩夢にとっての最大の目標になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい思い出を振り返り、歩夢はポケットに手を入れた。そこには、いつも大事にとある紙切れを入れていた。あの、初めて八一のことを知った新聞に掲載されていた棋譜の切り抜きだ。それは、歩夢にとって掛け替えのない思い出だった。いつも、この思い出に、勇気を貰っていた。今となっては、歩夢の宝物だ。

 

「そういや、ウチの天才少年はお前のことをライバルやって言い張ってたな。あいつも、見る目無いわー。こんな弱いのをライバル認定するなんてな。負けた俺が言うのもおかしな話やけど、もしかしたらウチの天才はほんまは大したこと無いんかもしれへんな。あいつプロになっても大成できへんやろ」

 

「ッ!」

 

歩夢は、その言葉に目を剥いて怒りを露わにした。自分のことを馬鹿にされるのはいい。実際に、言い返すことができるような状況では無いのだから。だが、自分が憧れた人を馬鹿にされるのは我慢がならない。自分の体の一部、最も深い部分を直接傷つけられたかのように、途方も無い怒りが歩夢を渦巻いた。

 

「……へぇ、そんな眼できたんやな。その眼、嫌いやないで。せやけど、この状況、覆せる思うてるん?」

 

確かにこの状況から覆すのは難しいだろう。だが、まだ不可能と決まったわけでも無い。絶望的状況、だが棋士として歩夢は、目の前の対局を簡単に投げ出すわけにはいかない。そして、(ライバル)として歩夢は、目の前の友を馬鹿にした相手に

 

「負けるわけには、いかぬ!」

 

そして、歩夢は力強くズボンを握りしめた。悔しいからでは無い。軽率な手を指さないためにだ。思い出すのは、八一と初めて指したあの将棋。あの対局、歩夢は途中勝利を確信していた。しかし、負けたのは自分だった。八一は、絶望的な状況から逆転して見せたのだ。今の歩夢のように、絶望的な状況から。だったら、自分にだってできるはずだ。何か、突破口があるはずだ。盤面をジックリ眺めて、歩夢は一つの答えを導き出した。その答えは、郷に入れば郷に従えということだった。

 

「確か、金銀6枚で優勢だったな?」

 

「は?急に何言って……まさか?」

 

歩夢は、勢いよく盤に一枚の駒を叩きつけた。王を守る、銀の駒を。

 

「ここからは関西らしく、泥臭く行かせてもらう!」

 

「俺の攻めを粘って耐えようってか?おもろいやないか!受けれるもんなら……受けてみいや!」

 

そして、相手の攻めがまた激しくなる。それを受けるために、歩夢は自陣に次々と金銀を打ち付けていく。粘る歩夢。攻め立てる相手。徐々に苦しくなってきたのは、相手たっだ。

 

「くっ!なんちゅう粘り強さや……」

 

9九から一切動かない玉。その周りを囲むように、金銀が囲いを形成している。いざとなれば合駒として歩や桂馬を投入し、歩夢は粘り続けた。僅かな勝機を求めて粘り続けた。そして、その粘りが実るときが来た。

 

「ッ!決め切れへんか!しゃーない、こっちが有利なんは変わらんわ。じっくり攻めさせてもらうわ」

 

そう言って相手が指した一手、それは歩夢の囲いをゆっくりと外から削る一手だった。歩夢の金銀の壁も今は無残なことになっている。しかし、相手も攻め駒が足りなくなってきたのだ。一気に攻める方針から、ジックリ攻める方針に切り替えたらしい。だが、それが結果的に緩手になってしまった。

 

「……道は創った」

 

「なんやて?」

 

「聞こえなかったか?道を創ったのだ」

 

「道ってなんやねん?」

 

「王を討ち取る道だ」

 

「なんやと!?そんなもんどこに……」

 

「ここだ」

 

歩夢が盤に一枚の駒を叩きつける。5六香。それが歩夢の打ち付けた一手だ。

 

「5六香?なんでそんな手を……こ、これは……!?」

 

そこで、相手は気付く。その異様な盤面に。5筋に、駒が無い。初期位置から動いていない相手の歩と玉、そして今歩夢が打ち付けた香車以外に駒が無いのだ。5筋に利いてる駒すらない。異常な光景だった。

 

「ま、まさか俺はこうなるように誘導されて……」

 

歩夢が隅っこに玉を置いて動かさなかったのは、その周囲に相手の駒を集中させるためだったのだ。玉を詰まそうと視野が狭くなっていた相手は、5筋の異常な状態に気付くことができなかった。

 

「泥臭い時間は終いだ。これより……我らしく征くぞ!」

 

「ッ!?……せやけどそないな手がなんやねん!たかが香車に、何ができんねん!」

 

相手は、そう言って初期位置で王を守っていた金を上げる。これで、香車が突っ込んできても問題無い。

 

「確かに香車一枚では何もできないだろう。ならば……」

 

そして、歩夢がさらに駒を打ち付ける。その手は……5七香。

 

「2枚だ」

 

「なんやと!?」

 

香車の二枚重ね。二枚の香車が、中央を虎視眈々と狙う。

 

「せやけど、まだや!まだ俺の王を討ち取るには足らんわ!」

 

相手は、もう一枚の金を上げる。これで、金を一枚取られるが香車の突破は防げる。

 

「2枚でもまだ足りないのはわかっている。2枚で足りないならば……」

 

そして、歩夢はさらなる一手を投じる。歩夢が指した一手は……5八香。

 

「3枚だ!」

 

「んな!?ん、んなアホな攻めがあるか!?そんな攻め、成立するわけが……」

 

「成立しないと思ったら、最初からやっておらん!」

 

毛利の三本の矢という言葉がある。一本なら簡単に折れてしまう矢でも、三本重ねれば簡単には折れないという意味の言葉だ。盤面には、歩夢の折れかけた心を繋ぎとめるように、三本の槍が顕現していた。歩夢はその槍達に、自身の姿と、あの姉弟弟子の姿を幻視した。自分一人では折れそうだった心も、あの二人との、三人の絆で繋ぎとめることができた。もう、歩夢の心に迷いは無い。折れない絆で、この対局に勝利する。

 

「クッ!背に腹は変えられんか!」

 

そして相手は、2枚の金と並べてもう一枚金を打ち付ける。これで、盤石の護りを敷いた。犠牲は大きいが、防ぐことはできるだろう。

 

「……三本の槍は、真の狙いを隠すものにすぎない」

 

「なんやと?」

 

「我の真なる狙いは……これだ!」

 

歩夢は、また一枚の駒を打ち付ける。それは、この攻防の中で取り返していた一枚の大駒だった。その大駒を、歩夢は香車の最後部に打ち付けた。5九飛。最強の中央突破部隊が、ここに誕生する。

 

「ひ、飛車!?そ、それはあかん……あかんで……」

 

相手は、仕方なく王を逃がしにかかる。しかしそれを逃がすまいと、最強の槍部隊が動く。

 

「征くぞ……ファーストランス!」

 

最初の香車が歩を取り、一枚目の金に取られる。

 

「セカンドランス!」

 

一枚目の金を二枚目の香車が取り、その香車を二枚目の金が取る。

 

「サードランス!」

 

二枚目の金を三枚目の香車が取り、その香車を三枚目の金が取る。

そして、歩夢は最後の槍、飛車を手に取った。思えば、先日の開幕局から、多くの遠回りをしてきた。この対局中もそうだ。最初のチャンスを見逃し、その結果敗北寸前まで追い詰められた。もう、遠回りはしない。歩夢はこの時、静かに誓った。これから先は、この駒達のように真っ直ぐ自分の道を突き進むと。

 

「さぁ、征くぞ!我は、王を討ち取る最短ルートを進む!喰らうがいい!我が最強の槍、その切れ味を!……王殺!トライデントドライブ!」

 

三枚目の金を飛車が取り、龍王へと姿を変える。龍王の進軍を阻むものは、全て排除されている。後は、王を追い込むだけとなっていた。そして、その結末が訪れるまで、然程時間は要さなかった。

 

「かー!負けや負け!文句なく詰んどるやないかい!」

 

相手の言う通り、その玉は完全に詰んでいた。文句の付けようのない詰みだった。

 

「……一つ聞かせてほしい」

 

「なんや?」

 

「何故、我を鼓舞した?」

 

「別にそんなつもりはあらへんかってんけどな。ま、強いて言うなら、腐抜けた奴より、強い相手と対局したかった。それだけや」

 

「……ありがとう。感謝する」

 

「そんなん言われる筋合いは無いけど、まぁ受け取っとくわ。関西(ウチ)の天才はほんまにえげつないで。頑張りや」

 

「あぁ、心得ているさ。よく、心得ているとも」

 

斯くして、神鍋歩夢は完全復活を果たした。目指すは約束の舞台。その道を、歩夢は真っ直ぐ、直向きに駆け抜けていく。最高の友と誓った約束を果たすために。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、今日の二局目を終えて幹事への報告に来ていた。結果は、今日も二連勝し、開幕からの連勝を4に伸ばすことができた。恐る恐る、戦績表を覗き込む。気になるのは、歩夢の戦績。そこには、今日も二つのスタンプが押されていた。白い丸が、二つ。

 

「歩夢……!」

 

どうやら歩夢は、開幕の連敗から立ち直れたらしい。本当に、良かった。俺はスタンプを押し終えると、機嫌良く部屋を退出した。部屋を出ると、そこには壁にもたれかかった見知った顔があった。歩夢だ。歩夢は腕を組み、眼を瞑っていた。今は、話しかけるわけにはいかない。俺は、歩夢の目の前を、素知らぬ顔で通り過ぎる。

 

「我は、我の道を突き進む。お前は、お前の道を突き進め」

 

しかし、通り過ぎようとした俺の背中に、声が投げかけられる。歩夢の声だ。

 

「すまない。只の独り言だ」

 

……歩夢の奴。独り言だったら何を言っても良いってわけじゃないぞ?

 

「俺は確信してるよ。俺たちの道が交わる、約束の舞台が、最高の対局になるって……悪い。只の独り言だ」

 

だから、意趣返しとして独り言で返してやった。歩夢の顔は背後にあるため見えない。けどきっと、あいつの顔は俺と同じように口角が上がってることだろう。俺はその後、一言も発さず、振り返ることも無く関西将棋会館を後にした。歩夢は今日、完全復活を遂げた。流石俺の永遠の(ライバル)だ。早く、歩夢と最高の対局が指したい。一人の棋士としても、一人の友としても、楽しみで仕方が無い。俺は、遠くない未来にやってくる約束の舞台に想いを馳せながら、帰り道をノンビリ歩いたのだった。真っ直ぐに、歩いたのだった。




書きたいこと詰め込んだら過去最長になっちゃいました
ちかたないね
もうすぐ14巻発売ですね
それまでに後一話は投稿したい
14巻出た後は、14巻の要素を取り入れてのプロットの見直しとかしますので、また投稿少し遅れるかも知れませんがご了承ください

八銀はジャスティス
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