Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
飛んで帰って討伐隊
エタンダールがやたらと上機嫌で戻ってきたのは、次の日の昼間だった。会議はどうしました、というアルセニエフの悲痛な声に笑いで答えてエタンダールが窓から身軽に部屋に入ってくる。昨日、中途で放り出していた掃除を片付けようと、ライツは昼食後の休憩時間にエタンダールの部屋に来ていた。
「ほれ」
気軽に言ってエタンダールが手にしていた旅行用の鞄を放る。ライツはやれやれとため息を吐いてそれを受け取った。続いて飛んできた薄い紙の束を片手で受け止める。
「師匠。飛ぶのはいいですけど、まさか誰かのスカートをめくったりとかは」
以前、街の女性がもの凄い剣幕で塔に駆け込んできたことを思い出してライツは低い声で訊ねた。してねえよ、と気楽に答えてエタンダールが長椅子に腰を下ろす。
「それで、会議は!? まさか途中で面倒になって抜けたとかでは……」
アルセニエフが青い顔で言う。きっとエタンダールに痛い目に合わされたことがあるのだろう。気の毒に、と呟いてライツは紙の束をアルセニエフに差し出した。アルセニエフが慌ただしくそれを受け取る。
箒を壁に立てかけて、ライツは旅行鞄の中身を引っ張り出した。髭剃りや櫛などが入ったポーチを取り出して棚の中にしまう。続いて着替えの下着やシャツを次々に洗濯用の籠に入れてからライツは思わず叫んだ。
「あー! またやったんですか!?」
目を吊り上げてライツはくるりと振り返った。驚いたのかアルセニエフの目が丸くなっている。だがそれにも構わずライツは手につかんだ物をずいと突き出した。
「んな、目くじら立てるような事かよ」
眉間に皺を寄せ、わざとらしく疲れたような顔をしてエタンダールが答える。ライツは大股で長椅子に近づいて手にしたそれをエタンダールに突きつけた。
ライツがつかんでいるのは女物の下着だ。淡い水色の下着の縁には飾り布が縫いつけてある。
「師匠がどこで誰と何をしようといいけど、こういうのはやめてくれないかな! 後で言い訳するの、僕なんだよ!?」
ライツは女物の下着をエタンダールの顔の前に突き出した。
「大体、女物の下着なんて見飽きてるでしょ!? なのにどうして盗ってくるのさ!」
どうせまた、どこかの宿で女性とよろしくしたに違いない。それはエタンダールの個人的な趣味だからいい。だがその相手の下着をこっそり盗ってくるとなると話は別だ。いつだったか色町の遊女が困った顔で塔を訪ねてきたことがある。その遊女は穏やかな性格で平謝りしたら勘弁してくれたが、毎回そう上手く事が治まるとも限らないのだ。
「相変わらず元気いいなあ、ライツは」
ローブの前を緩めながらエタンダールが人の悪い笑みを浮かべる。何だよ、と機嫌悪く返してライツは手にしていた下着に目をやった。そこではたと気付く。どうやらこの下着は新品らしい。下着の端にごく小さな値札が縫い留めてある。
「それ、シャルレラへの土産なんだがなあ」
「何だ。それならそうと早く言って下さいよ」
一気に怒りが鎮まり、ライツは淡々と告げて下着を長椅子の上に置いた。いいのかそれで、とアルセニエフが呟く。アルセニエフの言葉の意味が判らず、ライツは不思議に思いながら訊ねた。
「なに? もしかして新品じゃない方が良かった?」
でも人の使った下着を贈り物にするのはどうかと思うな。平然とそう付け足してからライツはさっさと鞄の中身の残りを取り出した。
ライツが荷物を片付け終えた頃、エタンダールはのんびりと会議の内容を説明し始めた。どうやら天使の討伐が正式に決定したらしい。それを聞いたライツとアルセニエフは口を揃えて反論した。
「天使って人じゃないかも知れないけど生きてるんでしょ? 悪いこともしてないのに討伐ってどうなのさ」
「命を絶つのは行き過ぎかと思いますが……」
アルセニエフと目を合わせてからライツは深々とため息を吐いた。指で女物の下着をつまんで目の高さにかざしたエタンダールがそうだよなあ、と呟く。どうやらエタンダールが得意の我侭を発揮してもその議会の決断は回避出来なかったらしい。うわあ、と力なく呟いてからライツは肩を落とした。
エヴァン国は経済力と巧みな外交政策によって、久しく戦争から遠ざかっている。だが排他的な体質は変わってはいないのだと歴史の時間に習った。エタンダールからも直に聞いたことがある。栄えている国の裏側には踏みつけにされて泣くに泣けない者たちもいたのだという。もしかしたら魔物もその踏みつけにされたものの一つなのかも知れない。
魔物と呼ばれる者たちは見た目や習性が人と大きく異なる場合が多いが、人間を無差別に攻撃したりはしない。彼らには知能や感情が備わっているからだ。だが、見た目が人と違うという理由で結果的には住処を追われてしまったのではないだろうか。そう考えたライツの表情は無意識に暗くなった。
魔道士が魔物を召喚する場合がある。必要に応じて正しい手続きを踏んで召喚すれば、魔物は快く応じてくれる。そして召喚に応えた魔物は魔道士の力相応の働きを約束する。代価は魔道士の持つ魔力の一部だ。魔物である彼らは人とは異なり、魔力を食うことで腹を満たすことが出来るのだ。だが本来の性質がとても大人しいため、魔力を求めて魔道士に襲い掛かることはない。我欲のために罪を犯す人間よりはるかに紳士的なのだ。
何故、共存出来なかったのだろう。魔物のことを学ぶたびにライツはそう感じる。確かに魔物は人間に比べれば脅威的な力を持つ。だが、だからと言って一方的に排除する理由はどこにもなかったはずだ。
「だーめだめ。あいつらの頭の硬さってのは筋金入りだからな。ちょっとやそっとじゃどうにもならねえよ」
ローブの内側から取り出した煙草を咥えながらエタンダールが皮肉に嗤う。ライツと似たようなことを思ったのだろう。苦い顔で深々とため息を吐いたアルセニエフが手にした冊子をめくる。僕にも見せて、とせがんでライツは冊子を覗き込んだ。そこには前回の天使出現による騒動の記録が転写されていた。
「……結局、前の時も天使って殺されちゃったんだ?」
王国年と天使討伐の経緯が記された部分を見つめてライツは小声で訊ねた。煙草の先に火を点けたエタンダールが低い声で応える。
「前の時は先占のババアがあちこちに触れ回りやがってな。えらい騒ぎになっちまって」
細い紙巻の煙草をふかしながらエタンダールが嫌そうに顔をしかめる。先占とは王宮直属の占い師の行う先見の占いの事だ。個人的なものと異なり、先占は数人の占い師が力を合わせて国全体の行く末を視ることを言う。複数の有能な占い師が必要なため、先占は滅多に行われない。条件の揃った時に限り行われるものなのだという。
エタンダールは占いとは計算術なのだという。占いとは要するにこれまでに起こったあらゆる出来事、星の動き、人々の性格の違いなどの情報を集め、情報に基づいて未来を計算し予測する術なのだ。優れた占い師になると下手な魔道士などより知識が豊富らしい。
だがしかし占いと魔術は相容れない立場にある。結局のところ、占い師というものは計算して予測するだけで、物事に対処する術は持っていない。逆に魔道士はあらゆる事態に対応すべく知識を身につけなければならない。方向性が全く逆だからだ。
高い鐘の音が響く。考え事に耽っていたライツはその音で我に返った。
「あっ。午後の講義が始まっちゃう」
急いで旅行用の鞄を棚に収め、箒とちりとりを抱えたライツにエタンダールがのんびりと声をかける。
「待て待て。話はまだ終わっちゃいねえ」
「後で聞きます。僕、次の講義は出ないとまずいんですよ。この間、さぼっちゃったから」
不貞寝した時のことを思い出しつつライツは急いで掃除道具を片付けた。
「だから待てっつってんだろ。おい、アルセニエフ。次の見習の講義は何だ?」
ライツは顔をしかめて足を止めた。問われたアルセニエフが上目遣いに天井を見てからエタンダールに目を戻す。
「幻惑術ですね。講師はサマラです」
「よし、後で直々にオレ様が講義してやる。今は大人しく話を聞け」
うんうん、と頷いてエタンダールが立ち上がる。ライツは素早くエタンダールの机から灰皿を取り上げて差し出した。受け取った灰皿の中に伸びた灰を落としてからエタンダールがまた煙草を咥える。
「嫌ですからね、僕はっ。師匠の教え方って癖があって判りにくいんだから」
うんざりした顔でエタンダールを睨んでからライツはそっぽを向いた。どんなにエタンダールが優れた魔道士でも、教える能力と言うのはまた別物だ。それはエタンダールもよく知っているのだろう。簡単な魔術の基礎講義については外部の雇いの講師か、若しくはサマラなどの高位の弟子に任せている。
「討伐隊にうちからも一人、弟子を出すことになってな」
意味ありげな笑いを浮かべてエタンダールが言う。ライツは嫌な予感を覚えて眉間に皺を寄せた。アルセニエフも話の流れから同じ結論にたどり着いたらしい。こっそりと胸に手を当ててほっと息をついているのをライツは見逃さなかった。
「やだよ! アルセニエフもそこでほっとしない!」
よく考えたら会議の内容をこうも気前よくエタンダールが喋ること自体が妙だったのだ。ライツはエタンダールの正面に大股で回ってもう一度嫌だと叫んだ。
「だって討伐って殺すんでしょ!? やだよ、そんなの!」
「まだ何も言ってねえだろ」
面白がるような目でライツを見ながらエタンダールがにやりと笑う。ライツは膨れ面をしつつも口を噤んだ。
エタンダールは最初は討伐に弟子を派遣するのは嫌だと我侭を言ってみたのだという。議長の書記官はそれでは示しがつかないとエタンダールを制したらしい。そこまで聞いてライツはそれはそうだろう、と頷いた。
そこで口を挟んだのがゼクーの塔の弟子だった。エタンダールはその弟子と組ませるなら討伐隊に自分の弟子を加えてもいいと約束したらしい。その説明を聞いたライツはうんざりした顔になった。
「……ゼクーの塔の弟子は女性なんですね?」
「お、よく判ったな」
火の点いた煙草の先でライツを指し示してエタンダールが嬉しそうに笑う。ライツは呆れた表情をしているアルセニエフと顔を見合わせてため息をついた。どうせその女性がエタンダールの好みだったに違いない。だからエタンダールは意見を翻して自分の弟子を討伐隊に加えると言い出したのだろう。
この塔の弟子や周辺の街の者はエタンダールが無類の女好きだと知っている。だがエタンダールは自分の弟子には手を出さない。もっとも、そんな真似をすれば即座に王宮経由で苦情が来る。事態が重ければ厳罰もあり得るだろう。だからなのかは知らないが、とにかくエタンダールが手を出す女性はこの塔に所属する弟子以外に限られるのだ。
だからって他の塔の弟子ならいいって話じゃないんだけど。ライツは内心で呟いてもう一度深々とため息を吐いた。
「それで? 本気で天使を討伐させる気?」
わざわざ引き止めたということは自分にその話が回ってくるのだろう。そう確信してライツはエタンダールに訊ねた。どうだろうなあ、と笑ってエタンダールが煙を天井に向かって吐き出す。
「とにかくライツはとっとと支度しろ。目的地はリュバーンの森だ」
その前にゼクーの塔に寄るがな。エタンダールがそう続ける。それを聞いたライツは慌てた声を上げた。だがアルセニエフは納得したらしい。それでは準備が色々必要ですね、と平然と言う。ライツは頬を引きつらせてエタンダールとアルセニエフを見比べた。どちらも冗談を言っている風ではない。
「リュバーンの森って……本気ですか?」
国の南方に位置する森林地帯がリュバーンの森だ。面積はエタンダールの塔のあるバレンティア地方と同じくらいだろうか。広大なその森は棲み家を追われた魔物たちにあてがわれた。そのことからリュバーンの森は通称、魔物の森と呼ばれているのだ。
考えこむライツの顔は無意識のうちに険しくなった。口許に手をあてがってライツが思案している間にさっさとアルセニエフが退室する。エタンダールと二人になったところでライツは俯けていた顔を上げた。
「一緒に行動するのはどんな方なんですか」
「ゼクーの一番弟子と言われる娘だな」
一番弟子、とライツは口の中で復唱した。それなら魔物の森がどういうところなのかを知っているだろう。ライツはそう考えてほっと息を吐いた。
エタンダールに急かされてライツは慌てて寮の部屋に戻り、鞄に必要な物を詰め込んだ。出来るだけ小さくまとめた荷物を背負って急いでエタンダールの部屋に戻る。エタンダールの部屋にはアルセニエフが待ち構えていた。アルセニエフが差し出した携帯食の幾つかをライツはありがたく受け取った。保存が利くように、携帯食は水分が抜かれている。魔術が施されて密封された袋に入ったそれをライツは荷物にしっかりと詰め込んだ。
「あ、そういえば聞いてなかったんだけど、何で僕なの? だってゼクーの塔からは一番弟子が出るんでしょ? それ考えたらアルセニエフが行くのが普通じゃない?」
どうやら厄介事の匂いをかぎつけたらしい。ライツが訊ねた途端にアルセニエフが青い顔をして首を横に振る。僕だって嫌なんだからね、としかめっ面で呟いてライツはエタンダールを見た。意味ありげな笑みを浮かべていたエタンダールがおもむろに長椅子から立ち上がり、力強く頷く。
「その方が面白そうだからだ」
きっぱりと言ったエタンダールをじっと見つめてライツは深々とため息を吐いた。どうせろくな答えは出ないと思っていたが、まさか娯楽に付き合わされるとは思わなかった。ライツは感じたままにエタンダールに文句を言った。だが当のエタンダールは笑うばかりで考え直すつもりはさらさらないらしい。
エタンダールに外套を着込むように命じられ、ライツは大人しくそれに従った。帽子が飛ぶとまずいだろう、と言われて平たい帽子を仕方なく鞄に入れる。エタンダールもライツと同じように外套を羽織る。ライツの外套はフードがついており、生成りの布で出来ているために白っぽい色をしている。丈は膝上までしかなく、ちょうどローブの上衣がすっぽりと隠れるサイズだ。対照的にエタンダールの着ている外套は漆黒で丈が長く、前を合わせると足首まで覆われてしまって中に何を着ているのか判らなくなる。
「うわあ、真っ黒で悪者っぽい」
「その外套着ると女にしか見えねえな」
エタンダールと互いに言い合ってからライツは苦笑した。気にしてるんだから言わないでよ、と一応は文句を言ってみる。だが先日の女装の件を思い出すと、ライツもエタンダールに強くは言えなかった。
黒い服と可愛い外套♪
どっからどう見ても悪役な師匠と可愛い女の子な主人公。
師匠と子弟なので似たもの同士ですねw