Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
「だからって何で一緒に寝るって話になるのさ」
食事を終えて使った道具を片付けて、寝るために草の上に布を敷き直したところでライツはうんざりした顔になった。先に布に横たわっていたトゥーラが困ったような顔で身を起こす。
「わたしだって男と一緒に寝るのは嫌よっ」
「じゃあ何でさ。いいかげんトゥーラの我がままには慣れたつもりだったけど、その貞操観念の低さはどうなの?」
まさか誘ってるつもりじゃないよね、と付け足しながらライツは火の中に新しい枯れ枝を投げ込んだ。この森には魔物だけでなくごく普通の獣も多くいる。中には人を獲物と間違えて襲う獣もいるのだ。だが彼らはこうして火を焚いていれば滅多なことでは近づいてこない。
「あのね。僕は火の番をしてるから、先に寝てって言ってるの。絶やさないようにしないといけないでしょ」
何でこんなことを説明しなければならないのだろう。そう思いつつもライツは判り易くトゥーラに言って聞かせた。渋々とトゥーラがまた身を横たえる。
「ここ」
掛け布を肩まで引っ張り上げたトゥーラが憮然とした顔で敷いた布を手で軽く叩く。怪訝に思って眉を寄せたライツはトゥーラの手と顔とを交互に見た。一体、何のまじないだろう。そんなことを考えていたライツにトゥーラが不服そうな顔で言う。
「ここに座って」
どうやら出来るだけ傍に座れと言われているらしい。眠るトゥーラの邪魔にならないように離れていたライツは思わず吹き出した。
「変なの。まるで子供みたいだよ」
「こっ、怖いんだから仕方ないでしょ!」
我慢出来なくなったのかトゥーラが少し大きな声で言う。さっきから落ち着かない素振りをしているとは思ったが、まさかまだ怖がっているとは思わなかった。ライツはくすくすと笑いつつも言われた通りにトゥーラの傍に座り直した。
ライツのローブの裾をつかんだトゥーラが小声で言う。
「ねえ。天使って何なのかしら」
討伐するということにようやくトゥーラも疑問を覚えたらしい。ライツは足元に転がっていた小枝を火の中に放り込んでから肩越しに振り返った。トゥーラは不安そうな顔でライツを見つめている。
「さあ。見てみないと判らないね。師匠も詳しいことは教えてくれなかったし」
「……あの男は天使を知っているの?」
驚いた顔になったトゥーラに苦笑してからライツは火の方を向いた。
「前に出た天使を見たんだって。結局は討伐されたって話だったけど」
百年に一度、出るか出ないかの希少種だとエタンダールは言っていた。人の形によく似ているが一つだけ大きく異なる点がある。それが背中に生えた白い翼なのだとライツはエタンダールに聞いたままを話して聞かせた。トゥーラは真剣な表情でライツの話に聞き入っている。
いつからかトゥーラは見習いだからとライツを馬鹿にはしなくなった。話をこうして真面目に聞くようになったのもその頃からだ。きっとトゥーラの中で弟子の階級に対する価値観が変わったのだろう。
だが結局はトゥーラはゼクーの塔に所属する弟子だ。その価値観の変化がこれからのトゥーラに有益なのかどうかは判らない。もしかしたら弊害にしかならないのではないかとライツは思い始めていた。
僕には関係ないじゃないか。ライツは心の中でそう呟いた。トゥーラがこれからどうなろうが関係のない話だ。天使を見つけるまでの間の付き合いなのだ。その後でトゥーラがどんな道を歩もうが知ったことではない。
だがそう考える度にライツの心の中に苛立ちのようなものがこみ上げてくる。
「随分見た目と違うのね」
よほど眠いのか、トゥーラが呟くように言う。ライツはその声に我に返って作り笑いを浮かべて振り返った。
「師匠くらいに力がある魔道士は見た目の年齢をごまかしていることがけっこうあるらしいよ。トゥーラのところのゼクーさんはそうじゃないみたいだけど」
それだけ答えてライツはまた前を向いた。そうね、とトゥーラが小声で答える。
この森に入ってからトゥーラに一つだけ頼みごとをしておいた。魔力を視る力を出来るだけ解放しておいてくれ、ということだ。どうやらトゥーラの魔力を視る目はライツよりいいらしい。何しろ天使は世界を変えると言われるほどの力を持つのだ。もしかしたら天使の力もトゥーラの目には視えるかも知れない。
そこまで考えてライツはふと気付いた。トゥーラがこの森に入ってから怯えているのは、ひょっとしてそのせいなのかも知れない。この森に棲む魔物たちには一様に魔力がある。トゥーラの目にはライツには視えない彼らの力も視えているのではないだろうか。そのことに気付いたライツは声を掛けようとして振り返った。そこで慌てて声を飲み込む。いつの間にかトゥーラは目を閉じて穏やかな寝息を立てている。
魔術を使い続けることは、同時に魔力を消費し続けることでもある。どうやらトゥーラは思っていた以上に疲れていたらしい。ライツは身体を捻ってトゥーラの顔を覗き込んだ。眠っているトゥーラの顔は安心しきっているようにも見える。その手はライツのローブの裾を握ったままだ。
トゥーラを出し抜くことをずっと考えていた。ほんの短い間の付き合いだ。裏切ったところで別に心は痛みはしない。最悪の場合は相手を騙してでも天使を庇おうと思っていた。攻撃の手が及ぶ前に天使をさらって逃げてしまえばいいのだ。後は相手がどうなろうが知ったことではない。仮にも魔道士の弟子ならこの森に置き去りにされたところで痛くも何ともないだろう。
本当に出来るだろうか。ライツは改めて自分にそう問い掛けてみた。だが今度は答えは出せなかった。