Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
その光はゆっくりと移動していた。焼けて短くなってきた枝と光とを見比べてトゥーラは先を急いだ。不思議なことに目に視える魔力はトゥーラが急いで近づけば急に離れ、歩調を緩めるとゆっくりと動く。近づこうと思ってもなかなか近づくことが出来ないのだ。
周囲は暗く、鳥の低い声が響いている。細い火では足元を照らしきれず、トゥーラは何かに足を取られて何度も転んだ。声を上げそうになるのを懸命に堪えて唇を噛んで立ち上がる。何故かそういう時には魔力の光はその場に留まり、まるでトゥーラが起きるのを待っているかのようだった。
やっぱり天使なんじゃないかしら。そう思いながらトゥーラは目の前に倒れていたいた大きな木の幹を乗り越えた。乾いた枝を探して短くなった枝から火を移し変える。きちんと火が点いたことを確認してからトゥーラは短い方の枝を地面に捨てて火を踏み消した。
トゥーラがそうしている間も魔力の光はじっと静止していた。相手がこちらのことを認識しているのははっきりしている。相手はトゥーラとの距離を一定に保っているのだ。何のためだろう、と考えつつもトゥーラはゆっくりと光に向かって進み始めた。するとまた光がゆらりと遠ざかっていく。
どのくらい進んだだろう。歩き続けたトゥーラが疲れを感じ始めた頃、それは唐突に動きを止めた。いくら近づいても相手の魔力の光は動かない。そのことに気付いたトゥーラは慌てて駆け出した。張り出した邪魔な細い枝を手で払いのけながら走る。
唐突に木や草が途切れ、視界が一気に開ける。そこで慌ててトゥーラは足を止めた。いつの間にか川のほとりに来てしまっていたらしい。足を止めたトゥーラの耳に微かに川のせせらぎの音が聞こえてきた。だがそのことにすら気付けないほどにトゥーラは驚いていた。
開けた視界の真ん中に白い大きなものがいる。トゥーラは目を見張ってそれを見上げた。身の丈は大人二人分くらいはあるだろうか。
「鳥……?」
トゥーラは呆然と呟いた。大きさはともかく、形は鳥によく似ている。大きな身体と二枚の翼、頭の上には飾り羽が数枚ついている。目とくちばし以外の部分は頭からつま先まで真っ白だ。くちばしと目の色はお揃いで、赤く澄んだ丸い目はじっとトゥーラを見つめている。
「これが……魔物? 確かに魔力は大きいみたいだけど」
そう呟いてトゥーラは恐る恐る鳥のようなモノに近づいた。それは逃げもせず、トゥーラを見つめているだけで攻撃する意志はないらしい。魔物はよほどの理由がない限りは人を攻撃するようなことはないのだと、この森に入る前にライツが言っていた。それにこの鳥のようなモノの目はとても澄んでいて、人に襲い掛かるようには思えないのだ。
これは魔物であって天使ではない。そのことにトゥーラは少しだけがっかりした。
「でも凄く綺麗だわ」
トゥーラは魔物に近づいてそっと手を伸ばした。魔物が自分から触れられたいというように頭を下げる。トゥーラは思わず微笑みを浮かべて魔物の頭をなでようとした。
不意に背後に気配を感じてトゥーラは慌てて振り返った。ライツが起きて追ってきたのだ。そう思ったトゥーラは笑みを浮かべようとした。
「何で……こんなところに」
トゥーラは驚きに目を見張った。森の暗がりから出てきたのはライツではなく、クロードだったのだ。いつものようにクロードは穏やかな笑みを浮かべている。
「君だけで天使の討伐をさせるのは危険だということでね。護衛だよ」
笑顔で言いながらクロードがゆっくりとトゥーラに歩み寄る。だがトゥーラは緊張の面持ちでじりじりと後ろに下がった。魔物は特に何をするでもなくじっとしたままだ。
魔物の後ろは切り立った崖になっている。トゥーラは背後を振り返って崖の様子を見てからクロードに向き直った。
「師匠はそんなことは仰らなかったわ」
厳しい口調で言ってトゥーラは腰に手を当てた。それを見たクロードがおいおい、と苦笑する。トゥーラは黙って短剣の柄を握りしめた。
「何の冗談だい? まさか私を攻撃するつもりじゃないだろうね」
そう言いながらクロードが更に近づく。トゥーラは短剣を抜いてクロードに切っ先を向けた。クロードが訝りの表情で足を止めたのを確認し、トゥーラは緊張の面持ちで告げた。
「どうしてここが判ったんですか。極秘任務だから、場所は当事者以外は知らないはずです」
クロードにこの森の話をした覚えはない。例えゼクーが森のことを話したとしても、広大な森の中だ。目印があるならともかく、どうしてこちらの居場所が判るのだろう。厳しい表情で訊ねたトゥーラを驚いたように見てからクロードは苦笑した。
「もちろん君の後をつけたんだよ」
「後をつけるくらいなら、どうして事情を説明して行動を共にしようとしなかったのですか。護衛任務というのが本当なら隠す必要などないでしょう」
トゥーラはクロードを鋭い目で睨みつけた。それまで穏やかな笑みを浮かべていたクロードがぴくりと眉を上げる。その後、クロードは急に笑い出した。小さな声でひとしきり笑ってからクロードは言った。
「誰が余計な知恵を君に与えたのかな。以前の君なら私の言う事は全て信じていたのに。何の疑問も持つ事なくね」
嫌な嗤いを頬に浮かべてクロードはトゥーラの後ろに居る魔物を見上げた。鳥の形に似た魔物は人の言葉が判らないのか、さっきと同じように崖縁にじっとしているだけだ。トゥーラはクロードの視線を追ってちらりとだけ振り返ってから短剣を握る手に力を込めた。
「リカルト達を煽動し、わたしを襲わせたのはあなたですか」
あの夜に起こった出来事はなるべく思い出したくはない。だがトゥーラは震える声でそう訊ねた。おや、と目を見張ってからクロードが喉の奥で小さく笑う。
「それも誰かの入れ知恵かな?」
クロードは何が楽しいのか笑い続けている。トゥーラは厳しい目でクロードを睨んで吐き捨てた。
「わたしに優しくする振りをして、裏で彼らを操っていたんだわ」
根拠のない言いがかりかも知れない。そうは思ったがトゥーラは言わずにおれなかった。するとクロードがあっさりと頷いてみせる。
「奴らはおちこぼれだからな。試験の点に色をつけてやろうと交渉したらあっさりと話に乗ってきたよ」
救いがたいな、と意味ありげに笑ってからクロードは舐めるようにトゥーラを眺めた。その視線に言いようのない気持ちの悪さを感じてトゥーラは思わず少し下がった。背中にふわりとしたものが当たって慌てて振り返る。トゥーラの背に触れたのは魔物の身体だった。
「それがあなたの本性ですか」
塔の中のクロードは穏やかで、決して他の弟子に対してそんなことをいう人間ではなかった。短剣の切っ先を向けたまま、トゥーラは怒りをこめてクロードを睨みつけた。
「だったらどうする? 師匠に忠言でもしてみるかね?」
まあ、あの人はどうせ聞かないが。そう付け足してからクロードはふと顔から笑みを消した。次にクロードの顔に浮かんだのは怒りの表情だった。
「あの事なかれ主義のじいさんの傍で私が何年辛抱したと思う?」
憎しみのこもった目をしてクロードはトゥーラを睨みつけた。唐突に魔力がクロードの中で膨らみ、一気に放出される。咄嗟に対抗して攻撃魔術を放とうとしたトゥーラはそれが出来ないことに気付いて焦った。
甲高い声を上げて魔物が飛び立つ。魔物の羽ばたきが衝撃を生む。間近でそれに煽られたトゥーラは思わずその場によろけた。クロードが攻撃したのはトゥーラではなく背後の魔物だったのだ。
立て続けに飛んできた凄まじい圧力に煽られてトゥーラは地面に転がった。慌てて立ち上がろうと身を起こす。だがそこでトゥーラは真っ青になった。いつの間にか崖縁に追い詰められている。
いやらしい嗤いを浮かべてクロードがゆっくりとトゥーラに近づく。トゥーラはいつの間にか手から短剣がなくなっていることに気付いて愕然となった。どうやら転んだ拍子に離してしまったらしい。少し離れた場所に転がっていたトゥーラの短剣をクロードがもっと遠くに蹴り飛ばす。
「どうした? 何故攻撃しない?」
にやにやと笑ってクロードが勝ち誇ったように言う。トゥーラは唇を噛んで首飾りをつかもうと手を動かした。だがその寸前にクロードが冷酷に攻撃魔術を放った。
間近で炸裂した空気に煽られて身体が浮く。次の瞬間、トゥーラは崖の縁から放り出された。咄嗟に伸ばした手で何とか崖の縁につかまる。
「私が天使を討伐してやろう。なに、お前の墓くらいは作ってやるさ」
両手で懸命に崖縁につかまりながらトゥーラは叫んだ。
「天使は討伐されるべきではありません!」
「何を寝ぼけたことを」
嘲笑を浮かべてクロードがトゥーラの手を踏みつける。痛みを堪えてトゥーラは声を張った。
「わたしたちはもっと学ぶべきなんです! 魔物だって、本当は温和な性格をしているんです! 相手は無抵抗なのにあんな風に攻撃を加えて、恥ずかしくないんですか!?」
落ちるかも知れない、という恐怖を上回る強い怒りを覚えてトゥーラは崖縁に立つクロードを睨みつけた。憎々しそうに舌打ちをしたクロードが何度もトゥーラの手を踏みつける。
「命乞いでもすればまだ可愛げがあるものを」
クロードが足でトゥーラの手を崖縁からじりじりとずらす。トゥーラは目を固く閉じてライツの名を叫んだ。
この辺りから修正するつもりだったのですが……。
無理そうなので諦めてそのまま出します!w