Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
遠くで響いた甲高い鳴き声に驚いてライツははっと目を覚ました。いつの間に眠ってしまったのだろう。慌てて身を起こしたライツは眠っていた筈のトゥーラが居ないことに仰天した。焦って周囲を見回すが、近くにトゥーラの気配はない。
「何してるんだ!」
ライツはそう叫んで立ち上がった。鳴き声の聞こえた方向に駆け出す。恐らくあれは魔物の叫びだ。暗がりを走るライツに大型獣が獲物と間違えて襲い掛かる。ライツは素早く魔術を展開して獣に光を投げつけた。眩しい光に驚いた獣が泡を食って森の中に駆け戻る。
暗さに慣れた目でライツは慌ただしく周囲を見回した。明かりを生めば足元は見えるかも知れないが、逆に周辺は見えなくなる。ライツは舌打ちをして手近な木に駆け寄った。身軽に木によじ登って枝の上に乗る。方向をきっちりと定めてからライツは枝から枝に飛び移り始めた。地面に立っていると足元は見えないが、木の上なら葉の間をすり抜けた月の明かりで辛うじて枝は見える。獣たちも木の上までは追って来ない。
トゥーラの悲鳴が聞こえてくる。ライツは急いで声のした方に向かった。ほどなく視界が開ける。木の枝から飛び降りたライツは崖縁に立つ男に向かって一直線に駆けた。笑い混じりに何事かを言っていた男が慌てたように振り返る。ライツは身を低くしたまま男に走り寄り、地面を蹴って飛び上がった。怯んだ男が身構える前に膝を顔面に叩きつける。ライツの膝蹴りを食らった男はあっけなく地面に転がった。
「トゥーラ!」
崖の縁に指でつかまっているトゥーラにライツは慌てて手を伸ばそうとした。間近で膨れ上がった魔力を感じて目をそちらに向ける。地面に転がっていた男が素早く立ち上がり、ライツに向かって魔術を暴発させる。ライツは冷静に魔力の流れを見取って男の作り出そうとした衝撃を防いだ。
「もうちょっとだけ我慢して」
短剣を出した男を見てライツはトゥーラに小声で言った。トゥーラが懸命な面持ちで頷く。ライツは手にその場に転がっていた石を握ってゆらりと立ち上がった。男が走り出すと同時にライツは男に向かって駆け出した。
振り下ろされた短剣の先を見据えて石を握った手を振る。ライツの手に握られた石は過たず男の短剣を弾いた。だがそれと同時に男の反対側の手が飛んでくる。短剣にだけ注意を払っていたライツはわき腹をこぶしで殴られて地面に叩きつけられた。倒れたライツに男が再び短剣を振り下ろす。ライツは素早く身を捻って短剣を握る手をブーツの踵で蹴上げた。身軽に飛び起きたライツに今度は男が蹴りを放つ。辛うじて腕を上げて顔面の直撃は避けたが、ライツは男に蹴飛ばされてまた地面に転がった。
男と距離が出来たところでライツは蹴られた腕を軽く振って身を起こした。痛みはあるが、折れてはいないようだ。腕が動くことを確認してからライツは再び身構えた。
「あんた、随分と喧嘩慣れしてるね」
そう言ってライツは再び地面を蹴った。男は何も答えず、駆け寄ったライツに再び短剣を繰り出す。ライツはそれを石で弾き返し、今度は唐突に身を屈めた。男のこぶしがライツを見失って空を切る。男が僅かにバランスを崩したところでライツは膝を打ち出した。めいっぱい脛を打たれた男が声を上げてライツから飛び離れる。
「この、がきが」
怒りの表情で男がライツに直線的に突っ込む。ライツは冷静に身をかわし、魔術を展開させた。何のことはないただの光の魔術だ。が、それを顔面間近に食らった男は悲鳴を上げてその場に転がった。強い光に目が眩んでしまったのだ。
「そのがき相手に刃物を振り上げるなんていい性格だよ」
遠慮は要らないってことだよね、と呟いてライツは地面に屈みこんだ男に素早く駆け寄った。気配に気付いた男ががむしゃらに短剣を握った手を振り回す。ライツは鋭い呼気を吐いて狙いを定めて男の顔面に膝を叩き込んだ。同時に男の短剣を握った手を反対の足で強く蹴る。男の手から短剣が離れたのを確認してから、ライツは続けざまに肘を男の顔に打ち込んだ。
だがライツは身の丈が低い分、体重もないから攻撃が軽い。案の定、男は呻きつつも身体を起こした。ライツは男から飛び離れ、石をしっかりと握り直した。男がよろけつつ短剣を拾い上げる。
「貴様、何者だ」
男の怒りのこもった質問にライツは鼻で笑って答えた。
「ただの魔道士の見習だよ」
身に着けている服から男がトゥーラと同じゼクーの塔の弟子であることをライツは見抜いていた。あの塔では戦闘訓練が行われるのだという。だが男が妙に喧嘩慣れしているのは、もっと別の理由だろう。ライツは慎重に男との間を測りつつじりじりと横に移動した。
トゥーラのいる崖の縁から十分に距離を取ったところでライツは地面を強く蹴った。一気に男との距離を詰め、石を握った手を振る。飛んできた短剣の刃を石で受け止め、その勢いに乗せてライツは身を捻りながら飛んだ。空を切った男の腕を踏み台にして高く飛び上がる。気合の声を発して石を両手に握って打ち下ろした瞬間、男が身を捻る。ライツは顔面を横殴りにされ、地面に吹っ飛んだ。立て続けに地面に強く打ち付けた頭の芯がぐらりと揺れる。
「ライツ、避けて!」
不意に響いたトゥーラの声に反応してライツは慌てて地面を転がった。ライツのいた場所を男の短剣が薙ぐ。ライツは反射的にトゥーラの方を向いた。いつの間にかトゥーラが自力で崖縁を少しよじ登り、何とか顔を出している。
トゥーラの悲鳴の直後、ライツはその場に押さえつけられた。ライツに馬乗りになった男が短剣を振りかざす。
「撃って!」
トゥーラが声を張り上げる。ライツは言われるままに魔術を展開させ、男の顔面間近に光を生んだ。だが目が眩んでも男は刺せると判断したのだろう。そのまま短剣を振り下ろす。駄目か、とライツが目を細めた直後、凄まじい大きさの魔力が近くで膨れ上がった。
激しい物音と共に男が森の方へと吹き飛ばされる。反射的に防御術を展開したライツは慌ててトゥーラの方に駆けた。トゥーラがライツを庇うために攻撃魔術を放ったのだ。
「きゃあっ!」
悲鳴と共にトゥーラが崖縁からずり落ちる。首飾りを外したからだろう。トゥーラは身体のバランスを崩し、今にも崖から落ちそうになっていた。ライツは必死でトゥーラに手を伸ばした。辛うじて張り出した石に捕まっていたトゥーラの手に、あと少しで手が届く。ライツは崖に身を乗り出し、歯を食いしばって腕をいっぱいに伸ばした。
「トゥーラ! つかまって!」
そう呼びかけたライツは次の瞬間目を見張った。石に捕まっていたトゥーラの指が滑り、あっという間に崖から落ちる。悲鳴を上げたトゥーラの姿は暗い崖下に吸い込まれるようにして消えた。
長いので切り分けました。