Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
今日もエタンダールの部屋は相変わらず散らかっている。ライツは掃除をしながら先日のことを思い出した。
背に生えた白い翼を見たトゥーラは失神しそうなほど驚いたらしい。だがあの森に長居をするわけにはいかなかった。何しろ天使討伐の任を受けて動いていたのはライツとトゥーラだけではない。他の塔の者も森にはいるのだ。もしも彼らに見つかったら騒ぎになってしまう。
二人は手短に話をまとめてからすぐに森を出ることにした。トゥーラは最初、エタンダールのところに相談に行くことを嫌がっていたが、ライツは時間がないからとそれを何とか説き伏せた。
本当は僕だってトゥーラを連れて来たくなかったんだ。ライツは苛立ちをこめてクッションにはたき棒を当てた。エタンダールはのんびりとベッドに寝そべって課題の採点をしている最中だ。
夜中には汽車は動いていない。だからライツはトゥーラに抱えて飛んでくれるよう頼んだ。星の位置から方角を見て取り、暗い夜空を飛んで二人は夜中にこの塔に着いた。わざわざ閉まった門を開けてもらうのも悪いと思い、ライツは塔の最上階にあるこの部屋に直に向かってくれるようにとトゥーラに頼んだ。
窓からこの部屋に入ったトゥーラが真っ先にしたのは、ベッドでシャルレラと仲良くしていたエタンダールを大声で罵倒して張り倒すことだった。慌てたエタンダールが必死で言い訳している間に騒ぎを聞きつけた弟子達が駆けつけ、塔は大騒ぎになった。
シャルレラは楽しそうに笑っているし、真っ先に駆けつけたアルセニエフは卒倒しそうになるし、サマラは何故か嬉しそうで、ライツは彼らにどう説明したものだか悩んだ。
そうしている間に騒ぎはどんどん大きくなった。エタンダールの部屋に近い部屋の弟子だけではなく、寮の弟子まで起きだして塔全体がお祭り騒ぎになってしまったのだ。エタンダールを張り倒してはみたものの、騒ぎが大きくなった状況が理解出来ないのか、トゥーラは泣きそうになっていた。随分と派手な自己紹介になってしまったとエタンダールは呑気に笑っていたが、ライツは気が気ではなかった。何しろトゥーラの背には隠しようのない白い翼があったのだ。
だがライツの予想とは裏腹に弟子達はトゥーラを妙な目で見ることはなかった。男弟子が多かったことが幸いしたのか、美人が来たとはしゃいでいる者が大半だった。
騒ぎは一晩で収まった。次の日の朝、エタンダールは王宮に、そしてアルセニエフはゼクーの塔にそれぞれ向かった。エタンダールはライツとトゥーラの二人が天使を押さえたと王宮の人々を納得させることに成功したという。そして天使討伐のために派遣されていた魔道士たちにはすぐに撤収命令が出た。
そしてアルセニエフは今回の一件の報告を兼ね、ゼクーの直接交渉にあたった。報告当初、ゼクーはクロードの一件の処理について随分と渋っていたという。だが一歩間違えば二人の命が失われていたのだ。塔内で処理できる問題を越えている。ゼクーもそのことを納得したのだろう。結局、クロードは王宮の警邏隊に捕縛された。どうやらクロードには余罪もあったらしく、罪を償うためにゼクーの塔を破門にされたという。
それとは別にアルセニエフは得意の交渉術でゼクーを説き伏せ、トゥーラの身柄を正式にエタンダールの塔に移すという念書を作成させた。それはトゥーラ自身の希望でもあった。
そしてその日を境にトゥーラはゼクーの塔ではなく、エタンダールの塔で魔術を学ぶことになった。
「何だ。いやに不満そうだな」
のんびりと課題を眺めていたエタンダールが笑い混じりに言う。膨れ面でクッションを叩いていたライツはそっぽを向いた。
「別にそんなことはありませんけど」
「叩きすぎると中の綿が切れるぞ」
にやにやと嫌な笑いを浮かべてエタンダールが顔を上げる。ライツは知らん顔をして長椅子にクッションを戻した。
この塔で学ぶことになったと報されたトゥーラはとても喜んでいた。トゥーラがこの塔に入門することを知って、両親からはさっそく祝いの手紙が届いたのだという。それもライツには理解できなかった。
だってこの師匠だよ? なんで喜ぶのさ。
きっと彼らはエタンダールの噂を知らないに違いない。一人で勝手にそう納得しつつ、ライツは別のクッションを取り上げて窓辺に向かった。細い棒で軽くクッションを叩く。
騒ぎが落ち着いた後、ライツとトゥーラは天使の話を改めて聞いた。かつて天使と呼ばれた者はやはりトゥーラと同様、使い魔に作りかえられた人だったらしい。天使が希少種と言われる理由はそこにある。たとえどれほどこの世に魔道士がいても、幾種類もの魔物がいても、人間を使い魔に作り替えられる者はそうはいない。それ故に天使は希少なのだ。
エタンダールの話では、天使も慣れれば翼を畳んで体内にしまうことが可能なのだそうだ。そうすれば人との見分けは付かなくなるのだという。だがトゥーラは最初は翼を納めることが出来なかった。困っていたトゥーラにそういう服を持っているからと貸してくれたのはシャルレラだった。だが何故、シャルレラは背中に穴の開いた変わった服を持っているのだろう。その謎は未だに解けていない。
毎日、トゥーラは楽しそうに魔術を学んでいる。そのことは心から嬉しいと思うし、出来れば協力したいと思う。でも、トゥーラは近頃、エタンダールのことを意識しているようで、そのことがライツには面白くなかった。
最初は嫌ってたくせに。ライツは何度か叩いて埃を払ったクッションを椅子に戻し、ベッドに寝そべるエタンダールに近付いた。
「ほら! さっさと起きてください! シーツを洗濯しなきゃならないんだから!」
エタンダールが敷いているシーツをつかみ、ライツは機嫌悪くそう言った。するとエタンダールがはいはいと笑ってベッドに散らかしていた課題を集め始める。
ふと、ノックの音が聞こえてくる。ライツは強引にシーツを引っ張りながら荒い声で返事をした。するとドアが少し開き、トゥーラが顔を覗かせる。それを見たライツはシーツを離し、急いでドアに駆け寄った。
「あの……ちょっと判らないところがあって」
おずおずと言ってトゥーラが手にしていた紙の束をライツに差し出す。見習の弟子に言い渡された課題だ。紙の束を受け取り、素早く内容を読み取ったライツは頷いてみせた。
「だからここはね。魔術を展開する際の容量の問題が」
「おい、トゥーラ。今日は何でまた羽根が出てんだ?」
ライツの声を遮ってエタンダールが笑い混じりに言う。真っ赤になったトゥーラの代わりにライツは横目にエタンダールを睨みつけた。エタンダールは判っていてわざと訊いているのだ。
「そういう質問しないでよね」
「いや、オレは真面目に心配してんだぞ? 大体、淫魔ってのは男の精気を吸って生きてるんだぞ。何ならオレが足して」
エタンダールが言い終わる前にライツは素早く動いて手にしていたはたき棒を振り回した。細い棒でめいっぱいエタンダールの頭を打つ。放っておけばこの男はこの場でいきなり服を脱いでトゥーラに襲いかかってしまいそうだ。
「それが大きな世話だってんだ!」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたライツはついでに続けた。
「あんたの頭にはそういうことしかないのか!」
「馬鹿言うな。人間が生きるための基本的な行動にけちをつけるのかお前は」
「だからってなんで自分がするとか、そういう結論に達するんですかっ!」
「いや、この場合はだな。よりスキルの高い方がだな。淫魔にはより有効な、ほら、濃密なアレがだ」
「スキルって言葉の使い方が間違ってる!」
いつものようにエタンダールに応戦しつつ、ライツはちらりとトゥーラの方を見た。トゥーラは真っ赤になって唇を噛み、ライツを睨んでいる。しまった、とライツが慌てて取りつくろう前にトゥーラは目に涙を浮かべた。
「い、いや、あの、トゥーラ?」
「ライツのばかあ!」
ひっくり返った声で叫んだトゥーラが慌ただしく部屋を駆け出す。その場にしばし硬直してからライツは泣きそうな顔でエタンダールを振り返った。エタンダールは意味ありげに笑っている。
「絶対、師匠には負けないからね!」
腹を抱えて笑い出したエタンダールを無視してライツは廊下に駆け出した。長い廊下の先で泣いていたトゥーラに慌てて駆け寄る。涙を拭きながらトゥーラはライツに喚いた。
「何でいつもそうなの! 師匠に変なことは言わないでってお願いしてるのに!」
それを聞いたライツはかちんと来て言い返した。
「変なことは何も言ってないよ。それともなに、トゥーラは月の物だって師匠に言って欲しかったの?」
トゥーラは体調を崩したりするとどうしても翼が納めきれなくなる。そのことを先に知っていたライツは淡々と告げた。途端にトゥーラが目を吊り上げてライツを罵倒する。
「信じられない! どうしてそういう恥ずかしいことを言うの!? せっかく可愛いのに台無しだって言ってるでしょ!?」
「だから、師匠には言ってないし、可愛いっていうのは誉めてないって言ってるじゃないか!」
やがて塔に鐘が鳴り響く。言い合いをしていたライツとトゥーラは顔を見合わせ、午後の講義の行われる部屋に向かって駆け出した。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
気が向いたら他のところにも転載します。