Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ 作:伊駒辰葉
……まだ旅に出てませんホントすみません(汗)
トゥーラとゼクーの塔
朝のベルが鳴り響く。トゥーラは決められた時間通りに目を覚まし、大きく伸びをした。広々とした運動場には下四位までの弟子たちが集合し始めている。彼らは塔の誰よりも早く集まり、運動場の整備を行う。その後、各位の弟子が揃った所で整列が始まる。
塔の朝は早い。空の端がほんのりと赤く染まる頃、ベルに叩き起こされた弟子達はそれぞれの持ち場に慌ただしく移動する。トゥーラも例外ではなかった。
たらいに移した水で手早く顔を洗い、寝着を脱ぐ。回ってきた洗濯用の籠に寝着とシーツをまとめて放り込んでから髪を梳く。肩につかない程度のところで揃えられたトゥーラの髪は赤銅の色をしている。柔らかな髪に丁寧に櫛を入れてからトゥーラは急いで着替え始めた。
エヴァン国の中央に位置するラルーセン地方の西に、このゼクーの塔はある。国王直々に認定された上級魔導師は全部で五名。この塔の持ち主であるゼクーもその中の一人だ。中でもゼクーは以前にあった戦いの際に多くの功績を残したため、王国軍の軍籍もある。
さすがは歴史書に名を記す魔道士だと、トゥーラはゼクーをずっと尊敬してきた。それだけではない。ゼクーは軍人としても優れており、かの有名なチュメニ戦役において、他国から奇襲を受けたエヴァン国軍が逆転勝利を収めるきっかけを作った人物でもある。戦記の中には他にも数人の魔道士の名があるが、最大の功労者はやはりゼクーだ。少なくともトゥーラは歴史書をそう読み取った。
歴史書にはゼクーは一人で数百の敵を一蹴したとある。なのにその名がさほど世に広まっていないのは、きっとゼクー自身が名を売ることに興味がないからだろう。その代わりと言っては語弊があるかも知れないが、歴史書に記されている魔道士の中で一際目立っているのがエタンダールという上級魔導師だ。そのことを思い出したトゥーラは着替えの手を止め、険しい表情でため息をついた。
つい先日の事だ。トゥーラは師匠のゼクーに連れられて王宮主宰の競技祭に出席した。魔術の腕を競う、という名目で行われた競技会にはたくさんの魔道士が参加した。国を挙げての祭だったこともあり、競技の参加者だけでなく観戦者も多かった。王宮に程近いところにある競技場でとり行われた競技祭に、問題のエタンダールも姿を現したのだ。
ゼクーとエタンダール、それと他の数名の魔道士が競技の審査員を務めた。たまたま隣に座ることになったトゥーラは、その場でエタンダールから侮辱を受けたのだ。
うわ、じじい。いつの間にこんな可愛い子を手に入れたんだ? オレにも紹介しろよ。
エタンダールの不躾な言葉にゼクーは眉をひそめ、トゥーラは激怒した。確かにトゥーラは若い女性だが、着ている式服を見ればゼクーの弟子であることは判るはずだ。これが本当に上級魔導師の言葉だろうかと怒り狂うトゥーラに慌てて言い訳をしたのは、エタンダールに付いて来ていた若い男だった。どうやら男はエタンダールの一番弟子らしい。
結局、エタンダールの弟子に言いくるめられてトゥーラもその場は大人しく引っ込んだ。ゼクーは気を遣ってくれたのだろう。わざわざ座る席まで代わってくれた。
今時、女性の魔道士はさほど珍しくない。その証拠にゼクーの塔の弟子の四割近くは女性だ。中でもトゥーラは十代で准魔導師として認められたゼクーの一番弟子だ。その地位をトゥーラは誇りに思っているし、准魔導師の名に恥じぬよう務めているつもりだ。
「あ、こんなことをしている場合じゃないわ」
怒りを再燃させていたトゥーラは慌てて着替えを再開した。白い折襟のついた腿まで丈のあるコートは手触りのいいリネンで出来ている。一見華奢に見えるコートだが、実は布の間には綿が噛ませてあり、更にその中には細い真鍮の鎖が仕込まれている。多少の衝撃になら耐えられる構造になっているのだ。胸に入った紋章はゼクーの塔の弟子の証だ。
下着の上にコートを着込み、続いて白のズボンを穿く。靴下を穿いて部屋履きのスリッパから黒のゲートルに履き替えたところでトゥーラはよし、と気合を入れた。
廊下ですれ違った弟子達が背をしっかり伸ばして快活に挨拶する。トゥーラは彼らに応えて運動場に急いだ。号令係の声に合わせて弟子達が運動場に並ぶ。階級別に分かれて整列したところでゼクーが朝礼台に上がる。
ゼクーは今年で八十六になるという。だがそうとは思えないほどゼクーは若々しい。白い髪と髭がなければその年には見られないだろう。ゼクーはまず弟子達に挨拶した後、今日の予定を読み上げた。階級別の取り組みの予定を発表した後、ゼクーはいつもとは違うことを告げた。
今日は昨日付けで届いた書簡についての協議を行うらしい。協議の参加者は四名。真っ先に名を呼ばれたトゥーラは落ち着いた返事をした。続いて三名の弟子の名が呼ばれる。階級別に並ぶため、トゥーラを含めたこの四人は最前列に立っている。ゼクーは四人を眺めて鷹揚に頷いた。
重大な事柄はゼクーは自分だけでは判断せず、こうして弟子達の意見を募る。その後、決議内容は各階級のリーダーに伝えられ、下の弟子に伝達される。いかにもゼクーらしい合理的且つ建設的なやり方だ。
ゼクーの塔に所属する弟子は千人弱で、魔道士を養成する塔では文句なしの最大規模だ。国のどこを探してもゼクーの塔以上に確かな塔は他にはない。綿密に組まれたカリキュラムに従っていれば自然と魔術の知識や技術が身につくのだ。
堅実さに惹かれて国外からも入門希望者は訪れる。だがやはり一番多いのは地元の人間だ。軍との結びつきの強いこの塔では、一等魔道士の階級を与えられた者は軍に士官待遇で入隊出来る事になっている。一等魔道士まで階級が上がれば攻撃魔術を会得出来るからだ。
攻撃魔術を会得した者とそうでない者とは入隊の段階で配属が異なる。更にその後の昇進ペースも全く違う。年に三度ほど入門試験は行われるが、その時点で軍に入隊を希望する者も少なくない。そんな彼らはこの塔で魔術の基礎知識と規律を学んだ後で軍に入隊出来る。稀に中途で塔を辞める者もあるが、大抵は家庭の事情や金銭的な問題といったごく個人的な理由で塔を去っていくようだ。
朝礼の後はランニングだ。朝食が用意される前に軽く教練場を走るのが朝の決まりだ。きっちりと二列に並んだ弟子達と一緒にトゥーラも走り始めた。掛け声をかけて走っている内に、調理場から食事を作るいい香りが漂ってくる。塔付の調理人たちが今朝も美味い食事を作ってくれているのだろう。
「おはようございます、トゥーラ女史」
「おはよう」
ランニングが終了し、弟子達は食堂に向かう。人の流れの中を歩いていたトゥーラは他の弟子に声をかけられて挨拶を返した。トゥーラだけでなく上位の弟子は自分の勉強をする傍ら、下位の階級に属する弟子達の授業を受け持つ。だがトゥーラは飛び級を繰り返しているため、受け持ちの弟子にはトゥーラより年上の者も多い。ずば抜けて優秀なトゥーラを羨む者も多く、意地の悪いことを言われたりもする。だがそんな境遇をトゥーラは嘆いたことはない。嫉妬する暇があるならその分勉強や鍛錬をした方が絶対に効率がいい。そんな単純なことがどうして判らないのだろう。苛めを受けるたびにトゥーラはそんな疑問を抱くのだ。
トゥーラは多くの入門者たちと同様に、塔のあるラルーセン地方の出身だ。ここより少し離れたところにある小さな町でトゥーラは生まれた。父親は高級軍人、母親は魔道士という恵まれた環境にいたトゥーラは、近隣の学士館で指定の基礎学習を終えた後にこの塔の入門試験を受けた。入門の仕方も進級の仕方も塔の規定にはきちんと沿っている。羨まれるようなことは何もない、と心の中で呟いたトゥーラは憂鬱になった。
食堂は弟子達の声で賑わっている。トゥーラは朝食を乗せたトレイを受け取って机についた。木で出来た机は長く、横に幾つか並べて繋げてある。千名近い弟子を一度に賄うだけあって、食堂はとても広く作られている。二棟ある弟子の寮の一階部分が間続きになっており、その部分が食堂になっているのだ。
協議は食事の後で行われることになっている。トゥーラはいつもより急いで朝食を片付けた。食べている間も近くに座った誰かが厭味を言っていた気がしたが、トゥーラはそれを完全に無視した。どうせまともに聞いたところで無駄な時間を取られるだけだ。食器の返却口に空になった食器とトレイを突っ込んでからトゥーラは急ぎ足で食堂を出た。
今日の天気はどうやら崩れそうだ。空に張り出した雲を横目に見て、トゥーラは寮の廊下を早足で進んだ。ゼクーの塔は敷地も広く、寮の他に三つの棟がある。一つは魔術を学ぶための教室のある棟、もう一つは弟子達がくつろげる部屋や格技の訓練を行う広い部屋のある棟、そして最後がこの塔の所有者であるゼクーの部屋のある棟だ。ゼクーの部屋のある棟をここでは事実上は塔と呼び、その他の棟はそれぞれに別の名前が付けられている。
だが塔と呼ぶにはここの建物の背は低い。かつて魔道士が居た塔というものはどれも背が高く、遠くからもよく見えていたのだという。だがある時を境に塔は名だけを残して次々に低い建物に変えられた。何故なら戦いの折、目に付く建物は攻撃を受け易いからだ。軍の新しい働き手の多くいる塔を攻撃されることそのものが国の重大な損失になるのだ。
棟は各階の渡り廊下で繋がっている。階段を上がり、簡素な屋根がつけられた二階の渡り廊下の途中でトゥーラはふと足を止めた。両側を囲む壁はないため、この廊下は雨が降って風でも吹こうものならたちまち濡れてしまう。そのため、弟子達の多くは一階にある建物内の廊下を利用するのだ。だがトゥーラは用のある時以外は他の弟子に会うのを極力避けている。だから渡り廊下もなるべく人の少ないところを選んで通っているのだ。
廊下に数人の弟子がたむろしている。彼らの顔を見止めたトゥーラは表情を硬くした。いつも何かにつけてトゥーラに絡む連中だ。
「おはようございます、トゥーラ先生」
数人の中の一人、そのグループのリーダー格の男がにやにやと笑いながらトゥーラに話し掛ける。男の名はリカルト。先生、という部分にだけ妙に力がこもっているのはわざとだ。トゥーラは感情を殺しておはようと答え、歩き出した。リカルトは軍の入隊を希望してこの塔に入門したという。だが成績は芳しくなく、入門から三年が過ぎようとしているのに未だに三等魔道士だ。
「あれ? 今日は化粧はしてないんすか?」
わざとらしく笑った別の男が言う。トゥーラは連中に行く手を阻まれて足を止めた。失礼、と断って避けようとしたトゥーラの手を誰かがつかむ。トゥーラは捕まれた手を邪険に振り払った。
「触らないでっ」
嫌悪に顔を歪めたトゥーラをリカルト達が面白いものでも見つけたという目で見る。発作的に振り払ってしまってからトゥーラははっと我に返った。この手の連中はむきになればなるほど面白がるのだ。判っているつもりだったのに、とトゥーラは後悔した。
「今度はどうやって取り入ったんすか? 俺たちにも教えてくださいよ」
普段は誰も通らないことが災いした。トゥーラは無遠慮なことを言い出した男を毅然と睨み、通しなさいと冷たく言い放った。
「変ですよねえ。だってトゥーラ先生は統率者じゃないでしょ」
リカルトがしたり顔で言う。統率者とは弟子達を率いる者のことだ。必要な伝達事項は統率者と呼ばれる者たちを介して弟子に伝えられる。朝礼で名を呼ばれたトゥーラ以外の三人が統率者だ。そして彼らはゼクーから伝えられた事を各階級のリーダーに伝える。そのためにこの塔ではゼクーが直接に弟子個人に指示をすることは殆どない。朝礼の時以外、ゼクーの姿を見ないという弟子も多い。
それを無駄のない効率のいい方法だとトゥーラは感じている。が、弟子の中にはそうは思わない者もいるらしい。トゥーラは険しい表情のままため息をついた。それが余計にしゃくに障ったらしい。連中が口々に生意気だの、可愛げがないだのと好きなことを言う。
ゼクーは弟子の直接的な指導はしていない。だがトゥーラは見習の頃からゼクーに目をかけられていた。そのことが男たちは気に入らないらしい。連中だけではない。トゥーラが贔屓されているのだと陰口を叩く者も多い。その背景にはトゥーラの出来の良さもあるが、やっかみを受けたのはそれだけが理由ではない。抜群の体型とはっきりと美人と言える整った顔立ちに嫉妬する女弟子は多い。
美しい容姿、人を寄せ付けない冷たい口ぶり、類稀な魔術の能力。それらが原因でトゥーラはここでは疎外されている。だがそのことをトゥーラは気にしたことはない。ここは魔術を学ぶ所だ。誰かと仲良くしたいなら社交場にでも行けばいいのだ。
「それ以上近づけば攻撃します」
トゥーラは取り囲もうと動きかけた男達に冷ややかに告げた。すると男達の動きがぴたりと止まる。それまで猫なで声を出していた男達は一転して憎々しそうな表情になった。以前に一度、トゥーラに不躾な真似をして痛い目に合っているからだ。
「何だよ。じじいの相手ばかりで飽きてるだろ? たまには俺たちとも遊ぼうぜ」
トゥーラを避けるように男達が廊下の左右に分かれたところでリカルトがいやらしい嗤いを浮かべて言う。トゥーラは冷たい目でリカルトを睨みつけた。
「わたしをからかっている暇があったら魔術論のひとつでも覚えたらいかがです? いい年をして親御さんに学費を出させて、そのうえ成績が上がらないなんて恥ずかしくないんですか」
リカルトの年はトゥーラの五つ上の二十三だ。塔に入門を希望する際の年齢に制限はない。指定された基礎学習を終えていれば誰でも入ることは可能なのだ。
リカルトの顔がさっと赤く染まる。怒りに目を吊り上げたリカルトが鋭く舌打ちをし、男達に目配せをする。トゥーラはリカルトの反応を見ずに男達の間を抜けようとした。
不意にコートの袖を強く引かれる。トゥーラは思わず足を止めてコートをつかんだ誰かの手を振り払った。
次の瞬間、その場にいた男達が一斉にトゥーラを取り囲む。後ろから羽交い締めにされ、離してと叫ぼうとしたトゥーラの口を誰かが強く押さえる。それと同時にトゥーラは身体のあちこちを無遠慮につかまれた。
力任せに身を捻る。だが複数の男達の手に押さえられたトゥーラは思うように身動きすることが出来なかった。トゥーラは怒りをこめ、目の前にいるリカルトを鋭く睨みつけた。
「俺たちを見た時に大人しく逃げ出せばこんな目には合わなかったのになあ」
にやにやと笑ってリカルトが手を伸ばす。その手が胸に触れる寸前にトゥーラは攻撃用の魔術を展開した。不可視の圧力がトゥーラを中心に広がり、男達に襲い掛かる。見えない圧力に男たちは次々に吹き飛ばされた。最後にトゥーラの目の前に立っていたリカルトが廊下の向こうに吹き飛ばされる。トゥーラは乱れた服を整えて冷ややかに告げた。
「手加減はしておきました。この場合は正当防衛ですので被害を訴えたところで無意味ですから」
言わなければならないことだけ言い、トゥーラはさっさとその場を離れた。後ろからリカルトが何事かを喚いていたが、トゥーラはその声を完全に無視し、会議室に向かった。
当時の自分はコンセプトだけ決めて書くことが多かったです。
このコンセプトは「両極」でした。
主人公とヒロイン、それを取り巻く人々を含め、立場や考え方の違い、環境などの相違を書こうとしてました。多分。
ちゃんとそれが書けているかどうかの判断は読む方にお任せですw