【偽典】植物系少女と世界の黄昏【田んぼエルフ】 作:フルフェイスパンケーキ
「生存者の保護状況はどうなっている?」
「既に周辺半径一キロ圏内は全て保護済みです、異教徒たちも軒並み殲滅済みであるとの報告も、今し方入ってきました」
「現状は安定しているか...しかし一体たりとも異教徒を近づけてはならぬよう改めて通達を、我々は既に人々にとって最後の砦なのだ」
総合病院にて。
負傷者の受け入れで忙しなく内と外を往来している医療スタッフに混じって、自動小銃で武装した白いフードの集団が正面玄関の守りを固めていた。
皆、総じて胸に同じ形の
大凡一端の新興宗教とは思えない、それこそちょっとした小国の軍隊と肩を並べるような兵装を携え、病院の敷地内に救急車と並んで止めてある
ただ、守っていた。入寇せし
少なくともこの場に居る白いフードを被る者は皆、それこそが自分たちの信じる神から齎された崇高なる使命であると信じているが故に。
「今となっては日本全国がこんな状態らしいと聞きます...自衛隊の支援も、到底期待できなさそうですね」
「もうこの国だけのローカルな問題ではない、既に世界中で起こっている事態だ。我々は、我が主の名の下に善を、人々を護ることを成す他に...む?D-3からの通信?」
入り口から正面のゲートを見ていた、総合病院の防衛を任されている隊長格の白フードの男が、記章とは逆の方向に付けていた無線機にコールが入ったのを確認して繋げる。
「どうしたD-3?まだそちらは交代時間になっていないはずだぞ?」
«ほ、報告ッ!!南南東より建造物の屋上を飛び渡りながら高速で移動する物体を発見!総数2!!»
無線越しに狼狽しきった、悲鳴のような声が紡ぐ報告に眉を顰めながらも通話を続ける。
「異教徒か?それとも
«不明です!しかし、進路は其方の総合病院と見て間違いないかと...!!»
「成程、鬼と出るか蛇と出るか...兎に角門を封鎖し―――」
“封鎖し、異教徒か否かを此方で判断する”という旨を伝えようとした矢先、突如として正面ゲートの見張りが上空を指差しながら...
「な、何かこっちに来るぞぉぉっ!!?」
「何だと!
D-3が担当していたエリアは総合病院から800メートル離れていた。
にも関わらず、通信が入って十数秒と満たない短時間で移動している。
最早対象が人間であるかどうかという事以前の問題だった。
しかし、対応に動く間もなく病院に最も近いビルから飛び上がった黒い二つの影が敷地の内へと降り立つ。
一方は、まだヒトの少女であると思える姿をしている...が、しかし。
「...人、間?」
もう片方、その細部は我々人間と同一種であると判断する事を妨げるものが多すぎた。
血を一滴残らず抜かれたような青白い肌。
巻き付いて胴体を覆い尽くし、四肢と首元にすら迫るツルやツタのような...恐らく何かしらの植物。
破れた衣服の裾口と袖口から仄暗く覗く、鋭い五本指を生やす手と二又の鉤爪のような足。
抜かれた血をそこへ凝結させたかの如き、赤黒く濁った虹彩。
……あれは、本当に人間なのか?
ヒトの域から逸脱していると考えても差支えが無い、あの存在を...果たして人間であると見ていいのか?
白フードの隊長格を始めとして、一斉にその者へ銃を向ける神の存在証明の構成員が。
病院内に避難する暇一つ与えられなかった負傷者が。
外で受け入れ準備を進めていた医療スタッフが。
この場に在するすべての人が一律に、同じ疑問を抱えていた。
悲鳴を上げて逃げ出す者も一人として居ない、肌を突き刺す静寂と緊張に誰も彼もが固唾を飲む。
「は...発砲許可を!」
「ッ!?待て、民間人がいる!」
耐えきれず、若い構成員が震えながら引き金を絞ろうとしたのを隊長格の男が制する。
あの存在は、今度こそ人間であると見て間違いない女性を背負っていた。
まず、相手の素性を聞き出さねばならないと隊長の男は口を開く。
「...お前は、誰だ?この世界で生きていた人間なのか?」
「...俺は人間です...今もまだ、多分」
蔦で襟のように覆われた彼の口元から、声が聞こえた。
その事実に幾らかの構成員が僅かに警戒を緩める。
「なら何故ここへ来た?」
「...家族をモンスター共に襲われて、助け出せはしましたが気を失ったままなんです」
「異教徒共にか...なら、自分はそうでは無いと言えるだけの証拠はあるのか?その姿、悪いが人間とは思えない」
「えぇ、言いたいことはよく分かります...俺自身、アイツらを殺して出てきた赤い玉を食って、殺して食ってを繰り返して...気がついたら、こんな姿になってました」
真実に自然と織り交ぜた嘘に対し、異を唱える者たちは居なかった。
構成員達は彼に銃を向けながらも、互いに顔を見合わせる。
アカダマは確かに未知の多い物体。
血の味がする報告例から血液の塊か何かだと勘違いする人が絶えないが、決してその通りであると言い切れないのだ。
比較的情報解析の行き届いている『神の存在証明』でも組織内部で情報が錯綜しており、未だに全容は把握しきれていない。
稀なケースとしてこのような哀れな姿と成り果てた事例もあるのかもしれない。
何より、異教徒は即座に人間を殺そうとするのに対して彼は理知的な、
無論、敵意も害意も感じない。
「彼女はまだマシですけど...俺は見ての有様です」
「そうか......よし、ではその場にお前の家族を下ろすんだ、下手な真似をすれば身の保証はしない」
然れど、人外寄りの存在である事も確かではあったのだ。警戒は緩めても解かれることは無い。
アカダマを...魔核を取り込むとは、力を得る相応のリスクを背負うという事でもあるのなら。
…尤も、彼の場合はそれ以上に人間にとって劇薬となる代物を取り入れた成れの果てという、どう転んでも救われようのないものである事を知る由もなく。
彼はゆっくりと、背負っていた女性を床に下ろす。
その両脇に、彼の隣に控えていた少女の両腰から伸びる蔦の先に繋がれし緑の担架が床に降りた。
担架に乗せられているのは、彼の背負っていた女性よりも幾らか歳を重ねた一組の男女...両親だろうか。
「これ、保険証です。身元の確認と......俺が本当の事を言っている証拠の補填も兼ねて」
そして、彼が懐から取り出した三枚の健康保険証...彼が異教徒ではないと、文明と文化を知る一人の人間としての証拠を示すかのように、床に横たわる三人の胸元へ一枚ずつ置いていく。
紙製の保険証は、少しでも力加減を間違えば黒く尖った指先でバラバラにしかねないのだろう。
とても慎重に、ゆっくりと事は進んでいった。
「置いたな?...そのまま両手を頭の後ろに回してゆっくりと後ろに下がれ。連れ添いのキミもだ」
「私も?分かったわ」
言われるがまま、彼だけでなく人間寄りであるように見える彼女にも下がらせていく。
言葉も通じ、誤解を招くような素振りを一切見せないその存在に対して、構成員たちの間に困惑と安堵の入り混じったなんとも言えない感情が広がっていく。
隊長格の男もそう思いつつあった。異教徒に似てしまったのは不幸な出来事に過ぎず、その中身には我々と同じ人間の魂が籠もっているのではと...
しかし、それでも人々の安全を確保するという己の責務を全うするために、彼らをこの病院から外へ出すまで銃口を向け続けなければならない。
『すまない』と、心のなかで謝罪の言葉がポツリと浮かび上がった瞬間―――
乾いた筒音が鳴り響いて、彼の額に円状の銃創が刻まれる。
一言も発する事がないまま、彼は仰向けに
「な...!?」
「え...?」
隊長格の男ではない。
寧ろ彼ですら驚愕の表情を顔に貼り付けて銃声のした方向へと顔を向けている。
誰が撃った?誰がその引き金を引いた?
彼の後ろに立っていた少女と、彼と相対する場に居た隊長の視線が重なる先に、その答えはあった。
ガチガチと歯を打ち付けるほどにその身を震わせ、硝煙を登らせる銃口を彼の額があった場所に向ける者...それは、真っ先に発砲許可を申請した若い構成員だった。
「は、ひはは...やった、やりましたよ!異教徒を討てましたよ!?」
「貴様ッ!!誰が撃てと命じた!?奴を取り押さえろ、一刻も早くッ!!!」
「り、了解!!」
「はは――うがっ!」
恐怖に捻じ曲がった笑い声。
狂気すら混じった笑声は、同胞の手で地面に押さえつけられた事により呻きへと様変わりを果たす。
だが、地に伏しながらも鬼のような形相で若い構成員は
彼のすぐ後ろに居た少女は、この世のものとは思えない醜悪な物体を前にしているかのような目で構成員を見下ろしていた。
「彼は...彼は人々を傷つけようとしてないでしょ?どうしてそんな...そんな酷いことが出来たの?」
「決まりきったことを...奴は異教徒だ!!化け物だ!!我々を騙し、この場にいる人々を皆殺しにしようと言葉巧みに言い包めていたに他ならない!!」
「耳を貸すな、この者は錯乱している!君たちは人助けをしてくれたんだろう!?」
抑えられながらも暴れる構成員を、氷より冷たく感じる目で見下ろす少女に向かって隊長が必死に肩を持とうとする。
このような事態に陥ってしまった事で、幾ら神を信じている者であっても恐怖を克服し打ち勝てる胆が等しく手に入るわけではないのだ。
既に取り返しのつかないことになってしまっても、君までその後悔を背負う必要はないと語りかけるが...
「どうせ背負ってきた人間も疑似餌代わりなんだろ!それで油断したところを見計らって喰らうつもりだったんだ!!だから撃った!殺した!!私が...私が人々を災いから守る『神の存在証明』の一人で在るが故にぃ!!」
「...もう、いい」
表情の消えた少女が目を見開き、ゆらりと右手を天に掲げる。
その動きと呼応するかのように、彼女から数歩後ろの地面を突き破って巨大な緑の円筒が轟音を伴って迫り出した。
「あ...?」
誰もが、見上げる。
あれは、なんだ?
自分たちは、彼女に何をさせてしまったんだ?
そんな疑問を言葉にして発しようとしても、彼女を中心に放たれる悍ましい殺気に圧倒されて出るのは掠れた声だけ。
「何の罪もない彼を、ただ大切な人を救おうとしただけの
凍て尽き果てた声で淡々と告げながら、天に掲げた手を地べたに這いつくばった若い構成員に向ける。
先細りする円筒の先端が地に
大きな、おおきな花弁。
その中心部に、青い光を放つ粒子が渦巻きながら集まり始める。
「や...やめろ、やめてくれ...私が悪かった!怖かったんだ!!人間そっくりな異教徒だったかもしれないって思ったときにはもう、引いてしまっていたんだ!引き金を!!」
「煩い、聞きたくもない...自分の憶測だけで丸腰の、戦意のない人間を殺す気だった貴方には」
必死に許しを乞う言葉を突き放す彼女に、若い構成員は自分のしてしまった過ちの大きさを、取り返しのつかなさを理解する。
生物的本能で自分の死が眼前まで迫っているのが理解できてしまい、だがもう弁解しようにも取り繕うにも遅すぎて...
「あ、あぁぁ....っ!!」
「
その光が、解き放たれることはなかった。
辺りに充満していた殺気が瞬く間に遠ざかっていく。
ある者は閉じた目をもう一度開き、ある者は背けていた顔を再び正面へ戻す。
「...消えた?」
「彼の姿もないぞ?」
「俺たち、どうなったんだ?何を見せられてたんだ?」
少女の姿も地面に斃れた彼の姿も、既に残されていなかった。
在るのはただ、緑から茶色に萎れて枯れていく巨大な花と、眠るように横たわる三人の人間たちと、巻き込まれ消し飛ばされるはずだった
「...彼を撃った者は?」
「気を失っています...」
「......我々まで助けられてしまったというのか」
白目を剥いて失神した構成員を一瞥した後、隊長は空を見上げる。
ビルの向こうへと飛び移りながら消えゆく、黒い残影に気付かぬまま。
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「...何故止めたの」
「止めなきゃ、あの場の全員が死んでた。姉さんも、ラナが届けてくれたあの子達も」
「えぇ...えぇ、そうね、確かに私も身を感情に任せたまま取り返しのつかない事をする所だったわ、それを止めてくれた事は感謝してる...でも私が聞きたいのはそういう部分じゃない」
アパートまでどうにか戻れた俺は、ラナに問い詰められている真っ最中だった。
彼女が掃除してくれたおかげでゴブリンはこの周辺に一匹たりともいないのは確認済みだ。
ラナが出ていったきり開きっぱなしで放ったらかしだったであろう玄関の鍵を締めたところで扉に
指一本すら脳の制御を受け付けないまま地に伏し続けていた俺がラナを抱えて飛び出せたのは、手を下すギリギリの瞬間。
多分だが、中途半端に筋肉と脳が繋がったままなんだろう。
脳が治った直後に無理をしすぎた反動が来たようで全身が怠い。
頭に銃弾を叩き込まれても生きているのはラナの与えてくれた力か、それとも魔核の修復能力が機能してくれたか...何れにせよ、頭に血が上ったラナを抱えてその場を離脱することは成功したし、多分巨大な花に集まっていた魔力が炸裂した様子もないだろうから犠牲者は誰一人としていない筈。
だが、彼女は落ち着いたとは言え納得がいかない様子で玄関口の段差を登った廊下から訴えるような目線を送ってくる。
「貴方はミズキ達を救おうとしたのに、あんな仕打ちをされて...それでいいの?何も思わないの?」
「良いも悪いもない、モンスターに間違われておかしくないって言ったのはそっちだろ、ラナ?......多分、俺がアイツの立場でも撃ってたかもしれない」
「マサヤ、貴方は同じ人間に討たれることを是とするの?」
「あぁ、だって俺は...
...言っちまった。
ずっと心のなかに押し込めて生きるつもりだったのに、隠すことにすら疲れて口から漏れてしまった。
そして同時に、隠す意味がもう何処にも在りはしないと理解してしまう。
額に銃弾を受けても体が動かなかっただけ、意識は途切れず一部始終は全部見えていた。
頭蓋を貫通してくれたおかげで弾が残ったまま修復されなかったのは幸いだが、ある種の断定を下されたような感覚が今尚続いている。
頭を撃ち抜かれて生きている人間が何処にいる?
ビルからビルへと飛び移れる人間が何処にいる?
受けた傷が瞬く間に塞がる人間が、この世界の何処にいる?
仮に居たとして、それを普通の人間とは呼べないだろう。
そもそも、こんな姿になる前から普通ではなかった。
非現実的な出来事を前提とした物事の考え方も。それに対する順応の速さも。
「...どういう、こと」
「そのままの意味だ、ラナ...俺はアイツの言ったとおり『化け物』だったんだよ」
「違う!貴方は人間――」
「この姿を見て、本当に心からそう言い切れるのか?」
「......それは」
彼女が言葉に詰まる。
分かっていたんだ、本当は知っていたんだ。ラナも...俺がもう人間ではないということに。
それでも俺を落ち込ませないように、まだ人間だと言ってくれた。
けど、それで現実が変わってくれる程世界は甘くない。
だから受け入れる。
そして彼女に伝える...俺が、幾度となく死んでいても可笑しくなかったはずの俺がこんな姿に成り果ててまで生きている理由となっているであろう、その根幹を。
「俺はずっと、誰かに不幸をバラ撒きながら生きてきた...親父は11の頃、休みの日に自然公園に連れて行ってくれてる最中に俺が『喉が渇いた』とゴネて、一旦寄り道しようと進路を変えたときに居眠り運転のトラックに追突されて死んだ!母さんは俺を産んだことで病状が悪化して死んだ!!」
徐々に自分の声が荒がっていく。
「...肉体は確かに人の域を脱してしまった、でも貴方は人間として生きてきたんでしょう!?」
「そう信じていたかったさ!俺も!!...姉さんの家に預けられて、でも長く居すぎてまた親父や母さんと同じようなことにならないかどうか不安だったんだ...だから俺は自分からその家を離れた、一人でここに住むことに決めた!今度こそ俺のせいで不幸に巻き込まないためにも!!........でも、あのザマだ」
自分の両の手を見る。
真っ黒に染まった掌は、まるで新種の疫病を彷彿とさせた。
実際、俺の存在は俺は
偶然だと思いたくても思えないのは、あの事故の際にエアバッグが機能しないほど運転席の部分がぺしゃんこに潰れた大事故に関わらず、俺の座っていた後部座席だけがキレイに残ってくれたから。
皆が口を揃えて『奇跡的』に生還したと言われ続けて居る反面、目の前で遺体すら確認できないまま親父が死んだことを告げられた俺は...俺のせいで、親父を死なせてしまったのではないかと、ずっと悔やみながら生きていた。
だから、幼馴染の姉さんの家へ養子になったときは一刻も早く自分の力だけで生きていけるようになるつもりだった。
姉さん達と一緒に暮らす時間は、俺の一人で生きようとする覚悟を紛らわせてしまう程楽しかった。こんな日々が続いてくれればどんなに嬉しいことだろうと、一喜一憂を共にできる家族として生きていければどんなに幸せだっただろうと。
しかし、それよりもずっと...ずっと俺は一人であろうとした。
孤独に生きていくべきだと思っていた。
願い叶って独立し、その生活に慣れていくと同時に薄れていった負の記憶が、ラナと出会ってもまだどうにか出来ると思っていた甘い見解は、姉さんから来た短いメッセージで音を立てて崩れ落ちる。
たとえ離れても、関わりを持ってしまった以上失う運命に在るのだと、今度こそ俺は教え込まれたのだ。
俺は人間どころかモンスターですら無い。
正真正銘の――――――
「...関わりを持った人間全てを不幸にする、『化け物』......笑えるだろ」
「マサヤ...」
「笑えよ、ラナ」
「マサヤ、それは違――」
「笑ってくれよっ!!!ラナも俺のこと『化け物』だって言ってくれよ!!じゃないと俺は...俺は、ッ!!!!」
自分で自分の頭を抱えながら、激情を絶叫に乗せて吐き出す。
どうにかなってしまいそうだった。
胸の中に溜め込んでいたことすべてを吐き出し尽くして、代わりに処理しきれないほど様々な感情が
俺の苦しみをわかって欲しい。
俺の苦しみをわかって欲しくない。
俺のことを放っておいてくれ。
俺のことを見捨てないでくれ。
俺を人間として関わらないでくれ。
俺をモンスターとして扱わないでくれ。
俺を『
俺を。俺を。俺を。俺を―――――
―――急に目の前が、暗くなった。
ぐい、と上半身がなにかに引き寄せられて、顔が柔らかで暖かな、甘い香りと感触に包まれる。
目は開いている。なのに見えるものは真っ暗で右も左も分からない。
「...?」
「...笑わないわ」
ラナの声が、俺の右耳すぐ近くで聞こえた。
瑠璃で作られた鈴を転がしたような、だが近くに感じることで途方も無い安らぎを齎してくれる声。
「ラナ、なんで」
「大切なヒトを助けようとした貴方を...私は絶対に笑いものになんかしない」
ゆっくりと、自分の置かれた状況を飲み込み始める。
俺は、多分彼女に...ラナの胸に、抱き留められている。
それはまるで、出処を失った感情まるごと包み込んでくれる慈愛に満ちた抱擁だった。
姉さんに頭を撫でてもらったことはある。その度に『子供扱いしないでほしい』と若干反発したことも少なくない。
でも、こうして優しく抱き締められたことは...こんなにも優しいものに包まれたことは、産まれて一度も無かったかもしれない。
目頭が熱くなる。
喉が震え始める。
瞼に温かいものが滲んで広がっていく。
「ラナ...俺...俺っ...生きて良いのか...こんなんになってまで生きても、良いのかな...?」
「良いのよ、マサヤ...たとえ世界がそれを認めなくったって、貴方は
「ぁ、あぁ、ァっ...」
開いた心の古傷に、彼女の優しさが染み渡って痛みが、苦しみが消えていく。
知らない。
こんな感情俺は知らない、初めてだ。
「辛かったら辛いと言っていいの...苦しかったら苦しいって言っていいの...何の解決にもならなくとも、私の胸ならいつでも貸してあげられるから。だからどうか、自分のことを『化け物』だなんて責めたりしないで」
「うぁ、ぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ...!」
俺は遂に堪えきれず、彼女の胸中で泣き崩れてしまった。
幼子のように声を上げながら涙を流し続ける俺に、嫌悪の感情を微塵も見せることなくラナは受け入れている。それが又心に響いてより一層の涙が出ていく。
空っぽになるまで、泣き疲れるまで、きっともう止められない。
―――本当に心を持たない化け物なら、涙を流すことも出来ないのよ。
抑えも効かずに咽び泣く俺へ、ラナがそう言ってくれたような...そんな気がした。
次話から書き上がり次第投稿します。
なるべく早くお出し出来るよう努力はしていきますので、少々お待ちを。