【偽典】植物系少女と世界の黄昏【田んぼエルフ】 作:フルフェイスパンケーキ
「じゃあ、橙鉢さんは政府の人間ではないと?」
「協力関係にあるだけさ、私が技術やデータを提供して政府は資金や食料面で援助する。厳密に言えば政府直属研究機関の関係者と言えるだろうが...ま、面と向かって関わり合うってのは殆どない」
橙鉢さんに案内された先の休憩スペースみたいな場所にて、飲み物を取ってくるとカウンターに向かったあの人はゴソゴソと棚を開いて手頃な飲料を探しながら俺達と話をしてくれた。
いや...場を持たせていると言うのが一番適してるのかもしれない、この場合は。
この研究所、広くはあるが人が全然居ない。
資材を運ぶ見たことの無いロボットとかドローンとか、そういうのは時たま廊下を往来してるけど。
「ずっと御一人で研究所の切り盛りを?」
「オートメーション化は施してあるけど全くの一人って訳じゃあなくってね、手伝いが一人...今は全国に散らばってるゴブリンの残党を叩きに行ってるから居ないけど」
「政府の要請ですか、それ」
「大方そんな感じだ...コンポタでいいかい?」
「あ、ありがとうございま――っ」
差し出されたそれに手を伸ばそうとして、自分の真っ黒な手と橙鉢さんの綺麗な肌色の指先が対比されるように視界に収まって思わず動きが止まる。
「気にしないさ、事の一抹は私も知ってるからね」
「嬉しいです、そう言ってくれるのは。でも、俺は」
受け取ってしまっていいものか?人間のフリをしている俺が、人間の誰かの手と触れていいのか?
橙鉢さんの差し出してくれるそれと俺の抱えるこれとは別問題だと分かってはいても、こんな時に限って思考が凝り固まって割り切れない。
考えあぐねる俺の様子を脇に、橙鉢さんは手渡すのではなくテーブルの上へとコーンポタージュの缶を置いた。
先に渡されたラナは既に缶のタブを起こして飲み始めている。
どうやら壁に埋め込まれた水槽で悠々と揺蕩うクラゲに興味津々の御様子、俺とは大違いだ。
「...すみません」
「いいんだ、私が君達を呼んだのもソコに当たる内容だし」
ドカッと俺の前に座る橙鉢さん。
手にしていたマグカップのコーヒーを一口啜ってから俺の方に向けられたその目は、真剣な感情をはらんでいた。
「平野君さ、自分が駆逐官の志望書に何書いてたか思い出せる?」
「あまり多くは思い出せませんけど、何故駆逐官になろうと思ったのかって所は『死にたくないから』で、与えられるとしたらどんな武器がいいかって所は『鎧』と...」
「そこだよ平野君...その欄はどんな
そうだ、防具は武器じゃない。寧ろその対極に位置する存在だ。
分かっていた、分かっていて書いた。
俺の身体を駆使して戦った方が、政府から貰った武器使うよりいい気がして...どうせ突っぱねられるんだろうなと諦観してたのが、今となってはずっと前の事に感じられる。まだ一日ちょっとしか経ってないのに。
「敢えてそう選んだか、文章読み飛ばしたトンチキくらいしか普通そんな事しないからね、気になって検索掛けてさ...ま、前者だったって訳だ」
「情報を得る必要があったんですか?何のために?」
「最初は私の個人的な興味からだ。まぁ...その正体が目下捜索中の推定異常生命体である平野君だった時は流石に驚きはしたけど、だからこそ迅速にも動けた」
つまり、あのままアパートに篭もり続けていたら危なかったという事なんだろうか?
食料が足りなくなって、仕方なしに外に出て万一俺の事を...その、
「...助けてくれたんですか?」
「結果論だがね、それにまだ私が聞きたい事は残ってる」
「なんでも仰って下さいよ、答えられる範囲でなら基本的にOKですし」
「そうかい?なら」
「――――平野君さ、
「あ」
暫しの沈黙を置いて、橙鉢さんの口からそんな質問が俺へと突き刺さる。
一番触れられたくない所へ、遠慮も容赦もなく。
答えられる範囲と、答えられない領域とが重なる最も苦しい質問がやってきた。
「言い方を変えようか。平野君は迷っているだろう?少し前、正確には君が人とモンスターの境界線で立ち往生したその時から」
「そんな、ことは」
「無い、と言いきれるかい?...無理だろ、今の君じゃあさぁ」
…自分の心拍が間近に、耳元で聞こえる程激しい。
そんな事は無い、無い筈なんだと口に出そうとしても、短く途切れ途切れの吐息が漏れるだけ。上手く舌が回ってくれなくて言葉すら満足に紡げない。
感情がぐちゃぐちゃに掻き回されていく。
記憶が傷口をなぞるようにフラッシュバックする。
視界が、震える。
「マサヤ、貴方は何も悪くないわ。だって他の人を手に掛けるどころか傷つけてすら無いわよ」
「あぁ、そこのラナの言う通り君は悪くない。だがこの問題は第三者視点の善悪で片付けられる問題では無いのさ」
助け舟を出そうとしたラナをバッサリ切り捨て、逃げ道を無くす。
追い込む気だ、真正面から問い詰めて...俺の真意を探りたいんだろう。
でも、それは何処にある?
俺ですら分からなくなったのに、聞き出せるわけが無いだろう。
なら何故俺は生きているのか、その理由自体は簡単だ。
それを口にできる余裕も、ラナが俺に救援を送ろうとしてくれたという事実で生まれてくれた。
「俺は、俺は死にたくないんです。訳も分からないまま殺されたくなんか無いんです...だから生きたいって、そう思っちゃダメなんですか」
「ダメとは言わんさ、他に理由が無いならそれも真っ当な主張と言える...が、君は例外なんだよ。その思いは“本当の願い”を曇らせる靄になってしまってる、思いが願いにちゃんと紐付けされてないんだ」
「“本当の願い”?...なんですかそれ、教えて下さいよ。俺分かんないですから」
「いや、それ私が言ったら意味ないじゃん」
平行線のまま進展しない会話が続いていく。
“本当の願い”って何だ?願いに本人すら気づけない嘘や欺瞞があると言うのか?
多分、そういう事では無いかもしれない。俺が生きたいと思うのは間違いではないらしいし...だとしたら余計にどういう事か訳が分からんで...あぁ畜生!!
「結局、橙鉢さんは俺に何が言いたいんですか?何させたいんですか!?」
「それも君が探し出す事だ、私は単に気付かせる為の口実を作ったに過ぎない...あ、あとそのままの状態では協力もしないし出来ないから」
「んな無茶苦茶を...!!」
耐えきれなくなってラナの方に目を向ける。
しかし、彼女は申し訳なさそうに目を閉じて首を横に振った。どうやらもうヘルプは出来ないらしい。
何がだ?何が今の俺を変えることに繋がる?
生きたいと思って...
…
…生きて、
……生きて、
「気づいたようだね。自分の生きようとする意志に、決定的に欠け落ちたモノがあることを」
「でも、こんなの...こんなもの、どうしようも無い」
見えない。
何が正しいか迷っているどころか、迷うべきモノが見つからない。
生きて何がしたかったんだ?死にたくないから生きて、その生に何を見出そうとしていたんだ?
思いつかない...思い浮かんでくれない。
その気になれば一つくらい、一つは見つけられると先延ばしにして逃げていたんだ。
人間として生きようとして、その先に何がある...?
分からない...分からない、なにも。
「俺は...俺、は」
「あっちゃー、思ったより早く
橙鉢さんは特に悪びれた様子もなく、自分の腕時計を確認している。
「...頃合だね、一旦外出て頭冷やして来な」
「外行ったら、狙われる筈ですよ」
「この時間、13番出口の方面は巡回が途切れる。ろくに出歩いてないなら、今の世界がどうなってしまったかをその目で見て確かめるといい。気持ちが落ち着いたら戻ってきてくれ、話を続けよう」
「......分かりました」
「出口に向かう通路は廊下の案内板に書いてあるから、目を通しておくようにね」
“今の俺に話す事は無い”
そう、遠回しに言われた気がして俺は席を立った。
結局橙鉢さんのくれたコンポタに口をつけるどころか、開封すらしてない事をすまなく思いながら...逃げるように部屋から出て、そのまま指定された出口に向かう。
案外近くにあるそれは、至って普通のエレベーター。
乗り込み、ボタンを押し、閉まる扉を無心に眺める。
「頭なら冷えてるさ、自分でも気持ち悪いくらい...なのに」
誰に向けたものでもなく、無意味に吐き出される言葉は密室空間に響いて消えた。
落ち着いてるんだ、でも何も思いつかない。
無気力と言えるほど抜け落ちず、芯が通ってると言えるほど自我を保てていないままで、生きたいという動物的本能めいた願い以外に何を抱けばいい?
それ以上に何が大切だと思える?
「クソッ...クソォッ!!」
開く扉の先、渦巻く感情全てに悪態をつきながら廃墟と化した商店街に飛び出した。
いつの間にか降り始めていた小雨も、気に留める事無く。
「...私を、薄情者だと恨むかい?」
マサヤが走り去った後、リカコが私の方に振り向きながら自嘲気味に笑う。
半ば無理矢理追い出したのは、先述した通り頭を冷やさせる意味合いも含まれてるとは感じてた。
でも、このヒトはどうして罪悪感を感じているの?
何故自分の選択を後悔しているような素振りを見せているの?
「必要な事だったんでしょう?」
「あぁ、他に方法が無かった。彼を立ち直らせるには私の導きでも、君から享受する甘やかしでもない...自分の足で、自分の意志で見つけなければならないんだ」
そう言ってリカコはやや高い壁面に備え付けられた大きな画面に映り出す、雨中を駆けるマサヤを俯角から見下ろすヴィジョンを見上げていた。
虚像ではなく、キチンと今現在のマサヤの姿を映し出していると...何となくそう思った。
「街の至る所にカメラを仕掛けて、こういう風に観測を行ってるんだ。主に研究用だが...こうして誰かを追跡する事も出来る。映像は全て“ライブラリ”に回してあるから何時でも見直せるって寸法だ」
「だから、私やマサヤの事を調べ上げられたのね」
「ご明察だ...尤も、“ライブラリ”には深層ウェブとのパイプもあるから、君と彼が邂逅する前にあった曖昧な所はそこから引っ張ってくるんだ。生まれてから死ぬまで、この国に生きる人全てのパーソナルデータが詰まったソコからね。故に閲覧できる人間はこの星で私を含めた数十人にしか与えられていない」
「ふぅん...」
軽く流す素振りを見せながら、その事実に内心私は戦々恐々としていた。
この世界ではそんなものがある?個人の尊厳なんて、所詮は飾りでしかないの?
「全く、難儀なものだよ...こんなモノに頼ってまでヤツらと対抗する術を探さなくちゃならなくなった。この国では昔、戦争してた頃に一億人を火の玉にして敵国にぶつけようって言葉がよく出回ったらしいが、これじゃあ大して進歩してないね」
「なまじ異世界の力なんか手に入れてしまったから、渡り合える戦力に組み込まざるを得なくなったんでしょ?」
「それが政府の選択だからな...あぁ嘆かわしいったらありゃしない!人が考える葦だっていうなら、頼るだけじゃなく自分から何かを産み出してこそだろう!なのに政府は私の主張を黙殺するんだ、耳が痛いからってさ...!」
そう吐き捨てて、手にしたマグカップをぐいっと呷る。
リカコは悔しがってるんだ、私の居た世界から与えられる魔核という力に頼らざるを得ないマサヤの世界と、自分を含めたそこに棲むヒト達に。
だからどうにかしようと藻掻いて足掻いてる、ヒトの力で何かを成そうとして。
「...すまない、少し熱くなりすぎた」
「何かに対して熱くなれること、決して悪いことでは無い筈よ」
「フ...やはり、君はどこでも変わらないようだ。強くあり優しくもあるその性格、お母さんに似たんだろうな」
リカコの語るそれは、私がマサヤに語った事柄から汲み取った私の母のイメージ?
或いは...私がここに来る前から
「お母さんの事、知っていて?」
「私もワケありでね、時が来れば何れ明かすさ...彼が立ち直ってくれればの話だが」
中途半端にその答えをボカして、リカコは再びマサヤの映る画面に目を向けた。
結局、私が何とか彼を自棄にさせなかったのは良かったとしても完全に立ち上がらせるには至らなかった。多少厳しくても、それでまた前を見て歩き出せると言うなら――
…マサヤ、お願い。
私が見込んだ貴方は、ここで終わっていいヒトではない筈なのだから。