【偽典】植物系少女と世界の黄昏【田んぼエルフ】 作:フルフェイスパンケーキ
「27...28、29っ...!!」
……苦しい。
夕陽に照らされながら、街から外れた自然保護公園を端から端まで駆け巡り、『目標』を片っ端から叩き潰して零れ出た赤い球体を回収していく。
分かってはいたが、頭ではなく体を使う事でここまでキツい思いをしたのは何年ぶりだろうか?
足が重い、呼吸が乱れる、さっき水分を取ったばかりなのにもうフラフラする。
「ラスト一体よ、気合い入れなさい!」
「...分かってる!」
でも、止めたいとは...投げ出してしまいたいとは思わなかった。
近くで“俺の知っている言語の”声援をくれるヒトがいる...厳密には人間じゃないけど、オレにとっては紛れもなく“ヒト”である彼女、ラナが。
そもそも、自分から頼み込んだ事だ。こんな程度で音を上げていては話にならない。
そして俺は、草むらに逃げ隠れようとしていた『目標』を見つけた。
姿を見失う前にソイツへ駆け寄り、既に腕で潰しまくった粘液でベタベタになった腕を振り上げる。
「さん...っ」
――――――この一日で最低でも30体の
それが、俺とラナとで決めた第一歩。
「...じゅうッ!!」
振り下ろした拳に僅かな抵抗を感じ、同時にブジュっと瑞々しいモノが潰れるような音がした。
数時間前
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「...マジで日本語、覚えられたんだな」
「えぇ、文法の法則性さえ掴めれば後は慣れね」
まるで元から住んでいたかのように、つい先日まで異世界の言語しか喋れなかったラナが俺と
昨日、俺が地図を広げて頭を悩ませている間ラナは何をしていたかと言うと...日本語の勉強、である。
分かり易い図などを多用した外国人向けの日本語学習用サイトを使って、基礎中の基礎から始めたのだが...正直、とんでもないくらい覚えがいい。本人はあっけらかんと“慣れ”とか言っているが、その範疇はとっくの昔に逸脱してる。
だって...開始十数分でひらがなマスターしてたんだ、彼女。
「私も人のこと言えないわね...根を詰めるなとマサヤに言っておきながら、結局私が一番没頭してたし」
「結局、飯は先に終わった俺が作ったからな...うどん、美味しかったか?」
「ま、及第点って所ね?私はまだ箸の使い方までは会得出来なかったけど......それよりも、本当に
ラナは俺の広げていた地図の一部分、グリグリと何度も丸く囲んだ場所はここから少し離れた自然公園だ。
今、俺たちはアパート最寄りのバス停にいる。
というのも、良さげな場所というのが少々遠めなので公共交通機関を使うのが一番いいという判断になったという一面もあるが...
「まぁ何とかなるだろ...で、上手くいってんの?“擬態”」
「そうね、今のところ変な目線は感じないし」
そう答えるラナは服装こそ昨日と変わらないものの、その姿は今までとは大きく違っていた。
…白磁を連想させるほど透き通った、それでいて俺達人間の内の一人と言われて通用する肌の色。
いつもの髪色とはまた違った艶やかさを思わせる黒髪。
何よりもその髪に混じって頭頂に咲いていた花が見当たらない。
――――――人前に出るなら、“人に寄せた姿”の方が良い筈よね。
今朝、外へ出る前に彼女がそう口にすると途端に頭頂から爪先に掛けてみるみる変わっていった姿を、俺はきっと一生忘れる事は無いだろう。
ラナから聞いた話によれば...【アルラウネ】という種族は元来人を惑わせて捕縛し、自らの養分にする生態をとっているらしく、人間と瓜二つな姿になれる“擬態”はアルラウネにとって造作もない事らしいそうだ。
尤も、彼女は生まれてこの方故郷である森の外へ出た事がないので人間相手に“擬態”するのは今回が初めてらしい。
……いや、初めてでこれかよ
「すげぇよな、ほんと」
「褒めても訓練カリキュラムは減らさないわよ」
「へぃへぃ...お、バス来たな」
「あれがバス?...成程ね」
別にそういうつもりじゃなく、純粋な感嘆の意を込めた言葉だったんだがな...と、言おうとした所で目的地へ連れて行ってくれるバスがやってくる。
何時もの慣れた様子でいる俺とは裏腹に、身を行く車の中で一際大きな車両に対し何処か納得した様子のラナ。
一応説明とかはある程度しておいたので、下車する人が居なくなったのを見計らってから互いに難なく乗り込んだ。
〇✕〇
「...なあ、ラナ」
「なぁに?」
「ラナってさ...俺から見れば割と天才寄りだと思うんだけど」
バスに揺られる道中、少々思うところがあった俺は隣に腰掛けるラナに問い掛ける。
「どうしてそう思うの?」
「だってさ、
率直に言う。
もしラナと同じように、突然何から何まで今までとは全く違う世界に飛ばされたとしたら?
ラナやスライムのような異世界の存在の到来に伴い、この世界の常識が何れ崩れさる運命にあったとしても、生まれ育った世界で生きる限りは...まだ受け入れる事が出来るかもしれないとも思えた故に沸き立つ、疑問。
右も左も分からないまま、死んでいた事だって有り得たかもしれない。
運良く最初で生き残ったとして、その先も安泰な一生を送れるかどうかも定かではないのだ。
「...“ありとあらゆる物事には終わりが有る。喜びにも悲しみにも、それは等しく訪れる...”」
だが、そんな思考は唐突に彼女が口にした言葉で緩やかに遮られる。
「え...?」
「私のお母さんの言葉。“どんな苦しい事があっても、どんなに辛い事があっても永遠にそれが続くことは無い。受難は必ず終わる日が来るのよ、ラナ”...ってね、そう私に何時も説いてくれた、私はそれを“諦めないで”ってメッセージだと思って受け止めてる」
目を細めて懐かしむ様に、ラナは母親が語ってくれたという言葉をなぞる。
優しくも力強い、その言葉。
ただの文字の羅列であり、本人から直接語られた訳でも無いのに...心の中で僅かに揺らめいた不安を押し退ける、暖かな感触となって染み渡っていくのが分かった。
「...いい、お母さんだな」
「えぇ、でもお母さんがくれたのは言葉だけじゃない...私の知識や技術の全ては、お母さんが教えてくれたから。それに、私の住んでいた森の統括者でもあったの...厳密には少し違うけど、ほぼそうだと言って良いくらいには」
「国王とか程じゃないけど...村長とか、町長とか、そういう具合の?」
「そんな所ね...私にとってお母さんは、とても大切で大好きなヒトだった......だから尚更気掛かりになってしまうの、人に危害を加えること無く互いに不干渉を貫いてきた私達が...何故、迫害されなければならなくなったのかを」
窓から外を見るガラス越しの彼女の顔が、幸せな思い出に浸っていたその表情が、仄かに悲しみと混ざる。
昨日見たあの記憶の通り、彼女の故郷は何者かの手によって喪われた。
人間に危害を加えるどころか、進んで人前に姿を現すことすらしない彼女達が、何故そんな目に合わなければならないのだろうか?
「でもね、マサヤ...私はお母さんが生きてるって、信じてる」
「確証とかってあるのか?」
「無い...けど、私をそこまで育ててくれたお母さんがその程度で死んだりする筈がないって...娘である私だからそう信じられる」
「...そういう、モンなのか」
...…生まれながらにして、母親が居ない身には分からなかった。
仕事で忙しくも、夜にはしっかり帰ってきて休日は共に居てくれた親父には感謝はしていても...多分、ラナのような気持ちは抱けない気がする。
それはきっと、親父も死んでしまったから。
心から信じる拠り所となる前に、幼かった俺の元から肉親は皆消えてしまった。
以来、世間から見た俺は
「......羨ましいな」
無意識に小さく口にする。
言ってからその言葉がどういう言う意味を持つのか気づいて、慌てて口元を抑えた。
「どうしたの?」
「し...しゃっくりが、出そうだったから」
「そう」
ラナは素っ気なく返す...先程の言葉を聞かれた様子はない、どうにか誤魔化せたらしい。
危なかった、軽率だった。
誇らしげに“家族”を語るラナの姿に羨望を感じなかったと言えば嘘になるが...
それと同時に彼女が失ったものであることにも関わらず、俺はそれを羨んでしまったという事になる。
もう彼女の母は、友は、故郷は、失われてしまったというのに。
その状況で傷口に塩を擦り込むが如き言葉を、『羨ましい』などという言葉を聞かれてしまったら...
......最低だ
「大丈夫よ」
鼓膜を撫でる優しい声。
後悔に感情を支配される前に、彼女の声がそれを引き止めた。
『大丈夫』とは何だ?
君は余りにも多くのものを突然奪われて、その上で見知らぬ世界へ投げ込まれてしまっただろう?
幾ら母の教えがあったとして、幾ら生き抜ける力があったとして、全く何も問題がない(大丈夫)な筈ないだろうに。
気負わせてしまったのか、またしても。
「...マサヤが望んだカタチでは無かったとしても、私はマサヤの...今の貴方の傍に居るから」
「!!」
違う。
彼女は自分の事を言っているんじゃない。
俺の事を、案じてくれているのか?俺の心を読んだのか?
そんな馬鹿な。
「ラナ、それはどういう――――――」
ピンポーン
«まもなく○○自然公園前、○○自然公園前です»
「…あ」
「あら、着いたの?」
「...みたいだ」
アナウンスが鳴り響く。
言葉の真意を問う前に目的地に辿り着いてしまった。
仕方ない...聞くのは、今日の分が全部終わってからにしよう。
少なくとも、まだ遅くはない筈だ。
△▽△
「ここが自然公園とかいう場所?」
「あぁ、人為的に作られたとは言えども、この辺りでは一番自然に恵まれてるんだ...こんな形で、また来ることになるなんてな」
バスを降り、自然公園へと足を踏み入れた俺達は周囲の人通りがどれ程のものか軽く見渡してみる。
平日なのもあってか、結構少なめだ。
「見たところ居なさそうね、『スライム狩り』」
「流石にスライムの為だけに態々自然公園まで来るなんてよっぽど酔狂な奴だろな」
「全くもって同感よ...で、それとは別にちょっとお願いがあるんだけど」
「お?」
そのままスライムの居そうな場所へ直行するかと思えば、不意にラナが何か言いたげな様子で呼び止めてくる。
「折角この場所に来たにも関わらず、スライム倒して終わりじゃやってる事『スライム狩り』と変わらないんじゃない?私はそう思うわ」
「あ?...うーん、言われてみればそんな気がしなくもないっていうか」
実際、ここまで来てスライム倒して帰宅...なんてのはちょっとどうかと思う節はある。
何時か来るであろう『その時』への準備に割ける時間は限られているとしても、急ぐ事と焦る事とはまた別だ。
無論、現段階から根を詰めた特訓を組んでも最後まで持ち堪える気がしないのも少なからずあるけど...
ともあれ
「俺で良ければ案内する。見たところ昔と大きく変わってないようだし」
「ふふっ...エスコート、お願いね」
「んな大層な」
「...この花も、私の世界と似たようなものがあった気がする」
「これもか?」
柵から少し身を乗り出して花畑を見渡すラナの横で、俺はその様子を眺めていた。
最初、『この世界にも色んな種類の植物があったりするんだ』とラナに説明しようと思っていた。
しかし、花壇に花をつけた植物を見たラナが見せた驚愕の感情は、異世界における未知との遭遇のそれではなく
――――――私の世界にあった花が、どうしてここに
存在しない筈の既知に対するものだった。
そう言えば、“
ちょっとした自然公園巡りは、この出来事によって予定が若干狂った...と言っても、俺が案内した先々で見かける植物の類をラナがその目で確かめていくという、なんとも不思議な形になっただけだが。
「でもさ、ラナ...自然公園に来る前は街路樹とか見てそういう反応しなかったじゃん、それは何でだ?」
「うーん...多分、まだ私が未熟である事も大きいと思う」
「未熟?知識的な面でか?」
「知識も技術も両方よ。未来の為にも学ぶべき事は山ほどあるわ」
「未来って...あっ、そうか」
バスの中で彼女と交した話。彼女の母親が、住んでいた森を統べるような存在であったと語られた事を思い出す。
彼女がその娘であるなら、何れその後を継ぐに相応しい器となる必要があるという事。
彼女はその為の努力をしている真っ最中だった...と考えるのが自然か。
「現に私は花々とかは兎も角、何も無いところから蔦や潅木のようなモノしか形而下させることが出来ないし、お母さんはその気になれば数時間で大陸一つ位植物ですっぽり覆い尽くせるから。私なんてまだまだよ」
「いや、ラナのお母さん滅茶苦茶過ぎ...てか“植物の形而下”って何?昨日スライムぶち抜いたアレみたいなヤツか?」
「そうね、私の中にある『
「ごめん なにいってるか わかんない」
「...むぅ」
「いや悪かったって」
頬を膨らませてムッとした表情になるラナ。熱中すると早口になるタイプなのね、キミ。
とりあえず、彼女を宥める方法を何か...
…くぅ
腹の虫。
ラナから聞こえた。
「あ」
「なんだなんだぁ?今のはなんの音だー?」
「...これは、その......ぅ」
ちょっとからかってやるとあら不思議。膨れっ面はあっという間に赤面へと変わり、彼女は俯く。
思いっきり聞き取れちゃったもんな、そりゃ恥ずかしいに決まってる...まぁ、俺はあんまり気にしてないけど。
でもって、腕時計で時間を確認してみる。
短針は真上から僅かに右に逸れた所を指していた。
「んー、もう12時過ぎてたのか...飯にするか」
「出るの?公園から」
「いや、確かこの自然公園にはちょっとしたカフェテリアが入ってたはずだ。最後に来た時もあそこのサンドイッチ美味かったから、ラナも気に入るんじゃないか?」
「そう...早く行きましょ」
素っ気なく返そうとしても、その目線がキラキラと期待に満ちて輝いていたのは誤魔化しきれないぞ。
現在
//////////
「お疲れ様、これ飲んで」
「ん?...あぁ、サンキュ」
ベンチに座る俺はラナから差し出された水筒を受け取り、口にする。
中身は紅茶っぽいが...くどさも添加物も一切使用していないラナ特性のオリジナルティーだ。
最初は他人の家で何勝手に栽培始めてんだと思ったものだが、こうまで美味いものをお出しされれば逆にこっちが申し訳なくなってくる。
「んぐ、ん...ぷはァっ...あー生き返るー...生きてるよ俺、うん」
「大袈裟ねぇ...まぁ、初日だしアクシデントもあったしで、マサヤも中々に大変だったでしょうから分からなくもないわ」
...今日の訓練はもう、散々の一言だった。
昼食を済ませ、ラナの案内をしながら自然公園を緩く探索してからスライムが居そうな奥地に行くと...そこは正にスライムの楽園とでも言うべき場所と化していた。
厳密に言えば、少しばかり開けた広場になっている場所にスライムがゴロゴロ点在していた訳だが。
そもそも、前来た時あんな広場あったっけな...
まぁ、なんだかんだで『ツイてる』と思っていた矢先である。
――――――「オラオラオラァ!スライムハンターのお通りだァ!道を開けやがれぇ!!」
なんということでしょう。
見るからにヤンキーとか、そういう類の酔狂な奴ら(スライム狩り)がなだれ込んできて虱潰しにスライムを叩き潰して魔核を奪い去り始めたではありませんか。
なんということをしてくれやがったのでしょう。
ふざけんなバーカ。
大人数の若者が寄って
しかも若者の内の数人は俺の通ってる高校の制服を着てる連中も居た。
多分、学級崩壊が頻発してると噂の下級生だろう。
で、結果的にどうなったかと言うとスライムは全滅......はしていなかった、一応。
ただ『スライム狩り』が殺り損ねた生き残りが自然公園の各地へ散っていった事で、難易度がとんでもなく跳ね上がったワケで...
結局俺達は、血気盛んな若人達によるスライム殺戮パーティから離れて逃げ仰せたスライムを潰していく事にした。
そして何とかノルマを果たした頃には日が暮れそうになってる時間帯になってしまった...という今に至る。
「いやもう...こんな事になるなら、スライム潰し終わってから公園案内すりゃ良かった」
「過ぎたことを悔やんでも仕方が無いわよ...ま、マサヤにエスコートされるのは悪い気分じゃなかったわ」
「そう言ってくれると、ホントに気持ちが楽になって来るなぁ...あーお茶美味い」
相も変わらずラナのフォローは五臓六腑に染み渡る。特にこんな酷い目に遭った後なら尚更の事。
不覚にも目尻が熱くなりそうになるのを水筒を勢いよく煽る事で誤魔化す。
あぁ、それはそうと潰したスライムから回収した魔核はラナに預けてある。
彼女の腰に下げている丈夫な葉を編んで作った(本人談)特製ハンドメイドポーチは30個の魔核でパンッパンだが、破れることはまず無いだろうし。
「それにしても、こんな感じだと先が危ぶまれるわね...」
「だな、俺も考えが甘かったっぽい」
「この様子だと他に目星をつけていた所も同じような状況と考えて良いでしょうし...ちょっとノルマを減らしても、今はまだ問題は無いかしらね」
「どうだか...ま、戻ってからまた一緒に考えればいいだろ」
そうだ、今日はまだ一日目。
また別のプランを練ればいい、それもダメだったらまた別の案を考えればいい。
......ふと、ラナの方に視線をやる。
オレンジ色の夕陽に照らされて、艶やかな肌が一層綺麗に輝いていた。
…やっぱり、まだ慣れない。
養子である事から独立して一人で生きてから早三年、過ごす環境が大きく変わったとして、三年もすれば身の回りのものに対する考え方は大きく変わっていく。
親父すら失った俺を、義理であっても家族として迎え入れてくれた人達が居ない寂しさも徐々に薄れ、孤独である事に慣れていく。
だから自分の隣に、傍に、誰かが居るという感覚がムズ痒い。
決して不快感という訳では無いが、純粋に落ち着かなくて...と言うか昨日出会って今日早速行動に移せてる時点で俺自身もどうかとは思うが。
ふと、茜色の瞳がこちらを捉えた。
「...どうしたの?私の顔なんかジロジロ見て」
「な...なんでもない」
「ほんとーにぃ?」
目を細めてニマニマと彼女は笑いながら俺を見てくる。
疑るような、揶揄うような...そして楽しんでいるかのような、その表情。
…ドキッと来た。
顔が首元からカァァッと熱くなっていくのが分かる。
不味い、今俺の顔見られるのは不味い。
急いでそっぽを向く。
「だっ、だからその目やめろ!なんか、なんか後ろめたくなるから...!」
「あら?別に恥ずかしがる理由なんて無いでしょ?」
「は、ははは...恥ずかしがってなんかッ!?」
自分でも信じられないくらい心音が煩くなる。
焦って舌が回らない、声がどもる。
なんで、なんで急にテンパってるんだ俺...!?
兎に角落ち着くんだ、落ち着いて呼吸を整える所から始めろ、言い訳なら後から考えて――
「...ほら、顔真っ赤じゃない」
「ほ、あ...ぁ」
突然視界に割り込んでくるラナ。
無邪気さの中にほんのりと妖艶さを感じさせる笑みが向けられて、今度こそ逃げ場が無くなった。
恥ずかしさが許容範囲を突き抜けて途方もない脱力感を憶え、ガクリと肩を落とす。
「わざとかな、わざとやってんのかな...」
「何言ってるのよ、全部マサヤが勝手に恥じらった結果の産物じゃない。あと昼の時のお返しも兼ねてるけどね」
「...グウの音も出ません、ハイ」
あぁ、でも...
このなんとも言えない距離感は。
「......悪く、無いのかも」
家族ではなく同居人。
出会いも、関係を築くことになった発端も
互いに軽口を叩き合いながらも尊重し合い、共に思い悩みもする。
好きとか、嫌いとか、そういう簡単な言葉では片付けられそうにない感情...
バスの中で、ラナの言っていた『傍に居る』という言葉の真意を問う必要は、多分もう無くなっていた。