【偽典】植物系少女と世界の黄昏【田んぼエルフ】 作:フルフェイスパンケーキ
「つぁッ...はぁ...ッ、漸くここまで来れた...」
走る事十数分、やっとの思いで俺は姉さんの家がある通りまで来る事が出来た。
道中の緑小人...ラナ曰く“ゴブリン”は可能な限り無視するか、勘づかれて追いかけられてもそのまま振り切るかの二択を基本として戦闘に入るのはどうしても振り切れない場合のみに留めたつもりではある。
...だと言うのに、『最小限の戦闘』で俺はかなりボロボロにされた。
一刻も早く辿り着かなければならない状態での戦いは、基本的に足を止めることなく走り続けている状態で繰り広げられる。素手は勿論の事、何かしらの武器が必要なのは先の戦いで証明済みだ。
リーチの長さを優先した結果、今度は逃げ損ねた車が正面からぶち当たってへし折れた小さめの道路標識を武器として使用。その判断はこうして切り抜けられた事で結果的に正しいものとなる。
しかし、問題なのは激しい戦闘で標識は徐々に損傷し、今はもう俺の握り手部分から20センチメートル程度の長さを残したポール部分のみとなっていた事だった。
背負っていた学生鞄も戦闘と逃走の最中で紐が千切れてしまい、何処かに落っこちた事で紛失している。
今度ゴブリンの集団が襲って来ても、乱雑に振り回すだけで複数体巻き込んで吹き飛ばせるような戦い方は出来ない以上苦戦は必至だ。
「けど......何でだ?」
生まれる違和感。
姉さんが助けを求めるのではなく『ごめんね』と伝えたのは間違いなく自分がもう助からない状態に置かれたからと...
なのに、この周囲には人っ子は愚かゴブリン一体すら見当たらない。
「どうなってる?もう移動した後...だとしたら」
今この辺りに居なくても、家の周辺にゴブリン共が残っていたなら姉さんを襲っているかもしれないし、仮にそうでは無かった場合...姉さんが上手い具合にやり過ごしてくれた事を、祈るしかない。
どの道、先急ぐ以外に道は無かった。
×××
「......何も無いまま、辿り着けちまったぞ...?」
結局、一度として会敵すること無く風原家の玄関まで来る事が出来てしまった。もう既に、何もかもが手遅れだったのか?
いや、それは多分違う。
仮にゴブリンが来たとすれば無理矢理家の壁に穴でも開けて侵入してくる事は想像に難くない。
しかし...まるで
…...どうなってる?
窓から中を伺おうとしても、カーテンに遮られてそれは叶わない。
照明が点いている様子も無いから、この家には誰も居ないと思わせてやり過ごしているのか?もしかしたら家には居ないのかも...
「...ドア、開きっぱなしだ」
が、その希望的観測の片方が呆気なく消えた。
ゴブリンが
嫌な予感が薄れるどころかどんどん膨らんでくる。
やはり、あのメッセージを俺が目にした時点で姉さん達は...
それでも、行くしかない。
俺は、家の中へと足を踏み入れた。
暗い。
物音一つ聞こえて来ない。
だが...玄関口に姉さんや義父さん達の靴がキチンと揃った状態で置いてある事から、この家に居る可能性は依然としてかなり高い。
そして、ゴブリンと死闘を繰り広げた時やここまで走って来た時にも幾度となく嗅覚が捉えたあの臭い、思い出すのも忌々しく感じる
もしかしたら...もしかしたら、無事なのか?
あのメッセージを送って来た時は死んでしまうかもしれない状況に居たが、身を潜め続ける事でゴブリン共を捲く事が出来たとでも?
安易過ぎる考え。
甘ったれた見通し。
だが思い出す、ゴブリン共に知性を伴う行動があったか否かを。
ゴブリンは人を見つければ襲い、喰らう。
近くに人が居なければ探して、喰らう。
だが...食事を中断してまで喰らいたいと思えるような女の子(新鮮な肉)が近くに居たにも関わらず、その子がコケるまで気付く事ないまま夢中に死肉を貪り続けていたあの様子を思い返す限り、決して頭がいいような印象を受けることは無かった。
…あくまでも憶測の域を出ることは無いし俺でも思い付けないが、敵に知性が足りない事を考えればやり過ごす術も少なからず存在する筈。
姉さん達が偶然取った行動が、それに該当してくれたならば。
一歩、また一歩、何処の誰とも分からない何かに対して祈るような心境でリビングルームに繋がる扉へと慎重に近づいていく。
緊張に早まっていく自分の心音と呼吸音、ギシリと自分の歩みが床を軋ませる音とを除いて他の物音は一切ない。
まるで地獄のような外から世界ごと切り離されたかのように、ここは静寂に満ちていた。
そして、ドアノブに伸ばした手が届く。
――――――頼む、無事でいてくれ。
そう念じながらゆっくりとドアノブを捻り、内に開ける。
何かが突然襲いかかってくる、という事にはならなかった。
相も変わらず無音のまま、緊張感が広がっていくだけ。
部屋の中は、相変わらず暗い。
「...姉さん、いるのか?」
返事はない。
ソファにも、テーブル周りにある席にも、人影ひとつ見当たらなかった。
きっとどこかに隠れているに違いない。
そうであってくれ。
「義父さん、義母さん、無事なのか?...俺だ、正也だ。助けに来たんだ、だからもう―――」
――――――ごとり
「っ!」
ある程度の高さから重い何かが床に落ちたような、そんな鈍い音。
多分、出処は台所から。
息を殺し、身を屈め、いざと言う時はすぐにでも相手をブチのめせるようへし折れた道路標識のポールを固く握る。
そして、台所を仕切る収納器具と一体化したカウンターまで辿り着いた。
物影から顔を出せば確実に見える、音の正体。
弾け飛びそうな程高鳴る心音を落ち着かせるために深く息を吸い―――
「―――――!!!」
意を決して身を乗り出す。
「..ぁ....あぁっ!?」
そこには、地面に倒れ伏す姉さんの姿があった。
「姉さん!姉さんッ!!」
近くに敵が潜んでいようがいまいが関係ない。
走り寄って姉さんの肩を掴み、大きく揺さぶった。
しかし、一向に目を覚ます素振りを見せてくれない。
呼吸音もはっきりと聞き取れず、気絶しているだけなのかどうかすら怪しかった。
…脳裏を過る、『死』の一つ文字。
「なんだよ、何があったんだよ!姉さん!!...どうなってるんだクソッ!!」
焦り、恐れ、戸惑い、色んな感情を吐き出すように悪態をつく。
急いで周囲を見渡しても敵は相変わらず姿形も捉えられない。
ふと、近くの床に画面が灯ったまま転がるスマホを見つけた。
「このスマホ、姉さんの...」
手を伸ばそうとして、その画面がよく使っているアプリのメッセージ入力確認画面だった事に気付く。
…文章を送ろうとしてか、途中まで書かれた形跡がそこにはあった。
「...“もういない”?」
変換も入力も途切れた文章の先が、自然と俺の中でそう繋がる。
…言っている事が、言おうとしていた事の意味が分からない。
なら今地面に倒れている姉さんは何なんだ?姉さんは姉さん一人しか居ないじゃないか。
「俺に何を伝えたかったんだ...一体、何を...?」
ますます混乱していく頭で必死に物事を考えながら、改めて姉さんに視線を移す。
…その体が、ぴくりと萎縮する。
「!!」
動いた。
見間違いでも、俺の腕で揺り動かした訳でもなく、確実に。
生きてる...姉さんは生きている!
でも、安心するより先にやるべき事がある。
まずは助け起こすこと、意識が戻った後は可能なら義父さん達の事も聞き出す。
それが全部終わったらラナが来るまで待とう。
「姉さん、しっかりしてくれ!もう心配ないから、だから...!」
ゆっくりと立ち上がる姉さんの体を支え、助け起こす。
ただでさえ暗い室内の上に髪の影に隠れているせいで顔は確認できないが、命に別状があるような外傷の形跡はない。
ゆっくりと、陰る顔がこっちに向けられる。
俺の事を分かってくれたようだ。
「良かった、...心配したんだ、本気で。もし姉さんの身に何かあったらどうしようかっ――――――」
だらんと垂れていた姉さんの左腕が、唐突に大きく揺れ動いた。
次に、俺の首から軽い衝撃が伝わる。
「...ぇ?」
下げた視線に映る、俺が抱えた姉さんの振るった腕。その手が掴むもの。
…俺に突き刺さる、包丁の柄。
コプッという水音が喉元から鳴る。
「げ、ほ゛...ごぶっ!?がッあ゛...?!」
刺されたことを自覚してから、痛みを感じる。
焼けるような痛みを振り払うが如く、強引に姉さんごと包丁を引き抜いて突き飛ばした、赤黒い液体が喉から吹き出て辺りを大きく穢す。
突き飛ばされた姉さんは再び地面に崩れ落ちるが即座に起き上がった、まるでビデオを逆再生するような...生物が出来るわけが無い動きで。
「ぁ゛...ね゛ぇ、ざ......な゛んで、っ...!?」
「......」
何故、という問掛けに反応してか、黒い影に隠されていた姉さんの顔が地面に転がるスマホの光に照らされて...
顔、なくなっていた。
目が、鼻が、口が、影も形も見当たらない。
それらの代替として機能するかの如く、無造作に穿たれたような...黒い何かで満たされた孔が俺に向けられる。
陰っていた顔は、影で隠れていただけではなかったのだと。
「う、そだ...そんな......」
喉の痛みは少しずつだが消え始めていた。
流れ出る血もかなり治まりつつある。
…しかし、身体的な部分ではない致命的な『何か』を散々に弄ばれて握り潰されたような感覚が全身を駆け巡る。
「姉さ――――ぐっ!!」
もう一度呼びかけようとした矢先、姉さんが包丁を構えて突っ込んでくる。
急いでその場から身を逸らして離れるとすぐ後ろにあった乾燥機へ突っ込んで、立て掛けてあった食器類が盛大に割れた。
しかし、姉さんはそれをものともせず俺に向かって包丁を振るう。
飛び下がるも避け切れず、頬が切り裂かれた。
「うッ...!」
傷口から血が赤い線を描いて滴る。顎に線が届く頃にはまた傷口が塞がっていた。
…ゴブリンの魔核で飽和に近づけたから、傷が勝手に治ってるのか?
「...」
ピタリと動きを止め、表情すら無くなった姉さんが見つめてくる。一定の距離内に近付かない限りは攻撃してくる気配は無さそうだが...
喉を突き刺し、頬を裂いた事ですっかり赤く染め上げられていた包丁とそれを握る手を見て、俺の表情が苦悶に歪むのを感じた。
――――姉さん、料理人になる夢叶えたら...また飯食いに寄っていいか?
――――いいよ。まずはレストランで経験を積んで、何時か自分の店を開けたらなって思ってるから。
――――そっか...楽しみに待ってる、絶対叶えてくれるってさ。
思い起こす、誕生日パーティーが終わって帰る時のやり取り。
嬉しそうに夢を、料理人になって美味しい料理を作りたいと語ってくれた姉さん。
俺が小さい頃、まだ親父が生きてた頃から語ってくれた夢を、俺は心の奥底から応援していた。そして姉さんならきっとそれを叶えられると信じていた。
......だが、今の姉さんの姿は夢を叶えるために努力していた時の面影など微塵も遺されていない。
美味しい料理を作る筈だったその包丁は、嘗て家族として迎え入れてくれた俺の血で彩られている。
「姉さん...駄目だろ、そんなの......美味しい料理作るって言ったじゃないか!自分の作った料理で誰かを笑顔にできるのが楽しみだって言ってくれたじゃないか!何が...誰が姉さんをそうさせたんだよ!?」
叫ぶ。
届かないと分かっていても、吐き出さずにはいられない。
何故こんな事をするのか、何が働きかけてこんな事をさせるのか。
「駄目なのはキミの方さ」
「な...?!」
「客人は客人らしく振る舞わなきゃ、マナーがなってないよ?」
少年のように若々しく、果てなく冷たい声が誰も居なかったはずの食卓から聞こえた。
何かが、椅子に座っている。小柄だが外で見かけたゴブリンのような緑の肌を晒した小人ではない、人と似た姿をした上で礼服のような衣類と共に身に纏う雰囲気からして、明らかに人の域から乖離していると言わざるを得ない存在がそこにいる。
…こいつが。
...お前が。
「お前が...姉さんをこんな風にしたのか!?」
「ん?姉さん?...あぁそうか、キミだったのか...
言葉の一つ一つが俺の精神を逆撫でにする。
駄目だ、今ここで怒り狂えば相手の思う壺だ。
冷静に物事を考えなければ...
…だが、抑えようとしても湧き上がってくる激情がそれを跳ね除けていく。
山ほどある問い詰めたい事よりも憎しみが先走っていく。
「でもね、もう...」
背を向けていた何かが、ゆっくり俺の方に向いた。
一切の光を通さない大穴の開いた顔。目も無ければ鼻もないし、声を発している筈の口もない。
ただ、大きな大きな闇が顔一面広がっていた。
姉さんと、同じように。
「お姉ちゃんは、僕のものだ」
穴が歪む。
俺の事を、面白可笑しく嘲るように。
頭の片隅で、何かが切れる音がした。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
手にしたポールの断面を頭に突き立てるべく、勢いに任せて走り出す。
こいつは、こいつだけは許せない!!
――――――――――――――――――――――――
file■-
――――――――――――――――――――――――