≪Review by Asuka≫
“21グラム”と聞いて、人は何を思い浮かべるだろう?
アスパラ一本分の重さ? 五百円硬貨三枚分? 昨日から増えてしまった体重?
20世紀初頭にアメリカのとある医師が発表した説によると、21グラムとは魂が持つ重さなのだという。
その医師は今際の際にある患者の体重の変化を記録することを試みた。そして死の瞬間の前後で、呼気に含まれる水分や汗の蒸発とは別の
不可解に失われたその重量が21グラムであり、彼はそれが魂の重さだと考えた。死ぬことによって人間の肉体から魂が離れ、21グラム体重が減ったのだと。この説が発表されるや否や、世間では大変な議論が巻き起こったそうだ。
20世紀初頭というのは、科学とオカルトが交じり合っていた最初で最後の時代なのかもしれない。
インターネットは勿論のこと、テレビも無く、ラジオ放送さえもまだ始まっていない時代。電話の利用は始まっているが、情報を得る手段はほとんどが新聞か伝聞。
生活の中に導入され始めていた科学は、学のない人間には魔法のように思えただろう。眉唾物の噂話が一人歩きして、都市伝説化していくのも容易に想像できる。
かと思えば、魂21グラム説が唱えられる二年前には特殊相対性理論が発表されたり、量子論についての研究もすでに始まっている。
そんな時代で起こった21グラムについての議論の行方だが、現代人が良く知るように――いや、現代人が良く知らないように、と言うべきか――結局はただの似非科学と断ぜられて、今ではもうオカルト愛好家と一部の映画好き以外に注目されることはない。
ボク自身、先日のライブで志希が口にしなければ、こんなオカルト話を思い出すことは無かっただろう。たしか、小学校の図書室にあった子供向けのオカルト本の中の一ページが、このテーマについてだった。当時は「へぇ~」と多少の興味を引かれた記憶があるけれど、今となっては流石に荒唐無稽なオカルト話だと思う。
しかし、それはそれ、これはこれ。中二病学的見地から見ればこの説には浪漫がある。
まず、“魂”なんてそもそも実在性からして怪しいのに、存在していることを前提にしていること。さらに、見たこともない魂に重さがあるという仮定を立てていること。そして、ある意味でシンプルだけど倫理的に問題のありそうな方法で、その重さを計ろうというところ。どれをとっても、科学の恩恵を受けまくっている現代人からは普通は出て来ない発想だ。
21グラムあれば何ができるだろう? ちょっと探してみた。
マイクロSDカードは一枚あたり0.4グラムだけれど、現時点では最大で1テラバイトの容量のものが存在するようだ。マイクロSDカードを21グラム分というと、約52枚になる。つまり21グラムあれば52テラバイトの情報を記録することができるということ。途轍もなく膨大なデータ量だ。なるほど。これだけのデータ量があれば、人間を人間たらしめる全ての情報を記録することも不可能ではない気がする。まぁ、実際に出来るとしても、マイクロSDに魂は入れたくないけれどね。
質量エネルギーというものもあった。ボクが学校で習うのは数年先になるのだろうけど、小説か漫画で見たことがある。相対性理論の中に出てくる方程式『 E=mc^2 』が示す、質量とエネルギーの等価性のことだ。この方程式をちゃんと理解することなんて 今のボクにはできないけれど、雑に言えば、質量が失われるときにはエネルギーが発生する、というようなことを意味しているらしい。たとえば、1グラムが消えてエネルギーに変換されたとすると、約90テラジュールの熱量になるのだと。こう書いてもよく理解らない。でも、その熱量は長崎型原爆の破壊力とおおよそ同じ、と聞くとその凄まじさが理解る。つまり、もし21グラムの魂がエネルギーに変換しやすい性質のものであった場合、21回の原爆魔法が……いや、流石に不謹慎だな。ともあれ、魂を削って大きな力を発生させるという設定は、実に中二的で美味しいと思う。
魂の重量を計る試みが成功していたのか否かについては、今ではもう分からない。少なくとも彼の測定方法には杜撰さがあって、現代ではそっぽを向かれているというのが現実だ。でもそれは、魂に重みがないことが証明されたということではないし、魂の存在が否定されたということでもない。
脳が作る性格とか理性だとかとは異なる
案外、科学が発展していけばすんなりと解明されたりするのかもしれない。
アイドルになる前、ボクは魂の存在なんて信じてなかった。いや、その実在性について深く考えることさえなかったという方が正確か。
でもボクは今、魂は存在すると直感している。
蘭子と出会ったからだ。
蘭子と出会った日に震えた、ボクの中の
この不思議で素敵な感覚を、仲が良い、とか、相性が良い、なんて言葉で済ましたくはなかった。
≪Review by 蜈?ココ蠖「≫
天界においては誰かに命令されることは一切なかったため、天使たちは皆好き勝手に過ごしていた。
その代わり、ただ1つだけルールがあった。それは『セカイ線を崩壊させてはいけない』というルールだ。
天使がセカイ線に干渉を行うと、そこでセカイ線は分岐して新たなセカイ線が生まれる。通常は引き続き観測を行いその新たなセカイ線を確定させるのだが、観測をせずに、天使がセカイ線の中に侵入することがある。それはつまり、3+1次元の空間により高次元の存在である天使が割り込むということであり、それによって生じた歪みは新しく芽吹いたセカイ線をあっけなく崩壊させてしまうのだ。
崩壊させられたセカイ線に存在していた全ては、どうやら崩壊を齎した天使に吸収されるようで、直後の天使は明らかに生命力を漲らせていた。
しかし、その無法者の天使もすぐに罰を受けることとなる。天使よりも更に高次の存在がどこからともなく現れ、まるで象が蟻を踏み潰すように、圧倒的な力によって天使を消滅させるのだ。他の天使がセカイ崩壊を起こす瞬間は何度となく目撃したが、例外なく高次存在は現れ、極刑を与えた。
それゆえ、セカイ線を崩壊させようなどという輩は、死期が迫り一か八かの賭けに出たか、狂っているか、自殺志願者のいずれかだった。
ほとんどの天使にとってセカイ線やその内側の生き物は、玩具か実験動物のようなものだったようで、セカイ崩壊が起こっても皆あまり気にしていないようだった。しかし私にとって、セカイ崩壊はとてもおぞましいことだった。セカイ線の内で暮らす彼らは存在する次元と出来ることが違うだけで、実際には天使と本質的な違いはないと考えていたからだ。彼らにも天使のものと変わらない魂があった。おそらくは肉体を持っているかどうかの違いしかない。天使とは、肉体を持たず“魂そのもの”になった存在なのだと思う。
天使が絶対的な能力を有しているのは、己自身を、つまり魂の力を自在に扱えるから。
セカイの内側の彼らも、魂の力を操ることが出来さえすれば、天使と同等の存在になれるはず……。私はそう考えていた。しかしこの考えには、彼らが魂の力の扱い方を身につけるのはほぼ不可能だという問題があった。
干渉によってその方法を教えてやることは極めて難しい。天使は生まれながらにして魂の力を引き出すことは出来るが、その感覚は余りに曖昧で教えられる類のものではない。身も蓋も無い言い方になるが、出来て当たり前だから出来るだけ。人間が教えられるまでもなく、また意識することなく、呼吸が出来るのと似ている。呼吸の仕方を知らない者に対し、どれだけ丁寧に呼吸の仕方を説明したとしても無駄なのだ。
彼らの中にも稀に魂の力を引き出す者はいた。しかし、それは偶発的に起こった一回限りのまぐれであることがほとんどで、しかも本来のポテンシャルからすれば極めて小さな力だった。
その