≪Observation by Asuka≫
ひょっとすると、今日このときのためにボクは全てを捧げてきたのかもしれない。
手を伸ばせば届く位置にいる蘭子。彼女がボクを見て微笑む。ボクも負けじと笑みを返す。
ダークイルミネイト。ボクと蘭子によるデュオユニット。
十日前、上からの命令という形で急遽結成することになったユニットだが、それは最高のものになる予感があった。寧ろ、今まで蘭子とユニットを組むという発想が一度も浮かばなかったのが謎だった。ダークイルミネイトこそが、ボクとPが運命に叛逆した末に辿りついた未来なのだ、とさえ思っている。
ものの数日でダークイルミネイトの新曲が用意されたのは、常務が後ろ盾になっているからだろう。
そして特訓を経て、今この場所に臨んでいる。このステージは、ボクがこれまで乗り越えてきたどのステージよりも困難なものになる。そんな確信がある。どんな些細なものでもミスがあれば即座に終了されるだろう。今日のオーディエンスの目は、間違いなく、世界で一番厳しいから。あと、厭味ったらしいし、容赦も慈悲もないし、それに何より、ボクのことをとにかく嫌っているから。
だからといって怯んだりしない。目に物見せてやる。
「「――!」」
伴奏の開始に合わせて歌い始めるボクと蘭子。コンマ一秒のズレさえもないリズム。ボクたちの歌声の完璧なユニゾン。
イケる!
この感じ、最高の一回になる。どうだ!? これが特訓の成果だ! その目にとくと焼き付――
「ストップ」
――なにっ!?
「ストップ。ストップよ。早く音楽を止めて」
「あっ、は、はい……っ!」
ルーキーのトレーナーである青木慶さんが、手にしていたリモコンを慌てて操作する。
スピーカーから流れていた音楽が止まり、ステップの途中だった足先が接地した瞬間の、キュ、という音が、レッスンルームに物寂しく響いた。
ズカズカと、ボクへと迫ってくる人物がいる。神崎Pだ。ボクたちの最高の
「ハァ~~~」
不機嫌さを隠そうともしない盛大な溜息を吐きつつ、性悪女は尚も近づいてくる。ボクだってウンザリなのだが?
ボクのパーソナルスペースを侵し、無駄に形の良い胸があと一ミリでボクに触れるというところまで接近してくる。オマケに鼻先も一ミリのところまで寄せて、所謂ガンを付けてくる。並外れた美人のキレ顔は、率直に言って凄い迫力だ。ボクは慣れているけど、普通の青少年なら泣き出しても不思議じゃない。いや本当に。
「三日前から何も進歩していないじゃない。一体どういう了見? 貴重な時間を使って何をしていたのかしら? もしかして貴女、無駄な努力をするのが好きなタイプの人間?」
は? うるさいな? 一歩だって引いてやるものか。
「歌もダンスも、三日前とは違って、トレーナー陣から合格判定を貰っているんだが? それをサビに入る前に止めるなんて、キミの目は節穴なのかな? あぁ、もしかして老眼かい?」
こちらもガンを付けながら、言い返す。
直ぐ近くで「あわわわ」という可愛らしい鳴き声がして、その向こうの壁際では慶さんが「ちょっとPさん止めないと!」と慌て、そして「もう少し様子見で」とPがヘラヘラ言う。フン、望むところだ。
「いや、まずは何が気に食わなかったのか言ってくれないか? 個人的には完璧だったんだが?」
「あら、言われないと分からないの?」
「チッ……。言葉を介さず理解しあえるなんて幻想さ。もっとも、幾ら言葉を交わそうと理解り合えない人種はいるけどね」
「……なら言ってあげる」
顔を離し、ガンを解いた神崎Pは、しかし、嘲るような目をボクに向けながら続けて言う。
「曲を貰ってからもう五日経つし、優秀なトレーナー陣に指導してもらっているのだから、歌もダンスも出来て当たり前なの。それをドヤ顔されても、正直滑稽でしかないわ」
「それで愚弄したつもりかい? ボクは安い挑発には乗らないよ」
「フン……二宮飛鳥。貴女、本当は気付いているんでしょう?」
「何の……ことだ……?」
「自分が蘭子のパートナーに相応しくないということよ」
「……!」
ドキっとした。それは考えまいとしていただけで、図星というヤツだったのかもしれない。
「歌とダンスが完璧であることに越したことは無いわ。でも、そんなことよりももっと重要なことがあるの。蘭子の“力”を妨げないことよ。貴女にはそれ以外に何も望んでいない」
「ッ……!」
「なのに、今の貴女にはそれすら出来ていない。貴女の低次元な歌が、蘭子の歌声の崇高なる波長を乱しているの」
「………くっ!」
特訓を経て、合格基準のパフォーマンスに達していることは間違いない。しかしそれは
これまで何十回と合わせてきた。しかし一度たりとも、蘭子のライブで見たような奇跡じみた現象は起きていなかった。
「十日前の初打ち合わせのとき、貴女は『魂を重ねたユニットにしてみせる』と宣言した。だから私は気が進まないけれど……本当に吐き気がするほど嫌だけれど、蘭子と貴女が組むことを前向きにとらえようとしていたの。でも、少しでも期待した私が馬鹿だったようね」
「言わせておけば……。だったら、どこをどうすればいいのかご教示願いたいんだが? 例によってキミの言い分には具体性というものが皆無だ。ボクからすれば難癖以外の何物でもない」
「……一つ、聞かせて?」
「な、なに……?」
「魂の叫び、魂の波動、魂の力……いえ、別にどう呼んでも構わないのだけれど。つまり、“力”の本質を……貴女はどう認識しているの?」
「は……?」
なんだその中二病的な質問は? まだボクが罹患者だからいいものの、慶さんなんかもう理解を放棄した顔でルームの片づけを始めてしまったじゃないか。そういえばPは相変わらず様子見を決め込んでいるし、蘭子は神妙な顔で事の成り行きを見守っている。
いいだろう。答えてやるよ。ボクの解釈を。
「魂の力……その本質は、重量――」
「……!」
ボクの言葉に神崎Pが瞠目する。
フフン。ボクには理解らないと思っていたのかな? 見縊られたものだ。
「このセカイに存在する全てのモノは重量を有している。そしてそれは魂についても例外ではないのさ。ボクも蘭子のステージを見て気付いたんだけれどね」
「……はぁ~~~」
あれっ? 溜息ついた?
「……た、魂が有する重量はある実験によって21グラムであることが判明している。つまり魂の持つ力とは、その重量をエネルギーに変換することで――」
「もういいわ。いつ、貴女の漫画の設定の話をしろと言ったのかしら?」
「こ、これは設定なんかじゃ……っ」
「チッ……。本当に、私が馬鹿だったわ。一ノ瀬志希やPと共鳴してみせた貴女ならあるいは……なんて、少しでも考えてしまった自分が恥ずかしい。やはり、あれは低次元なモノだったようね。疑似的な共鳴……いえ、紛い物と言うべきかしら」
「っ……!?」
神崎Pが何を言っているのかよく理解らない。だが、ボロクソにこき下ろされているのだけは理解った。
「二宮飛鳥。貴女の理解は何もかも的外れよ。そんな風に捉えているのなら、たとえ一億年レッスンしようとも、蘭子と真の共鳴をすることは出来ないわ」
「だ、だったら……っ! そこまで言うなら! どうすればいいのか、どう理解すればいいのか、教えてくれないか!? それだってプロデューサーの仕事だろう!?」
「……………嫌よ」
「はぁっ!?」
あまりにもハッキリとした拒否に、二の句が継げなかった。
「勘違いしないで欲しいのだけれど、私は今も貴女が蘭子と組むことには反対しているし、そもそも貴女のことが嫌いなの。だから塩を送るようなことをするつもりはないわ。自分で考えなさい」
「お前……! どこまでイヤな人間なんだっ!」
「というか、すぐにでも常務にふざけた命令を撤回させたいところね。……いえ、させるわ」
「……は?」
「明日の夕方に、もう一度見せてもらう。それで駄目なら、常務に命令を撤回させる。この十日間は無駄だったということになってしまうけれど、蘭子のファンを失望させるよりは遥かにマシだから」
神崎Pは壁際で静観を決め込んでいたPへとその鋭い眼光を向ける。
「常務の説得は貴方にも手伝ってもらうわよ?」
Pは微笑なのか苦笑いなのか判然としない表情で、無言のまま一度首を縦に振った。
「本気なのか……っ!?」
「話は以上よ。……さ、蘭子。行きましょうか」
「き、気は確かか、瞳を持つ者よ……? え、あっ、プロデュ、ちょ……っ!」
ボクの言葉は元より蘭子の説得にも聞く耳を持たず、神崎Pは蘭子の腕を掴んでレッスンルームの出口へと向かって行く。
「オイ! 待てったらっ!」
ドアを越えようとする神崎Pに、ほとんど怒鳴るような声を投げかける。するとヤツは止まり、侮蔑の籠った眼差しでボクを見た。
「まったく……よりにもよって質量エネルギーだなんて高の知れたもの、よく引き合いに出せたわね? 覚えておきなさい。魂の力が真価を発揮したとき、それはもう測ることなんてできない……まさしく無限のエネルギーを生み出し得るのよ」
そう吐き捨て出ていった。
バタム、とドアの閉まる音がレッスンルームに木霊する。
「なっ……!?」
なんだアイツは! 言いたいことだけ言っていきやがって! しかも何もかも意味不明だ!
「あ、あはは……レッスンの予定が変更になる場合は、またご連絡お願いしますね~~……じゃ、じゃあ、私はこれで……っ」
慶さんがそそくさと逃げ出していく。となれば、室内に残るはボクとPだけで、そこでようやくPが言葉を発した。
「散々な言われ様だったなぁ~、飛鳥よぉ~」
「いっ、言うに事欠いてそれかっ! キミはどっちの味方なんだ!?」
「そらもちろん飛鳥だ」
「っ……! なら、いい……。いや、よくないっ!」
状況は何も変わっていないし、それに。
「だったら、こう……もう少し援護するとか……あるだろう…っ!」
「あーーうん……それはすまんかったが……ん~~……」
珍しく何かを考え込む様に、Pが腕組をして唸る。どうしたのかと視線で問うと。
「神崎Pだけどな……ありゃ、たぶん、人間じゃねーわ」
「は…………?」
何を言うかと思えば。
「……プッ! ハハハハッ! 奇遇だね、同感だよ。ボクは、あの女は氷で出来た人形だと踏んでいるんだ」
「あ~~……いや、そういう冗談じゃなくてな」
「ん?」
「マジな話で、アイツ、人間じゃない。あぁ、正確には
「……………はい?」
ワケが分からない……。でもPは冗談を言っているようには見えない。
「神崎Pと初めて会ったのは今年の三月末……約半年前、飛鳥をスカウトした数日後だ。アイツはその頃に中途採用で入社してきててな。歳が近くて、比較的暇してた俺が会社の案内をしてやることになったんだ」
それについては以前聞いたことがあったな。
「初めて会ったとき、かなり驚いたよ」
「美人さにかい?」
「それも結構驚いた。でも俺が心底スゲェと思ったのは、神崎Pがあまりにも左右対称だったからだ」
「それはまぁ、美人の条件の一つに左右対称性があるくらいだし」
「そんなレベルじゃなく、完璧に左右対称だったんだ。全身の各部の形とか、筋肉の付き方とか、毛穴の位置もだな。寸分違わずに対称。でもな、二十年以上も生きてきて、そんな左右対称のままいるなんて不可能なんだよ。どれだけ気を付けても筋肉の付き方は違ってくるし、不意の抜け毛だってよくあることだ」
「……」
あの女をそういう観点で見たことがなかったけれど、そんなことがあるのだろうか? というかPのヤツ、よく見てるな。毛穴って……。まぁPだし、それくらいの洞察力があってもおかしくないか。
「初めて会ったときはそうだったんだけどなぁ……。この半年間のアイツを見ていると、少しずつ、その左右対称性が崩れていっているんだ」
「つまり、何が言いたい……?」
「俺が思うに、アイツは半年前までは人間ではない
「……………は、は、ははは……」
漫画の設定かな? と言おうとして、それがついさっきあの女がボクに言った台詞であることに気が付いてやめた。それに……ALDとかいう人知を超えたガジェットの存在を、ボクはもう知ってしまっているし。
「……で、急にそんな中二病的な話を持ち出して来て、キミは何が言いたい?」
「その出自と口ぶりから、どうやら神崎Pは神崎ちゃんの不思議な力について、俺たちよりも遥かに多くのことを知っているらしい」
「出自についての真偽は定かじゃないけどね」
「だから、アイツが言ったことを、飛鳥もちゃんと考えてみる必要があるのかもしれない。なんかこう、反発したい気持ちはあると思うけど」
「くっ……! そういう結論か。回りくどいっ!」
ボクの認識がどうとか、無限のエネルギーがどうとか。あれはボクをこき下ろすための罵倒じゃなかったとでもいうのか?
「神崎Pはなんでか、飛鳥に対してはやたらと口悪くなるけど、さっきのはアイツなりのエールだな。叱咤激励ってやつ?」
「ハハッ! エールだって? あの女が? 冗談はやめてくれないか」
「アイツのことで一つ確かなことがある。それは、神崎ちゃんLOVEってことだ」
「ラブて……」
いや、まぁ……あれもLOVEか。だいぶ歪んでそうだけれども。
「神崎Pは神崎ちゃんのためになるものなら何でも使うし、ためにならないなら絶対に何が何でも拒否するだろう。そんなアイツが、ユニット結成が決まってから今日までの十日間、それなりに協力的だったのは、アイツも内心では飛鳥に期待してるってことさ」
「ふ、フン……どうだか」
「………そうか……そういう意味では、詳しく教えてくれなかったのは、それこそがベストだと判断したのか……? それとも教えても無意味だと……? ということは飛鳥が自力で到達しなければならない類のもの? 必要以上の助言はバイアスとなって発見を妨げるから? いやしかし……」
「P?」
頭をユラユラさせながら、ブツブツ言い始めたPの肩を揺さぶってこちら側に引き戻す。
「おお、すまんすまん。俺はこれから改めて神崎Pに幾つか確認してくるよ。飛鳥も来るか?」
「ボクは……」
ボクが神崎Pに首を垂れて教えを乞ったとしても、叶うとは思えない。それに、もし仮にアイツに『じゃあこうしろ』なんて言われても、素直に従う気にはなれそうもない。
「いや……ボクには、あの女とは別の
「O.K.! 何か有益な情報がゲット出来たら連絡するわ」
「あぁ、待ってるよ。期待はしないけどね」
「言ったなこんにゃろめ」
そうしてボクらもレッスンルームを出た。
Pは神崎Pを追い、近所の撮影スタジオへと向かって行った。どうやら蘭子の撮影があるらしい。
彼の背を見送った後、ボクは携帯を取り出して
「これは悩みがある匂いだにゃ~」
「ッ――!?」
待ち合わせ場所に指定したカフェでコーヒーを啜りながら待つこと数分。背後から何者かに奇襲を仕掛けられた。いや、こんな準セクハラ行為をいきなり仕掛けてくるのは、ボクの交友関係には一人しかいないわけだが。
「ハスハス! クンカクンカ! でもこれはこれで……アリ!」
「ひんっ! ……ちょっ、いい加減に……しっ、志希!」
振り向けば、猫よろしく見開かれた二つの瞳と目が合う。案の定、一ノ瀬志希だった。
「はいはーい、志希ちゃんでーす!」
「まったくキミというヤツは……もっと普通の登場の仕方を覚えてほしいんだがね?」
「んー? 飽きてきたってこと? もっと刺激的な方が良い?」
「断じて否だっ! 独善的な解釈は感心しないな。人間らしいマナーを身に付けて欲しいと言っているんだ」
「志希ちゃん、むずかしーことはワーカリーマセーン! にゃははーー」
志希とはDimension-3の活動が一段落した後も頻繁に会っていた。とはいえ大抵は志希に呼び出されて、もみくちゃにされたり得体の知れない液体を摂取させられそうになったりで碌な目に遭わないが。だからたまには、後輩のボクが呼び出してもバチは当たらないだろう。
「まずは…そうだな、何を注文する? ボクが呼び出したんだし、奢るよ」
「え~いいの~? 何頼もっかな~? 何でもいいの~?」
「メニューにある品なら、何でもいいよ」
「にゃは! じゃあ~~、ここからこ――」
「――ただし! 二品までだ」
「ありゃ」
「人間は学習する生き物なのさ」
先月志希と一緒にふらっと入った喫茶店で、彼女の暴挙の所為で危うくお腹が割けそうになったこと思い出していた。
志希は結局、ドクターペッパーとミルクティーを注文した。それとタバスコを持ってくるのもお願いしていた。
「それで何だっけー? 飛鳥ちゃんが呼んでくれるなんて珍しいよね」
注文した飲み物を早々に物体Xに変容せしめた志希が、満足げに微笑みながら口を開く。
「あぁ、少し相談……というか、知恵を借りたいことがあるんだ……」
「待って、当てるね。うん、分かった、間違いない。Dimension-3再結成するにはどうすればいいのかだよね? 大丈夫だよ、あたしが全部してあげる。あたしのもつ権限全部使って関係者説得する。何だったら明日からでもイケるよ? 他の仕事なんて全部キャンセルしちゃうから」
「は? い、いや……そういう話ではないんだ」
「えっ、違うの? にゃ~んだ、にゃはは~~……」
ケラケラと笑う志希だが、何故か、その目は全く笑っていないように見えた。
「実は……これはまだオープンになっていないプロジェクトなんだけど――」
ボクは蘭子とユニットを組むことになった経緯を語った。もちろん、ALDや“台本”などについては割愛した。
蘭子について、志希はほとんど知らなかった。『不思議なパフォーマンスをする娘がいる』という噂を聞いたことがある程度らしい。
「ふ~~~ん、神崎さん家の蘭子ちゃんって娘なんだ~~~。へぇ~~~……」
そして、蘭子の不思議なパフォーマンスは魂の力が引き起こしているらしいことと、先刻の神崎Pとの舌戦についても伝える。一般には荒唐無稽と思われそうな領域の話に入っても、志希は特に遮ることなく「へぇ、ふぅん」と相槌を打ち続ける。
そこでようやく気が付いた。何故かは理解らないが、どうやら志希の機嫌が良くない……というよりは、悪いらしい。
「志希? 何か……怒ってないか?」
「えぇ~~? べっつに~~? 志希ちゃん何も怒ってないよぉ~~? これっぽっちも怒ってないよぉ~~? 一フェムトグラムも怒ってないよぉ~~?」
「い、いやしかし……そんな貧乏ゆすりはキミらしくないというか……」
志希は気怠げに頬杖をついて、テーブルの上のシュガーポットを凝視しながら、踵を一定のリズムで石畳を打ち付けていた。
「ただ、飛鳥ちゃんって
「へ? ボク……?」
「あたしを呼びつけておいて、他の女の子の話するんだぁ~~って。しかも、その子とイチャイチャするにはどうしたらいいのかなんて聞くんだぁ~~って」
「い、イチャイチャってキミな……一体何を言いたいのか、皆目見当がつかないんだが……? というか、キミの方こそいつもボクを好き勝手に呼び出すじゃないか。今日ぐらいは大目に見て欲しんだけれどね」
「……………………」
「志希……?」
急に黙りこくる志希。いつの間にか大気にひんやりとしたものが混じっているような気がした。
「まぁいいや。で、え~っと、どういう話だったかにゃ~~?」
「っ……」
しかし。さっきまでの不機嫌顔はどこへやら、志希は急に破顔した。満面の笑みだった。なのに、ボクの背筋には悪寒が走る。いや、これは錯覚だ。うん。志希の目は今も笑っていないように見えるけれど、元からそういう目だったような気がするし。うん。初めて会った頃の志希の笑顔がこんな感じだった。そうだ。だから問題は無い。たぶん。そういうことにしておこう。とにかく今は志希の意見が聞きたいんだ。
「た、端的に言うと、魂の力の本質とは一体何なのか? ボクが今最も知りたいのはコレさ。志希、キミはどう思う?」
「………魂……たましい……タマシー、ねぇ………」
志希の首が肩に付くくらいに傾く。視線は明後日の方へ向いている。おそらく彼女の頭の中で情報の検索と整理を行っているのだろう。
「てゆーかまず、魂の実在性からして、いくら議論しても現代科学では結論は出なさそうなんだけど……。飛鳥ちゃんの話では魂は実在するって前提があるんだよね?」
「あ……うん。いや、魂は存在するだろう?」
「そーかにゃ? 志希ちゃん、見たことないからわかんにゃい。でもそれだと話が進まないからそういう前提にしとくね」
まぁそれでいいか。
「次に魂の定義……はちょっと面倒だから、ざっくりとした分類だけさせてもらうけど。ここでいう魂とは文脈的に、気持ちとか精神的性向とかを言い換えているものではなくて……なんて言うのかな……、一人の人間をその人たらしめる“何か”の方で合ってる?」
「う、うん……。ボクも明確に言えないけれど、少なくともその捉え方はボクのそれとさほどの齟齬もない」
「んで、その“何か”であるところの魂とは何なのか? その本質とは? 志希ちゃんの見解は~~!?」
「ゴクリ……!」
志希がテーブルの隅に追いやられていた物体Xに手を伸ばし、香りを一気に吸い込む。誘引されるフレーメン反応。そして――
「ワーカリーマセーン!」
「むぐ……っ!」
思わずガクリと項垂れてしまった。
そんなボクを見てコロコロと笑う志希は物体Xをじゅるると口に含み、目を死んだ魚のようにした。
「ジョーダンとかイジワル言ってるわけじゃなくてね、志希ちゃんにはわかんない。だって言った通り、魂なんて見たことないんだもん。だからわかんない。その本質を語るなんて夢のまた夢~~」
「むぅ……」
「ちなみに、飛鳥ちゃんの『21グラムの質量を持った何か説』にはノーコメント……と言いたいところだけど、あたしも懐疑的かな~」
「なっ!? それはキミの言葉で思い出したことだっていうのに……」
「にゃはは~~。あのマイクパフォーマンスを採用してくれたのは嬉しくもあり、恥ずかしくもあり~~。とはいえアレは魂を別の言葉で言い換える為だけに使った以上の意味はないんだ。あまり考える時間もなかったし」
「その節は迷惑をかけてすまなかったね……」
「ぜーんぜん? 寧ろ、あーゆーのはもっと仕掛けて欲しいにゃ~」
ケラケラと笑う志希の言葉に嫌味や皮肉は含まれていなさそうだった。
「そのなんとかってお医者先生以外にも、死後放散分以外の何らかの重量が人体から抜けてるって提唱した人たちはいたみたいだけど、どうにも胡散臭いんだよねぇ~。例えばそういう人たちが一緒に引き合いに出してくる、死後直後の魂が抜けたとかいう瞬間の写真かな? エーテルが頭を取り囲んでいたとか、球状のモヤが天に昇って行ったとか言ってるけどさ、普通にフェイクだったんろうね。昔より遥かに高性能な今のカメラで撮影したグロ系の映像に何も映ってないわけだし。フェイク画像を使っている時点で、主張全てに信頼性が無なくなっちゃう」
「むぅぅ……」
言われてみれば確かに…? 魂が抜ける瞬間が撮影されていた、なんてニュースを聞いた記憶は無い。
「まぁでも彼らの論文を精査したことがあるワケじゃないし、結局はよく分からない。知らないことには口をつぐまなければならない……なんてことを言うつもりは無いんだけどね。少なくとも飛鳥ちゃんのブレイクスルーになりそうな情報は、あたしには出せそうもないかな」
「そ、そうか……」
「てか、その神崎Pさん、だっけ? 何者って感じだよね。魂がどういうものであるか知っている口ぶりだったんでしょ? もし本当に知ってるなら、プロデューサーよりも教祖サマの方が似合ってにゃい? 」
「……!」
さっきPが言っていた、神崎P非人間説が頭に過った。
「まぁ、あたしに言えることはこの程度の――あっ、そだ。ちょっと気になったことがあるんだけど」
「ん? 今ならどんな意見でも歓迎するよ」
「その神崎Pさん、無限のエネルギー、って言ったんだよね?」
「あぁ。言ったね。たしかに」
「ふーん………」
「何が気になるんだい?」
「無限……ねぇ………」
志希はムゲンムゲン、と呟きながら咥えたストローに息を吹き込む。グプグプと下品な音が静かに響いだ。
「フン、それはただの誇張表現だと、ボクは解釈したがね」
「うーん……。例えば世界各国で研究中の核融合発電でも、無限のエネルギーなんて言われないんだけどね。言うとすれば、半永久的、ぐらい? そこらにいるOLさんならともかく、うちの会社のプロデューサーになれるようなエリートが、無駄に無限なんて表現使うかにゃ~?」
「……つまり、アイツが正しいと仮定すると、魂の力は真に無限のエネルギーを扱える、と?」
「そういうことになるね」
「ハッ! だったら益々質量エネルギーじゃないか。これ以上に高効率の換算式が他にあるか」
「飛鳥ちゃんの言う通り――あぁ、魂が質量を持っているかは別にしてだけど――質量エネルギーは膨大だよ? でも無限じゃない。えむしーの二乗で計算できる有限の値。21グラムでも1トンでも、それは変わらない。例えこの宇宙に存在する全ての天体がエネルギーに置き換わっても、暗黒物質を含めたとしても、定義上は有限」
「そ、それは……っ」
なんだかスケールがとんでもなくなってきた。
「そもそも、無限って何? 無限のものって何かある? ダークエネルギーだって質量エネルギーよりかは遥かに大きいけど、見積もりとしては高々何十倍ぐらいじゃなかったっけ? グーゴルもグラハムも越えた先にあるのが無限。いや、定義上はそれも無限の端にさえ触れていない」
「無限のものか……」
そういう見地からだと難しいな……。というか、暗黒物質、ダークエネルギーときて、グーゴルにグラハム、か。ずいぶんと胸が疼くワードだな……! 前二つは宇宙に遍在する未知の物質とエネルギー、後ろ二つは無量大数を遥かに超える途轍もなく巨大な数だったっけ?
巨大なモノ……とくれば……。
「宇宙の広さ……? これ以上大きなモノは存在しないわけだし……。って、いや、宇宙は膨張しているのか。だったら現時点では一応は有限なのかな?」
「宇宙論には志希ちゃんそんなに明るくないんだけど、最新の理論ではどうなんだっけ~? でもまぁ、ずっと膨張し続けるなら、無限に時間の経った後には無限の広さになっているのかもね」
「その場合には宇宙の寿命も無限だね」
「ふむふむ、そうなるね~~」
「あぁ、ちょっと趣旨からズレるかもしれないけど、円周率も無限に続くと教わったな」
「うん、それは完璧に証明されてる。にゃは! 机上のお話にシフトしてきた。……うんにゃ、案外こういう話なのかも?」
随分と脱線してしまっているような、そうでもないような。そして、なんとも雲を掴むような……。机上の空論とは正しくこのことだろうな。
「それでいくと無理数の小数点も無限に続くね」
「無理、数……?」
「もう少ししたら数学の授業で習うよ」
「ふぅん……」
「うわ、嫌そーな顔!」
だって名前からして一筋縄ではいかなさそうだし。
「……そだ。これもあった。机上絡みでもう一つ」
「へぇ、何かな?」
ほぼ手付かずだった水入りのグラスに志希が人差し指を突っ込み、濡らした指先でテーブルに円とその中心点を描く。
「ブラックホール。その中心……特異点における重力は理論上、無限大」
更に“∞”を描き加える。
「なるほど、それも聞いたことがあるな……――っ!」
瞬間、ボクの奥底の“何か”が蠢いた。それは極めて微かな感覚だったけれど、間違いようのない程に確かな感覚だった。
宇宙に点在するという、猛烈な重力で周囲の物質を飲み込み続ける天体、ブラックホール。最も近いものでも何千光年も離れているはずなのに、ボクの意識が引き寄せられていくような気がしてくる。
「い……いや待てよ。机上? 最近、ブラックホールの撮影に初めて成功したというニュースが話題になっていたと思うんだが。ブラックホールは実在することが証明されたんだろう?」
「んーと、ブラックホールが実在することの証明は、数年前に重力波が検出できた時点で果たされているんだけれどもね。まぁ、それはいいや。ブラックホールはありまぁす! そこまではオーケー。でも中のこと……事象の地平面より先のことは未だに一切確認されていない」
「事象の…地平面……!」
「またの名をevent horizon」
「い、イベントホライズン……っ!」
「にゃは!」
さっきから素敵ワード頻出だな。一応は既知のワードだけど、会話の中で相手から出てくるのは格別だ。
「ゴホン……。でも、どうなっているかについての理論はあるんだろう?」
「理論はあくまで理論だからねぇ~。どれだけ賢くて偉い教授が『これだ!』って言っても、実際に観測してみるまでは、正しいかどうか分からない、と言う他ないね」
「そういうものなのか……?」
「観測することは大切だよ~。サイエンスなんて全部観測から始まってるからね。まず膨大な観測結果を元に、現象を説明できる数式に当てはめて検証。あらかた検証し尽くした後は、今度は数式を発展させて予言。『コレコレこういうときにはこうなるはずだ』ってね。んで実際にそうなっているのかを観測してみてまた検証。予言的中ならパチパチ~。何か違ったなら数式を修正。その繰り返しでようやく人類は、ブラックホールが実在すると確認するに至ったのであった……とぅーびーこんてぃにゅーど~~!」
そこまで言うと志希は、残り少なくなっていた物体Xのグラスをあおり一気に喉に流し込んでしまった。
「オェッ……でもこればっかりはねぇ~。たとえ人類がブラックホールの近くまで行けるようになったとしても、検証は不可能かもしれないな~。原理的に観測が出来ないんだから」
「観測…………か」
観測というワードが、そしてその他のパワーワードたちが、ボクの頭の中をグルグルと回っている。それらがぶつかり合いながら融合し始め、妙な形のオブジェが出来上がり、そして崩壊した。すると、ボクの胸に一つの強い衝動が沸き上がってきた。
「行かなくては……!」
ボクは席から立ちあがった。志希は珍しく驚いた表情をして、ボクを見上げている。
「ボクは蘭子と話をしなくてはならない」
「パードゥン?」
「ボクが今なすべきことが理解ったよ。ありがとう志希。キミは本当に頼りになる人だ」
「え、あ、はい」
「この礼はいつか必ずさせてもらう」
「えっ、もう行っちゃうの? じゃあさ! 蘭子ちゃんとのユニットが終わったら、またあたしと――」
「――ではお先に失礼するよ」
そうしてボクはカフェを颯爽と駆け出した。
カフェを出ると、時刻は夕方に差し掛かっていることに気付いた。志希と二時間近く話し込んでいたらしい。
『ダメだった(><)』
携帯にはPからのそんなメッセージが届いていた。やはり神崎Pからは何も聞き出せなかったのか、それとも……。まぁ別に構わない。
蘭子に電話すると、撮影は既に終了し、つい今しがた寮に帰りついたということだった。ボクは無理を承知で、今から訪ねさせてほしいこと、そして出来れば泊めて欲しい旨を伝えた。
蘭子は快諾してくれた。
ボクの往く道が、夕陽に焼かれて燃えている。その朱さは蘭子と初めて邂逅した日の色と、とてもよく似ていた。
≪Observation by Shiki≫
「ではお先に失礼するよ」
そう言って飛鳥ちゃんは行ってしまった。あたしを一度も振り返りもせず、さっさと。
飛鳥ちゃんの背中が見えなくなる頃、席に残っていた飛鳥ちゃんの匂いもほとんどが風に流されていた。
「あ」
奢るって言ったくせに、飛鳥ちゃん精算し忘れてる。別にいいけどさ。
たぶん、らしくないことをしてる。引き留められるならまだしも、あたしが誰かを引き留めようとするなんて。
飛鳥ちゃんのくせになまいきだぞーって、今度言ってやろうかな?
「また、飛鳥ちゃんとステージ立ちたいな………」
そろそろ席を立とうと思ったとき、近くの席にいた知らない大人が夕陽の色に言及して、深いため息をつくのが聞こえた、
あたしがその赤色を見ると、レイリー散乱という言葉が頭に浮かんだだけだった。